厄病女神からの着信
本作は拙作「厄病女神寄生中」「偏屈先輩帰省中」の続編です。
前シリーズを読まねばストーリーやキャラが把握できないと思われます。
以上の点、ご注意・ご理解願います。
諸君、御機嫌よう。久しぶりだ。ご機嫌如何だろうか? ご機嫌な者も不機嫌な者もいるであろう。ただ、あんまり機嫌がいいときにこんな駄文を読んでは機嫌が損なわれるので避けた方が宜しい。不機嫌なときに読むと余計に機嫌が悪くなるので、これまた、回避すべきだ。この点、忠告しておく。
さて、諸君の機嫌はさて置くとして、今、俺の機嫌は最悪だ。
何故に機嫌が悪いかといえば、まず、第一に、非常に頭が痛い。頭蓋骨の内側、脳の内部から外に向かってガンガン叩かれている感覚がして、非常に糞痛い。自然としかめ面になる。まぁ、普段からしかめ面であることが多いゆえ、変わらないといえば変わらないのだがな。
それと、腹の具合が大変宜しくない。胸もムカムカしてしょうがない。腹から胸にかけてぐぐぐっと込み上げるものを気力だけで押さえつけるのもそろそろ限界に近い。ちょっとでも気を抜けば、ゲロっと出てしまうことは間違いない。
ついでに眠気も押し寄せてきており、俺の瞼はかなりの重力を感じている。今にも目を閉じてしまいそうだ。眠い。瞼が重くてしょうがない。帰る道すがら電柱の陰やらに蹲って吐いた後、そのままゲロの上で惰眠を貪ってしまおうかと何度思ったことか。さすがに思いとどまったがね。公園のベンチで休んでいたときの記憶が一時間ほどないのは気にしないこととしよう。
無事、帰宅できた折には、直ちにベッドへ突っ伏して、即就寝といきたいところだが、この腹具合で睡眠でも取ろうものならば、寝ゲロ確実だ。起きたら己のゲロに塗れているなど考えただけでも気分が悪くなる。その後、己のゲロに染まった布団を洗うときの惨めさといったら思い出すだけで欝になる。
寝るなら吐いてからにすべきである。布団に入る前に吐くことにしようと俺は心に強く決めていた。
こんな体調でご機嫌な奴がおったら、そいつは相当奇特な思考回路をしているに違いあるまい。
そんな最悪な気分及び体調で、細かい作業をすれば、具合と機嫌は余計に悪化するというものだ。×が書かれた隙間をGだか丸だか分からないが、なんかそれっぽいペンでちまちまと塗り潰す「ベタ塗り」なる糞細かくもめんどくせー作業を延々と一時間も二時間も続けていると、気分も気持ちも益々悪くなる。
「うぐぅ……、もう吐きそぅ……」
「あ! ちょ! 止めてよ!? 原稿に吐瀉するのだけは勘弁してよっ!?」
俺の呟きに背中合わせに座っていた奴が悲鳴を上げた。
「いや、無理だ。いいか? よく聞け。夕方六時から午前三時まで飲んだり食ったり口論したり殴りあったり散々大騒ぎした挙句、五キロメートルの道程を延々一時間以上かけて歩いて帰ってきて、さぁ、便器でGOってなところで、拘束されて、ベタ塗りだのトーン貼りだのを何時間もさせられりゃあ吐きたくもなるし、我慢も限界だ」
「それをもーちょっと我慢してよー。午前中までにこれあげないと雑誌に穴が開いちゃうんだよー」
「無理を言うな。もう限界近いんだ。一回、休ませろ。そして、吐かせろ。寝かせろ。いい加減、もう我慢できんぞ。もう、こう、こ、こみ上げてきてるんだ……」
「あぁっ! 止めてよっ! 原稿汚したら、僕、殺されちゃう!」
背後で悲鳴が上がるのを聞きながら、俺はこみ上げてくるもの(それが何かなんてことを具体的に固有名詞で言わねば分からん奴はおるまい)を抑えるのに必死だった。口を両手で抑えるも、もう喉まできているものをいつまでも口の中に留めておくことは不可能だ。今にも鼻から噴出しそうだ。想像したくもない。
こーいうものを口から出す際には便所で出すことが衛生上好ましいというかマナーというか常識というか、それ以外の場所で放出することは考えたくもないことだ。しかしながら、現状では、もうそんな便所まで歩いていって悠長に吐いてるなんて暇はない。ここから一歩でも動こうものならば、即吐だ。
「ぎゃーっ! ぎゃーっ! 本当に止めてよーっ! こんな狭い締め切った部屋の中で吐くとか本当に止めてよーっ!」
そんな騒いでる暇があったらゴミ箱でもバケツでもビニール袋でも寄越せと怒鳴りつけたい気分になるも、怒声より出るものが先に出てしまうことは火を見るよりも明らかなので、目だけで何か容器を寄越せと合図する。口を開けば言葉より先にモノが出る。
「え? 何さ? は?」
しかし、全く通じない。えぇいっ! この役立たずめっ! 貴様の間抜け面に吐いてやろうかっ!?
