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27話目 他愛ない会話 前編

 お風呂から上がってきた静流は、バスタオルで髪を拭きながら、居間でのんびりとTVを見る光と、その隣で本を読みふけっている従姉妹の二人の姿に、口元を緩める。

 蛍光灯の明りの下だが、昼間とは違ってくっきりと光の姿が見えた。


 結局従姉妹は、光が家にいることを条件付きで許した。

 余計なことを言わないこと。

 そして、静流にも条件をつけた。

 余計なことを聞かないこと。


 余計なことに何が含まれるのか、静流には良く分からなかったが、どうやら光のことや光と従姉妹の話を深掘りすることを指すらしい、とこの一週間の中のやり取りで理解した。

 だから自然と会話は、当たり障りのないことか、静流の悩み相談のようになってしまう。


 因みに、光は時々ふらりと出掛けて行く。大体その日のうちには戻ってきているが、どこに行っているのかは知らない。

 一度尋ねてみたことはあったが、苦笑する光と、従姉妹の鋭い視線に、言葉を引っ込めた。


 静流はそのまま冷蔵庫に向かうと、出した麦茶をシンクのかごに伏せていたコップに注いで、一気に飲み干した。


「はー」

「そこはビールじゃないんだな」


 息を大きくついた静流に、光が振り向く。


「ビールって美味しいですか?」


 静流が顔をしかめると、光がからからと笑う。


「大人になればわかるよ」


 静流はますます眉を寄せる。


「一応成人ですけどね。全然良さがわかりませんよ」


 大学のサークルに入ってない静流は飲み会に行く機会はあまりないが、時折御厨や青山たちとお酒を飲むこともある。

 静流はコップに氷を入れると、また麦茶を注いで、ダイニングテーブルの椅子に座った。


「もっと大人になれば、わかるよ。旨いぞ」

「唆すな」


 呆れた様子で従姉妹が顔を上げた。


「そう言えば、きらら、飲んでないな」

 

 光が片眉を上げると、従姉妹はまた顔を本に向けた。静流も、あれ、と思う。


「知らん」


 従姉妹の言葉に、違和感を覚える。特にごまかすような必要もないはずだ。


「飲んでもいいと思うよ。今までのことは、思い込みでしかないんだから」


 少なくとも、従姉妹が思い込んでいた出来事は、思い込みでしかなかったはずだ。

 従姉妹が酔ったとしても、たとえまた護符を外すようなことをしたとしても、誰かが不幸になるわけではないだろう。勿論、悪霊に会いたくはないが。


「知らん」


 従姉妹は顔を上げずに同じ言葉を繰り返した。答える気はないらしい。

 静流と光は顔を見合わせて互いに肩をすくめた。

 麦茶を一口流し込むと、静流は昼間のことを思い出す。


「そう言えば、きら姉。光さん、幽霊が見えないみたいなんだ」


 静流の声に、従姉妹が怪訝な表情で顔を上げた。


「そうなの?」

 

 従姉妹が光を見ると、光は頷く。


「ああ。昼間、ことのは屋のカウンターにいたんだけど、静流が対応してる相手が、全然見えなかった」

「そうなの……」


 従姉妹が顎に手を当てて考え込む。


「僕もびっくりしたんですけど。光さん、今まで気づいてなかったんですか?」

「……確かに、こうなってからも、幽霊らしきものって見た記憶がないな」

「どうして光さん自身も霊なのに、幽霊が見えないんだろ?」


 静流が首を傾げると、従姉妹が顎から手を離した。


「元々」

「元々って……元はそうかもしれないけど、今は、霊なんだよ? 種類は違うけど」

「元々」


 どうやら、従姉妹の結論らしい。


「まあ、元々見えないのは確かだしな」

 

