71.真実は ※
真紘視点に戻ります。
不穏回が続きます。
残酷な描写があるため苦手な方はご注意ください。
時は遡って作戦前の早朝の話。
「おはようございます。」
「ふぁ……。おはよう。」
相変わらず髪が爆発している。他の人なら間抜けにも見えるかもしれないだらしない欠伸もこの人は様になるから凄いよな。
「何?」
「いや、別に。飯できてますよ。」
「ああ、ありがと。」
顔を洗い終えると千里さんは大人しく席につきのろのろと食べ始める。この人、俺より先に出るって言ってたよな。
でも、いざ仕事が始まれば、かつサボる気が無ければ頼りになるし、何やかんやと動きは素早いから大丈夫だろう。
俺の視線が余程うるさかったのか、パンを齧りながら千里さんは目を細めながらこちらを見た。
「気になりました?」
「当たり前でしょ。俺の食べてる所見て楽しいわけじゃないだろうし、何か言いたいことでもあるの?」
人の食べている所見るの、嫌いじゃないけどな。
それを言ったら怒られそうであるため、もう1つ言いたかったことを口にしてみることにする。
「……いや、こうやって一緒にご飯食べるってことが特別なんだなぁって、ふと思っちゃいまして。」
「まぁ、この世界に特別じゃないことってないよね。今の状況もだけど。どこのフィクションの世界だよって思う。」
「違いねっす。」
「でも……。」
何かを言いかけた千里さんの手が止まる。
俺が黙って言葉を待っていたが、千里さんは逡巡すると首を横に振った。
「何でもない。また今度言う。」
「はぁ。」
気になるところで止められた。しかし、千里さんが食事を再開してしまったものだから、俺は再度聞くこともできず、同じように朝食を口にすることしかできなかった。
なんとも言えない空気が流れる中、俺はぽつりと溢してしまう。
「千里さん、今日はよろしくお願いしますね。」
「……ああ。」
果たして意図が伝わっているのか。
彼のいつもと変わらない様子に安堵しつつも、俺はそれ以上何も言わなかった。
俺は千里さんの家を出て役所に向かう、とは言えど千里さんや彩明さんと同じようにいつものスペースにいるわけではなく、隣接した警察署で待機となる。
先生は表の方の警備、雪花さんは南条さんと外に出ているため、俺は1人お留守番状態である。まぁ、直接的に狙われている上、何度か接触しているのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが。
警備は決して手厚くない。明らかに集中してしまえば俺がここにいるってことをバラしているようなものだからだ。
ただ、警備の人には悪いけど大人しく守られているのは性に合わない。それに、戸張にも言われたのだ。
戸張が千里さんに薬を盛ろうとしたあの時、戸張は俺に囁いた。取引だ、と言って俺の背後で嬉しげに。
ー君の『ギフト』に関する話がある。
ー警察が近いうちに僕達を検挙するために動くだろう。僕達を取り締まるその日、僕は役所の最奥、『記憶の世界』に繋がる部屋で君を待つよ。そうだな、12時でどうだろう。
戸張は俺が行かなければこのまま地区を出ると言っていた。そうやってまた逃げおおせて、また戻ってきて人の人生を乱す。
それは絶対避けねばならない。
俺は会議室の中で戸張との約束の時間が来るのを待つ。定刻が近づいてきたことを確認して俺は行動に移る。
「すみません、ご飯行きませんか?」
「まぁ少し早いが混まないうちに行くか。」
俺は警護の人を誘って部屋を出た。もちろん鞄を持って、だ。この人気のない通路を抜ける前に俺は作戦を実行に移す。
「うっ。」
「どうした?」
警護の人の心配そうな声音を聞くと罪悪感が湧いてくるが、そんなことを言っている暇はない。
青白い顔までできているかは分からないが、俺は腹を摩りながらトイレの方を指差す。
