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20話目 聞こえない伝言 後編

 勝手口のある部屋のカウンターで、静流はスマホを触りながら、ふんふん、と鼻歌を歌っている。

 はっきり言って、静流は浮かれている。

 初めての彼女、が静流にできたこともあるが、静流の人に知られたくない部分を言っても尚、拒否的な態度を取らなかった相手だからだ。

 付き合い始めたのは昨日で、今日明日は御厨がバイト、ということで、デートは明後日にすることになっている。

 ちょっとしたやり取りが楽しくて仕方ない。そんな時期だ。


 カラン、カラン。

 勝手口の鍵は閉めてある。サムターンカバーだけが外されている状態で、幽霊だけは通り抜けられる。それは、この間ようやく確認できた事実で、鍵を閉めているから、健紀は勝手口から自由に出入りできなくなった。

 だから、顔を上げれば、そこには誰かヒトがいるはずなのだ。


「『ことのは屋』へ、よう……こそ」


 顔を上げた静流は、その異変にすぐ気づいた。勝手口のある小部屋には、静流しかいなかった。


「え?」


 今までなかったパターンに、静流は戸惑う。

 いや、確かにベルが鳴った。だから、誰かヒトがあのドアを通り抜けたのは間違いないだろう。ドアが開かなくてもこの間来た人の姿は、静流にはっきり見えていた。

 一体何が。


 静流は少ない経験の中で、何とかこの現状を理解しようとした。唯一、静流がそのヒトの姿を見ることができなかったのは、暗闇の中、恐ろしい声を出したあのヒトだけだ。

 嫌な予感が、静流の背中をすーっと通り抜ける。

 いやでも、従姉妹は昼間には悪い幽霊は来ないと言っていなかったか。そうだ、と思おうとして、いつのことかわからない、何の話だったかも思い出せないが、従姉妹の言葉を思い出す。たぶん、そう従姉妹は言っていなかっただろうか。何の話だったのか思い出そうとするが、気持ちが焦る静流には、その時の会話が思い出せない。


 どうすればいいか迷っている間も、妙な静けさは続いている。

 あの恐ろしい夜は、入ってきたヒトの姿は見えなかったが、声は聞こえた。でも今は、その姿も見えなければ、その声も全く聞こえてこない。悪い霊ではないと思いたい。だが、いるはずなのに見えないという恐怖が、静流を不安にさせる。


 ふわり、と前触れもなく目の前でボールペンが浮かぶ。

 ガタン、と静流は座っていた椅子から飛び降りる。目の前に、きっと幽霊がいる。だが、静流には見えない。

 静流はハッと思い出す。たぶん、そう従姉妹が言ったのは、あの時だ。


「去れ!」


 叫ぶ静流の声に反応するように、ボールペンがぽとりと床に落ちた。静流はサムターンカバーをつかむと、急いでドアノブにサムターンカバーを付けた。

 かちり、とサムターンカバーがはまると、静流はホッと息をついて、ドアノブをつかんだまま、ずるずると床に座り込んだ。

 幽霊がいるはずなのに見えない。それが、こんなに怖いことだとは、静流は思いもしなかった。


 *


「ただいま」

「お帰り」


 ソファに寝そべり突っ伏している静流の頭を、従姉妹がぺしっと叩く。静流はのっそりと顔を上げた。


「どうしたの」

「……見えない」

「は?」


 静流のようには行間を読めるわけもない、しかも話が全く見えてない従姉妹が、その単語だけで理解できないのも無理はない。


「幽霊が見えなくなった」


 静流がのっそりと起き上がると、従姉妹は驚いた様子はなく、何かを逡巡している様子だった。


「きら姉も見えなくなったことってあるの?」


 従姉妹のその逡巡が、何を考えてのことなのかは、静流にはわからない。だが、もしかしたら、という気持ちでそう問いかける。


「ある」


 そうはっきりと答えた従姉妹は、何かを決意したようにも見えた。


「……いつ?」

「……高校」


 静流よりも霊を見る力が長けて居そうな従姉妹でも、そんなことがあるのか、と静流は同じように見えなくなることがあるのだと知って、少しホッとした。

 勿論、幽霊が見える能力は必要な能力なわけでもなく、静流としてもないと困る能力でもなく、むしろ静流の過去を煩わせた能力であるからして、必要ではないと言ってもいい能力なのだが、今は、失われてしまったことが永遠になるのか、それが一時的なものなのかが分かって、しかも一時的なものらしいとわかって、静流はホッとした。


