74.続く波瀾
黄泉の国の話に戻ります。
今回は第三者視点です。
日笠は斑目に縋り一頻り泣くと何事もなかったように警察の事情聴取に応じた。
単独行動は誉められたものではなかったが、戸張を引きつけ、捕らえるまでは至らぬも事件を解決に導いたことを警察から感謝された。
もちろん、役所の面々からも礼と謝罪をされた。空気を読まない加地が大袈裟に誉めれば、普段は苦言を呈するはずだが、今回は殆ど反応がなかった。
日笠はすぐに仕事に復帰した。
だが、彼の違和感は大きかった。
笑顔も人形のような貼り付けたようなものであったし、毎日目元に隈を浮かべていた。それに今まで習慣であったランニングでの通勤を一切行わなくなった。あれ程毎日食べていた食事も霧崎や斑目以下となっており、事情を知らない近所の夫婦までもが気づいていた。
東雲が復帰した当日、事務所での業務を終えた後に関係者が集まった。
黄昏探偵事務所に所属する2人は勿論、役所の2人、南条の5人だ。今回は斑目が事の顛末について説明したいと言い出したため召集された。
結果だけ言えば、城之内と柊は収容施設に収監、戸張は地獄堕ちとなった。
柊は収監された直後は気の狂ったことを言っているようだった。今回戸張が無断で役者に入れるように防犯カメラに細工したのも部屋の鍵を開けたのは彼女だった。
加えて、加地の件にも深く関わっていた。洗脳するまでの手続き、加地と城之内が連絡をとれるようにスマホに細工をしたこと、加地のIDを使用し日笠の現世窓の動画を流出させたこと。
反省は殆どしていないようであったが、聴取の最後に「薄石さんは無事ですか。」と尋ねてきたそうだ。
ほんの少しでも良心が残っている、そう信じるより他なかった。
一方で、城之内は収監された時点から大人しかったそうだ。
以前のように戸張を盲信するような様子はなく、取り調べにも協力的であったそうだ。話を聞く限りでは彼女は洗脳されていたのではないかと考えられている。
彼女の役割は協力者の目星をつける事、そして仕事でのポイントや道具の調達が主な役割だった。
現在は施設の中で業務に従事しており罪を濯いでいるそうだ。
ちなみに以前依頼人としてやってきた甲の目撃証言にあった体格のいい男については現在行方不明である。
城之内も曰く、今までは行動を共にしていたがこの地区に入ってから音信不通となり所在は分からないそうだ。柊に至っては存在さえ知らなかった。
警察では引き続き警戒を継続するしかないとのことだ。
そして最後に戸張。彼は全員が認識している通り、地獄に落ちた。
最期の最期まで自身を1番に考え、己の欲求に従って動き続けた。彼が残していった洗脳の被害者や密輸ルートの存在もある。後者に関しては神様に伝えることで全て解決される案件であるそうだから、警察たちが対応している。
そして最後に当日何があったか、それが語られる。
ここでやっと、東雲と斑目以外が日笠のギフトが『左脚』であることを知った。
戸張と会うことを隠していたこと、真紘が警備を騙して警察署から脱出したこと、戸張が銃を持っており目の前で東雲が撃たれたこと、左脚を撃たれ傷つかなかったこと。
「あ、左脚……。」
「どうしたの、彩明?」
「ま、前に飲み会の時、あたしと斑目さんと帰ってた時転んだんだけど……。その時左脚から崩れたにも関わらず、怪我してなかったなって。」
真っ青な顔で話す薄石の言葉に、斑目は険しい顔のままため息をついた。思い当たる記憶があったのだろう。
話が一通り終わると南条が乱雑に己の頭を掻きながら苛立った様子で口を開いた。
「つーかよ、お前ら日笠の作戦薄々気づいてたんだろ。なら、何で止めなかった。アイツはしっかりしているといえどガキなんだぞ。」
「……ごめん。」
「俺も、策を講じてなかったです。」
南条は思わぬ2人からの謝罪に目を丸くしてしまう。だが、南条が糾弾したかったのは霧崎や斑目ではなかった。大人としては勿論気づいた時点で何らかのアクションを起こすべきだったと思うが大前提として2人とも自分の仕事をやっていた。
彼が糾弾したいのは別の人物だった。
「さっきから黙ってるが、東雲。俺はお前に言っているんだ。」
「……。」
どこか翳りを帯びた東雲は先ほどまでの営業モードはどこやら、のろのろと視線を上げた。
