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好奇心は猫をも  作者: 澁澤まこと
第1章 探偵ごっこ
7/8

今日みたいに

 二人は顔を見合わせて、静かに塾を出た。自動ドアが開いた瞬間、湿っぽい風が頬を撫でる。同時に往来のざわめきが耳に入ってきて、祐介は奇妙な感覚を覚えた。まるで塾校舎がこの街から切り離されていて、たった今現実の世界に返ってきたかのような。



「とりあえず、ドトールでいいかな?」



 声に振り向けば、宏香が微笑んでいる。相変わらず半歩後ろで、背中には開きっぱなしの自動ドア、その向こうに広がる静寂の空間。いつの間にか受付に立っていた女性が、胡乱な目でこちらを見つめる。



「……あ、うん。行こうか」



 ドアが閉まるのを邪魔しているのが自分たちであることに思い至り、祐介は歩みを進めた。そして無意識に深呼吸をして、思い切り吸い込んでしまった悪臭に顔をしかめる。


 鼻をくすぐるガソリンの臭いはこの街が都会であることではなく、未だ都会になりきれていないことの証左である。眼前に広がる駅前の風景こそ東京や大阪ともさほど変わらないだろうが、裏を返せばこの風景が月岡の全てなのだ。有名なレストランチェーンもファストファッションブランドも、ほんの数キロで姿を消す。わざとらしく駅前だけに立ち並ぶビルはまるでジオラマ、もしくは舞台のセット。結局ここで生きていくには自動車が欠かせない。中途半端な地方都市開発の生んだ歪な繁栄を象徴するのが、明るい街にやたらと充満するガソリンの臭いだ。



「そういえば、川島君ってここの生まれ?」



 沈黙へ向かいかけた空気に切り込むように、宏香は話しかけた。急に投げかけられた割には特に意味もなさそうな問いに、裕介は自分が不機嫌に見えていただろうことに気づく。



「いや、越してきたのは5歳の時だったかな」


「へぇ、結構珍しいよね。その前はどこにいたの?」


「もともとは東京の……」


「東京!? やっぱり!」



 珍しく割り込んだ宏香の声が一段高い。嬉しそうとも表現できる様子に祐介が首を傾げると、宏香は少し顔を赤らめ、俯きながら続けた。



「なんとなくそんな気してたんだよね。なんかこう、都会の香り、みたいな!」


「そうか? もうこっちのが長いから意識してなかった」


「それでも、一度も出たことない側からしたらすぐわかるよ。生粋の月岡っ子とは匂いが違うの。みんな思ってると思う!」


「つまり、未だにここに馴染めてないってことか? だとしたら割とショックなんだが」



 その実たいしてショックを受けていないながらも、ある種の社交辞令としてそう答えると、宏香はわたわたと両手を振って必死に否定して見せた。



「違う違う! そういうことじゃなくて、むしろ褒めてるの! なんだろ、クールというか、垢抜けてるというか……」


「お、おう」


「その、もっと洗練された……シティーボーイ? トレンディー?」


「いつの言葉だよ」



 裕介が思わず吹き出すと、今度は顔中の筋肉が緩んだような笑顔。控え目な印象だったが、案外ふざけるのも好きな性格なのかもしれない。



「きっとご両親もそうなんだよね?」


「ああ、まぁ……もしかして俺、言葉遣いとか変なとこある?」


「全然! というか方言なんて、わぁも話せねよ?」


「話してんじゃねぇか!」



 二人は顔を見合わせて笑う。塾での緊張から解放されたこともあってか、その笑いは変に長引いた。片方が言葉を継ごうとすると、もう片方が再び吹き出す。そんな時間の中で、祐介は宏香との間にあったアクリル板がすっと消えていくような感覚を覚え……学校で話した時の泣き顔を思い浮かべながら、綾乃に会うまで空き時間があったのはかえって良かったかもしれない、と思った。ただでさえ精神的に追い込まれている状態で、裕介に対しても身構えたままあの変人の前に突き出されたのでは、パニックにもなりかねない。うまく説明できずに宏香が泣き出し、空気を読まない綾乃が推論を並べたてて事態を悪化させ、二人の話が行き違ったまま裕介を巻き込んだ無意味な対談が夜中まで及ぶ……などということも容易に想像できる。


 しかしさすがの裕介も、話し合いがスムーズに進むことへの期待だけでこの時間を好ましく思ったわけではなかった。同級生が泣いているよりは笑っていた方が良いし、女子に笑顔を向けられることを心地よく思う程度には年相応の感受性もある。更に言えば、この1時間足らずで裕介の中の宏香の存在は「同級生(モブ)」から「顔見知りの女子」へ、「顔見知りの女子」から「気になる女子」へと昇格を続けていた。本人は意識していないものの、裕介は明らかにこの時間を楽しんでいる。



「はぁー、いいなぁ、東京!」



 ようやく笑いから脱した宏香は、大きく伸びをして言った。声の小さい宏香としては、ほとんど叫んだといえる声量だ。



「ねーねー、どんな感じ? 満員電車すごい? やっぱりおしゃれな人しかいない?」


「覚えてねぇよ。5歳までって言っただろ」


「でもご両親の用事で行ったりしないの?」


「親父は仕事でたまに行くけど、いつも一人だし。じいちゃんばあちゃんはみんな死んでる」


「そっか、ごめん……悪いこと聞いちゃった」


「俺たちの年じゃさすがにレアだし、気にすんな」


「ありがとう。それにしてもいいなぁ、東京! 私も行けたらいいのになぁ」


「行きゃいいだろ!」



 すかさず先程と同じ調子で裕介が突っ込む。



「無理無理」



 新しい表情を期待し、半笑いのまま肩を叩こうとした祐介に向けられた顔は、寄せられた眉根と、嚙みしめるように結ばれた唇。最初に話した時のままの泣き顔だった。



「何が無理なんだよ、たかが国内だろ」


「うち貧乏だし、向こうの大学いけるほど頭いいわけでもないし」


「いや、別に本格的に移り住まなくても、遊びに行くだけなら時間があれば行ける……だろ……」



 戸惑いに勢いをなくしていくその言葉に、宏香は泣き顔のまま笑って返した。



「じゃあさ、今度連れてって。そんなすぐじゃなくても、もっと仲良くなってからでいいから……今日みたいに、ね」

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