表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄昏探偵は振り返らせない  作者: ぼんばん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

77/92

77.斑目千里③


 真紘視点に戻ります。

 彼はちゃんと話せる人です。

 友人の凄惨な光景に俺は思わず言葉を失った。

 先生でさえ、その瞬間だけは顔を歪めたくらいだ。

 ただ当事者である千里さんは顔色を変えることはなかった。


 記憶の世界からは通常の脱出方法で問題なく出られた。


「さっさと現世窓行くよ。」

「え、もう?」

「うん。」


 装置を外すと、珍しく酔っていない千里さんはさっさと歩いていく。俺達も倣って慌てて千里さんの背中を追いかける。

 彼は何を考えているんだろう。いつにもまして思考が読めなかった。


 現世窓に映されたのはいつもと同じ病室。

 千里さんは静かに眠っており、その傍らでは記憶の世界で見た千里さんによく似た可愛らしい女の子が見る影もないほどに顔を腫らして泣いていた。

 そばにいるのはたぶん、高校以降で見た人だから父方のおばあちゃんだろう。顔は決して似ていないが、聡明な雰囲気は彼に通ずるものがある。


『千穂ちゃん。そろそろ面会時間が終わりだよ。』

『嫌だ、今日も泊まる!』

『暫く家に帰ってないだろう。高校も行ってないし、お母さんも心配するよ。』

『嫌だ!』


 子どものように泣きじゃくる彼女は千里さんの傍から離れようとしない。おじいさんに引っ張られてもシーツをがっしり掴み、駄々を捏ねる子どものように縋り付く。


『私が世間知ら……ッ、ずだから、私を、心配してくれたのに、我儘言ったせいでこうなったのに……。私のせ……ズッ、お兄ちゃんは好きな仕事も、趣味も、できない……。』


 現世窓には彼のカルテも映されていた。

 俺が見ても然程意味は分からないが、何度か見たことがある頭の画像が映っていたから、頭を怪我したことには間違いないのだろう。


『も、し……、起きなかっ……どうしよう。嫌、いやだ……お兄ちゃん。』


 妹さんは何度も何度も、ごめんねと繰り返す。

 千里さんはそれをじっと凝視していた。その間、一言も放つことはなかった。




 いつもなら、誰かが話すだろう。

 だが、映像が終わっても誰も口を開かない。


 電源を落とし、部屋を明るくした彩明さんさえも、言葉選びを迷っているように見えた。

 先生は何も言わないのか。そちらを見てみたが、先生も話す気配は見せない。

 千里さんは? そう思い、振り返ると俺のことを凝視している千里さんと目が合った。思わず唾を飲み込んでしまう。


「あ……、その。」

「東雲さん。」


 俺から視線を外すことなく、千里さんは尋ねた。


「俺の後遺症、どうなると思います?」


 先生はいつもと変わらず淡々と答えた。


「……映像から見るに、右腕は折れているだろうね。どれくらい動くかは分からないけど。あとは顔の傷は多少残ると思うよ。それに脳画像を見る限り、重症でなくても記憶障害とかは出るかもね。」

「そう、ですか。」


 一瞬目を伏せたが、わざとらしく視線を逸らした。

 そして、予想もしないことを言い出したのだ。


「あーあ。真紘はいいね。最悪、義足つければどうにかなるもんな。」


 は?