「すんません、緊張とお昼を無事迎えられた安堵で腹が……。ちょっとトイレ寄っていいですか?」
「構わないよ。」
「薬もらってくるか?」
「大丈夫っす!」
どうやら外で待っていてくれるらしい。
俺は個室に入りすぐに着替える、といっても服を裏返すだけなのだが。
そして、個室の鍵を閉めたまま、上の隙間から個室の外に出る。万が一様子を見に来た時に、少しでも時間稼ぎになるように、だ。
物音を立てないように着地し、そっと窓を開けた。ここは幸い人通りがない裏手に面している2階。外から見たことがあるが、伝うこともできる上、決して飛び降りられなくはない。
イメージみたいな鉄格子がないことに安堵しつつも、窓枠を跨ぎ、人が来ないことを確認しながらすぐに降りた。こんなところで運動神経の良さが役に立つとは思わなかった。
俺は苦笑いしつつも帽子を目深に被った。
役所はあえて正面から入った。
事情を知る人たちは作戦のために裏に引っ込んでるだろうし、警護の人たちは人目につかない道をマークしているはず。
図書館や資料庫などがある旧館の方に足早に向かう。本館に比べると人が少なく、また設備も古い。
再びトイレに入ると、洋式便座の上に立ち、通気口を開いた。便座が悲鳴をあげている気がするが無視するより他ない。
腕の力でなんとか天井裏に入り、俺は職員以外立ち入り禁止の領域、すなわち記憶の世界や現世窓を見るためのモニターがあるスペースまで向かう。
正直、天井裏だからもっと汚れていたり無視が湧いていたりするイメージだったのだが、埃一つない。今更だが、埃もある程度溜まると勝手に消えることに気づいた。これが黄泉の国仕様か。
目的の部屋の近くに行くと下に降りられそうな通気口と出会えた。下に人がいないことを確認して蹴破り、そのまま降りる。
誰もいない、閑散とした空間だ。
俺は大きく息を吐いた。
ルーティーンは変わらない、なんてことのない一勝負。
「一勝負、って。」
何だったかな、懐かしい響きな気がする。
幸い独り言を聞くような人はこの場にはいなかった。
俺は約束通りの時間に、記憶の世界に入るための部屋にやってきた。
いつもは役所職員が施錠しているはずの部屋のドアノブは容易に回った。
「やぁ、時間通りだね。日笠真紘くん?」
薄暗い部屋の中に立っているのは戸張半宵だった。
俺が来るのを分かっていたと言わんばかりに口角を不気味に吊り上げた。
何をするのかと思いきや、記憶の世界に飛び込む出入り口に腰掛け、俺の横にある照明のスイッチを指差した。
「暗いところで僕と話すのも嫌だろう? 電気を点けたら?」
「……なら、遠慮なく。」
これ小窓から外に明かりが漏れるし、消費電力とかでバレないのか?
俺が疑問に思っていると、それを見透かしたように戸張が笑った。
「大丈夫。僕達にも味方はいるから。」
何が大丈夫、だ。やっぱり役所の中にも戸張の息のかかる人間がいるのか。人目につかず潜入することだって、味方がいるなら難易度はかなり低くなる。
だが、それなら今頃千里さんや彩明さんがどうにかしているはずだ。
「さて、約束のーーと言いたいところだけど、少し僕の話に付き合ってもらおうかな。」
「……はぁ。今更何を。」
俺はたぶん訝しげな顔をしていたと思う。
以前のように戸張は玩具を見つけた子どものように笑いながら話し始める。
「君は晴間くんの話を聞いたね?」
「もちろん。」
俺が頷くと戸張は恍惚とした笑みを浮かべた。
「僕は『特別』な人間だ。女達を蹂躙するのも、上司後輩を意のままに操るのも、役所の女みたいな同志を集うのも、同じような犯罪者を引き込むのも、警察達の憎しみを増長させるのも意のままだ。」
でも、と目を細めた。
「僕にも弱点があった。」
「弱点?」
「そう。いわゆる1人で生きていける自立心の強い人間だ。」
そんなのいくらでもいるのではないか?
