90.黄泉の国より
黄泉の国編、最終話です。
あの話の翌日、彩明さんは甦ることになった。
薬を渡し、翌日には『パンドラの鍵』を携えて事務所にやってきた。
役所のメンバーは、半数は予期していたようであっさりと受け入れてくれた。所長とか加地さんとか、先生が根回ししていたおかげか、彩明さんが気にしそうな引き継ぎ作業の準備をしてくれていた。
ちなみに興味本位で支援を申し出ていた人たちやこの機に乗じて仲を深めようとしていた奴には寝耳に水だったようだ。ざまみろ。
甦る前、彩明さんは雪花さんに抱きついてわんわん泣いていた。前日も彼女の家に泊まったらしいが、ずっと抱きついて寝ていたらしい。
眠れなかったと雪花さんは文句を言っていたが、あれは間違いなく照れ隠し。南条さんとこそこそ話していたらそれがバレて2人まとめてどつかれた。
彩明さんは結局過去の記憶の世界へのダイブも現世窓の確認もしなかった。
すぐに天上の門に向かった彼女は、雪花さんと南条さん、役所の所長に色んなことを言い残して去って行った。たぶん、俺とか先生とか、加地さんもみんな【半生人】だから、再会を祈ってくれているのかもしれない。
彼女のギフトは不運だ。こっちの世界での出会いはある種の不運なのだから、再会を願うくらいしてもバチは当たるまい。
それから、先生は羽柴に会いに行った。俺は一緒に行くことはなかったのだが、ともに向かった雪花さんに聞いた話だ。
先生は羽柴に彼女が甦ったことを伝えた。半狂乱になる彼に甦りを証明する書類を見せてトドメを刺したらしい。とにかく反論してくる彼を全て返し、彼は完全に消沈したそうだ。もう二度と会うことはないし、同情する余地もない。
先生曰く、かなり業の証も広がっているそうだから、今後どうなるのやら。
そして、彼女のかつての友人であった柊さんにも会ってきたそうだ。彼女は晴間さんー先生の親友ーを陥れた戸張と手を組んで、自分達の欲望を叶えようとしていたが、先日から警察に拘束されていた。
ただ、彼女は厳密には【罪人】でないから、役所に復帰はできないが間も無く拘束から解放されるらしい。
そんな彼女に雪花さんは彩明さんのことを告げた。以前の聴取の最後に彩明さんの安否を心配していたそうだから、一応伝えたそうだが、彼女は何も言わなくなってしまったらしい。
直接話したことがあるわけではないから、俺は何とも言えないが、更生してくれることを祈るばかりである。
そういえば、先生から再び薬を取り寄せるか聞かれたけど、俺はいらないと答えた。
先生をはじめ、雪花さんや南条さんも訝しげにしていたけど、俺が必要にならないと思うと答えたところ、付き合いの深い先生と雪花さんはあっさりと納得してくれた。
唯一引っかかったらしい南条さんからは2人が羽柴を訪ねている時に聞かれた。
「何で薬の取り寄せは必要ないと思うんだ? 甦りをしなくていい、というわけではないだろう?」
「もちろんっすよ。うーん……根拠はないですけど、強いて言えば勘ですかね?」
「……そうか。」
南条さんはどこか寂しげな表情をすると俺の頭を優しく撫でてくれた。
きっと晴間さんのことを思い出しているんだろう。彼のギフトは勘と類する物だったから。
それから黄昏探偵事務所は穏やかな日々を取り戻した。新たに南条さんが加わったお陰で仕事の幅が大きく広がった。
それに先生が戸張のことを探るために抑えていた仕事を抑えなくなったこともあり、件数も一気に増えた気がした。南条さんに聞くと、以前の所長の時はこの程度だった、と笑っていた。
俺が甘やかされていたのか、久しぶりに悲鳴を上げた。
日々の業務に忙殺されること2週間。
目覚めた俺の右手には『パンドラの鍵』が浮き出ていた。
いざ出てみると実感がないというかなんというか。
出勤してすぐに先生達に報告すると大して驚く様子もなく事実を受け入れてくれた。それから、今後のことについて聞かれた。俺としては答えは決まっていたので、その場ですぐに答えた。
「過去の記憶と現世窓を確認して、甦ります。」
先生は何も言わなかったが、雪花さんが少しだけ微妙そうな顔をした。
「……飛び込む必要、ないんじゃない?」
確かに俺は過去を思い出している。だが、俺はずっと考えていることがあった。
「ちゃんと、自分の目で見て受け入れたいんです。望んでいない形で知ったとは言えど、幸い気持ちの準備をする時間は嫌ってほどあったんで。」
「……なら、いいけど。」
雪花さんは寂しそうに微笑んだ。
先生と話して俺は明日過去の記憶の世界へ行くことになった。もちろん、同席してもらうのは先生と南条さん、救助者は雪花さんにお願いした。
俺は特に引き継ぐような重い仕事を担っていなかったため、何てことのない普通の1日だった。
ただ、俺は当日の午前の休みをもらった。世話になった人に挨拶をしたかったからだ。
