9.探偵の背後にはご注意を
本日は短編です!
よろしくお願いします!
「おはようございまーす。」
「うわ、ひっどい顔。洗ってきなよ。」
珍しく俺は雪花さんより来るのが遅かった。
抱き締めまくった猫をおばあさんちのマンションに届けてきたからだ。
お言葉に甘えて、顔を洗うと瞼が腫れぼったい気がする。少しだけ揉んでからフロアに戻ると、雪花さんは掃除をしながら首をかしげた。
「……しんどい?」
この人の言葉は端的だ。
隠し事は無駄だろう。俺は素直に答えた。
「正直ちょっと。」
「だろうね。」
予想していたらしい雪花さんは小さく微笑んだ。
「でも、木原さんも、梶江さんも笑顔だったから。まだ救われる気がします。」
きっとこの仕事ではそれだけじゃ済まないこともあるだろう。
木原さんみたいな人でも周りに味方がいないことだってあるだろうし、梶江さんのお願いだってそもそも叶えられないことだってあるだろう。
雪花さんは俺の心情を察したのか、慰めることを諦めたのか。止めていた手を動かすのを再開した。
「これに関しては慣れるしかないよ。無理だったら辞めればいい。……ここは現世じゃない。逃げたい時には逃げればいい。」
「……そっすね。」
この人は冷たいと見せかけて優しい。
ふふ、と俺が笑うと雪花さんは鋭く睨みつけてきた。こっわ。
「それにしても、昨日の東雲先生の手際の良さは凄まじかったっすね。てか、俺驚きましたよ。」
「どこに?」
「ほら、あの映像のこと。」
雪花さんは、不思議そうにしている。
たぶん、あれだ。この人は東雲先生とそれなりに付き合いが長いせいで、東雲先生が凄い能力を発揮していたことに気づけないやつだ。
「一高校生の俺からすると、梶江さんからちゃんと話を聞き出して、検索にかけて動画を絞ったり拾ったりっつーのも凄いなって思うんですよ。
でも、1番の決め手になったのは、東雲先生が覚えていた動画じゃないっすか。」
「そうだね。」
「確かに1つ目は同じ職務の人なら検索エンジンを使うならできるかもしれないっすけど。」
俺は何気なく言ったが、これまた雪花さんも何気なく言った。
「どっちも東雲にしかできないよ。だって、検索エンジンは東雲が言い出して作ってもらった物だし、データベースもアイツが作った。それに、今までの記憶の世界のことや他人の現世窓のことを事細かく覚えているなんて、そういないよ。」
「……そんなもんなんすか?」
雪花さんが頷く。
「そうだよ。誰だって、苦しいことや怖いことは、忘れたいんだから。」
雪花さんは、何を思ったのだろう。
俺は少しだけ目を細めた。
俺が口を開きかけた時、事務所の扉が開いた。
先日と変わらずに後頭部の寝癖をつけている先生は、欠伸をしながらのんびりと出勤してきた。
「おはよう、2人とも。」
「おはよう。」
「おはようございます!」
お客さんがいない時の先生は、正直なところ全然キレ者に見えないよな。
片付けを済ませて、始業の挨拶をする。
「雪花さんは午前役所での依頼管理、午後から救助支援。
日笠くんは僕と過去のデータの整理をお願いするね。どんな事件があったか、どんな依頼が多いか傾向を知ってほしいんだ。それから少し外回りをするよ。」
「わかった。」
「分かりました!」
俺は指示された通り、東雲先生の師事を受ける。
パソコンの使い方については、何となく覚えていた。試しに使ってみると、問題なく使用ができた。よくよくみると、有名なソフトがたくさん入っているな。
見慣れないのは検索エンジンだけだ。
「これってここに日付、人の名前、キーワードっすよね?」
「そう。こっちは記録を限定させるためのキーワードで、こっちには候補を広げるためのキーワードを入れるんだ。」
正直なところ、とても使いやすかった。使い方なんて1回教われば、俺の世代からすれば余裕で理解できる。
データベース自体の入力の仕方もとても簡単。入力の際には環境の候補やキーワードの候補も出てくれるため、後から内容を想起させてくれる。
「滅茶苦茶使いやすいっすね。先生が作ったんすか?」
「違うよ。役所の人。そういうのに明るい人もいるんだよ。」
「へぇー、みんな凄いっすね。」