俺は意味が分からずその場で素直に首を傾げてしまう。だが、戸張は真面目に言っているようであり、ため息をつきながら話を続けた。
「人間誰しも何かに依存するんだよ。どんなに強い人でも弱点はある。現にあの東雲さんでさえ晴間さんを失ってから僕の意図した通り憎しみを抱きながら生きている。
だけど、君は見えなかった。」
「……見えなかった?」
「そうだ。」
戸張の平坦な声が不気味だ。いつもならもう少し語りかけるような、わざとらしい抑揚があるのに。
そして、戸張は到底理解し得ないことを話し出した。
「あの冷静な東雲さんは憎しみに駆られ、天道さんだって酒に依存していた。君達は何で心を壊し、他の人間と同等になる?」
戸張は座ったまま俺を見つめる。
「君の弱みは斑目くんだと思った。だが、君はその場の怒りに身を任せることなく冷静に対応した。それができる理由、考えれば簡単さ。
君には揺るぎない意志と軸がある。」
「……全く意味が分からないんすけど。」
「それはーー。」
何かを言いかけた戸張は俺の背後を見て愉快そうに笑った。その視線に倣って俺もそちらに視線をやると、想像よりも早い到着に驚かされる。
「先生……!」
「ありがとうね、危険な役を担ってくれて。」
ぽん、と優しい手が俺の背を叩いた。
良かった、警察署で伝えたかったメッセージはちゃんと先生に伝わっていた。俺は安堵の息を漏らした。
だが、何でだろう。先生が来てからの方が戸張の笑みは深くなったように見えた。
先生も先生で睨みを鋭くし、俺と戸張の間に立つ。
「もうここは包囲されている。大人しく投降するのが身のためだ。」
「……ハハッ。」
「何がおかしい?」
戸張は渇いた笑いをこぼす。
何を考えているか想像がつかない。そして、耳を疑うことを言った。
「僕は投降しない。なぜなら地獄に落ちるからだ。」
「日笠くん!」
「……ッ、先生!」
俺は自分より背の低い先生にあっさりと突き飛ばされた。それと同時に聞きなれない破裂音ー銃声ーがこの狭い部屋に響く。
さすがに俺も腰が抜けた。
何が起きたのか、先生の足から赤い液体が流れている。先生は脇腹を抑えて呻く。
戸張は高笑いしながら銃口を俺に向けながら歩いてくる。よくよく見ると、戸張の手に広がっていた業の証はもう少しで全身に広がりそうだ。
俺は思わず後退る。近づいてくる戸張の足を先生が掴んだ。
「……は、やめろ。」
「……念には念を、で周りに人を配置したのは正解です。ですが、誤りは2つ。僕が銃を持っていることを想定していなかったこと。」
戸張は先生の手を思い切り踏み、拘束から抜ける。
俺は直視できず、思わず顔を逸らした。
「加えて、何が何でも自分の手で捕まえたいが故に、この防音の部屋で少数になってしまったことです。」
そうだ、戸張の言う通り、周りに配置するのではなくある程度精鋭を選りすぐって率いて来ればよかった。
つまりは、自分の復讐を優先したということだ。
戸張は銃口を俺に向けながら笑う。
「さて、ここで本日のメインディッシュ、君のギフトについてお伝えしよう。」
「別にそんなのどうでもいい! つーか、アンタ、そのまま行ったら本当に地獄に……。」
「君の、ギフトは!」
「やめろ!」
叫んだ戸張は俺の左足に銃を突きつけた。
間近で数回銃声が響く。
想像していた、痛みは無かった。
は? どういうことだ?
撃たれたはずの足は無傷、目の前の男の指には業の証が回りきった。まるで地獄からの死者のようだ。
もしかして、俺のギフトは。
「君のギフトは、『左脚』。現実の君に、左脚はない。」
銃で撃たれるよりも強い衝撃。
俺は否定することも、ここから逃げることも、はたまた戸張を捕まえようとすることも。何もできなかった。




