25話目 見える伝言 前編
「何?」
平日のまだ日の高いうちに揃った光と静流の姿に、従姉妹は訝しそうな表情だ。光の姿は、当然影が薄い。
今日は従姉妹には休みを取ってもらっていた。それは、強盗騒ぎの一件から勝手口のドアリフォームの相談のためという名目だったが、それはまあ二の次の案件だ。
クーラーは効いている。だが、静流は緊張しているせいか、手にじんわりと汗をかいていた。
「これ、見てもらいたいんだけど」
静流が差し出した紙を、従姉妹は、ああ、と頷いた。どうやら見たことはあるらしい。もしかしたら、最後の一文も既に知っているのかもしれないが、とりあえず静流はそのまま見てもらうことにした。
「これが?」
「最後に書いてあるの、見て?」
首をかしげて従姉妹はその紙を取ると、一番最後の所に視線を向ける。その視線がそこで止まったまま、従姉妹は動きも止めた。
「それ、おばあちゃんが書いたと思うんだけど、見覚えある?」
ぎこちなく従姉妹の首が横に動く。
「そっか。きら姉気づいてなかったんだ?」
コクリ、と頷く従姉妹に、静流はとりあえずその伝言を見つけられて良かったと思う。
「……おばあちゃん、何が言いたかったんだろうね?」
静流は従姉妹の手にあるその紙の一番最後に書いてあった“季来へ”というたった一言の伝言を思う。ただ従姉妹の名前が記されているだけのその伝言では、祖母が何を言いたかったのかは静流にはわからない。
だが、従姉妹は静かに涙を流し始める。もしかしたら従姉妹にはその伝言の意味が伝わったのかもしれないと、静流はその涙が止まるのを待つことにする。
スン、と鼻をすすった従姉妹に、光がティッシュを差し出して、従姉妹はぐじぐじと鼻を鳴らすと、流れ出ていた涙をぬぐう。それを見る光の顔は心配そうで、静流は従姉妹に酷なことをしてしまっているんだろうかと、少しだけ後悔する。
光とこの伝言の話をした時、きららにとっては辛いんじゃないか、という言葉が光から最初に出てきたことだった。伝言らしからぬ伝言でもあるし、祖母の意図もわからない。
でもきっと、祖母からの言葉が欲しくて『ことのは屋』を始めただろう従姉妹に、そんな中途半端な伝言は、かえって辛いんじゃないか、というのが光の見解だった。
だが、この後従姉妹にする提案を前に、そこを解決しなければ、きっとずっと平行線だと静流が主張して、しぶしぶ光はその提案を受け入れたのだ。
「気にしなくていいって」
口を開いた従姉妹に、静流も光もその言葉が誰に向けられたものかわからなくて戸惑う。
「お父さんとお母さんが亡くなったのは、私のせいじゃないって」
その続けられた言葉で、静流も光も、最初の言葉が祖母が従姉妹にかけた言葉なのだと理解する。
「酔っぱらって護符をはがしたのと、亡くなったのは関係ないって」
それを聞いて、静流はようやく従姉妹がお酒を飲まなくなった理由を知った。そして、悪霊を自分が呼びこんだと言った理由も。
「無関係って言うなら、もう幽霊が見えなくなったら護符なんて関係ないって証明したいって、そう思ったの!」
従姉妹が顔を覆うと、光がそれをなだめるように従姉妹の背中をさする。
ああそう言うことか、と静流は従姉妹が自分が悪霊を呼びよせたんだという思い込みをした理由がようやくわかる。
きっと酔って護符をはがしてしまった後両親が亡くなり後悔していた従姉妹に、祖母は関係ないと言い続けていたんだろう。
それでもまだ不安があった従姉妹だったが、また光に恋をしたことで見えなくなったのを機会に、護符がなくても大丈夫なんだと証明したかった。だが、そのタイミングで祖母が亡くなってしまったのだ。ある意味、最悪のタイミングだったと言っていいだろう。
だからこそ、従姉妹は自分が悪霊を呼びよせたんだと思い込んだし、自分の恋心を殺すことに決めたのだ。
「でも、おばあちゃんは違うって、きっと言いたかったんだよ。だから、伝言を残そうとした。でもきっと、最後まで書けなかったんだ」
多分あの場所に置かれたままになっていたことからして、あの伝言が残されたのは祖母が亡くなった後だろう。なぜ最後まで書けなかったのか、静流には知る由もないが、おかげで従姉妹の気持ちを動かすことができたのには、感謝している。
「そんなこと!」
否定しようとする従姉妹だが、従姉妹にもそれを断言できる材料があるわけではない。
「そうだよ。誰にも分らない。だけど、僕らの知ってるおばあちゃんなら、きら姉を責める内容を残すわけがないよ」
「だから!」
だから宛名しか書いていないのだと主張する従姉妹に、静流は首を横に振った。
「もし、本当にきら姉を責める内容を思ってたんだったら、おばあちゃんは最初から宛名すら残さない。おばあちゃんって、そう言う人だったって、僕は思ってるけど。きら姉は違う?」
静流たちの祖母は、とても優しい人だった。それに、内孫である従姉妹を殊の外かわいがっていて、その祖母から、従姉妹を責める言葉が出てくるとは、静流には到底思えなかった。