「一回だけ?」


 従姉妹は首を横に振った。


「亡くなった頃」


 それは従姉妹の両親を指すのか、祖母のことを指すのかわからず、静流は首をひねる。


「おじさんとおばさんたちの時? おばあちゃんの時?」

「どっちも」


 そう言われて、静流はきっと亡くなったショックで見えなくなったのだと思った。それは、仕方のないことだとは思う。

 でも、それならば高校生の時のことが説明はつかない。それに、もし亡くなった時のショックで見えなくなったのだとしたら、今の静流には当てはまりそうにもなく、高校生の時のことがまだ参考になりそうだと思う。


「高校の時は、どうして?」


 静流の問いかけに、従姉妹は気まずそうに目を逸らした。なぜ目を逸らすのか、静流には理解できない。


「亡くなった頃のは、ショックで見えなくなるって言うのは想像できるけど、高校の時は?」


 静流の想像は、従姉妹が首を横に振ったことで否定された。


「え? ショックで見えなくなったんじゃないの?」


 コクリと頷く従姉妹は、まだその理由を言うのを迷っているようだった。

 高校生の頃、従姉妹の両親が亡くなった頃、祖母が亡くなった頃。

 十代後半、二十五、三十四。従姉妹の年齢を思い出してみても、その三つに静流は共通点を見いだせない。

 ふと、従姉妹の言うタイミングを、静流は別の人間からも聞いていたことを思い出した。


 光が、従姉妹と付き合うかもしれないと思ったそのタイミングが、正に従姉妹が言ったタイミングだった。

 え、と静流はわずかに混乱する。

 いや、まさか。静流にはそう思う気持ちもある。だが、従姉妹の言ったタイミングは正にそのタイミングにぴったりで、しかも、静流は今、恋をしている。


 そして、従姉妹が迷っているその理由が、光との恋を告白することになる、それが理由だとしたら、静流に言いたくない理由もわかる気がした。何しろ今静流は絶賛光の恋を応援している。つまり、光と従姉妹が付き合えばいいと思っているのだ。その後押しをするだろう情報を静流にもたれるのを嫌がっているのかもしれない。


「……人を好きになると見えなくなるの?」


 静流の問いかけに、従姉妹が目を見開く。まさか静流一人で答えに行きつくとは思っていなかったのかもしれない。


「何で?」


 従姉妹のその答えが、やはりそうだったのだと静流に確信させた。


「光さんに教えてもらった」


 静流の答えに、従姉妹は観念したようにため息をついた。静流が光を応援している様子から、その話が既に静流に伝わっていると理解したのかもしれない。


「いつ?」

「それは......まあ、いいでしょ。それで、人を好きになったら見えなくなるの?」


 静流は光との約束を思い出して誤魔化す。


「……そうだよ」


 従姉妹は腑に落ちない様子ではあったが、追求することなく頷いてくれた。話題を反らせたことに、静流は安心する。


「……じゃあ、どうやったら見えるようになったの?」

「殺した」


 物騒な言葉に一瞬ぎょっとしたものの、静流は話の流れから、従姉妹が恋心を殺したのだと理解した。

 だが、そこまで考えて静流は混乱する。

 高校の頃のことは、光が他の人間と付き合うようになってしまったと言っていたから、その恋心を殺したのはわかる。だが、従姉妹の両親や祖母が亡くなった時は、光は従姉妹を支えようとしていたはずで、恋心を殺す意味が分からない。


「どうして? 幽霊が見えないからって、困ることもないよね? どうして光さんへの恋心を殺す必要があったの?」


 幽霊が見えないことで困ることなどないはずだ。むしろ、幽霊が見えることで、従姉妹も生きにくさを感じていたはずで、その結果、今みたいな従姉妹が出来上がったと静流は理解していた。だから、従姉妹が幽霊が見えなくては困ると思っているとは静流には思えない。

