厄病女神と木暮荘一階の人々
二十日先輩が朝っぱらから酒を飲みたいが為に、嘘も方便とばかりに言い出した厄病女神の歓迎パーティーとやらをするべく、俺と肝心の主賓であるはずの厄病女神はその準備に駆り出されていた。
厄病女神は追加の酒とつまみ類を買うべく近所のスーパーだかコンビニだかに向かった。あいつ、未成年だが酒を買うことはできるのだろうか? 法律を杓子定規に捉えれば無理なはずなんだが、世の中結構てきとーだからなぁ。うっかり買えてしまいそうだ。
一方、俺の方はというと、歓迎パーティーをやるにあたって木暮荘中の住人を俺の部屋に集合させるべく、掻き集めることを指示された。
大家による家賃上昇という圧力に屈した俺は手近な二階の部屋を一つずつ当たっていき、ヘボ漫画家柚子川誠と変な後輩清原零太郎を呼び出すことに成功したのだった。
で、次は一階だ。
俺が居住している木暮荘は、別に入居者に男女の別について区別しているわけではないが、どういうわけだか、二階は男。一階は女という住み分けになっている。防犯上の観点から見れば逆にすべきだと強く思うのだが、居住者の部屋を決めているのが、あの酒を飲むしか能のない二十日先輩なのだから、そんな配慮を求めるのは無駄というものだ。
どうせなら、入居者を女子限定のアパートにしてしまえばいいのはなかろうか。大学も近いし、大家も管理人も女子学生という特色もあって、結構高い家賃でも入居者が集まるのではなかろうか。かなりいい商売になりそうだが、それを助言すると俺が追い出される羽目になるので、黙っていよう。
一階の一号室には大家の二十日先輩が居住している為、ここはスルーする。
その隣の二号室はいくらか前までは物置として使われていたが、新たに京島都が転居してきている。大家の隣に部屋を宛がわれているのは二十日先輩に代わって管理人を務めているからである。木暮荘の管理業務について大家のすぐ隣にいた方が便利なのだろう。
京島都は諸般の事情により、金銭的に非常に苦しい生活を強いられている苦学生である。奨学金を受けたり親戚から援助を受けたり色々しているようだが、それでも生活は苦しい為、彼女はせっせとアルバイトに励んでいるという。休日はもとより平日でも休まずバイトをやっている。俺の部屋に新聞を届けているのは彼女であり、時折、注文するピザを配達するのも彼女であり、近所のコンビニでレジを打っているのも彼女である。時折、商店街でビラやティッシュを配っていたりもする。大学の研究室の怪しげな研究の実験体になったりもしているようだ(大学の研究室では、よくわけのわからん研究の為にバイトを雇って色々させたりしているのだ。大抵、人間の心理とか人体の反応を探るものなのだが、これが、まぁ、大したことのない作業でも中々な賃金を払ってくれる)。
つまり、彼女は非常に多忙である。ましてや、今は春休み中である。連休ともなれば、何かまとまったバイトを入れている可能性もある。何もない部屋に一日缶詰にされて行動や心理、体内環境を分析されるなんて実験に付き合っている可能性も否定できない。
在室しているかかなり疑問ではあったが、とりあえず、確認することにした。
チャイムを鳴らすと、暫くしてドアが開き、京島が顔を出した。小豆色の古臭いジャージを着ている。
「はい、え? あ! お、おはよう!」
京島は俺を見て驚いたようでちょっとばかし上ずった声で朝の挨拶をした。
「チェーンも付けずにすぐにドアを開けるのは防犯上宜しくないぞ」
木暮荘にはインターフォンが備え付けられていない為、来訪者を確認するにはドアについてる覗き穴から外を覗き見るかドアを開けて来訪者に応対するしかないのだが、後者を選択する場合にはドアチェーンをしておくことを強く推奨する。乱暴や強盗目的の良からぬ者が部屋に入り込むのをいくらかでも阻み、助けを呼んだり、窓などから外へ脱出する時間を稼ぐことができるわけだ。
「あ、うん、そうだな」
京島は素直にコクンと頷いた。
「それで、えーと、何の用、じゃない。あー、な、何か私に用?」
少し言葉遣いに苦慮しているようだ。つまるところ、何しに来たのかという意味だろう。それをいくらか柔らかい表現で聞こうとしているようだ。というのも、俺がいきなり京島の部屋にやって来たことは今までないからである。家賃を払いに来るくらいだ。木暮荘はなんとも古臭いことに未だに月末に現金持参という家賃支払方法なのだ。
それ以外の目的で俺が京島の部屋を訪れたことはないわけである。京島が一体何事かと思うのも無理はない。
「京島、今、暇か?」
「え?」