俺には大人になってもできないであろう技術だ。
「正直なところ、俺、現世での記憶がおぼろげだから何が得意だったとかもピンと来ないんすよね。あ、でも運動は得意な気がします。で、勉強は嫌い!」
「そこははっきり言うんだ。」
「身体が勉強を拒んでいる気がします。」
はは、と東雲先生は苦笑いしていた。
でも、事実なのだ。
この世界について知るべく、役所でもらった資料に手をかけたがすぐに瞼が落ちてしまった。つまりはそういうことだろう。
「……先生のこと、聞いてもいいっすか?」
「うん、いいよ。と言っても、僕も勉強はあんまり好きではないかな。」
「え、意外。」
デスク周りには難しそうな本がたくさんあるし、論理的にも話ができるから得意なのかと思っていた。
「あ、でも身体鍛えてるっぽいし、結構運動得意な感じなんすか?」
「一応ね。職業柄武道をやっていたんだよ。」
「武道!?」
見えない。
人畜無害の平和主義、って感じなのに。
よっぽど顔に出ていたのかもしれない。東雲先生はなんとも言えない顔をしていた。
「こっちがデータベース化した報告書。【半生人】が関わる事案だね。これは、ポイント認定される事案をまとめたデータベース。」
「3つ目は?」
「これは報告義務のない事案。この前の梶江さんの相談の内容や使った申請書類の控えを保管しているよ。」
「へー。」
概要をみると、それこそ猫探しだとか遺失物の探索、よく見てみると浮気調査とかもある。
亡くなってまで浮気するのか?
「3つ目のデータベースに入ってるのは、現世での探偵と同じ仕事なんすね。」
「まぁね。」
「事件の推理とかはしないんですか?」
「しないよ。現実でもしないでしょ。」
あ、しないんだ。漫画の世界だけか。
俺は何となく恥ずかしくなってしまう。
「基本的には事実の調査だよ。浮気とか調べる素行調査や無くし物や家出人を探すような所在調査とかね。」
「ふーん。」
知らなかった。
でも、そんな仕事をこなせるってことは、やっぱり情報の扱いに長けているし、調査のための忍耐強さはあると思う。前はどんな仕事をしていたんだろう。
俺が首を捻っていると、事務所の電話が鳴った。
「はい、黄昏探偵事務所。……はい、分かりました。伺います。」
用件を聞いた先生は上着と事務所の鍵を手に取ると、立ち上がった。
「早速で申し訳ないんだけど、依頼があったから行くよ。」
「え、どこに?」
「万引きがあったみたい。」
これまた驚かされる。この世界に来てまで犯罪するのか。時間の無駄じゃないかこれ。
「……警察いないんすか?」
「いるよ。でも、地区の端っこだとどうしても初動が遅れるから近場の探偵事務所にかけてくる人もいるんだ。」
話しやすさ親しみやすさ故に身近な人物にかけてしまうんだろうな。
俺も言われた通り荷物を持つと、先生について事務所を出た。
場所は事務所から5分の場所。
商店街の一角、スーパーのような店。床が雲みたいになっていること以外は現実世界と同じだ。周りの店も駄菓子屋だとか、電化製品店もある。今度来よう。
「ここって法律あるんすか?」
「基本的には現代日本と同じだよ。でも、死後で生活も保証されてるから犯罪率は低いかな。故人の場合、罪を犯すとポイントが減らされたりするし。それに。」
「それに?」
穏やかな表情をしていた先生の目が細められた。
「……ここは神様が見てるからね。」
何だろう、ポイント減らされるとか、明確に罰せられると言われるより、ゾッとしたかもしれない。
でも、そんな先生の雰囲気は一瞬で消えた。
「オイ、離せよ!」
店の出入り口、いわゆるサービスカウンターだろうか。
そこで明らかにガタイのいい男達が騒いでいる。ぱっと見、1人は2m近くあるんじゃないだろうか。
「あっ、東雲くん! やっぱり警察さんより早いのね。頼りにしちゃうわ〜。」
「じゃなくて、明らかに万引きどころの騒ぎではないですけど!」
「あ、何だテメェら!」
巨人の方がこちらに気づいた。
さすがにどうにもならないんじゃないか、俺はそう思ったけど先生は恐れることなくその場に進んでいった。マジか。
「まぁまぁ、お兄さん。落ち着いてください。」
「あぁ? 見せもんじゃねぇぞ!」
こっわ! こっわ!
