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28話目 他愛ない会話 後編

 薄暗い中、静流はぱっちりと目を開けると、慌てたようにガバリと体を起こす。

 頭元の目覚まし時計を見て、まだ朝の五時半過ぎであることを確認して、ホッとする。

 そもそも、目覚まし時計が鳴るのは、もうちょっと後の予定だ。

 まだ夜も明け切れていない。カーテンが開いたままの窓からは、ほんのりとした明るさが広がっているのが見えた。

 スマホの画面に出ている今日の予定を見て、静流はベッドから立ち上がった。


 静流は手早く着替えると、階段を下りる。

 すると、居間から、明かりが漏れていた。

 ドアを開けると、ソファーに座っていた従姉妹が、ゆっくりと振り向く。


「おはよ」

「おはよう。きら姉、早いね」

「自分も」


 苦笑する従姉妹の目の下には、クマができている。


「もしかして、徹夜したの?」

「覚めただけ」

「そっか。僕も目覚ましの前に目が覚めたしね」


 早く目が覚めただけだとする従姉妹の主張を、静流は今日は大人しく受け取った。

 

「光さんって、早起き?」

「さあ」

「流石にそれは知らないか」

「……朝練」


 ふと、思い出したように告げた従姉妹に、静流は想像をめぐらす。


「えーっと、何? 光さん朝練してたから、早起きは得意じゃないかってこと?」

「そ」

「朝練って、光さん、何してたの?」

「剣道」

「ああ。剣道してたんだ。きら姉も、試合見に行ったりしたの?」

「ない」

「え? ないの? 一度も?」

「……あ、高総体?」

「何だ、高校生の時行ったんだ」


 静流が笑うと、従姉妹がぎろりと睨む。


「必須」

「はい、はい。部活に入ってないから、どこか見に行かなきゃいけなかったってことね」


 同じ高校に通っていた静流も、従姉妹と同じで帰宅部だったせいで、確かに県の高総体の時には、どこかに応援に行くことになった。従姉妹は必須だからと言い訳したいらしいとわかって、静流は口元が緩む。


「光さん、来るかな」


 静流は、遠くに視線を向ける。

 まだ、光が亡くなったとの、実感はない。

 あれから、四十九日が経った。


 あの後、渋る従姉妹を引っ張って、静流は光の病院に駆けつけたが、家族でもない従姉妹は、病室に入れて貰うことも叶わなかった。従姉妹も重々理解していて「だから」と、呆れた声で静流を責めた。

 病院でのやりとり、それから、通夜と葬儀に参列すれば、光が亡くなったことが現実だと、嫌でも突き付けられた。

 それでも、未だに、光がどこかにいるような気がしてならない。

 

 静流以上にショックを受けているはずの従姉妹は、それでも仕事を休むことなく、淡々と毎日を過ごしている。

 ただ、少し食が細くなって、以前に比べると、ほっそりとした。

 今日だって、顔色はいいとは言えそうにない。


「さあ?」


 従姉妹はゆるく首を振る。そこには期待をしているような感情は見えなかった。

 

「……確かに来るとは決まってないけど。でも、きら姉、今日仕事休むんでしょ?」


 静流の問いかけに、従姉妹はぎこちなく頷く。


「来て欲しいな」


 静流の言葉に、従姉妹は今度は頷かなかった。


「いいのかな」


 その言葉には、迷いがあった。静流は苦笑する。


「見えるのがお得だって言ったの、きら姉だよ? いいんだよ。見える人特権。光さんと会えても、誰も責めないよ」


 ”ことのは屋”をやっていても、従姉妹は伝言を生きている人たちには伝えずにいた。それなのに、自分に関係する相手と会おうとしていることに、従姉妹は罪悪感を抱いているらしい。