「だって!」
「単なる偶然だって、自分でもわかってるんだろ? ……でも、責める相手がいないから自分を責めた。違うか?」
従姉妹を諭すように、光が口を開いた。光もずっと従姉妹を見続けていたのだ。その気持ちは痛いほどわかっているのかもしれない。
「だって!」
「そろそろそんな思い込み辞めて、幸せになりなさいって、おばあちゃん天国で言ってると思うよ? だから僕がこれに気付いたんだと思うし」
従姉妹は激しく首を横に振る。
「だって!」
従姉妹の視線が光に向く。
光が目を見開いた後、ギュッと目を瞑ると首を振りながら息を吐いた。
静流もハッとする。光が事件に遭遇したのは、祖母が亡くなってからすぐのことだったのかもしれない。
従姉妹が思い込んだ理由にたどり着いて、静流は不意に涙が零れた。
両親、祖母、そして、自分が好意を抱いている相手。そのタイミングの重なりは、従姉妹自身を戒めるのに十分だっただろう。
「俺のことときららの力は、何も関係ない。単なる偶然だ」
「そうだよ。全部、偶然だよ。偶然が重なっただけだよ」
静流は、声を絞り出した。
「違わない!」
「きらら。残酷な偶然は、哀しいけどいくらでもあるよ。俺が見てきた事件は、残酷な偶然の重なりで起こってることも多いよ」
光が切なそうに従姉妹を見る。
「全部、自分と結びつける必要なんてないよ。きら姉、言ってたでしょ。『ただ見えるだけだ』って。きら姉だって、ただ見えてるだけだよ。きら姉だから、悪い霊を引き寄せてるわけじゃないし、誰かを不幸にしたりなんかしないよ!」
静流の心の底からの叫びだった。
「僕は、きら姉に救われてきたんだから!」
「そんなこと……」
首を振る力が弱まった従姉妹には、前みたいな頑なな気持ちは見て取れなかった。どちらかと言えば、迷っている。そう言う風に静流は感じた。
「それにね、きら姉。僕が『ことのは屋』の手伝い始めてから、伝言を受け取ったヒトたちは、誰も残された人に不幸になってほしいって言ってないよ? 皆、残された人に幸せになってほしいってそう思ってたよ? きら姉は感じなかった?」
誰よりも幽霊からの伝言を受け取っているだろう従姉妹が、ボロボロと泣き始める。それは、今まで解けなかった従姉妹の頑なな心が解けて行っているために生まれている水なんだと思い込みたい気分で、静流は従姉妹を願いを込めて見つめる。光の目も少し涙ぐんでいた。
従姉妹の鼻をすする音と、気にもしていなかったエアコンと時計の放つ音が、部屋の中に響く。
「許される?」
泣き止んで顔を上げた従姉妹が口にした言葉に、静流はホッとする。
「俺は最初から許すも許さないもなかったけど」
光が肩をすくめる。静流も頷く。
「おばあちゃんは最初から恨んでないし、おじさんたちもむしろ困ってたと思うよ。何たって、一人娘が勝手に自分自身を責め続けてたわけだしね」
神妙に聞いていた従姉妹が、目をそらす。
「思ってない」
「だって、きら姉にせいぜいわかるのは、亡くなって四十九日目のことでしょ。その後、どこでどうしてるかなんて、わかんないし」
「そもそも、おじさんやおばあさんには、会ってないんだろう?」
静流に同調するように光が口を開くと、従姉妹は気まずそうに目を逸らした。
「と言うことで、今日から同居することにしたから」
「「は?」」
光が投下した爆弾発言に、従姉妹と静流があっけに取られる。
「ついこの間泥棒に押し入られそうになるし、この家物騒だしな」
のんきにポリポリと頬をかく光に、従姉妹が目を怒らす。
「解決した!」
この間のあれは空き巣の常連で、既に捕まっている。日本の警察って優秀だな、と静流は感動すらした。
だが、従姉妹ではないが、それとこれとは別の話のような気はする。
「いやいや、この家無防備だし、誰かさんも無防備だし。俺は心配なわけ。大丈夫静流の許可は得てる」
「どういうこと?!」
怒りの視線が自分に向いたことに、静流は慌てる。
「いや、聞いてないよ! きら姉と同じで今初めて聞いたから! そもそも、住むって表現あってるの?!」
聞いていないのは本当だ。光がそんなことを考えているとは、今の今まで気づいてすらいなかった。
「大丈夫、大丈夫」
光がうんうんと頷く。
「じゃない!」
「どこが?」
「だって!」
「別に食事もいらないし、ソファー貸してくれれば、夜はそこにいるし」
「じゃない!」
「番犬くらいにはなると思うけど」
「違う!」
光と従姉妹のやり取りに、静流はクスクスと笑いが漏れる。従姉妹がぎろりと静流を睨んできたが、もう静流には全然怖くない。
カランカラン。
聞こえて来たベルの音に、静流は立ち上がる。後の話は光と従姉妹ですればいいだけの話だ。もう静流の存在などお邪魔虫なだけで、ある意味ちょうどいいタイミングでベルが鳴ったと言える。
勝手口の小部屋に続くドアを開けると、静流は口を開いた。
「『ことのは屋』へようこそ」
静流の目には、困ったように立ち尽くす男性の姿が見えた。




