50.金木兼①
今日の仕事は1件の電話から始まった。
「はい、黄昏探偵事務所です。」
『も、もしもし! 役所の薄石です! あ、真紘くん!?』
「どうしたんすか、彩明さん。落ち着いてください。」
電話の主は彩明さんだ。
余談であるが、なぜ下の名前で呼ぶかというと、気安く呼び合う俺たちの会話を聞いて彼女が羨ましがったからだ。俺は嬉しかったから快諾したし、雪花さんも頑張って下の名前で呼んでて、2人で照れてた。付き合いたてか。
ただ、千里さんは断固拒否。たぶん心の距離を思わぬ形で詰められるのが嫌か、加地さんとか他の同僚に変に勘繰られるのが嫌なんだろう。
先生は、って話になったんだけど、彩明さんは恩人に対して恐縮ですと遠慮していた。俺が先生と呼んでいたことも関係したらしい。先生、ちょっと落ち込んでたな。
閑話休題。
『実はね、朝一で君の事務所に行く予定だったんだけど、依頼人の方と迷っちゃって! 依頼人の人はゆっくりでいいよって言ってくれてるんだけど!』
「あー、なるほど。今どの辺にいます? それか周りに見えるものとか。」
『えっとね、今南区のバス停にいるんだけど……。』
彩明さんは免許を持っていないからレンタカーは無理。でも、スマホで調べてバスとか徒歩でどうにかならないのかな。
後ろで俺の電話を聞いていた先生は腰を上げた。
「そこからなら乗り換えより、車で迎えに行った方が早いから待っててくれるように言ってもらえる?」
「分かりました。」
俺が彩明さんに伝えるとスピーカーを使わずとも聞こえるくらいの音量で「ありがとう〜!」と響いた。これには雪花さんも先生も苦笑いしていた。
予定より40分くらいだろうか、遅れて彩明さんは到着した。
一緒に来た依頼人の人はずいぶん若そうだ。というか、明らかに彩明さんに下心見え見えって感じだよな? 雪花さんも同じことを思ったのか不快そうに顔を顰めた。最近こんなんばっかだな。
「こんにちはっす〜。」
「こんにちは。コーヒーでいいですか?」
「あざーっす!」
軽い人だな。俺は内心でそう思いつつ、コーヒーを淹れた。
彼は金木兼。26歳、フリーター。
本人曰く金のない金木、ダチからはカネケンと呼ばれていたらしい。
大学卒業後、入社した会社を1年で退職、そのあと友達と店を出すかという話になったが、頓挫し、彼女の家に転がり込む。彼女に支えられながらバンドマンを夢見ていたが、叶う見込みもなく就活もせず、彼女に追い出された。実家からは何度も帰ってこいと怒られたが、資金援助だけ依頼して決して落ち着くことはなかった。
と、自慢げに語られた。
思い出せるのはそこまでだそうだ。
雪花さんの目がみるみる死んでいく。相貌を一切崩さない先生は流石だな。俺は自分の口元が引き攣っている自覚があった。
「それで今日は過去の記憶の世界と現世窓の確認と聞いていますが。」
「そっすね〜。ま、生き返るのはもちろんなんすけど、後遺症次第では残り期間どう過ごすか考えるために、だな。で、結果次第では残りの時間もちょっと手伝ってほしいな、なんて?」
「構いませんが、残ポイントによります。」
「ああ、その辺は大丈夫っすよ。パチで稼いだんで!」
「ぱち?」
「パチンコ。」
へー、そう略すんだ。そんな儲かるもんなんだな。というか、どうやって儲けるんだろう。
俺がそんなことを考えていると、先生がテキパキと手続きを済ませていた。
問題はこの後。
まずは役所に行くための車の座席決めで揉めた。
「俺の両サイド女の子ね!」
「は?」
「抑えて……!」
俺が羽交い締めにしなかったら彼は雪花さんにボコボコに殴られていたと思う。
運転席は先生で決定として、そうなると彼が助手席に乗るか、俺を挟んで女性1人が後ろの席に乗る形しかない。
ここで活躍したのは、失礼ながら意外にも彩明さんだった。
「あたしは道に迷った前科がありますし、助手席は頼りになる大人の方がいいと思いますよ。ね、雪花ちゃん、真紘くん。」
「頼りにはならな「そっすね!」
「え、そうかな?」
この言葉のおかげで彼は上機嫌に助手席に乗った。こういうことは雪花さんよりも彩明さんの方が上手いらしい。侮れない。
次に、依頼通り過去の記憶の世界に行くことになるのだが、付き添いは女の子2人がいいとか言い出した。駄々っ子のように我儘を言う彼を、先生が少しだけ別室に連れて行ったと思ったら、なぜか付き添いは先生と俺でいいということになった。
