88.振り返らせない
事件は一息。
さて、どのように解決するのか。
今回は短めです。
「どうだった?」
開口一番に雪花さんに尋ねられた。
何が、とは聞かない。俺は役所で見たこと、加地さんから聞いた現状を伝えた。
雪花さんはみるみる顔を赤くして殺気を放つ。もちろん、ともに聞いていた南条さんも顔を顰め、先生は僅かに眉間に皺を寄せた。
「だから、今日は仕事に行かせたくなかったんだよ。役所なんて人が集まる所になんか。いっそ辞めたらって言ったんだけど。」
「オイ、それは言い過ぎじゃ……。」
「言い過ぎじゃない。人の無駄な正義感とか悪意のない言葉ほど、容易に人を傷つける言葉はない。それに噂に尾鰭背鰭つくのだって当たり前。」
雪花さんの言うことは最もだ。彼女もまた自身の容姿に纏う噂で振り回された人間だ。
南条さんもそれを理解しているのか、言い返すことはなかった。
「彩明は引っ越して、役所をやめた方がいい。」
雪花さんが吐き捨てるように言った言葉に対しては南条さんが間髪入れず言い返した。
「だが、万が一を考えろ。羽柴が出てきてみろ。1番安全なのは警察署の近い役所だ。」
「じゃあアンタは自分が襲われたマンションに住めって言うの? 血塗れの部屋に?」
先生、そこまでやったんだ。
俺が無言でちら、と見ると先生の少し目が泳いだ。
俺たちのやりとりなどつゆ知らず、南条さんがわざとらしくため息をついた。
「バカ、もちろん別の部屋に引っ越す。それにあの部屋はもう神様の力で綺麗になってるよ。」
「そういう問題じゃないんだよ! 彩明にとってはあのマンションだって思い出したくないんだよ!」
「それは本人が言ってたのか?」
「……それは、」
「なら、まず薄石に聞いてみないことには始まらないだろ。」
「あのことを聴取するってわけ?」
2人の間に火花が飛び散る。
雪花さんの過去を考えると、彼女としては安易に触れられたくない話題なのだろう。だが、問題の解決のためには南條さんの言う通り、会話も必要。
俺に仲介は無理だ、と肩を竦めていると平行線に突入しかけた2人はこちらを向いた。
「アンタらも何か言ってよ。私は役所をやめて、もしくは休職して引っ越すべきって思ってる。そして、羽柴を別地区に移すべき。」
「……俺は無駄だと思う。今まで地区の行き来を違法にしていた奴だ。なら、今住んでいる所から部屋だけ替えて警備配置を再考している役所にいる方が安全だろう。東雲と日笠は?」
先生と目が合った。
俺は少しだけ推したい案があったが、突拍子もない提案であるため最後にしたかった。先生に向けて、手を差し出すと、先生は口を開いた。
「甦りのことを考えると、彼女に心的負担はかけたくない。別の地区に移動するのがいいと思う。」
「羽柴はどうするんだよ。」
「……僕が探偵を辞めてずっと監視するよ。」
「はぁ!?」
南条さんは座っている先生に詰め寄った。
「そんな非現実的なこと、というかお前がそこまでする義理なんてないだろう!」
「でも、彼女がこちらに来るきっかけは僕が羽柴を逃したことにある。」
「その責任をとるため、とでも? ……いや、違うな。」
南条さんは勢いで見当違いなことを推測したようであるが、すぐに考えを改めた。俺もそうすべきだと思った。
だから、俺は確認するように尋ねた。
「……彩明さんが、大切なんですよね。」
どうしようもない、抗えない感情。記憶がなくても覚えているものがある。先生は羽柴への憎しみと同じように、覚えていない彼女が間違いなく大切な誰かであることを自覚してしまったのだろう。
先生は肯定も否定もせず、ぽつぽつと呟いた。
「僕が、彼女に好意を抱いていたかは分からない。今抱いているかと言われると、抱いていないとしか言えない。でも、彼女の泣き顔は……見ていたくないと思うよ。」
先生の言葉に雪花さんは顔を俯かせた。
「俺からも、提案していいですか?」
気まずい空気になりかけたため、俺はすっと手を挙げた。3人は驚いたように目を丸くして俺に視線を集めた。
