8.梶江頼子
探してほしい人。
今回の依頼人は梶江頼子さん。
年齢は84歳。死因は肺炎による寝たきり、そのまま老衰し、家族に看取られて亡くなったそうだ。
完全に亡くなった人は自分の死因を覚えているらしい。病死や認知症の場合は、朦朧としていてはっきり覚えていないこともあるため、役所で聞くことができる。
現在は1人暮らし。
同じマンションの女性達と楽しくのんびり過ごしていた。特に困ることもなく、ゆったりと。
「でも、会いたい人ができたの。」
「会いたい人ですか?」
「……夫よ。」
そんな彼女が会いたいと願うのは生前苦楽を共にした夫。
彼は87歳、梶江さんが体調を崩した時は元気に杖を振り回していたそうだ。元々は見合いで結婚したそうだが、歳を食っても人懐っこく愛される人物だった。お人好しで騙されそうになることもありよく家族に怒られていたが、困っている人を放っておけない。そんな旦那さんに梶江さんは惚れ込んでいたらしい。
梶江さんが旦那さんのことを語る姿に俺の方がドキドキしてしまう。勝手にそんなことを考えていると一区切りしたところで雪花さんが尋ねた。
「……やっぱり会いたいって思ったのは成仏の時間が近いから?」
「え、分かるんですか?」
俺が目を丸くすると、梶江さんが自分の頭上を指した。
「成仏が近い人は頭の上の輪っかが光るのよ。」
「白は未定、黄色は残り3日、オレンジが2日、薄赤が1日以内なんだよ。」
「……私も同居の方の成仏の瞬間を見たことがあるけど、呆気ないものよ。静かに、綺麗に。」
「……そうなんすね。」
なんだか聞いてはいけないことを聞いたような気がした。俺は申し訳なく思い、無意識のうちに退いてしまう。
すると、それを見た梶江さんは噴き出した。
先生は何となく理由を察したみたいだけど、雪花さんは俺と同じで分からなかったらしい。首を傾げた。
「どうしたんですか?」
「いえね。成仏の期限もあるけどそれだけだったら会いたいなんて思わなかったわ。」
「「……なんで?」」
俺と雪花さんは顔を見合わせたが答えは出ない。
すると見兼ねたように先生が答えを告げた。
「もしかして、日笠くんが旦那さんに似ていたんじゃないですか?」
はい? 俺が旦那さんに?
一度思考が止まる。
元気に杖を振り回す、人懐っこくてお人好しで人に騙されてでも困っている人を放っておけない旦那さんに?
「いやいやいや! 俺、そんなできた人間じゃないっすよ!」
「お人好しで杖振り回す元気あるじゃん。」
「杖振り回す元気はありますけどぉ……!」
雪花さん、これ完全に揶揄ってる。
慌てる俺の様子を見て先生や梶江さんまで笑っていた。
「見ず知らずの人の荷物持って家まで付き合って。知らない人たちの雑談にも嫌な顔ひとつ見せず付き合う。そんな人をお人好しと呼ばず何と呼ぶのかしら。」
「うーん、暇人とかっすかね。」
「自分で言っちゃうの?」
「東雲余計なこと言わないで。ふっ……。」
あのクールな雪花さんまで肩を震わせている。
クッソ、何も言い返せない。
さらに、息を吐きながら眼鏡を外し、涙を拭った梶江さんは追撃を放つ。
「それにね、あなたが荷物を持って手を引いてくれた時。思い出しちゃったのよ。」
「何をですか?」
「夫との初デート。」
思わぬ言葉に俺の顔には熱が集まった。
気持ち悪いと思わないでね、と梶江さんは笑うが、それどころではない。こんな歳上の女性に弄ばれるなんて思いもしなかった。
「クッ……!」
「何でアンタは胸抑えてんの。」
「あの子は置いておいて。お名前とか、何か探すヒントいただけますか?」
先生は無情だ。
しかし、その言葉で少し冷静になった俺は、妙案を思いついた。
「あっ、先生。また役所行って『現世窓室』から覗けばいいんじゃないっすか?」
「それはできないんだよ。」
「えっ、何でっすか?」
確かに『記憶の世界』とやらは『パンドラの鍵』がないと使えない、すなわち故人である梶江さんは使えない。ならば、現世を見るモニターで確認してしまえば1発だと思ったんだが。
現実はそうもうまくいかないらしい。
