76.斑目千里の回顧録
斑目視点です。
良かった、真紘が依頼を受けてくれて。
まず、俺は内心でそんな風に安堵していた。
まさかこんなタイミングで自分の『パンドラの鍵』が出現するなんて思ってもみなかった。
黄泉の国に来た頃は別に生きようが死のうが、場の流れに任せて適当でいいかなと思っていた。でも、この国に来て志島さんをはじめ、色んな人に会って考えは変わった。
俺は、戸張の事件の前から、現世の自分がどうなっていようとも甦ることを決めていた。
それもこれも真紘との出会いがきっかけだったと思う。
本当に不思議な子だよ。
俺は根っからのインドアだし、運動なんて嫌い。友だち付き合いは狭く深くのタイプだし、正直両親の影響なんて受けずに生きてきた。
真紘はアウトドアで、勉強なんて大嫌い。付き合ってきた限りだと、お人好しだし、友達はとりあえず広くってタイプだったんじゃないかな。実際は俺と同じタイプだと思うけど。
それにギフトの話を聞いて、真紘がここにきた理由は脚を失ったことに伴う何かが該当していること、真紘の記憶がさっぱりな件についてはアイツを取り巻く環境に陸上が関わり過ぎていることは容易に推察できた。
だからこそ、俺に口出しする余地はないと思った。
でも、それじゃ駄目だ。
真紘は俺の友人で、大切な言葉をくれた人だ。借りたものは返す、その主義にも反するし。
……俺は不器用だから、こんな手しか思いつかないけど、真意が伝わることを祈るよ。
「斑目くん。」
「何ですか?」
準備をしながら物思いに耽っていると、背後から東雲さんに声をかけられた。
この人、普段は器用に立ち回るくせに、今回は随分と尻込みしているんだな。ま、そうか。自分を慕ってくれている子がこんな目に遭えばそうもなるか。
「君に押し付けてしまった分、せめて僕は僕のやることをやるよ。」
「……押し付けられた、なんて思ってませんよ。」
俺が溢すと、東雲さんはらしくもなく目を瞬かせた。
そして、ふっと口元を緩めた。
「やっぱり君は変わったね。」
「……早く行きましょう。」
何となく居心地の悪さを感じながら、俺は黄泉の国で最も嫌いな作業、過去の記憶の世界への突入の準備を終えた。
以前真紘に話した通り、政治家の父親とモデルの母親がいた。
政治家の父親は物分かり良く成績さえ保っていれば放任主義、一方で母親は自分の容姿に似た俺を芸能界に絡ませようと必死に連れ回していた。
ご存知の通り、俺は内向的な性格故にその生活が苦痛以外の何でもなかった。だが、間も無く母親の手から逃れる唯一の手に俺は気づいた。
それが勉学だった。
幸い俺は頭脳に関しては父親譲りであったようで、学んだものはすぐに吸収することができた。それに性に合っていたのか、俺は勉強、というより知らないことを学ぶことが好きだった。
特にプログラミングや機械弄りは大好きだった。小さい頃から機器を分解して母さんに怒られるのもしばしばあった。
8歳の頃だっただろうか。
「父さん。」
「どうした、千里。こんな遅い時間まで起きてるものじゃないぞ。」
「……俺、機械の勉強がしたい。父さんとも母さんとも違う仕事に就きたい。」
幼い俺の漠然とした願いを父さんは真摯に聞いてくれた。俺が捻くれず、いや、捻くれてはいるが人として多少まともになれたのは父さんのお陰だと思う。
「分かった。なら、母さんに芸能の仕事に連れ回すのは止めるよう言おう。」
「……ありがとう。」
俺はこの時、人生で初めて緊張したと思う。
父さんもそれを感じ取ってくれたのか、とても優しく頭を撫でてくれたのを今でも覚えている。
それから俺の人生は割と好転したと思う。
母さんは俺を連れ回すことをしなくなった。虎視眈々とタイミングは見計らっておりプレッシャーは変わらなかったけど。あと、父さんは時々俺にパソコンのことを教えてくれた。
そして、最大の幸せは妹が生まれたことだった。
名前は……そうだ、千穂。
9歳も離れており、はじめはおっかなびっくりだったが、純粋に懐かれるのも嬉しいもんで、俺は実家にいる間結構面倒をみていたと思う。
ちなみに凄く可愛い。周りからは俺と顔がよく似ていると言われるけど絶対嘘だと思う。あ、でも真紘は好きそうな顔だと思う。