 光も頷く。静流は納得できないけれど、他に説明もできなくて頷くしかなかった。


「どうして、きら姉や僕は、幽霊が見えて、光さんは見えないんだろう?」

「さあ。どうしてなんだろうな。俺には全然わかんないけどな」


 二人の視線は従姉妹に向いたが、従姉妹は本から顔を上げはしなかった。


「ねえ、きら姉。どうしてなんだろ」


 静流の促しに、従姉妹が少しだけ顔を上げる。


「見えるから」


 光が吹き出す。


「理由になってないし!」


 ムッとした静流とは対象的に、従姉妹は興味をなくしたように本に視線を戻した。


 コップの中の氷が、カラン、と音を立てて崩れる。

 静流はコップの外側についた水滴を、上下で一つに繋げた後、あ、と顔を上げた。


「光さん、自分の体に戻らないんですか?」


 静流の疑問に、光が肩をすくめる。

 

「あのな。戻れたら、とっくに戻ってるって」

「体に戻るって、意識が戻るってことですか?」


 また生まれた疑問を、静流は続けた。


「そうなるのかな。よく分からん。きららはどう思う?」

「知らん」


 静流と光の会話を全く興味なさそうに本のページをめくっていた従姉妹は、予想外に即答した。


「生き霊って他に知らないのか?」


 光が従姉妹の横顔を見つめる。


「ない」


 従姉妹は本に目を向けたまま首だけ振った。


「らしいぞ」


 光が静流を見る。静流は首を傾げた。


「生き霊って、どうしてなるんでしょうね?」

「さあ」


 何度目かになる静流の問いかけに、光はただ肩をすくめただけだ。従姉妹は今回も見向きもしない。

 従姉妹であれば、何らかの答えを持っていそうにも思うのだが、従姉妹はこの話に全く乗ってこない。今までも、会話自体に乗ってくることの方がよっぽど少ないわけだが。

 途切れた会話に、静流は氷の小さくなったグラスを、カランと揺らした。


 光がTVに体を向ける。画面の中では、季節のニュースが読み上げられていた。


「もうすぐ夏も終わりだな」


 感慨深そうに呟く光に、静流は苦笑する。


「この間も、そんなこと言ってましたよ」

「そうだっけ?」

「ほら、きら姉に追い出された時です」


 静流の指摘に、光が、ああ、と声をあげる。


「正直、あの時、光さんがきら姉を説得できるとは思いませんでしたけどね」


 条件付きとは言え、従姉妹が光の滞在を許可するとは、静流は思ってもみなかった。だから、どんな会話が交わされたのか気になってはいるが、従姉妹の出した条件があるので、追及してこなかった。

 

「そこは、先輩を敬っとけよ」


 光が笑う。


「きら姉を説得したって点では、かなり尊敬してますよ?」


 それは、静流の本心だった。


「されてない」

「え?!」


 ぼそり、と呟いた従姉妹に、静流が視線を向けると、従姉妹は静流から顔を逸らした。


「説得したんじゃないんですか?」

「さあ」


 光は笑みをたたえたまま、静流からTVに視線を動かして、読み上げられる話題に、肩眉を上げる。


「なあ、静流。生まれ変わりって信じるか?」


 光の視線の先を辿れば、ニュースでベストセラーのライトノベルの紹介がされていた。異世界転生もの、らしい。


「うーん。あったら、ロマンチックですけどね。光さんは信じてるんですか?」

「いや」


 光は真顔で首を振った。きっぱりとした返事に、静流は眉を寄せる。


「何で聞いたんですか?」

「何となく? って言うか、静流がロマンチックとか言うとは思わなかったな」


 光の声に、揶揄いが交じる。静流はムッとする。


「煩いですよ。だってですね……この世にやり残したことをやるために生まれ変わるのかも知れないじゃないですか」

「ない」


 静流の答えに、従姉妹までバッサリと切った。静流の唇が少しとがる。


「未練ありまくりだな」


 ハハハ、と光が笑う。静流は納得できずに口を開いた。


「笑い事じゃないですよ。光さんは今まで未練のない生き方してきたんですか?」

「あー。そう言われると、言い返せねーな」


 光が頬をかく。


「後悔しないようには生きてきたつもりだけどな」


 ページをめくっていた従姉妹の手が止まる。

 