この世界では何も言わずにいなくなってしまうことも多い。だが、近くの商店街の人たち、八百屋のおじさんおばさん、役所の人たち、かわたれ事務所の人、スポーツ施設の管理人さん、挙げたらキリのないほどにたくさんの人と時間を共にした。
だから、仕事が終わった後には急いで地区反対のかわたれ事務所やスポーツ施設の方に行った。
スポーツ施設は初めて業の証が刻まれた事案の後に千里さんと来たり、救助練習の時にお世話になった。施設の職員さんも遊びに来ている子ども達も少し顔ぶれが変わっていたが、見知った人には惜しまれた。
かわたれ事務所の人たちは俺の右手を見てすぐに察してくれた。
たった一言、世話になったと所長さんに言われた。俺はそれだけで十分だった。
翌日、俺は何となく部屋を片付けた。
神様が不思議な力で片付けてくれるからそんな必要はないんだけども、この世界に来てからずっと過ごしてきた部屋だ。なんとなくだけどありがとうと言いたくなった。
片付けを済ませてから事務所に向かった。いつも通り走って。そして、事務所を換気して、掃除して。事務所にもお世話になりました、と頭を下げる。
それから、商店街の人たちやよく話しかけてくれた八百屋さんのおじさんとおばさんにも挨拶をした。おじさんはまさに号泣、という感じで相変わらずおばさんに怒られていた。最後まで変わらないな、この人たちは。
俺が事務所に戻ると、たまたま出てきた南条さんと出会した。
「すみません、遅くなりました。」
「休み取っていたから問題ない。……というか、甦る気満々だな。綺麗に掃除までして。」
「約束しましたし。てか、そもそも事務所の朝一はいつも俺のものなんで!」
「あぁ……あの2人朝弱いからな。お前がいなくなったら俺に皺寄せが来るな。」
南条さんは笑いながら俺の頭を撫でた。先生や雪花さんとは違う大きな手だ。
俺たちの話し声が聞こえたのか、先生や雪花さんが顔を出した。
「ごめんね、掃除までしてもらって……。」
「そうっすよ。先生、これを機に早寝早起き、頑張ってください!」
「はは……耳が痛いな。」
車のキーを持ってきた先生は弱ったように笑った。
そうだ、これを機に先生の心配なことはちゃんと言っておこう。
俺がそう企んでいることを察したのかそそくさと運転席に逃げて行った。
役所に到着すると、すぐに俺は過去の記憶の世界に向かった。
予想していた通り、なんてことのない日常を過ごしていた。大好きな陸上が思う存分できる環境で、勉強も、友達付き合いも、何不自由ない日々を壊すような大事故。
やはり思い出した通り、俺は中型のトラックに轢かれたようだ。さすがに自分が轢かれる瞬間やそれ以降の凄惨な光景には目を瞑ってしまったが、それ以外はしっかりと見た。
間違いなく俺の左足はない。
その事実を見てしまえば、受け入れられたとは言えど涙が止まらなかった。先生も、南条さんも何も言わずに一緒にその事実を受け止めてくれた。そのおかげか、途中で雪花さんが降りてくるような事態にはならずに済んだ。
現世窓も確認した。
ベッドに横たわる自分を見つめるのは不思議な気分で、本当にこれは自分なのかと思ってしまう。まるで幽体離脱の視点だな、と俺はつい苦笑した。
そもそも、俺は両親が陸上に関わっていたこともあり顔も朧げだったのだが、過去の記憶の世界で見た姿より幾分か老けているように見えた。
相変わらず、俺の両親はこまめに来ていたが、俺が驚いたのは両親が自分達以外の面会を一切経っていたことだった。
両親は項垂れながら俺の横でポツポツと呟いていた。
『真紘がこんな風になってしまったのは父さんのせいだ……。深く考えれば分かるじゃないか、陸上が好きな人間が、足を失って、他の何不自由のない人間に言われた言葉がどれだけ煩わしいものか。』
『……あなたは真紘のためを思ったんでしょう?』
『それでもだ!』
父さんは悔しげに拳を握りしめた。それを見ながら母さんもまた震えている手で俺の手を握っていた。
『真紘、ごめんね。あの時に陸上以外の話をしたけど、母さんは真紘のこと心から応援していたの。足を失っても、やっぱり走る真紘が大好きだった。だから、私ももう1回走ってほしいって思ってしまったの。
……ごめんね。』
「……父さん、母さん。」
俺は見舞いに来てくれた父さんをぞんざいに扱った。
俺の視野の狭さを心配してくれた母さんには冷たくあたってしまった。
俺が立ち尽くしていると、隣から雪花さんがハンカチを差し出してくれた。それを受け取って初めて自分が泣いていることに気づいた。
「ごめんなさい、雪花さん、……みっともないところ。」
「アンタがみっともないなんて、今に始まったことじゃないでしょ。鼻水も出てるし。」
「……ひっでぇ。」
俺が笑うと、隣から先生がティッシュを渡してくれた。
「先生もすみません。」
「ううん。君を産んでくれたご両親に感謝しないとね。」
