59.金森郁人①
3話連日投稿になるかと思います。
よろしくお願いします。
「えぇ、知らないうちにそんなことに。」
「……。」
素直に眉を顰める彩明さんに対して、千里さんは気難しげな顔をして口を開かなかった。前に南条さんもいる席で話をした感じだと、晴間さんの事件を知っているか、または実際に見たことくらいは簡単にわかる。
ちなみに俺たちは今、彩明さんの家で鍋をしている。理由は簡単、俺が2人に例のことを話すために誘ったからだ。
本当だったら千里さんは大人数での食事は嫌がるんだろうけど、俺が頼み込めば基本的には断らない。それに、彩明さんは知ってか知らずかちゃんと小分けにしてくれるし、不用意に皿や箸を共有したりしないから千里さんも許しているように思う。
俺が話したのは警察署で話した内容。
今後は単独での外出は避け、出かけるときには必ず探偵が警察など腕の立つ人をつけるように、と警告を伝え、連絡先も渡した。千里さんには先生からの資料も。
話を聞いた彩明さんは優れない顔色で俯きがちに呟いた。
「正直、信じられないって気持ちが大きいんだけど……。本当にそんな人がいるんだね。あたしが請け負った【罪人】は反省したり後悔したりしている人が多かったから。」
「まぁ、重罪人の対応は新規採用者にはさせないし、そもそも女性1人での相談はしないから。」
そう言う千里さんはいつもと変わらず無表情であるがどこか固い。
「……あの男は本当に気をつけた方がいい。気絶するほどの苦痛と言われる『業の証』が刻まれる瞬間、高笑いしていたような異常者だ。本当に、何をするか分からない。」
前に千里さんは『業の証』を刻まれる瞬間を見たことがあると言っていたが、まさか戸張のことだったとは。
俺は無意識のうちにテーブルに置いた拳を握り込んだ。
「そういう人物なら、尚更捕まえます。今回を機に捕まえないとまた被害者が出ます。何が何でも決着をつけないと。」
晴間さんのことを聞いて、しっくりきた部分があったのも事実だ。
黄昏探偵事務所がずっと2人で運営されていた理由。
きっと2人は晴間さんの敵討ちをしようとしていた、そして先生はそれに他人を巻き込まないように人を雇わなかったのではないか。
実際に人が多くなると、便利な反面瞬発力に欠ける部分もある。南条さんだって、対極のかわたれ事務所に異動して情報収集をしていたのかもしれない。千里さんが多少事情を知っているなら、その上の志島さんはよく知っているだろう。
そんな所に、神様と話した俺が来た。
だから、俺のことを探偵事務所に案内したのかもしれない。だから、先生はーー。
いや、憶測でものを言わないほうがいいだろ。
俺がそんなことを考えていると、不意に正面から手が伸びてきて俺の頭を撫でた。細くて綺麗な指が俺の髪に絡む。
「よく言った! 偉いね、真紘くんは!」
「えぇ……?」
思わぬ賞賛に俺は困惑する。
「そうだよね! これはチャンスなんだから前向きに、ちゃんと戸張さんを捕まえないとね!」
「……そうだね。そういう時のお前は言うこと聞かないし、協力した方が安全だ。」
横からも手が伸びてきて後頭部を撫でられる。何だこの状況。
一通り撫で終えた2人から解放されると、彩明さんはわざとらしく呟いた。
「でも、まさか神様と話すことがそんな『不運』だなんてね。ふふ、もしかしたら私のギフトも『不運』だったりね。」
「えぇ……そんなことありえます?」
「ありえるよ! だってこっちの世界に来てからあたしの運の悪さは現世の比じゃないんだよ?」
彼女はなぜか自慢げに指を立てながら話し出す。
「たまたま相談を受け付けた人が厄介な人なんてザラでしょ? それに何もないところでしょっちゅう転ぶしまかされた報告書や事案は欠損情報が多いものばかり。掃除のじゃんけんやくじ引きは全部負けるし!」
「彩明さん飲んでます?」
彼女が右手に持つのは烏龍茶のはずだ。彩明さんは勢いよくグラスをテーブルに置くと伏せて泣き真似をしている。
ここで千里さんが口を開いた。
「でも、確かに薄石の不運は筋金入りだよ。」
「何かあったんすか?」
「この前、相談課のPCに不具合があったんだけど、どれが不具合のあったPCか控えるのを忘れていたんだよね。」
千里さんはその時のことを思い出したのか、少しだけ楽しそうな声音だった。
「事情を知らない薄石がたまたま空いていたPCで作業しようとした瞬間、クラッシュしたわけ。」