何でこの人は平然と見下されてんだ?
絶対もう1人も……。
ーーと思いきや、もう1人は何故か青い顔で震えながら2人の様子を見守っていた。
「んだよ、この女顔。一瞬ガキかと思ったわ。警察ごっこはおうちで楽しんでくだちゃいね〜。」
「店主から万引きをしたと伺いました。貴方達のしたことは犯罪です。速やかに今から来る警察に自首、罪の告白をしてください。」
挑発なんて聞こえなかったかのように淡々と告げる先生に男は青筋を浮かべた。
「犯罪なんてねぇだろ? どうせ俺たちは死んじまったんだ。好き勝手してもかまわねぇだろああ?」
「……確かにここは黄泉の世界ですが、最低限のルールもあり、日本国憲法に基づく法律に支配されています。つまりは万引きも、過度な罵声も、暴力も犯罪です。」
「舐めたクチ聞きやがって……。」
むしろ挑発してるよなこれ。
先生は笑顔で俺に向けて言った。
「外で警察を案内してくれるかな。」
「えっ、は?」
敵に平然と背を向けた。
それが完全に琴線に触れたらしい、男は拳を掲げた。
「俺を馬鹿にするのもいい加減にしろ、殺してやーー!」
「「「東雲さん!」」」「先生!」
俺も、店主も、野次馬も、なぜかさっきまで敵側だったチンピラも悲鳴を上げた。
だが、次の瞬間に目に入った光景といえば、巨漢が何故か床に叩きつけられていた。
え、何が起きたよ?
俺は半目で床に倒れる男と、その男を一本背負いした上で組み伏せている東雲先生を見つめた。
状況を理解できない俺を尻目に、困り顔で東雲先生は微笑んだ。だが、男を捻りあげる手は緩めない。むしろ締め上げており、先生の下からは悲鳴が聞こえる。
「ああ、まだ言ってなかったね。」
「……何をですか?」
「僕、生前は警察官だったんだよね。」
そりゃ強いし、弁も論も立つ。事案の取り扱い方や書類処理も上手い。事実の調査だってお手の物なわけだ。
巨漢の相棒だった彼はすでに東雲先生にのされた経験があるらしく、土下座する勢いで、コイツ新入りなもんでとか謝罪とかを繰り返している。
「し、東雲さん! 俺、調子こいてました!」
「そうだね。ちゃんと罪を償うんだよ。」
「はい! コイツには言い聞かせておきますんで!」
大きくなっていたくせに、やっぱり先生には敵わない、ということを知り、ビビっているってことか。調子のいい奴だ。
背後に迫る複数の警察官の足音を耳にしながら、俺は深すぎる彼の背景に、ため息をつくしかできなかった。
【登場人物】
東雲標
28歳、警察官(この世界では探偵)、169cm
性格:冷静、穏やか、真面目
黒髪でサラサラ女顔であるも、意外と服の下はガッチリしているらしい。過去の記憶に関してはある関連した事件のことだけ思い出せないが、通常業務については覚えている。基本的には善人であるため仕事は断れず面倒な依頼を役所から押し付けられやすいが、犯罪者に対しては非常な一面を見せることもあるらしい。