 俺は頭を殴られた気分だった。驚きのあまり声が出なかったのだ。それをお構いなしで千里さんは続ける。


「顔の傷はいいとして。腕がダメならバイクも乗れないし、記憶障害なんて出たら仕事もできない。アマチュアだとか、学生ならどうにかなっただろうにな。」

「……それ、本気で言ってます?」

「言ってるよ。きっと真紘の記憶の程度からして、真紘の周りは陸上が楽しめるいい環境が整ってたんだろうね。」


 自分の頭に血が昇るのが分かった。

 この人、俺のこと何も理解していない。

 アマチュアだから? 学生だから? 代わりに足があるから? そんな訳あるか。

 だが、今は千里さんにとって甦り前の大事なタイミング。俺は込み上がる怒りをぐっと堪えた。だが、彼の追撃は止むことを知らなかった。


「周りの人も真紘に期待して応援してくれてたんだよねきっと。甦った後も希望があって羨ましい限りだよ。真紘も早く甦れるといいね。」


 人の気も知らないで。

 気づいた時には、俺は千里さんの胸ぐらを掴んでいた。

 だが、俺は一瞬でまずいことをしたことに気づき、手を離した。


「うわ、すみません!」


 最後なのに。俺は息を大きく吐く。

 駄目だ、千里さんの気持ちを優先しないと。


 恐る恐る顔を上げると、予想に反して、目の前の彼はは驚くもなく、怒るもなく、淡々と尋ねてきた。


「俺、間違ったこと言った?」

「それ……は、その。」

「間違ってないよね? 言いたいことあるなら言いなよ。自分勝手な奴ーー「自分勝手はどっちだよ!」


 軽い声音がいかにわざとらしいか。いつもなら気づいたはずだ。だが、俺はその言葉で、ついに我慢の限界を迎えてしまった。

 俺は離した彼の襟を再び掴み、殴りかかる勢いで千里さんを壁に追い詰めた。背中を壁にぶつけると、端正な顔を少しだけ歪めた。


「あーもう、依頼だから黙ってたけど沢山だ!

 アマチュアだろうが学生だろうが、俺はこの人生を、この脚で走ることに賭けてきた! なのに、全部奪われたのに周りに恵まれてる!? 羨ましい!? 舐めんなよ!」


 駄目だ。頭の隅では分かっているのに止まれなかった。今までずっと溜まっていたものが勝手に溢れ出す。


「大体立ち直れてもいないのに、義足だ待ってるだリハビリ頑張って戻ってこい!? 心配して勝手に自己満足してる周りもうざいし迷惑なんすよ!

 俺がその言葉でどれだけ追い詰められていたか……! アンタみたいに、かもしれないじゃないんすよ! こっちはどうしたってもう絶対に脚はないんだ! どっちが恵まれてるのか、分かってんのかよ! あ?」


 顔が濡れていく。声が震えていく。

 俺は千里さんを掴んでいた手を離して顔を覆った。みっともない、情けない、腹が立つ。そんな気持ちがぐちゃぐちゃに混ざっていた。


「もう嫌だ……。千里さんこそ羨ましいっすよ、本当。」


 この場にいる全員に顔を見せられない。

 俺は自分でも驚くほどに泣いており、嗚咽は止まらなかった。


「……それが真紘の本音?」

「……そっすよ。」


 軽蔑されただろうか。しただろうな。

 だが、顔を上げた俺の目の前に飛び込んできたのは、怒るでもなく同情するでもなく、ほんの少しだけ安堵したような表情をする千里さんだった。

 意味が分からず俺が首を傾げると、千里さんは優しく俺の頭を撫でた。


「酷いこと言ってごめん、真紘。俺、そんなこと全く思ってないよ。」

「へ?」


 傍にあるティッシュ箱を俺に押し付けながら千里さんは近くの椅子に座った。先生に引かれ、俺もすぐ近くの椅子に座らされた。


「な、どういう……?」

「実際、俺の方が恵まれてると思うよ。バイクはまぁ、残念だけど車や電車で事足りるし、記憶障害だって限度はあるかもしれないけど、今の仕事が全くできなくなる訳じゃない。」