「先生〜、それ言うのは反則っす〜!」
駄目だ、シリアスがどこかに飛んでいった。俺が大泣きし始めると、南条さんを含めた大人達が俺のことをもみくちゃにし始めた。
それから俺はすぐに天上の門に向かう予定だった。
だが、先生が手続きをしている間に途中で役所の人たちに捕まった。
「ちょちょちょ、ちょっと待って真紘くん! もう甦っちゃうわけ!?」
「加地、仕事中だろう!」
相談事が終わった加地さんと前に相澤玲夢ちゃんの事案の時によく話した体格のいい男の人が来た。
加地さんは先ほどまできっちりしてたのに情けなくも号泣しながら抱きついてきた。
「んだよもう〜! 寂しいじゃんか!」
「そんな泣かなくても……。」
「いんや、俺をまともな道に戻れたのも、真紘くんが玲夢ちゃんの事件の時に目を覚まさせてくれたおかげだからさ。本当感謝してるのよ?」
離れた加地さんは涙を拭うと、俺に手を差し出してきた。
「こっちに戻ってこないで元気でやりなよ。」
「……ありがとうございました。」
加地さんの手を握り返す。男の人にも礼を述べると、彼もまた頭を下げてきた。他の職員の人たちや見回りの警察の人にも声をかけられた。周りの人に見守られていたんだなと思い知らされる。
天上の門には黄昏探偵事務所の4人と幾名かの職員が付き添ってくれた。職員さんには、櫛、桃や葡萄が書かれた札を渡された。いざ、自分が持つ立場になると複雑な気分だ。
俺は最後の言葉を告げるべく3人に向き直った。
「南条さん、短い間でしたけどありがとうございました。」
「ああ。こっちも何かと面倒ごとに巻き込んで悪かった。お前は根性のあるいい若者だ。どんな道でもいい、止まってもいいからしっかりと前を向けよ。」
「はい。」
きっとこの人は死を選ぶ。この逞しい手が俺の背を叩いてくれることも最後なのだろう。
俺は雪花さんにも礼を述べるべく、そちらを振り向いた時にあることに気づいた。
「雪花さん?」
「何?」
「頭の上……。」
先生と南条さんも振り向くと彼らは目を丸くした。
職員さんも驚き、慌てて鏡を雪花さんに差し出した。
そう、彼女の頭上には見慣れた白い輪が浮かんでいたのだ。それは罪を濯ぎ終え、業の証が消えたということだ。
雪花さんもまたぽかんと、珍しい顔を見せた。
「……日笠。」
「ぅ、あ、はい!」
声が裏返った。先生が背後で噴き出したけど知らない。
また間抜けな顔をするなとか言われるのかな、と思ったが、予想以上の穏やかな優しい笑みの雪花さんが俺の手を掬った。
泣きそうな、嬉しそうな、綺麗な笑顔で俺は釘付けになった。
「ありがとう。アンタに、会えて良かった。晴間のことも、彩明のことも、私のことも。アンタと一緒に働いた日々は結構楽しかったよ。」
「……最後にそれって狡くないっすか?」
雪花さんはフッと笑った。
「……私はこれで最期だけど、アンタのこれからの人生を応援してる。」
「……ぃ。」
そうだ、彼女とはどうしたって最後なんだ。
彼女は手を離すと、俺に背を向けてしまった。あの人の性格上、俺に泣き顔を見られたくないんだろう。
そして、最後に先生だ。
「先生、ありがとうございました。」
「こっちこそ、君には何だかんだ助けられてばかりだったね。」
「……俺、事務所に雇ってもらって、はじめはたくさん皆さんに迷惑かけましたけど、先生達が支えてくれたおかげでそれなりに役に立てたかなって思うこともちょこちょこありました。
高校に通ってるだけじゃ考えられないほどのたくさんの人に会って、陸上との関わりはなかったけど楽しく過ごせて。それもこれも先生がここにいることを許してくれたから、俺を使えるように色々と教えてくれたから。」
言いたいことは沢山ある。
時間も、言葉も、何もかも足りなくて。
でも、先生には伝わったんだろう。先生はいつもの優しい笑顔で俺の手を握った。
「君の真っ直ぐさに救われた人は僕だけじゃない。君の誠実な部分は必ずいい意味で君に返ってくる。どんな道でもいい、たくさんの人に出会って、君の望む道に進めるよう僕も甦ったら頑張るよ。」
「……そういえば、甦った後のことなんですけど。」
3人は目を丸くした。
そして俺の言葉を聞くと、皆嬉しそうに笑ってくれた。たぶん、覚えていなくてもその道に進める。そんな気がした。
さて、いつまでもここにいるわけにもいかない。
俺は先生の手を離すと受け取った櫛と木札を持って門の方に向かった。
「じゃあ、皆さん。さようなら! こう言うのも変かもしれませんけど、お元気で!」
「気をつけろよ。」
「アンタこそ元気でね。」
俺は背にその言葉を聞きながら俺は門に足を踏み入れた。
「……君の坂道に幸あらんことを。」
ああ、本当にさよならだ。
俺はそのまま歩みを進め、真っ白な世界に包まれた。
明日、明後日と投稿予定です。
よろしくお願いします。




