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23話目 思いがけない言葉 前編

「うそ……でしょ」

 

 ようやく我に返った静流は、小刻みに首を振った。光が苦笑する。


「信じられないだろうな。俺だって気づいた時には信じられなかったわけだし」

「だって……」

 

 静流の視線が、光の体に沿って上から下まで動く。光の体は、きちんと足まである。

 だが、蛍光灯の明りが伸ばす影は、どこにも見当たらなかった。静流は信じられなくて、また首を振る。

 困ったように頬を掻いた光は、肩をすくめた。


「でも、静流が、俺を見えてないときもあったんだよ。しばらく、幽霊が見えてないときがあっただろう?」

「え」

 

 静流はその時のことを思い出す。

 言われて見れば、確かに、光に会ったような記憶はない。だが、それがその期間だけだったのか、という確証はない。

 静流も、流石に光に会った日を覚えているわけではないからだ。


「それに、きららが家に上げてくれないのは、そういうことだよ。きららは、俺がこの家に入ったら……いや、入れた時は、死んだ時だと思ってるんだと思う。なあ、きらら。この家に入ったって、俺はまだ死んでないよ。体は、病院にあるままだ」


 光が床に突っ伏す従姉妹を、切なそうに見つめる。


「うそ、でしょ」


 静流はまた繰り返す。信じられないというよりも、信じたくないという気持ちの方が強かった。

 今目の前にいる光が、実態のないものだとは、頭で理解できなかった。たとえ、影が存在しないとしても。


「静流が気が付いてないとは思ってなかったな」

 

 従姉妹を見つめたまま、光が告げた。

 静流はハッとする。


「でも、何でこの時間なんですか? 悪霊……ってわけじゃないですよね?」


 静流の理解では、夜に会うのは、悪霊だった。

 でも、少なくとも目の前の光は、以前遭遇した悪霊とも、どこかですれ違う嫌な気を持つ幽霊とも違っている。

 光を見て、嫌な感じだとか、ぞっとするようなことは、今まで一度もなかった。


「悪霊かもしんないけどな」


 顔を上げずに、ふ、と笑う光に、静流が眉を下げる。


「ちがう」


 のっそりと顔を上げた従姉妹が、力なく首を横に振る。


「違わないかもしれないだろ」


 光の言葉に、従姉妹が口をへの字に曲げる。


「光は違う!」


 従姉妹の目から、大粒の涙が一つ零れる。

 すん、と鼻をすすった従姉妹に、光の表情が和らぐ。


「きら姉……光さんは、生き霊なの?」

 

 静流の質問に、従姉妹がこくりと頷く。


「そう」

「……どこが普通の幽霊と違うの?」

「……力が足りてない」


 問いかける静流に、ボソボソと従姉妹が答える。

 当然、静流は首を振った。


「よくわかんない。力が足りないと、どうなるわけ?」

「太陽に負ける」

「全然わからないんだけど、光さん、わかります?」


 続いた従姉妹の言葉に、静流は光に助けを求める。 

 水を向けられた光は、あー、と斜め上に視線を動かした後、口を開く。


「日光の下だと、光の強さでこの姿は見えないみたいなんだよ。夜になると、見えるようになるみたいなんだけど……星みたいなもんかな」


 光の説明に、ようやく静流が頷いた。


「何となくわかりました。……太陽の光に負けちゃうんですね」


 静流の言葉に、従姉妹が視線だけ静流に向けた。


「説明した」

 

 さっき説明しただろうと気分を害したのだとわかって、静流は苦笑する。


「きら姉の説明が足りなさすぎるんだって」


 静流は視線を光に移す。


「光さんは、まだ生きてるんですよね?」

「でなきゃ、きっと今ここにいないだろうな」


 光の言葉に、静流がホッと息をつく。


「光さん、どうしてそうなったのか、聞いても大丈夫ですか?」


 静流が従姉妹に視線を向けると、光も従姉妹を見る。


「俺は構わないけど。きららも、説明協力してくれるか? 俺の説明だけじゃ、きっと足りないだろうから」

「……うん」


 暗い表情のまま、従姉妹が頷く。


「ソファに座りませんか? 光さん、座れますか?」

 