「え、なら、なんであんな、え?」


「真紘を泣かせたかった。」


 突拍子のない言葉に俺の涙は止まった。

 千里さんは、はは、と笑っている。


「短い付き合いだけど、真紘が何よりも走ることが好きで努力してきて、これからも努力したいって思っていることは紛いなりにも理解はしているつもり。

 なのに、左脚がないって言われて、無理に笑ってる真紘は色んな意味で危ないと思った。」

「危ない……?」


 千里さんは頷いた。


「……真紘は過去の記憶がないでしょ。つまりは走ることにみんな関連しているってこと。その環境が一変する恐怖も、築き上げたものが一気に崩れる絶望も、回復に対する他人の過度な期待も、すぐに想像ついたよ。

 真紘はそれを全部受け止めて溜め込むタイプだと思った。お前が依頼に対して、言いたいことを我慢して、嫌な仕事もしっかりやって、大人でいた。たぶん、現実でも全部受け止めて、耐えきれなくなったんだと勝手に思った。

 そうなるくらいなら、今ここで爆発すべきだと思った。」


 ここでやっと、千里さんが俺に依頼をかけてきた理由がわかった。千里さんは俺のために、自分の恐ろしい事故のシーンを確認したんだと。


「だっ……、でも、俺。こんなになっ。けっきょ……怖いまま、」


 うまく言いたいことを言葉にできない。

 自覚したところで、ただただ怖いだけではないか。

 千里さんは息を吐くと、少しだけ緊張した様子で話し始めた。


「……俺だって多少なり怖いよ。頭は俺の取り柄だから。ねぇ、雪花。」

「こっちに振らないでくれる? 事実だし。」

「とまぁ、事実なわけで。そうなると諸々の期待にも応えられないし、やりたいこともできないかもしれない。甦ったところでいいものはないかもしれない。でもね。」


 相変わらずのやり取りを終えた千里さんは今までに見たことのない清々しい顔をしていた。


「この世界に来て、俺の力は別の場所でも発揮できるってことを知った。それに、真紘が、志島さんが、俺のことを優しいって言ってくれた。

 俺の知らない所に色んなできることがあって、俺の気づかなかった部分を見てくれる人がいるってことを知って、存外生きていれば面白いことはあるんじゃないかなって思えたんだよ。」


 妹を待たせてるしと呟くと、雪花さんがシスコンと呟く。空気を読んで彩明さんが慌てて口を塞ごうとするが、雪花さんは反省する様子を見せない。

 何だか、いつもの空気に俺は肩の力が抜けた。

 そして、千里さんの言葉がじわじわと心に温かく滲んでいくような気がした。


「真紘が左脚のことを受け止めるには、俺が後遺症を受け止めるより何倍も時間がかかると思う。それに甦った所で、また同じ言葉を繰り返されて嫌な思いをするかもしれない。

 でも、言いたいことは言っても大丈夫。この世界には真紘が陸上やってるやってない関係なく、俺みたいに真紘の性格を好む人なんて幾らでもいる。こっちの世界みたいに真紘を頼りにする人もいる。

 だから、甦った後、真紘が同じ世界のどこかで生きていてくれたら嬉しいって思う。」


 そんなことを言わないでほしい。

 俺は思わず千里さんに抱きついた。


「左脚……、ないのも、自分の脚で、走れないのも嫌だ! 生きるのも、死ぬのも、嫌っす!