俺は高校で実家を出た。
俺は神奈川に住んでいたんだけど、都内の祖父母の家に越すことにした。純粋に高校が近いのと、バイトをしたかったからだ。
正直実家にいると、母さんにモデルのバイトやれとか言われそうだし、最近父さんが所属する政党が賑わっているから記者もいて鬱陶しかった。
ああ、でも千穂にこれでもかって泣かれたのは胸が痛かったな。
ただ、家を出てしまえば、驚くほどに穏やかな日々を過ごせた。勉学に重きを置くのはもちろん、在宅採点や動画編集のバイトは性に合っており楽しかった。
それに高校では今も仲良くしている馬の合う友人にも会えた。ちなみにそれは以前真紘にも話した家電とゲームのオタクである。
無事に大学も進学でき、俺は一人暮らしを始めた。
その頃から、ちょこちょこ千穂が家に泊まりに来ることがあった。別に彼女もいなかったし、友人も泊まりで何かやるようなタイプでなかったから何も問題はないのだが、思春期の女の子ってこんなもんなのかと戸惑った記憶もある。
「お兄ちゃん!」
「何。」
「泊めて!」
「……今日も母さんと喧嘩したの?」
俺が尋ねると千穂は頷いた。セットされたであろうふわふわのロングヘアを無造作に解き、俺に抱きつく。年齢に合わない化粧が俺のTシャツを何枚汚したことか。
俺はよしよしと宥めつつ話を聞く。
「そんなに嫌ならモデル辞めれば?」
「嫌だけどやめられないの! だってママが言うし……。それに千穂にはお兄ちゃんみたいな頭はないし……。」
「頭がないんじゃなくて千穂がやらないだけでしょ。」
「お兄ちゃん嫌い!」
うわーんと泣きながら俺の鳩尾に何度も頭をぶつける。俺鳩尾弱いからやめてほしい。
「いつか千穂が本当にやりたいことが見つかると思うよ。」
「……ほんと?」
「こんなやる気ない俺でも見つかるんだから千穂なら見つけられるよ。どこかでちゃんと区切りをつけて、試しにさ、人助けとか色んなこと挑戦して、平凡な日常を過ごしてみれば。」
目元を擦ったせいで赤くなった瞳がじっと俺を見つめる。
「見つかるかな。」
「見つかるよ。」
「……お兄ちゃん大好き。」
見事な掌返しに俺はつい噴き出すと、また叩かれた。
全く可愛いもんだよ。あ、でもそのあとやりたいことを聞いたら『かっこいい人のお嫁さん』なんて言ったから、具体性の無さに俺は少しだけ頭を抱えた。
それから千穂は結構な頻度で俺の家に来て事あるごとに泊まっていた。はじめは仕事のついでだったが、何かと用事が無くても泊まるようになってきた。
俺が大学院生の頃は2週間に1回来ていたと思う。
「お前、そんな頻度で俺の家に来る暇あるの? 彼氏とかは?」
「いないよ! お兄ちゃんよりいい人がいいの!」
「そんなのごまんといるでしょ。紐に引っ掛かるなよ。」
「大丈夫! お兄ちゃんと一緒で人を見る目はあるの。それにお兄ちゃん放っておいたらご飯も食べないし掃除もしないでしょ。逆にお兄ちゃんこそ彼女作りなよ。」
「余計なお世話。というか、受験は。」
「うっ……頭が。」
こんな感じで勉強の話をすると頭痛を起こす千穂だったけど地頭はいい方だったと思う。教えれば吸収は早かったし、父さんに勧められて地元のそれなりに頭のいい高校に行っていたから。
千穂は俺と違って、昔から変わらず、純粋で素直でいい子だった。困っている人を放っておけないような、誰かさんみたいなお人好し。空気は読めるし気も利く。
ただ、異常なまでに鈍感だった。何て言うんだろう、危機センサーが壊れているというか。
だから、あんなことに巻き込まれるんだよ。
社会人になって間も無くのある休日。髭を剃るのも面倒でずっとベッドでゲームをしていたところ、俺の友人から連絡があった。滅多に電話なんてしない奴だったから驚いた。
『斑目、見たかSNSでバズってる記事。超美人中学生。』
「何、お前ロリコンだっけ?」
『違うよ! とにかく送ったURL見て!』
俺は素直にその画像を見た。
もちろん驚いたよ、そこには笑顔で加工なしで映る千穂の姿があったのだから。そのリンクのコメントを見ると顔を顰めるより他なかった。
『かわいいね〜、元子役モデルの子じゃない?』