先生が頷くのを見て、俺の番と認識した。午前中から考えていたことを口にする。
「俺は彩明さんが甦るのが1番いいと思います。もちろん、彩明さんから了承が得られれば、ですが。」
「は、アンタ、何でこれ……!」
俺がポケットから出した薬瓶を見て雪花さんはさらに動揺を見せた。なぜなら俺が差し出したものは、先生からもらった『パンドラの鍵』を浮かび上がらせる薬であったからだ。
この時点で南条さんは色々と察したらしい。頭を抱えるようにして俺に尋ねてきた。
「これは、日笠の物だろう?」
「はい。なら、何に使うかは俺の自由ですよね。」
有無を言わせない。わざと強めに言うと南条さんは俺の意思を汲んでくれた。そうだな、と小さく肯定するのみだ。
「俺の案はシンプルに彩明さんがすぐに甦ればいい。それだけです。彩明さんは噂で余計な傷を負わないし、羽柴は【罪人】だから現世で再会することもない。
ただ、これには問題があると思うんすよね。」
ちら、と雪花さんと先生を見てみると2人も薄々勘付いているだろうが、俺の言葉を待ってくれていた。
「彩明さんに薬を飲むことを了承してもらうこと。
何で薬があるのってなったら俺のだって言わなきゃいけないから遠慮しそうです。それに早く甦りをする目的を話すにはどうしたって千里さんがくれた情報は彩明さんに説明しなきゃいけない。
……現世窓とか見るってなったらなおさら厄介そうです。」
提案しておいてなんだが、俺はこの辺の説得をできる気は正直しない。
南條さんも気が重いのか頭を掻きながら尋ねてきた。
「俺は薄石の人柄をあまり知らないんだが、何も聞かずに飲んでくれ、で察してくれないのか? 3人との情、とかで。」
「彩明は雰囲気に反して、かなりしっかりしてるし、説明とかも納得するまで聞くタイプだから。説明は必須だよ。」
「……そうか。」
ただ、と雪花さんは腕を組んだまま呟いた。
「それぞれの案を聞いて、本人が納得してくれるなら日笠の案が1番いいと思った。」
「まぁ、それは俺もだ。」
2人の賛同を得られたことに、まずは安堵する。そして、伺いを立てるかのように俺は先生を見つめた。決して否定的な態度には見えなかったが、何かを悩んでいるように見えたからだ。
何も言わずに待っていると、先生は何かを決心したように顔を上げた。
「日笠くん。」
「はい!」
あまりにも真っ直ぐな声音に俺は緊張して背筋を伸ばす。
「今の君なら甦っても再び死を選ぶようなことはない。大丈夫だと思ったから、パンドラの鍵を浮かび上がらせる薬を渡した。だから、それは君の物だ。
……でも、君の考えを聞いて、それが上手くいけば、いや上手くいくだろうって思った自分がいたのを否定できない。」
俺は目を見開いた。
なぜなら目の前の先生は俺に向けて頭を下げているのだ。
「自分勝手なお願いだって分かってる。薄石さんのために薬を譲ってもらえま「当たり前じゃないっすか!」
俺が食い気味に答えると、先生は驚いて顔を上げた。
「前に先生、君に依頼したいって思うって言ってくれたじゃないっすか! なら、俺が先生の頼みに協力するのは当たり前っすよ! それに彩明さんだって、友達……いや、戦友? とにかく、大切な人なんで、助けるためならできることやりますよ。
あ、でも、説明とかはちょっと……。」
「情けな。」
「雪花さん!」
いつものように呆れたように言う雪花さんとそれに抗弁する俺。何てことのない日常の会話に先生と南條さんも表情を和らげた。
「そこまでやられたら立つ瀬がないから、説明は僕がするよ。」
「お願いします……。」
「それにね。」
先生の穏やかな声音に俺たちは先生の方を見る。
「……この話をしたら、彼女からも何かを頼まれる気がするんだよね。」
後々、彼の先見眼に驚かされることになるのだが、この時の俺たちは何を言われるのか想像もしていなかった。
だが、俺はきっとこの仕事は上手くいく。本能的にそれを感じながら手に持つ小瓶を先生に託した。
 