それが苛立ったのか、南条は東雲のデスクを勢いよく叩きつけた。
「お前は私情のために日笠が企んでることを知った上でアイツを自由にさせた。加えて、自分が戸張に復讐を果たすために危うい配置取りをした! 分かっているのか、お前は東雲である前にここの所長、日笠の責任者なんだぞ!」
「それは……本当に……。」
「分かってないから言ってんだ!」
「南条さん!」
薄石の悲鳴が事務所内に響く。
それと同時に南条が東雲の胸ぐらを掴み立たせて揺さぶる。
「アイツは関係のない晴間の復讐に善意だけで協力して地獄に落ちかけた。しかも、まだ知らなくていい事実まで知っちまった。日笠が当たり前に思っていた走ることは、今はできない身体なんだって。」
南条が手を離すと、東雲は重力にそってそのまま床に落ちた。
「……東雲、お前には前に話したよな。俺は競技に戻れないならこのまま死を選ぶ、と。」
「え。」
薄石がちらりと霧崎を見つめると、彼女は頷いた。
そのエピソードは晴間から聞いたことのある話であった。
「日笠だって同じような絶望に暮れているだろう。だが、決定的に違うのは、日笠の競技人生はまだ始まったばかりで、俺はすでにやり切って後悔がない、ってところだ。
理解しているのか。お前は若者のこれからを左右する大事なポジションにいる大人だったってこと。」
「……分かっていた、つもりでした。」
東雲から絞り出された言葉に全員が顔を上げた。
晴間を喪った時とはまた異なる落ち込み方に誰も声をかけられなかった。
「志島さんにも忠告はされていました。日笠くんは巻き込むつもりがなくても自分から首を突っ込んでくる。だから、しっかり強くしてやるか、事務所から手放してやれって。……僕は彼が強いと認識していました。」
「……実際強かったよ。悔しいけど私も救われたし。」
「まぁ、芯もあるからな。」
日笠は年齢の割に妙に大人びているところはあった。
実際に反応は年齢相応であった上、話していると後輩感は醸し出していた。だが、度胸もあり大人顔負けと対応をとることもあったため、特に長い時間を共にする2人は日笠を強い人間、もしくは大人と認識していた。
南条は、大人とまでは考えていなかったが、確かにしっかりとした人物だと認識していた。
「重ねた、つもりはなかったんです。でも、ギフトも勝手に晴間くんと同じものだと思い込んでいて、気づいたら彼と重ねていました。
まだ未成熟な学生だってことも、忘れるほどに。」
「分かってるならいい。」
南条は冷静を保とうと大きく息を吐いた。東雲も霧崎もそれなりに反省をしているようだ。
ここで存外落ち着いている薄石がおずおずと手を挙げた。
「経過報告と反省はここまでとして、これから真紘くん、どうするんですか? 時間が解決、なんて楽観的なものでもないと思いますが。」
「……ッ、」
「そうだな。悪い、責め立てすぎた。」
南条の謝罪に東雲はゆるりと首を横に振る。
その光景を見た薄石はわざとらしく高めの声で尋ねた。
「過去、こういったケースってあったの?」
「正直あまりないと思う。アンタ達は知ってる?」
南条も東雲も、気まずそうな表情を浮かべた。斑目は先程から何かを考え込んでおり、話す気配がない。口を開いたのは東雲だった。
「自死を経験した例で、今後も同様の行動を取り得ると判断された場合。1つ目は基本的にはカウンセリング、追加で施設での経過観察が必要とされる。」
「そんな……!」
「2つ目は。」
少し低めのトーンで霧崎が尋ねる。悪い予感があたらないようにと願うように。
薄石もまた期待するように黙る。
だが、東雲の言葉は2人の期待を裏切ることになる。
「……『パンドラの鍵』を強制的に出す薬を飲んで、精神状態が悪くならないうちに決断をすること。そのどちらかだと思う。」
「それって日笠くんがし……!」
薄石は咄嗟に口を噤んだ。だが、彼女の言いかけたことは事実だった。
そして、それと同時に霧崎から殺気が溢れ出た。
「何でそんな他人事みたいに言えるわけ!? アンタは日笠を助けたいと思わないの! アイツがこうなったのも、私達のせいって言っても過言じゃないんだよ?」
「分かってる!」
思わぬところで東雲が声を張り上げた。さすがの霧崎でさえも固まった。東雲の表情には晴間を喪った時とはまた異なる後悔が滲んでいた。