俺の問いに京島はぽかんとした。なんだか反応が鈍いぞ。
「いや、君は色々と忙しそうだからな。今は自宅にいるようだが、この後、バイトとかあるのか?」
「あ、えっと、今日は、休みの日だ。今は、内職してた」
「内職……」
「シール貼りの内職なんだ。えっと、ほら、お菓子とかの箱に原材料とか書いてあるシールがあるだろ? アレを貼るんだ」
相変わらず涙ぐましい生活を送っているな。実家から勝手に持ち出した金がある故に、そこそこのバイトだけでも、そこそこな生活を送れている俺には耳の痛い話だ。
「あー。それでは忙しそうだな」
「え」
「いや、大した用事ではないのだ」
「あ。えっと、一体、何なんだ?」
「いや、いいんだ。ただ、俺の部屋に来られないかと」
「行く」
京島は即答してから、自分の服装を見て、慌てて言い足す。
「すぐに行く。ちょ、ちょっと準備してから行く」
「いや、無理しなくてもいいんだぞ?」
「大丈夫だ。この内職も納期はまだ少し余裕があるから」
珍しくも気遣いをするも、京島はどうあっても俺の部屋で開催される厄病女神なんぞの歓迎会に参加したいらしい。どうして、そんなもんに参加したいのか甚だ不明であるが、しかし、彼女がそこまで参加を表明するのであれば、それを拒む理由など俺にはない。
「じゃあ、俺の部屋に行っていてくれ。俺はまだ用があるからな」
「分かった。着替えたら、すぐ行く」
そう言って京島は部屋へ戻った。
何だろう。何か、ボタンの掛け違いみたいなことをしたような気がする。
それはともかくとして、さっさと他の部屋へ行く。じりじりと照りつける太陽が辛いからな。日がな家の中に引き篭もっていることが多い俺は太陽に弱いのだ。眩しいっつの。もっと雲出ろよ。
一階の三号室は眼鏡先輩の部屋であり、四号室は空室である為、スルー。
木暮荘には二部屋も空室があることになるのだが、これは、大家の二十日先輩が積極的に入居者を募集していないからだ。知り合いとか気に入った奴とかで部屋に困っている奴を木暮荘に入れているからだ。まったくもって商売気のない奴だ。とはいえ、この春からこの二つの空室に新入生を入れる予定であるらしいとは聞いたことがある。やっとこさ満室になるのか。
さて、最後の一階五号室は俺の真下であるが、ここには後輩の女子が入っている。それほど仲は悪くないが、それほど関わりがあるわけでもない。そんな相手に、いきなり、俺の部屋で厄病女神の歓迎会をやるから来いなどと言うのはどうにも気が引けるものだ。男の後輩相手ならば、なんとでも言えそうな気がするが、年下の女子相手だとなんだかなぁ。かといって、木暮荘全室の入居者に声を掛けているのに、一室だけに声を掛けないのは非常に陰湿ないじめみたいでいかんな。
などとつらつら考えながらチャイムを鳴らした。
「はーい。あ、先輩。どーも、おはようございます」
五号室の住人である後輩もこれまたチェーンをしていない。木暮荘の防犯意識は全体的に低いようだ。全くなっとらんことだ。犯罪統計上凶悪犯の件数は増加しているわけではなく、概ね横ばい若しくは犯罪によっては減少しているとはいえ、しかし、犯罪に遭遇しないと確実にいえる世の中ではないのだ。防犯を心掛けることは決して無駄なことではない。
「あー。おはよう。うむ」
などと考えつつ、挨拶を返してから、はたと思い至る。この後輩の名前は何だったかなぁ?
真っ黒いショートヘアに高い鼻に少し細めの目で利発そうな顔立ちをしている。身長は普通くらいでスリムな体型である。
うぅむ。外見を観察しても思い出せぬ。
「えーと、何か御用ですかぁ?」
後輩はニコニコと笑いながら首を傾げる。ちょっと傾げすぎて体も斜めっている。
名前を思い出せぬからといって沈黙を続けても意味はない。名前の件は後回しにしよう。
「あーっとだな。朝っぱらからで申し訳ないのだが、俺の部屋で、あー、何だ。なんか飲み会をやると二十日先輩がほざいておってな。それで、全員集めろとの指示を賜り、こうして全室を回っているわけなんだが、あー、どうしても参加できないというのであれば、不参加でも良いと思うが、どうかね?」
「相模も参加していいんですか?」
あぁ、そうだった。この娘は一人称が名字なんだった。やっとこさ名前を思い出せて、なんだかスッキリだ。
「是非、参加させて頂きます」
相模は愛想よくニコニコと笑いながら参加を希望した。あんな酒乱と飲んでもいいことなんて何もないとは思うのだが、不参加を告げるとまたぞろ暴れ出しそうな気もするので、全員が参加するというのはひとまずは良いことだ。ということにしておこう。