『たぶん〇〇中。高校に上がったかな?』
『凸しちゃおうかな。』
『またモデル活動するってマ?』
『この子のSNSリンク』
俺は速攻で削除申請を出すと、友人の電話を切り、速攻で千穂に電話をかけた。
『あ、もしもしお兄ちゃん? 実はねーー。』
「お前、SNS消しな。」
『えっ、何急に。』
「知らない人に写真撮られなかった?」
『うん、お願いって言われて……。なんか街頭インタビューの?』
「何で知らない人をすぐ信じるの!」
俺は人生で初めて怒鳴った。
千穂も初めての出来事に電話口の向こうで身を固めたのが分かった。
「……今どこ?」
『〇〇駅前。その、道聞かれて案内してるんだけど……。』
「今すぐ交番に連れて行って! それでそのまま交番前にいて!」
『え、あ、う。』
俺は電話を切るととりあえず母さんに連絡した。こういうゴタゴタは母さんの得意分野だからだ。
俺は家の鍵と財布だけ持つと、バイト代で購入したバイクに跨る。とりあえず、明日は日曜日で休みだから千穂は一度俺の家に避難だ。
指定された駅前に行くと約束した交番の近くに私服で目深に帽子をかぶっている千穂がいた。
俺を見つけると、安堵したように目を輝かせた。
「お兄ちゃん!」
「あのさ、お前の危機管理どうなってるの。」
想像より低い声が出た。千穂は明らかに青い顔になり、震え出す。
「だって、大手事務所の人って言ってて。1枚だけでいいから撮らせてほしいって友達も、誘われて。」
「大手事務所だから? 友だちと一緒だから? それは何の安全にもならないよ。大体モデル嫌がってたじゃん。何で撮らせたわけ?」
「だって、ノルマがあって困ってるって……。」
「そんなの嘘に決まってる。大体道聞かれたのだって危ない奴かもしれないじゃん。それに、わざわざ道案内なんてお人好しな真似……。」
「お兄ちゃんは分かってない!」
俺は思わぬところで怒鳴られ言葉を失う。
目の前の千穂は大きな瞳に涙をためていた。
「お兄ちゃんはいいよね、顔もいいし、背も高いし、勉強もできて夢も叶えた。それに比べて私はチビだし、馬鹿だし、運動もできない! そんな私ができることなんて人を助けることくらいじゃん!」
「だから、世の中にはいい人ばかりじゃ……!」
「私はお兄ちゃんみたいに1人じゃ決められないの! いつだってパパやママの、お兄ちゃんの言葉が無きゃ、行動できない……!」
千穂は可愛がられていた。だから、いつだって父さんが、母さんが、俺が言うように素直に従ってきた。
そうだ、人助けとか俺が言った言葉じゃん。
過去の浅はかな自分を思い出した途端、後悔が湧き上がってくるが、千穂は止まる気配がなかった。
「もう知らない! お兄ちゃんなんか大嫌い!」
「あー、もう、なら勝手にしろ。」
「勝手にする!」
完全に売り言葉に買い言葉だ。千穂はカバンを持つと走ってその場を去って行った。
言ってすぐ、俺は頭が冷えた。
こんな時に感情的になっている場合ではない。俺はここに喧嘩をしにきた訳ではないのに。
自分の短気さ加えて千穂の言葉を聞いてこなかった自分勝手さに辟易しながらも、俺は踵を返し、千穂が走って行った方に向かう。
千穂も運動神経悪いし、そう遠くにはいけないと思うけど。
案の定、千穂はすぐに見つかった。
遠目で見てもわかる。千穂は何故か老婆の荷物を運んでいた。何でこんな時まで。
俺が呆れて天を仰いだ時だった。
目に入ったのは千穂の真上の鉄骨を支えていた金具がとれた瞬間だった。
一応ここで言っておく。俺は決して運動神経は良くない。
ただ、この時だけは物凄い速度で走れたということを覚えている。残念ながら力はない訳で、まさか2人を抱えて逃げるなんて芸当はできない。
何かを突き飛ばした感覚はあった。気づいた時には視界が暗転し、次に目を開けた時には夕暮れ時の赤い空が目に入った。
「オイ、人が巻き込まれたぞ!」
「警察を!」
「鉄骨どかせ!」
徐々に周りの声も、目に映る赤い空もぼやけて遠くなっていく。
「お兄ちゃん! 嫌だ、お兄ちゃん!」
千穂はどうやら無事だったらしい。良かった。
俺はそれだけを確認すると痛みから逃げるべく、無言のままそっと目を閉じた。