 千里さん、千里さ……何で先に、甦っちゃうんすか! もっと、俺、アンタと話したかった! バカじゃないっすか!」

「一応頭いい方だけど。」

「知っでますよ!」


 千里さんの言いたいことはそれだけらしい。

 ふふ、と俺に聞こえる程度に笑うと、子どもをあやすように背中を叩いてくれた。それがらしくなくて、でも心地良くて。

 俺はさらに千里さんの肩口に顔を埋め、嗚咽を続けた。





 翌日、千里さんは朝一で甦ることになった。

 あまりにも早い手続きに、休みをとっていなかった役所勢は大騒ぎだった。幸いうちの事務所には仕事が入ってなかったおかげで見送りに来られたけど。

 天上の門ではすでに来ていた南条さんと千里さんは雑談を交わしていた。


「ああ、泣き止んだ?」

「……お恥ずかしい限りで。」


 昨日散々泣いたせいで目も鼻も真っ赤に腫れた俺を見て、いつもの無表情に戻ってしまった彼は淡々と尋ねてきた。

 だが、久々にぐっすり眠れたせいか体は軽い気がした。


 千里さんもいよいよ甦りか。寂しくなるなぁ。

 不意に襲ってきた現実感に俺はつい鼻を啜った。そんな俺を気にせず、千里さんは先生と雪花さんに歩み寄った。


「東雲さん、お世話になりました。」

「こちらこそ。君が作ったものがなければこんな少数で事務所の運営を続けるなんてできなかったし……。本当、僕たちが及ばないところを全面的に支えてもらったよ。元気で。」


 先生と千里さんは手を握り合う。

 それを見た南条さんはなぜか険しい顔をした。


「……お前、さっき俺が握手求めたとき拒否したじゃないか。」

「南条さんと握手したら手が砕けます。」

「なわけあるか!」


 無理矢理手を奪われ、南条さんに握られていた。千里さんが顔を歪めたあたり本気で握ったのだろう。その顔を見て満足したらしい南条さんは豪快に笑いながらすぐに手を離した。

 解放された手をぶらぶらと振る千里さんに次いで雪花さんが歩み寄った。


「あのさ。」

「何。」

「……礼は言わないよ。」


 鬱陶しそうにしていたが、予想していなかった言葉だったらしく、少しだけ目を見開いた。

 そして、雪花さんは真っ直ぐにいつもと変わらない無愛想な様子で告げる。


「……でも、アンタが喧嘩相手で良かった。」

「……。」


 雪花さんが出した手を見て目を瞬かせると、千里さんはそれを受け入れたように握り返した。


「元気で。アンタが次来る頃には私はいない予定だから。」

「よく言うよ。」


 2人が手を離すとほぼ同時か、彩明さんと所長が天上の門から戻るときに必要な道具を持ってきた。

 千里さんはそれを受け取ると、それぞれ2人にもごく簡単であるが言葉を交わした。そしてその札を手に持ち、まるで出かけるような軽やかな足取りで門の方に向かっていく。


 言わなきゃ。

 俺の頭の中に浮かんだ言葉を口にするため大きく息を吸った。


「千里さん!」


 千里さんは顔だけをこちらに向け、足を止めた。


「黄泉の国での記憶が無かったとしても、卑屈な自分になったとしても! また、どこかで千里さんに会ったときに胸を張っていられるよう、俺も精一杯生きます!

 また、どこかで!」


 千里さんは驚いたような顔をしたが、笑顔をこぼすと彼らしく声は張らないもののはっきりと俺に向けて答えた。


「またね、真紘。」



ーー君の坂道に幸あらんことを。



 誰かがそう言った。

 いつぞやに聞いたことのある言葉。

 千里さんは振り返ることなく、現世に帰っていく。


 俺は見慣れた背中を見送りつつも、グッと涙を堪えた。

【ケース報告書】


対象者:斑目千里(24)

 対象は企業の研究職として勤めており、一人暮らしをしていた。家族は別居の両親に加え、妹がおり、妹は頻繁に対象の自宅を訪ねていたことから、関係性は良好であることが窺われた。

 彼は休日に屋外で妹と喧嘩をするに至る。理由は妹のSNSに対する管理の甘さであった。両者口論になり、一時別れるも、冷静になった対象は妹を追いかけた。ちょうど背を捉えたタイミングで、現場付近の工事現場に設置されていた鉄骨が妹の頭上より落下、原因は作業員の確認不足であった。

 対象は妹を庇い負傷した。頭部の裂傷痕、上腕骨の骨折による外傷跡および動作制限、脳画像より今後記憶障害といった高次脳機能障害が後遺症として残存する可能性が挙げられた。しかし、対象はそれを十分に理解した上で受け入れており、甦りを決意した。


 以上、報告とする。


報告者:日笠真紘

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