「しかも! 作業中のデータ全部飛んだんだよ!? 斑目さんがバックアップを修復してくれたからどうにかなったけど……。」
曰く、30台程度あるうちの1台を引いたらしい。加えてクラッシュのおまけ付きなら納得の不運だろう。
でも、と彩明さんは珍しく悪戯っ子みたいな顔をした。
「あの事案に巻き込まれたのは、斑目さんの方が不運だったと思いますけどね。」
「あれは薄石もでしょ。」
「あの事案?」
俺が首を傾げると、2人は視線を交えた。何だろう、役所で何かあったのだろうか。
千里さんはため息を吐き、彩明さんは仕方なさそうに笑う。
「いいんじゃないですか、話しても。さっきだって帰ってくる前に黄昏かかわたれに相談しようとした矢先、依頼中断申請が来てムッとしてたじゃないですか。」
「そうだけど……。」
「それに、さっきの話からして2人は無理でも真紘くんは一応通常業務は請け負ってくれるんだよね?」
「はい。」
俺が頷くと、彩明さんは爛々とした目で千里さんを見つめた。正面から見つめられていなくても輝いて見えるのだから、向けられた先の千里さんには結構な攻撃力だと思う。
千里さんは観念したように口を開いた。
「分かった。でも、話すのは明日。真紘が事務所の手続きして、薄石が俺の依頼を受理してから。」
監査の立場からすれば、そう簡単に話せないか。やっぱり真面目なところあるよな、この人。
「でも、受理後の説明どうするんですか?」
「いいよ、サボってそっち行くから。受理が済んだら連絡して。」
それはいいのか?
俺は瞬時に前言撤回をする羽目になった。
翌朝、俺はいつも通り早起きした。相変わらず寝起きの悪い千里さんは放っておいて、朝食を作る。あとは走りに行けないから筋トレでもするか。
匂いが漂う頃に千里さんが欠伸をしながらのそのそと起きてくる。
いつもの泊まりと変わりない。昨日の非日常感が嘘のようだ。
俺達は役所に行き、関係者パスを使用して裏の会議室に行った。
役所の受付が開始して数分、すぐに申請は受理された。彩明さん、ドジっ子だけど仕事は結構早い。先生に朝一で連絡したところ、仕事を受けることを快諾してくれた。信頼されてるなぁ。
俺は思考から意識を戻し、千里さんが持っていたタブレットを覗き込んだ。
「じゃあ、今回の事案について説明するよ。」
「お願いします。」
今回の対象者の名前は金森郁人。
年齢はなんと14歳、公立の中学校に通っているそうだ。写真からして黒髪に眼鏡、制服もかっちり着ていて真面目そうな印象だが、どこか鋭い目つきをしている。
成績優秀で全国模試1位常連。英語の弁論大会では優秀賞、書道展でも金賞。父親は弁護士、母親は専業主婦で、経歴の文面からしていかにも坊ちゃんといった印象だ。
正直物分かりの良さそうな雰囲気だけど。でも、どんな人物かというのは書面では分からないしな。
「千里さんはもう会ったんですよね?」
「俺どころか役所に勤めている人は殆どが会ったと思う。」
「え、役所で手伝いしてるってことですか?」
「ありえないね。この国で就労できるのは15歳以上、役所に限っては18歳以上で未成年の場合は厳格な判断をされる。それに【半生人】向けの試験は難しいよ?」
「千里さんが言うとあてにならないっす。」
後から聞いた話では、彩明さんも筆記はめちゃくちゃ優秀だった上に面接で高得点だったらしい。特にカウンセリングの分野が優秀で、あの志島さんと同じ点数と適正値を叩き出したそうだ。
「でも、年齢さえ達していれば、役所の一員になれたかもしれませんね。賢そうな雰囲気ですし。」
「ところがどっこいそんなことはないんだよ。」
「へ?」
ここで千里さんは険しい顔になった。
「会えばわかる。たぶん、真紘は怒りを通り越して呆れると思う。歳下の子どもだと思っているから辛うじて許せる暴君だよ。」
「千里さん、子ども好きって言ってましたよね?」
「ああいう子どもは嫌い。」
玲夢ちゃんの時はあんだけ上手く付き合っていた千里さんがそこまで言うとは。どんな感じなんだろう。
だが、一通り話を聞いた上で表に向かって納得した。
「これだから無能な人はダメなんですよ! 効率悪すぎるし、そもそもリモートの時代に対面して話すとか終わってますし。」
そう声変わり間もない掠れ声で言うのは件の少年。
待合の人も職員達もあからさまに迷惑したり困惑したりしている。
さて、どうしたもんかな。隣の焦点の合わない人を一瞥しつつ俺は肩を竦めた。