仕方がないので、自分で何か入れ物を探す。足元のゴミ箱ーは、失敗した原稿やら紙くず、トーンの切れ端なんかで溢れかえっている。この上に吐瀉すれば確実にゴミ箱外にだだ漏れる。
他に何か入れ物はないかと部屋の中を見回すも、この部屋は漫画と小説(殆どがラノベ)とゲームとアニメDVDとフィギュアとポスターでひしめき合っていて、実用的なものなど皆無に近い。俺の手近にある空き容器なんてのは空きペットボトル程度のものだった。この狭い口の中に注ぎ吐くのは至極難儀だぞ。
仕方ない。覚悟を決めようではないか。最終手段を行使するしかあるまい。非常に気持ちが悪いゆえ全く気乗りしないことではあるが緊急事態だ。致し方あるまい。
俺はこみ上げてきて喉から口の中に進出し始めている、そいつを思い切って飲み干し、喉の奥へ、腹の中に押し戻した。
「ごっくん。げぇっぷぅっ」
「うわぁっ! 飲んだっ! キモッ!」
俺の背後で再び上がる悲鳴。誰のせいで、ごっくんした上に、げっぷまでしちまう羽目になってると思ってんだ。頭にきた俺は振り返って怒鳴りつける。
「やかましいっ! 仕方あるまい! この部屋を阿鼻叫喚の地獄にしない為にはこれしかなかったのだっ!」
「息臭いよっ!」
「うるさいわっ! 黙ってろっ! そして、もう帰らせろっ!」
「いーや! それはダメだよ! はい、これ、ベタやって。君、もうベタ塗るの本当に上手くなってきたよねー」
「そら、こんなにベタ塗ってりゃ嫌でも上手く線の中に入るわ。そもそも、貴様の漫画はベタが多すぎるんだ! なんで、こんなにベタだらけなんだ!」
「だって、血が多いからねぇ」
まぁ、普通、モノクロ漫画で血はベタ塗りだわな。
「そうだ。血が多すぎるんだ。もう流血するなっ! 出血禁止だっ!」
「いや、無理。だって、僕の漫画って、残虐スプラッタダークファンタジーだし。商業の青年誌で連載できてるのが奇跡なくらいの」
「貴様なんぞ、いつか出版倫理委員会とかそんな感じの機構から怒られてしまえ。PTAに訴えられてしまえ」
「それ、ジョークにならないから、本当にやめて」
俺と背後に座っている奴は、そんな会話というか罵り合いというか、罵っているのは一方的に俺なんだが、ともかく、そんなふうにしながら、俺たちは、ひたすらに、ただ、ひたすらに、漫画の執筆作業とそのアシスタント作業を続けた。
俺の隣室に住む男、要するに、今、背中合わせに座っている奴は漫画家の端くれで、締め切り目前どころか締め切りを数回破った末に、もうこれ以上、マジで本気に伸ばせないといった日の夜、飲み会から帰ってきた俺をとっ捕まえ、アシスタント作業をしてくれと土下座で懇願してきたのが数時間前のこと。それから今まで俺は延々とトーンを貼り、ベタを塗り、線を引き……。
ふと、カーテンの隙間から白い光が差し込んできていることに気付いた。
「おい、もう朝だぞ。外が明るいぞ。何時だ?」
「さぁ? もう何時間も時計見てないし。あと少しあと少し」
後ろの漫画家は役立たず極まりないので、渋々と自分の腕時計を見るも、腕に腕時計がない罠。何処にやった? 失くしたか? まぁ、いい。探すのも億劫だ。どーせ安物だ。
代わりに部屋の中に時計がないかと見回すもそんな実用的なものはありそうにない。二次元キャラの美少女たちの笑顔が目に入るばかり。全く住人が役に立たんと、部屋も役に立たんものか。
仕方がないので、ポケットに入っているはずの携帯電話を探る。もし、こっちもなくなっていたら、さすがに問題だ。携帯会社に電話せんとならん。だが、携帯電話以外に電話を所持していない俺はどーやって電話すればいいものか? 大家に借りるか。
しかし、幸いにして、携帯電話は大人しく我がジーンズのポケットの中に納まっていた。カパッと開いて画面を見ると、