「でも」

「待つ気なんでしょ。カウンターの部屋に行こうよ」


 堂々巡りになりそうな会話に、静流は話の流れを変えた。


「……まだ」


 何か言いたげにしながら、従姉妹が窓の外を指さした。さっきよりも、いくらか明るさが増している。


「明るくなってきたよ」

「まだ暗い」

「もし光さんが来てたらどうするのさ?」


 従姉妹が目を逸らす。


「行こう!」


 静流は従姉妹の手を掴むと、カウンターのある部屋に向かった。



 ***



 静流はスマホを見た。

 時計は、十六時を過ぎている。空はまだ明るい。だが、もう十月だ。日が落ちるのは大分早い。

 

「来ないね」

「……うん」


 眠そうな目をこすって、従姉妹があくびをした。


「来ないのかな」

「さあ」


 そう言いながらも、従姉妹の目は、いくらか頑丈になったドアをじっと見つめている。

 静流も、今日は誰も入ってこないドアを、じっと見つめる。


 お昼を過ぎるくらいまでは、光の話をしたりしていたが、時間が経つにつれ、静流の口数も少なくなった。従姉妹はもう静流が話しかけない限りは、口を開くこともない。


 隣で、従姉妹の頭が前後に揺れる。

 舟をこぐ従姉妹に、静流は顔を向けた。


「寝たら。光さんが来たら、起こすから」


 ハッと目を開けた従姉妹が首を振る。

 既に何度か言っているが、従姉妹は頑なに頷かなかった。

 その気持ちは、静流にだってわかる。

 会えるとすれば、最後になる。だから。


「寝な……い」


 従姉妹は主張したまま、カウンターに突っ伏した。静流は苦笑して、従姉妹を見る。

 規則的な呼吸に、静流は少しだけ口元を緩めると、ドアを睨むように見つめる。

 光に来て欲しい。ただそれだけが望みだ。


 手持無沙汰な静流は、気もそぞろにスマホをいじりながら、耳をそばだてる。

 無為とも感じられる時間は、思った以上に速く進む。

 刻々と、太陽の位置が下がっていく。音を鳴らさないベルに、静流の気持ちだけが焦る。


 今日の日の入りは十七時三十三分。

 丁度、時計が十七時になった。あと、三十三分。

 もう十時間近くカウンターの前で待っている。

 いくら待っても、光は現れないのかもしれない。


 静流は慌ててスマホのカレンダーを開くと、今日から逆に日付をカウントしていく。

 もしかしたら、静流も従姉妹も、数え間違っている可能性はなくもない。

 それ以外に、焦る気持ちをなだめる方法を持ち合わせていなかった。


 カランカラン


 動きを止めた静流は、勢いよく顔を上げる。現れた姿に、泣きそうになる。


「きらら、寝てるのか」

 

 消えて行った時と同じ格好で、光がそこに立っていた。

 静流は我に返って、従姉妹を揺さぶる。


「きら姉! きら姉! 光さんが来たよ! 起きて!」


 だが、従姉妹は目を覚ます気配が全くなかった。


「ちょっと、きら姉! きらら! 起きて! 光さんだってば!」


 静流の声が大きくなる。それでも、従姉妹はピクリともしない。


「起きないか」


 光の目が、優しく細まる。


「ちょっと、きら姉ってば!」

「仕方ねーな」

「仕方なくないですよ! きら姉! きら姉って!」

「悪い、静流。時間がもうないんだ」


 淡々とした光の言葉に、静流はドキリとする。空はあっという間に、真っ赤に染まっていた。


「で、でも……」

 

 静流の視線は、起きそうにもない従姉妹から離れない。


「伝言、聞いてくれるんだろ?」

 

 静流は唇を噛むと、ペンを掴んで、前を向いた。


「お願いします」


 光が苦笑する。


「雑だな。誰宛とか、聞かねーのか? いつも聞いてるだろ」

「……光さん、きら姉に会いに来たんでしょう?」


 静流の問いかけに、光は答えずに突っ伏す従姉妹を見つめる。


「そうだ、手紙、手紙書いてください!」

 