 静流の疑問に、光が頷く。


「案外、通り抜けたりはしないんだよな、きらら?」


 返事をしない従姉妹を気にした様子もなく、光はすたすたとソファに向かい、ソファーに腰を落とす。そう言えば、外で出会った時にも、光が地面を突き抜けたりなどはしていなかった。だから、そういうものなのかもしれない。


「二人とも見てないで座ったら?」


 じっと光を見ていた二人に、光は肩をすくめる。静流はすぐに向かいのソファに座った。青ざめた表情の従姉妹は、遅れて光の横に座る。

 光が従姉妹を気遣うように見る。従姉妹は光と目を合わせずに、その目を伏せた。


「それで……光さんはなぜ、生き霊に?」


 静流のストレートな問いに、光が、んー、と声を漏らす。 


「なぜって……何でだろうな。俺が知りたいよ」

「考えたこと、ないんですか?」

「ないこともないけどな。と言うか、どうして病院にいるのか聞かれるんだと思ったんだけど」

 

 苦笑する光に、静流が、あ、と声を漏らす。


「そう、ですね。どうして病院にいるんですか?」

「仕事中のアクシデントって言えばいいんだろうな」


 光が同意を得るように、従姉妹を見る。従姉妹は視線を落としたまま頷く。


「犯人に頭を」

「え?! 撃たれたんですか?!」


 従姉妹の説明に目を見開く静流に、光が首を振る。


「それは違う。頭を鉄パイプでやられたらしい。突然、すごい衝撃を受けたことだけは覚えてるんだけどな」

「そのまま、戻らない」


 ボソボソ従姉妹が補足する。


「それで、意識が戻らなくて、今も病院に?」

 

 静流が身を乗り出す。 


「ああ。今もずっと、呼吸器に繋がれてる」


 光が困ったように頷く。


「意識は、戻るんですか?」

「……さあ。俺には、わからない」


 光の視線が、従姉妹に向く。静流も従姉妹を見る。視線を感じた従姉妹が、顔を上げると、途方に暮れたようにゆっくりと首を振る。


「わからないよ」

「でも、沢山患者さんを見てるわけだから、この先どうなるのか、少しくらい予測はつくんじゃないのか?」


 光が淡々と尋ねる。その声は、期待を込めているようにも、悲嘆に暮れているようにも、聞こえなかった。


「わからない」


 従姉妹がまた視線を床に落とす。その声にも、感情は乗っていなかった。


「きららが分からないって言うなら、ド素人の俺には、わかなんないままだろうな」


 肩をすくめる光が、視線を静流に向けた。


「そんな感じだよ」

「……それで、光さんが、その、生き霊になったのって、いつからなんですか?」

「いつ? ……多分、病院に運ばれた後……すぐ、になるのかな?」

「うん」


 首を傾げる光に、従姉妹が同意する。そのやり取りに、静流が口を開く。


「えーっと、生き霊になったタイミングをきら姉が知ってるってことは、光さんは生き霊になってすぐ、きら姉に会いに来たんですか?」

「会いに行ったわけじゃない。丁度、生き霊になったときに、きららが病院に見舞いに来てて」

「そう」


 従姉妹が小さく頷く。静流の口からは、へー、と感嘆の声が漏れる。


「すごいタイミングですね。と言うか、タイミングよすぎません? もしかして、きら姉は、光さんが生き霊になるってわかったの?」


 静流が従姉妹を見ると、従姉妹はぎろりと静流を見た。


「まさか」 

「でも、確かにタイミングは良かったよな。俺が自分の姿を見て戸惑ってたら、きららがベッドの俺じゃなくて、ベッドの脇に立ってる俺に『何してるの?』って声かけてきて」

 