「残念だけど、故人の方はいわゆる命ある肉体が現世にないからモニターを繋ぐことができないんだ。リモート通話したいけど、相手側の機械の電源がついてないような感じかな。」
「なるほど……。なら、どうやって探すんすか? 役所に問い合わせ?」
すでに旦那さんが亡くなっているならこちらの世界で会えるかもしれないが、話を聞く限りだと存命だろう。
「役所は基本、故人に対してそこまでやってくれないしやる権限もない。ただ、東雲ならできるんだよ。」
「そんな大袈裟な……。」
そう言いつつも、東雲先生は自分の仕事に戻る。
雪花さんがそれだけ言うんだ。俺は余計なことを言うまいと黙った。
それから東雲先生は質問をしていった。
旦那さんの名前は? 梶江隆文。
体格や見かけは? 身長は165cmくらいの痩せ型、左手に杖をついており短髪白髪、頭頂部は薄毛らしい。服は作業着を着ていることが多いそう。
お住まいは? 新潟県上越市。その後は聞いたことのない地域だった。
家族構成は? 次男夫婦と敷地内別居。
他には別居の家族・親戚の住所、かかりつけ医、旦那の交友関係、親しい人の中で大病を患っていた人はいたか、趣味や地域活動の有無などを尋ねていった。
まるでドラマで見る警察の取り調べだな。
一通りメモをとると、先生は少し逡巡した後、デスクにあるパソコンを使って何やら検索を始めた。
俺はこっそりと雪花さんに耳打ちした。
「何探してるんすか?」
「あそこには東雲が担当してきた事案のデータが保存してある。どんな人の、どの出身の、いつの時代の。全てが記録されているんだよ。」
過去の事件の検索エンジンってことか。
「でも、前までは過去の事件遡ってまで故人の願いを叶えようとする人なんていなかったから、そんなのなかったんだよ。」
「え、そうなんすか?」
なぜか。
それは噂のお得ポイントが原因らしい。
【半生人】を助けるのには高めのポイントが貰えるそうだが、故人を助ける場合、ポイントはあまり付与されないそうだ。
難儀なもんだな、と思っていると先生が小さくつぶやいた。
「あった。」
「早っ!」
「まぁ、本当?」
さらにキーボードで何かを叩くと頷いた。
「2件ありました。取り寄せにいきましょう。」
「取り寄せ?」
「うん。現世窓の動画は役所で管理している。普通なら役所は対応してくれない。でも、誰の動画を取り寄せたいか伝えれば対応してくれる人もいる。」
行こうか、何かを送ると先生はいつもと変わらない笑みを浮かべた。
俺たちは今度こそバスを使って役所を訪ねた。
先生が受付の人に数言伝えると、すでに何か連絡が済んでいたのか、笑顔で頷き立ち上がった。
どうやら俺たちが案内されたのは視聴覚室らしい。
来たのなんて小学校ぶりではなかろうか。
「少しは落ち着きなよ。」
「わ、すんません。」
物珍しくてキョロキョロしていると、雪花さんに呆れながら注意された。
先生はモニターの前に梶江さんを座らせた。
俺は雪花さんとともに部屋の後ろの方に座った。
「梶江さん。」
「はい。」
静かな空間に先生の低めの声が響く。
「まずは、先に謝っておきます。僕は今回3件の動画を準備しました。検索エンジンに引っかかった2件と、僕が何となく覚えていた1件。正直、どれも可能性なので、映っていることは保証できません。」
「……ダメで元々よ。そもそもこんなお願い、受けてくれる人だって少ないんだから。」
あんな簡単に調べられる道具があって何でみんな断るんだろう。そんなにポイントが大切なのか。
俺は少しばかり目を細めてしまう。
「では、古いものから見てみましょう。」
1件目は同地区の人の現世窓。
そもそも細かい地区が違かったみたいで映っている気配もなかった。
2件目は映っていた、が。
「夫よ! それと、私?」
画面に映っているのは梶江さんと男の人。
つまりは、梶江さんの生前の時間の動画だったのだ。
その過去の持ち主らしき人が手を振ると2人は仲良く手をふり返す。なんなら、旦那さんは杖を振り回しているけど。
「……この無邪気な感じ、アンタそっくり。」
「そっすか?」
たった数日の付き合いで雪花さんからはそんな風に思われているらしい。
雪花さん、俺のこと小学生くらいに思ってるのか?