「僕だって助けたい。けど、探偵として、元警察として、かけられる言葉がどうしたって彼に響く気がしないんだよ……。」
東雲の手は震えていた。
見たことがないほどに弱気になっている彼の姿に霧崎は口を噤んだ。
「う……、ごめん。」
完全に勢いを失った霧崎は肩を落とした。
とりあえず喧嘩に発展せず安堵の息を漏らした南条は首を捻りながらうーん、と代案を出すべく浮かんでいるアイデアを口にする。
「同じようにスポーツ、って言っていいのか分からないが。経験者の俺の立場からは若いんだし諦めずに義足で頑張ろうぜ、としか。……響かないだろうな。」
南条から解決案が出なかったことに対し露骨に肩を落としながら霧崎は珍しく斑目に縋るような視線を送る。
「……斑目、アンタは?」
「何。」
「日笠を助ける手立てだよ。お前、公私ともに仲良かったんだから何かこう、浮かばないのかよ?」
「言いたいことは……ある。」
「言いたいこと?」
隣に座っていた薄石が顔を覗き込みながら尋ねる。だが、斑目は悩ましげに視線を逸らすだけだ。
「でも、独りよがりな言葉だし説得力がない気がする。言ってもいいのか、どうすればいいと思う?」
「え、あたしに聞かれても……。」
あまりにも真っ直ぐに意見を問われ、薄石は視線を逸らす。その光景を見ていた彼がふと、溢した。
「……変わったね、斑目くん。」
全員が東雲の予期せぬ呟きに目を丸くした。だが、東雲は弱ったように微笑みながら斑目に対して言った。
「かつての君だったら人を助けたい時、正論をぶつけていたはずだ。もしくは行動自体せず他の人に任せる。でも、志島さんの時から相談して自分でどうにかしようってするようになった。」
「そんなこと、……確かに。」
「本当にアンタは……。」
斑目の状況に合わぬマイペースさに霧崎が怒りながらもどこか安堵したような様子だった。
その空気に東雲は嬉しそうに微笑む。
「君がそうなったのも日笠くんが来てからかな。そうやって影響し合える仲の君からの言葉なら、きっと日笠くんに響くと思うんだよね。
……今の僕が言うのも説得力はないかもしれないけど。」
次第に声のトーンが低くなる東雲に、斑目は首を横に振った。
「いえ、はじめから日笠を見てきた東雲さんが言うなら間違いはないんじゃないですか。」
その言葉を聞いた南条と薄石は光明が見えたと言わんばかりに急かすように斑目を立ち上がらせた。
「なら、早く行こうぜ!」
「善は急げ、ですよ!」
「2人は俺のこと人って思ってる? 俺にも心の準備がほしいんだけど。」
騒がしい2人にいつも通り苦言を呈する。
東雲や霧崎もほんの少しだけ、安堵した。
その瞬間だった。
薄石が握っていた彼の右手が急に光ったのだ。
見慣れた発光、だが、今回ばかりは希望を打ち砕く絶望の光だった。
光り出す瞬間を経験したことがない薄石だけは、すぐに状況が把握できず呆然としたままその手を見つめた。
「これって……。」
「『パンドラの鍵』だね。」
「ちょ、そんな淡々と言います!?」
他人事のように言う斑目を薄石が揺さぶる。
役所組のやり取りでハッとしたのか、南条が慌てて反対の手を引く。
「オイ、なら早く行くぞ! いや、この場合はお前の甦りが優先……、そもそもお前甦るのか?」
「本当に南条さんは俺を何だと思ってるんですか?」
ふん、と南条を振り払う。
南条もまた顔には出ていないが焦っているらしく、あっさりと腕を放した。
一方で霧崎は足踏みしているようで弱々しく尋ねた。
「でも、あれだけ弱ってる日笠にあと数日で斑目がいなくなる、もしくは亡くなるかもって言っていいの……?」
「大丈夫だよ。」
あっさりと言ってのけたのは薄石の腕も振り解いた斑目だった。
そして、いつもと変わらない態度で東雲の前に立つ。まるで仕事の依頼に来たような、だがどこか楽しげな様子だった。
「東雲さん、俺の言いたいことは分かりますよね?」
「もしかしなくても仕事かな。」
「はい。」
斑目はあっさりと頷いた。
「俺の最後の依頼、受けてくれますよね?」
「……もちろん。」
東雲の言葉を聞いた斑目はふっと笑った。
まるで何かいいことを思いついたような。日笠であれば見慣れた何かを企んだ笑顔はここにいる面子からすればひどく珍しいものであった。