 光が、ふ、と口元を緩める。


「笑い事じゃない」


 ムッとした従姉妹に、静流も頷く。


「光さんは、それに驚かなかったんですか?」

「いや……驚いたって言うか、混乱はしたな。ベッドの自分指さして、これ何だ? って聞いたし。自分がここに立ってるのに、ベッドの上にもいるわけで」

「それは、そうですよね。混乱しますよね」

 

 もし自分がその立場だったら、そう考えて、静流はコクコクと同意した。


「だな。そもそも、自分がどうやって頭を叩かれたかもわかってないくらいだから、自分がなぜそういう状態になってるのかもわかってなかったわけだから」

「それで、きら姉から説明が?」

「いや」


 首を振る光に、静流は、え、と従姉妹を見る。


「仕方ない」


 従姉妹が不満げに告げる。


「えーっと、光さん。きら姉、何言ったんですか?」


 この従姉妹なら、とんでもないことを言ったとしても不思議じゃないかもしれないと、静流は光の言葉を待つ。


「いや。早く戻って、って泣かれたから。しばらく説明してもらえなくてな」


 予想もしてなかった反応に、静流が従姉妹を見ると、従姉妹はムッとした表情のまま、静流を一瞥しただけだった。どうやら、仕方ない、としか言うつもりはないらしい。


「きら姉も必死だったんだ?」

「煩い」

「で、大分たって、ようやく泣き止んだきららに、生き霊になってるって教えられて。あと、経過の簡単なあらましをな。そもそも、きららも現場にいたわけじゃないから、ニュースの聞きかじりらしいけど」

「なるほど。……今も、事件のあらましは光さんは知らないんですか?」

「署で、フラフラしてるときに聞きかじることはあるんだけどな。どうやら、病室の俺は聞かされたらしいけど」

 

 光が肩をすくめる。


「それで……僕が光さんに会ってから、もう1年以上経つと思うんですけど……一体、何年この状況なんですか?」

「えーっと、そうだな、もう3年……4年になるのか?」


 光が従姉妹を見ると、従姉妹は顔を上げないまま頷いた。

 従姉妹の態度に、静流はなんだか嫌な予感を感じて、口を開く。


「光さんは、自分の体に戻らないんですか?」

「戻れるなら、とっくに戻ってるけどな。戻れないんだよ」

「……大丈夫、なんですか?」


 眉を寄せた静流に、光は苦笑する。


「大丈夫じゃないか? 少なくとも、3年間は問題なく動けたし、本体は生きてるし」

「ねえ、きら姉? 光さんは生き霊として動き回ってるけど、大丈夫なの?」

「わからない」


 うつむいたまま、従姉妹が首を振る。


「でも……体とずっと離れてるのって……あんまりよくない気がするんですけど」

「そうか?」


 心配する静流をよそに、特に光は気にした様子もない。


「ねえ、きら姉。どうなの?」

「見てたことがないから」


 従姉妹が顔を上げた。でも、視線は静流と合わなかった。いつもと違う従姉妹の様子に、静流は心がざわめく。


「光さんは、きら姉から、何か注意されなかったんですか?」

「注意? 戻って、とは頼まれたけど、戻れないって言ったら、それ以上は。あ、あと、この家に上がらないようにって言われたな」

「破ってる」


 ムスッと告げた従姉妹に、光は肩をすくめる。


「でも、結局何もない。俺にも、俺の本体にも影響はないよ」

「……そうかもしれないけど」


 光から目をそらす従姉妹に、静流はクスリと笑う。


「光さんのことが心配なんだね」

「うるさい」

「それで、きららの言いつけを破ってまで、この家に上がった理由なんだけど」


 光が従姉妹を真っ直ぐに見つめる。静流も、ハッと今日光を呼んだ理由を思い出す。予想外のことに、本題をすっかり忘れていた。

 従姉妹が顔を上げて、光を見る。その瞳は、揺れていた。

 光が静流を見て頷く。

 静流は、どこから切り出そうかと、ゆっくりと口を開いた。


「どうして、きら姉の両親が亡くなった時、いつもより早いタイミングで護符を頼んだの?」


 従姉妹の目が、わずかに見開いた。

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