気づけば最後の1件。
やはり、膨大な数の情報からたった1人、しかも梶江さんの死後という限定的な期間の映像を探すなんて不可能なのだろうか。
だけど、最後の動画はいい意味で俺の予感を裏切った。
舞台は病院。梶江さんが言った地域とは少し離れており、かかりつけ医とも違う。
どうやら看護師さんの視点らしい。
「……アンタがくるかなり前に、ある看護師が【半生人】としてきたんだけど、その人の現世窓の映像。そこに映っている薬剤師がその看護師の恋人だったんだよね。」
恋人という男性は、笑顔を貼り付けているがどこか憔悴したような様子だった。
その男性から薬を受け取っている人物こそ、梶江さんの旦那さんだった。先程の散歩の時から比べて背中が丸まり、杖ではなくシルバーカーを使っていた。
旦那さんのもとに説明書や薬を持って彼が向かうと、旦那さんは心配そうに顔を覗き込んだ。
『ーーくん、どうしたのかな。疲れているようだが。』
『梶江さんにも気づかれちゃうなんて。はは、ダメだな。実は恋人が、未婚で、子どもを産んだんですけど難産で……今、生死の境を、』
ずっと溜めていた不安が溢れてしまったのだろう。
薬剤師の男性は顔を歪めて泣くのを我慢している。
『藉、入れてなくて向こうの両親に病院にも来るなって追い払われちゃったんです。……情けないですよね。』
旦那さんは彼の顔をじっと見つめると、その肩を優しく叩いた。
『確かに君は情けない。だが、それは未婚のことや、恋人を守れなかったことではない。今頑張って戦っている彼女のそばに、何が何でも寄り添ってやるという気概を見せられないことだ。』
男性は驚いたように目を丸くした。
そんな彼の顔を見て、旦那さんは優しく微笑んだ。
『……私も先日妻を亡くしてね。それから転がるように体が弱ってしまった。』
この時間線はどうやら梶江さんが亡くなってから2ヶ月ほどらしい。相変わらず現世と黄泉の国の時間線は狂っているようだ。
だが、と続ける旦那さんの表情は暗くない。
何かを思い浮かべるように天井を見つめ微笑んでいた。
『このままみずみず死ぬつもりはない。私は健脚のまま死んで、あの世に行ったらまた妻と並んで散歩する。ずっと杖をついていた私の手を引いてくれた彼女の手を、今度は私が引くんだ。』
だから、君も後悔のないように、愛する人の手を離してはいけないよ。
旦那さんが言うと、薬剤師の男性は人目も憚らず、ボロボロと涙をこぼす。
俺もまた目元を拭いながら梶江さんの後ろ姿を見た。
彼女の小さな肩は微かに震えていた。
きっと、旦那が元気に、前を向いて生きている。亡くなってもなお自分のことを想っていてくれる。色んな要素があったと思う。
でも、俺は何となく。彼女を打ち震わせた本当の理由は、ずっと手を引いてくれていたと思っていた相手が自分と同じように感じていてくれたという事実だったのではないかと思ってしまった。
数日後、梶江さんは姿を現さなくなった。
最後に見た彼女はオレンジ色の輪っかを頭上に浮かべていた。
つい昨日まで笑顔を見せてくれていた人が成仏してしまう、それが当たり前の世界。
近所の夫婦のように、黄泉の国で手を取り合うことは叶わなかったがいつかどこかでまた、2人が笑顔で散歩をすることを願わずにはいられない。
梶江さんと初めて出会った道をいつも通り歩いて行き帰りする。相変わらず通勤でのバスカードの出番は無さそうだ。
「にゃあ。」
「おっ。」
慣れてきた道を歩む俺の足下に三毛猫が人懐っこく絡む。頭にはオレンジの輪っかがありこの子もすでに亡くなっていることは窺えた。
俺は無意識のうちにしゃがみ、その子を抱っこした。
ああ、そういえば梶江さんちのおばあさん達が猫を探してるって言ってたっけ。
「……お前は梶江さんとお別れできたのか?」
「にゃーお。」
分かっているのか分かっていないのか。
何か、噛まれてる気がする。
きっとその痛みのせいだ。
俺はどうしようもない気持ちになってその猫を抱きしめた。