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黄昏探偵は振り返らせない  作者: ぼんばん


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73/92

73.日笠真紘の回顧録 ※

 真紘の回想です。

 さて、彼はどんな人生を送っていたのか。

 俺は夢を見た。


 物心ついた時から俺は走ることが大好きだった。

 父さんは陸上の指導者として優秀な人で何人もの選手を育て上げた。母さんはオリンピックにも出たことがある有名な選手だった。2人は陸上が縁で結婚したらしいけど、別に俺は興味はなかった。


 たぶん、はじめは母さんが習慣のランニングに行った時についていきたくてごねたのがきっかけ。

 それから父さんの指導を受け、着々とタイムを伸ばしていった。小学校の時から走ることに関しては負けたことがなかったし、大会だって全国の常連。ライバルと切磋琢磨しながら実力を伸ばしていた。


 中学3年生、全中陸上で無事入賞した。様々な高校から推薦が来る中、さて自分の進路はどうしようかと考え始めた頃だった。

 部活引退後、何となく俺はふわふわしたまま、勉強をしていた。友達は最後の夏休みと言って遊んでいたけど、俺は大会があったから遅れていると焦っていた部分もあった。でも、1番の焦りは勉強や遊びに時間を取られて走れないことだった。

 もちろん誘われなかったわけではなかったけど、何となく気乗りしなかった。

 両親は、周りの人はどう思ってたんだろうな。


 ある日父さんが俺の元に1つのパンフレットを持ってきた。


「真紘、これを見てほしい。」

「あ、これスポーツ推薦の候補になってた高校じゃん。」

「そうか、推薦されそうか。ここな、父さんの後輩がいて近年インハイ優勝者も出している高校だ。」

「げ、頭良いとこ……。」


 俺が顰めっ面をすると父さんは苦笑いをしていた。お互い決して頭がいいとは言えなかったからな。


「ここに行けばさらにお前の走力は上がる。これから成長期を迎えてなかなか悩む時期もあるだろうが、その高校にはリハビリに携わっていた職員もコーチとして雇われている。安心して学べるぞ。」

「へー。お、スポーツ推薦人用の寮もあるんだ。」

「ああ、ここに行けば互いに高め合えるような気の置けない友人も沢山できるだろう。」


 気の置けない友人、か。

 俺はその場ではそうだね、と小さく頷いた。父さんはその反応を了承と捉えたのか満足そうにしていた。


 同じ日の夜、父さんが仕事で家を空けている時に母さんにも同じように進路の話をされた。


「真紘、アンタはこれからも陸上を続けたいの?」

「まぁ……。走るのは好きだし、俺勉強苦手だしなぁ。」


 母さんは少しだけ躊躇うような様子を見せながらも、真面目なトーンで話す。


「好きなことを仕事にするっていうのは想像よりも大変なことよ。分かってる?」

「……それは母さんだって通ってきた道じゃん。俺だって陸上が好きな気持ちは本物だから。」

「でも、それは私も真紘も世界を知らないから。」


 俺はその言葉にムッとしてしまう。


「陸上をやめろってこと?」

「違うわ。ただ、真紘には知っておいてほしいのよ! ……陸上に関わらない人たちの中にも、かけがえのない友人となり得る人がいるって。だから、たくさんの世界を知ってほしいの。」


 たぶん、母さんは俺が陸上ばかりに夢中になり、友人と深く関わらないことを心配していたのだ。

 だが、この時の俺は母さんの心配事なんて露知らず、俺は苛々してしまい、強く机を叩くと立ち上がった。

 俺は元々反抗することは殆どなかった。周りからはいわゆるいい子、と言われており、学生生活も波風立てず過ごしていたと思う。


「そんなの母さんに言われたって説得力ねーし! 俺はライバルって言える人たちがいる高校に行って陸上選手になる! 将来のことは俺が決める!」

「真紘!」


 それから俺は母さんとあまり話すことはなくなった。

 父さんからは色々と助言を貰うことも多かった。今思えば追い詰められた時のルーティーンや言葉は父さんのものが多かった気がする。


 そして、俺は父さんに勧められた高校へ進学することになった。




 高校生活はひどく充実していた。

 寮生活が始まった時は緊張していたが、共に過ごすライバル達は父さんが言った通り気の置けない友人になった。たまたま隣室になった友人も同種目で、中学の同級生とは比にならないほど仲良くなった。