 静流は常備するようになった便箋を光の前に出す。

 光は少しだけ便箋に視線を向けると、首を振った。


「大した事じゃないから、いいよ」

「でも」

「きららに、伝えてくれ」


 光は迷いなく静流に告げた。

 静流は滲む涙に奥歯を噛んで、頷いた。

 静流の様子に困ったように笑う光の視線が、また従姉妹に戻る。


「メシ、きちんと食えよって」

「へ」


 予想もしない内容に、静流の気の抜けた声が漏れる。

 光が静流をぎろりと睨む。


「ほら、書けよ」

「え、でも」

「伝言は、何でもいいんだろ?」

「そうですけど」

「早く」


 光に急かされて、静流は戸惑いながらノートに書き留める。


「それとな」


 ペンを持った静流の手に、力が入る。


「良く寝ろって」

「え」


 顔を上げた静流に、光が笑う。


「ほら、書けよ」

「いや、でも、他にもありますよね?」

「いや」

 

 光は真顔で首を振った。


「え、いや、そんなわけ」

「絶対この二つ、きららに伝えてくれよ」


 光の顔は、冗談を言っているようには見えなかった。

 静流は渋々、二つ目の伝言を書き留める。


「静流、よろしくな」


 光の言葉に、静流は勢いよく顔を上げる。目には涙が滲む。


「光さんが言ってください!」

「寝てるからな」


 光が肩をすくめて従姉妹を見る。静流はまた、従姉妹をゆする。


「きら姉! 光さん、行っちゃう!」

「いいよ。伝言で。顔は見れたしな」


 従姉妹を見つめる光の顔は、とても柔らかかった。静流が見たことのない表情で、静流の涙腺は更に緩む。


「きら姉、起きてよ!」


 静流の願いに、従姉妹は反応してくれなかった。


「じゃあ、行くな」

「光さん! 待ってください!」


 必死な静流に、光がクスリと笑う。


「無理だって、知ってるだろ?」

「だけど!」

「じゃあな」


 光は従姉妹に視線を残して、踵を返す。

 

「光さん!」


 静流の声に、光が背中を向けたまま手を上げた。

 そのまま、光の姿はドアの中に吸い込まれるように消えていった。


「光さん!」


 もう届かないのだとわかっていても、静流は声を掛けずにはいられなかった。

 静まり返った部屋に、もう光がいないのだと、嫌でも実感するしかなかった。


 涙腺が決壊したように、次から次に涙をこぼしていく。

 光ともう会えないことが哀しかった。

 それに、光と従姉妹を会わせることができなかったことが、悔しくて仕方なかった。


 今まで抑えていた感情が零れるように、嗚咽が漏れる。

 一度声を漏らすと、むせぶ声が止まらなくなる。

 ボロボロと涙をこぼしながら、静流は顔を手で覆った。


「静流?」


 伺うような従姉妹の声に、静流は顔を上げる。

 いつの間にか明りが灯され、部屋の中は明るかった。

 戸惑った表情の従姉妹に、静流は口を開く。


「ひ、ひ……さん……が」


 従姉妹が目を伏せる。


「来たの?」


 小さなその声に、動揺はなかった。


「お……こした……んだ……でも……おき……な……くて」


 静流は申し訳なくて、また涙が零れる。


「……仕方ない」


 従姉妹の言葉に、静流は首を激しく振る。


「ぼく……が!」

「悪くない」


 自分を責める静流を、従姉妹はきっぱりと遮った。


「だって……」

「悪くない」


 言い切った従姉妹の目から、涙が一筋こぼれる。


「だって……」


 静流はその涙に、心がギュッとなる。

 従姉妹が慌てて涙をぬぐう。


「私が選んだから。静流は悪くない」

 

 従姉妹はサムターンカバーを手に取ると、急ぎ足でドアノブにカバーをつける。


「え……らん……だ?」

 

 静流は目を見開いた。

 従姉妹が大きく息を吐く。

 

「ごはんは?」


 静流を見る従姉妹は、泣き笑いの表情だった。


「きら……姉……の……馬鹿……」

「ごはん!」

「わ……かった」

 

 静流はスン、と鼻をすする。

 外を見ると、暗くなった空に星が一つ見えて、滲んだ。


 完

元の作品を読んでくださっていた方も、初めて読んでくださった方も、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

楽しんでいただければ幸いです。

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