 そもそも従姉妹が『ことのは屋』のボランティアを始めたのは、祖母が亡くなった後で、そのことが理由とは考えられない。


「私のせいで悪霊が家に入ってきて、三人が死ぬことになったから」


 一気に伝えらえた言葉に、静流は咄嗟に反応できない。

 悪霊? そのせいで三人が?理解できないままの静流をじっと見た従姉妹の目から、涙が落ちる。


「光まで……」


 首を振る従姉妹に、それが、従姉妹が光を失いたくないという意味なのだと、静流は理解する他はない。


「人を好きになりたくないのも、誰かと結婚したくないのも、それが理由なの?」


 静流の問いかけに、従姉妹は少しの間の後コクリと頷く。


「見えなくなったからって、そのタイミングでたまたまおじさんたちやおばあちゃんが亡くなっただけでしょう? ……確かにタイミングが悪かったのかもしれないけど、それを自分のせいだって思う必要はないよ」


 でも従姉妹は首を横に振るだけだ。

 静流は従姉妹のこの思い込みを、どうにかしたいと思った。それは、勿論光とのことを応援している気持ちもあるし、長年そう従姉妹が思い込んでいたとしたら、そんな哀しいことはないと思ったからだ。

 悪霊のせいで人が死ぬ。 そんなバカな、そう思った後、静流はあの夜のことを思い出した。確かにあの時、静流は、命の危険を感じた。あれが、叔父夫婦や祖母の身にもあったとしたら? 従姉妹が思っていることを否定してしまうことができなくなって、静流はうろたえる。


「……ねぇ、きら姉も、悪霊から危害を受けたことがあるの?」

「ある」


 青ざめた従姉妹は、その時のことを思い出してしまったのかもしれない。そして、だからこそ悪霊のせいで人が死ぬのだと思っているのだ。


「……他の家族も?」

「分からない」


 そう言って首を振る従姉妹に、静流はさっきの発言との矛盾を感じる。


「さっき、三人は悪霊のせいで亡くなったって言ったよね」

「だって」


 その言葉に、少しだけ静流は光明を見つける。従姉妹は思い込んでいるだけかもしれない。


「三人が亡くなったのは……たまたまきら姉が見えなくなっていたってタイミングだっただけで、それと悪霊が関係してるとも限らないでしょ?」

「だけど……」


 まだ否定したさそうな従姉妹に、静流はあの話を思い出す。他に親戚で幽霊が見えていた人がいたという話だ。


「ねえ、きら姉。幽霊が見えるからって、人を好きになっちゃいけないわけはないと思う。現に、ひいばあちゃんとか、大叔父さんとかいう人は、結婚してたんじゃないの? まあ大叔父さんはどうか知らないけど、ひいばあちゃんは間違いなく既婚者でしょ。ほら、だから僕らは生まれてるわけだし」


 だが従姉妹は首を縦に振らなかった。


「見合い」


 静流は昔なら確かにそうかもしれないと、がっくりと肩を落とす。彼らが恋をしたかどうかは、誰にも分らない。だから、その二人は、従姉妹を説得する材料にはなりえないのだ。


「……でも、きら姉、今も光さんのこと好きでしょ?」


 従姉妹はさっと目を伏せた。


「見えてる」


 見えているから、好きなわけじゃない、そう従姉妹は言いたいらしい。

 だが、静流には従姉妹の光への好意が嫌でもわかる。それがまだ恋ではないとしても、きっと静流が昨日恋に落ちたように、何かがあればきっと、従姉妹は光にまた恋に落ちるはずだ。


「……僕だって、人を好きになったよ? これは、諦めなきゃいけないもの?」


 見えない幽霊と遭遇するまではフワフワした気持ちで静流はいて、幽霊が見えなかったショックでそのことを失念していたが、従姉妹の言葉だと、幽霊が見えると好きになってはいけないということになる。でも、昨日形になったその恋を、静流は捨ててしまう気持ちには全くなれなかったし、その必要性があるとも思えなかった。


「……私だけ」

「……ねぇ、きら姉。それはおかしくない? 何で僕が良くてきら姉はダメなの?」

「駄目なの」

「おかしいよ」


 静流がそう言っても、従姉妹はただ首を横に振るだけだった。

 従姉妹は幽霊が見えるせいで、恋心を殺している。いつまでたっても平行線をたどりそうな会話に、静流は光に相談しようと決める。 静流だけではどうにもなりそうにないことだし、従姉妹の幸せを一番思っているのは光だから。

 幽霊が見えなくなったことよりも、従姉妹が抱えていたものの方が重くて、静流は一つため息を落とす。


 願わくば、光と従姉妹が上手くいって欲しい。恋心を殺してしまった従姉妹の気持ちが分かってしまったから、余計に。

 静流には、自分が今持っている恋心を殺すことなんて、できそうな気がしないから。

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