「おぉぅっ!?」
時間を見るよりも先に驚く。なんと着信ありが七件に、メールが十数件も入っているではないか。俺は普段からさほど携帯電話を使用する主義ではなく、うっかり不携帯してしまうことも多いような人間である。さほど頻繁に電話やメールのやりとりをする相手もいないゆえ、今までのこれほどの数の着信を見たことがなかった為、かなり、驚いた。
「しかし、何で鳴らんかったのだ? あぁ、そうか。バスに乗ったとき、マナーにしてそのままだったっけか」
一人納得しながら携帯電話の液晶画面を睨みつける。時刻は九時少し過ぎだった。まぁ、それは、もういい。
どこのどいつだ。こんな非常識にも夜中に何度も電話やらメールやら送り付けてきやがったのは。いや、まぁ、想像はできる。残念なことに、俺の知人の中に、一人ばかりそーいうことをしそうな奴に思い当たるのだ。
俺は携帯電話に連絡先を登録するにあたって、そやつの名前を本名ではなく、あだ名というか、俺の一方的な呼び名で登録していた。
着信の送付元を見ると、やはり、案の定、そやつの登録名だ。
「厄病女神め」
俺は忌々しい気分で呻く。
こやつがこんなにも連絡を取ってくることが吉兆なわけがない。きゃつは俺にとって、間違いなく、厄病女神であり、糞忌々しい厄介ごとを呼び寄せては、俺を不幸に陥れる悪の権化なのだ。奴と関わったせいで、俺が何度厄介な目に遭ったことか。過去、何度か死にかけたのも、奴のせいであると俺は信じている。
いやーな気分になりながらメールを確認する。古い順番に見ていくこととしよう。
「今、駅にいますー」
何処の駅だ? 日本には津々浦々何十何百という駅があるのだぞ? 具体的な駅名を記載しなければ意味があるまい。
イライラと心の中で毒づきながら、次のメールを見る。
「今、列車の中ですー」
何の列車だ? 日本には津々浦々何十何百という路線があって、何十何百という列車が以下略。
「今、お茶飲んでますー」
勝手に飲んでろ。
「駅弁売り切れでしたー」
知るか。
「今、駅弁食べてますー」
「おい! ちょっと待てっ! さっき、駅弁売り切れだっつってただろうがっ!? どーいうこっちゃねんっ!?」
「君、何、騒いでるのさー。早くベタやってよー」
「うるさいっ! 黙れっ!」
後ろの奴を怒鳴りつけて静かにさせてから、俺はメールを見直す。
あとは暫くの間、列車から見える星空が綺麗だの。隣に座ってるおばあさんから蜜柑をもらっただの。前に座ってるおっさんの髪が明らかにヅラで、しかも、ズレてるだの。高校生に間違われただの。トイレがいつまで経っても空かなくて漏れそうだのと、どーでもいいメールが十件くらい続き、
「今、駅に着きましたー」
だから、何処の駅だっつーの!?
「今、歩いてますー」
「今、商店街の入口ですー」
「今、何々堂の前ですー」
「今、善太郎書店の前ですー」
と、続く。
これから見るに、今いる場所、つまりは、俺の住んでいるアパートの最寄り駅から、こちらへと徐々に徐々に近づいているようだ。
「今、木暮壮の前ですー」
木暮壮とは俺の住処である小さなアパートの名称だ。古くも新しくもなく、家賃は平均よりも控え目。ただし、駅から少し遠いのと、近所のコンビニがない。部屋数は十ほどで、殆ど俺と同じ大学の学生が住んでいる。今俺がいる部屋の主のような例外もいるが。
そして、最後のメールの文面はこうだった。
「今、先輩の部屋の前ですー」
貴様はメリーちゃんかっ!?
毎度お馴染みの厄病女神シリーズの続編であります。結構以前から連載開始する開始すると言っておきながら、ズルズルと遅れてしまい申し訳ありません。
週一更新(毎週火曜日更新)を目指して連載していきたいと思います。