 世界で活躍する陸上選手の話やシューズの話、勉強の話もしたし、人によってはテレビや漫画の話も盛り上がっており、恋をしているような人もいた。さすがにうつつを抜かすまでは至らないが、楽しそうにしていた。

 俺はあまり興味がなかったから流行りのもの、というのはどうも疎かったが、時折見る分にはそれなりに楽しめた。

 ここで初めて母さんが言っていた『俺の知らない世界』という言葉が頭を掠めたが、俺は気づかないふりをしていた。


 だが、一方で夢半ばで諦めていく人たちもいた。

 厳しい競争生活に耐えられない人、結果が伴わず無理な自主練習を繰り返した結果故障したり部活を辞めたりして転科する人、挙句には転校する人もいた。

 勿論、選手として花開く人だけでないことは俺も理解していた。しかし、どうしても手を伸ばし支える勇気はなかった。


 今思えばその報いが来たのかもしれない。

 高2の冬、俺の運命が変わった。


 関東の新人大会で俺は大会新記録を出せた。おそらくこのままいけばインハイでも優勝、入賞は間違いなしとコーチや周りに褒められた。

 だけど、俺は何となく空虚な気持ちであった。走ることは間違いなく好きなのに、なぜなんだろう。


 年末年始、うちの寮は閉鎖されるため俺たちは実家に帰ることになる。

 俺もその慣例に倣って帰ることになる。


 雪が降ってきた。俺が荷物を抱えてぼんやりと空を見上げていると隣室の友達が声をかけてきた。同じ長距離の選手で、新人大会では俺と共に良い記録を残していた。


「日笠、お前も車乗ってくか? 近くまで送るぞー?」

「ん、大丈夫。」

「雪が強くならねーうちに帰れよ!」

「ああ、良いお年を。」


 手を振ると友人も手を振りながら親の車に乗っていった。


 さて、俺も帰ろう。

 慣れた道を帰る。電車に乗り、何度か乗り換えた後、バスに乗ってすぐ家だ。父さんから迎えに行こうかと連絡があったが、何となく歩きたい気分になって俺は断った。

 キラキラした街灯が綺麗だ。

 いつもなら走って帰る勢いなのにな。次の大会結果が、大学、今後の進路へと関わるが故か。

 俺は楽しく談笑したり、仕事で疲れつつも家への帰路についたりしている人たちがやけに眩しく感じた。


ーー陸上以外の道、か。


 考え事をしていたせいかもしれない。

 そのせいで気づかなかったのかも、いや、気づいていたとしても反応できなかったかもしれない。


 背後から悲鳴とエンジン音が聞こえたのが、最後。

 気づいた時には全身の痛みに襲われ、道路に放り出されていた。



 俺を轢いたのは中型のトラックだった。

 事故の原因は飲酒運転。

 俺の他にも何人か巻き込まれたそうで、それぞれ大怪我を負った。俺は幸いある場所を除いて、怪我をしなかった。


 俺は目覚めて、まず痛みを感じた。

 どうやら全身の打ち身のせいらしい。次いで気づいたのが、左脚の違和感だ。

 俺は事実に気づいた瞬間叫んだ。


 周りに人が集まり暴れる俺に向けて声をかけるが何も聞こえなかった。この時の俺にとって、自分の足で走れないこと、すなわち未来への道が途絶えたのと同義だったのだ。

 俺の左脚はタイヤに潰され、とてもでないが生きていることさえも不思議な状況であったそうだ。



 全身の状態が落ち着いた俺に待っていたのは過酷なリハビリと現実を受け入れる作業だった。

 残った足と切断部位より上の部分の筋肉を鍛える。そして、車椅子に乗り、身の回りの練習をする。先生たちは義足を作ることを勧めてくれたが、俺はすぐに決断できなかった。

 リハビリ目的の病院に転院した後、何とか勉強は再開できた。でも、陸上をはじめスポーツには一切触れられなくなった。スポーツのスの字でも出れば吐き気を催し、その日は何もできなくなる。