「後悔しないように?」


 静流はピンと来なくて眉を寄せる。


「こんな仕事だからな。覚悟がないとやってられないよ」

 

 カラッと告げる光に、静流は眉を下げる。


「後悔しないようにですか」

「そうだよ。いつ死ぬかなんて、誰にもわからないだろ」

「わからないですけど……」


 何か言いたげに静流が光を見つめると、光が静流を見てニヤリと笑う。


「それも、運命だろ。未来のことなんて、誰にも分らないんだから」

「運命……かもしれませんけど」

「TV消す?」


 話に割り込んできた従姉妹に、光が視線を向ける。


「いや。まだ見る」

「そ」


 従姉妹がまた本に視線を戻して、持ったままだったページをめくる。

 静流はコップを手に取ると、氷で薄くなった麦茶を飲み干した。

 トン、とコップをテーブルに置く。話し声の消えた部屋は、TVから聞こえて来るアナウンサーの声と、従姉妹がページをめくる音、微かな時計の針の音、それからエアコンの風の音だけになった。

 

 静流は頬杖をついて、ソファーの従姉妹と光の背中を見つめる。

 祖母の伝言を突き付けてから、従姉妹の雰囲気はいくらか変わった。それは、光と過ごす時間が増えたことが影響しているのかもしれない。

 従姉妹の話す量が増えるわけでもないし、にこやかになるわけでもなかったが、少なくとも、光の存在を許容しているのだけは間違いない。

 

 何かがあるわけではない。ただ、ああやって従姉妹と光がソファーに座っているだけ。でもこの穏やかな時間に、静流はふいに、涙が滲む。

 光が意識を取り戻して、そしてこうやってあんな風に過ごす未来があって欲しい。

 未来は誰にも分らない。

 だけど、だから。

 

 目にたまった涙で、二人の姿がゆがむ。

 静流は小さく鼻をスンと鳴らして、肩にかけたバスタオルで涙を拭いた。

 従姉妹と光の姿を目に入れて、あれ、と思う。

 静流はまたバスタオルで目をゴシゴシとこする。


 もう一度しっかりと光を見る。その隣の従姉妹と見比べて、先ほどの違和感が解決していないことに気づく。


「光さん!」


 静流が席を立って慌てて声を掛けると、光が不思議そうに振り返った。従姉妹も静流に視線を向ける。


「何だ?」


 何の変哲もない反応に、静流はどこかホッとしながら、光に近づく。


「いや、何って言うか……」

「歯切れ悪いな。何だよ?」


 やはり、違和感は静流の見間違えとは言えそうになかった。


「体、何だか薄くなってませんか?」


 さっきまでくっきりとしてた光の姿が、すこしぼやけて来ていた。

 静流から光に勢いよく視線を移した従姉妹が、目を見開く。

 腕を目の前に上げて自分の体をじっと見た光は、ほんとだな、と呟く。だけどそれには、驚きも何もなく、淡々としていた。


「ほんとだな、じゃないですって! どうしたんですか!?」

「どうしたって言うか……」


 慌てる静流とは対照的に、光はのんびりと頬をかく。


「行くの?」


 従姉妹が小さな声で尋ねる。


「そうみたいだな」

「行くって?! どういうことですか!?」


 頷く光に、静流は慌てる。

 二人の会話で予測できる内容が、一つしか思いつかなかった。

 でも、否定して欲しかった。


「静流、この家での生活、楽しかったよ。俺を受け入れてくれて、ありがとうな」


 光が微笑む。その笑顔に、陰は見当たらなかった。


「光さん、何言ってるんですか!? 受け入れるも何も、光さんは光さんじゃないですか! 僕は、光さんだから、一緒に暮らしてて楽しかったんですよ!」

「そう言って貰えてうれしいよ」


 そう言いながらも、光の笑顔がどんどん薄くなる。


「光さん!」

「じゃあ、行くな」


 光の視線が、従姉妹に向く。従姉妹は目を伏せて小さく頷いた。


「行かないでください!」


 静流の叫びが、光の姿が消えたリビングに響いた。

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