 左脚の痛みも止まず夜も眠れない。

 色んな薬が処方されたが、俺は何となく服用できず飲んだふりをして溜め込んでいた。

 はじめは両親をはじめ、親戚の人、時折学校の友人、先生も来てくれた。だけど、次第にその頻度は減った。いや、精神衛生的にはいっそ知っている人は来ないでほしかった。


 少しずつ周りの話が聞こえるようになってきた俺に黄泉の国に来るきっかけとなる出来事が訪れる。


 1つ目は親戚が話していることだった。


「かわいそう、飲酒運転だって。」

「日笠さんたちも、せっかくここまで育て上げたのにこんな馬鹿げた事故なんかで……。」

「この子はもう走れないのね。」


 他人事みたいに話しやがって。それがこの時に俺が抱いた感想だった。


 2つ目は両親と高校の部活の友人たちの見舞いだった。


「真紘、高校のみんなが来てくれたぞ。」

「……ありがとう。」

「おお、思ったより元気そうでよかった。」


 心の底からそう思っているならお前は馬鹿だな。口から出そうになった言葉をグッと飲み込み、引き攣った笑みを見せた。

 その反応で安心したのか、友人たちは部活や学校の話をしてくれる。俺はどうせ戻れないのに? 俺は腹の奥にある黒い感情を持て余しつつ、適当に相槌を打っていた。

 そして、トドメに見せてきたのが動画だった。

 隣室の友人の、大会の動画。

 友人が俺の記録を塗り替えたものだった。これがどれほどまでに俺に絶望を与えたか。友人は眉をハの字にしながら更に驚くべきことを宣うのだ。


「……確かに同じ競技はできないかもしれねーけど、日笠がいないと張り合いがないんだ。リハビリ頑張って早く戻ってきてくれよ。それまで俺が日笠の分頑張るからさ!」


 は、何言ってんだコイツ。

 他にも来ていた友人たちが何かを言っているが、俺の耳には届かなかった。励ましの言葉を幾つか貰った気がしたが俺には最終宣告にしか聞こえない。

 そして、友人たちが帰った後、父さんが残り、最後にポツリと話していた。


「父さんも、早く真紘が元気に走る姿を見たいって思っているんだ。リハビリ、頑張ろうな。真紘が願うなら、どんな義肢でも作るからな。」

「……。」

「じゃあ、また。」


 そう言うと父さんは椅子から立った。

 それに倣って母さんも席を立つ。


「ねぇ、母さん。」

「……何? 真紘。」

「母さんはーー。」


 足がなくても走ろうって思えた?

 聞けなかった。俺はベッドの中で手を強く握る。


「……何でもない。」

「……そう、また来るわね。」


 そう言うと、母さんは静かに扉を閉じた。

 その日はやけに左脚が痛むように感じた。




 俺はその日にすぐに行動に出た。

 処方され、隠していた痛み止めや睡眠薬。たぶん病院ではそれなりにいい子で過ごしていたから飲んだことを伝え袋を渡せば管理はすぐに俺持ちになっていた。

 もう嫌だ、生きていることがしんどかった。

 確かに義肢をつければ走れるし、かっこいい選手の姿だって見たことがある。


 それでも、俺は、自分の脚で走れないことが考えられなかった。


 夜、消灯した後。

 俺はベッドの横に置いてあるペットボトルの水を助けに全ての薬を服用し眠りについた。

 その日は久しぶりに深く眠れた気がした。

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