余程彩明さんに聞かせられないえぐいことを言ったのか、それともあの女好きとか軽薄な所に漬け込んだことを言ったのか、真実は分からないままだろう。
それから予定通りにダイブした。
概要は彼から事前に聞いた通りーー、だが、俺は明らかに今までのケースと異なる過去に目を白黒させた。
普通すぎたのだ。
俺が今までに経験したケースは歪な人間関係、どうしようもない病気や環境が殆どで、強いて言えば馬路のケースは珍しかったけども、とにかく自分が考える普通とは言い難い何かが関わっていたのだ。
ただ、金木さんは一般的な家庭で、大きくも小さくもない一軒家で両親も存命、兄もおり、何も困ることなく小中高大学と生活してきた。多少自己中だと思うところはあるけども、友人や恋人もそれなりにいたらしい。周りに恵まれ、甘やかされてきた、故の楽観的な部分だろうか。目的もなくふわふわしているような生活だった。
結局のところ、この国に来る直前には、漫喫での生活も厳しくなっており冬場に公園で寝ていたところ、低体温症により意識不明となったらしい。半ばホームレスだったんだな。
ただ驚いたのは、この世界を見た彼のリアクションだった。
「へー、こんな過酷な状況で生きてるとか俺最強じゃん! ラッキー!」
「「……?」」
思わず先生と顔を見合わせた。なるほど? そういう捉え方もあるのか……?
俺は深く考えないことにした。本人がそう言うならそれでいいんだろう。うん。
そのあとは通例通り、現世窓の確認。
どうやら両親に連絡がいったらしく、見舞いにも両親や、恐らく祖父母や兄夫婦も見舞いに来ていた。幾人かバンドメンバー? らしき友人たちも来ており、随分と周りの人たちには大切にされていたのだなぁと思った。
雪花さん曰く、入院費とかも両親が工面してそうだね、とのことだ。だろうな。
ただ、ここでもう一度俺は驚くことになる。
「んだよ〜。あったかい布団にいられるのはラッキーだけど絶対このあと親に文句言われる。実家戻れとか……。なぁ真紘くん、俺って可哀想だと思わねぇ?」
全く思わねぇし。
俺は頑張って飲み込んだ。
「はは……そっすねぇ。」
「だろだろ?」
肩を組むな肩を。どうせこの場だけだ。
俺は文句が漏れないよう強めに下唇を噛んだ。
そして、最後に度肝を抜かれることになる。
トイレと言って、その場を離れた金木さんを待つ間、俺たちは疲弊した精神を休ませていた。
「ごめんなさい、本当大変な事案持ってきちゃって……。」
「君が気を病むことではないよ。彼はどこに行ってもあんな感じだろうし。」
先生、サラッとひどいことを言った。その通りなんだけども。
「それにしたって雪花ちゃんにも嫌なこと言い過ぎ! ほんっとーにムカつく!」
「そうなんだけど、ここ役所だから抑えて。」
頬を膨らませて憤慨する彩明さんを雪花さんが宥める。相変わらずの冷静さだけどどこか嬉しそうだ。彩明さんが自分の気持ちを代弁してくれたのがきいたんだろうな。
「おまた〜。」
「長かったっすね。迷いました?」
「チッチッチ。違うんだなぁ、これが。」
俺が尋ねるとなぜか得意げな顔で胸を張っていた。何だろう、とても嫌な予感がする。
そんな俺に、金木さんが手渡してきたのは見覚えのあるチケットの半券だった。
そう、それは俺が商店街の抽選で当てた1泊2日の4名様用の旅行券。なんで使用済み? あとは地区外への外出許可証と宿泊許可証。しかも、宿泊予定日今日明日なんだけどどういうこと?
「え、何すかこれ?」
「事務所に置いてあったじゃん? 使わなそうだったから持ってきて使ってやろーと思って!」
いや、確かに事務所にあった。あったけど、先生のデスクに置いてあったはずだ。
「だから、今日俺と女の子2人と真紘くんで行くから俺が手続きしてやったってわけ! 所長さんはいなくなったら困るっしょ? だから、1時間後ここ集合ね! 所長さん、送迎よろしく〜。」
俺が呆然としている間に彼は荷物を取りに一時帰宅してしまった。
彼の背中が役所から出たのを見送ってから、俺はハッとした。それと同時に頭に血が上った。
「あの野郎!」
余程の形相だったのだろうか、珍しく先生と雪花さんが止めてきた。
「止めないでください! 今から追いかければ殴れます!」
「いや堂々と暴力宣言しないで!?」
「そうだよ、アンタらしくない。」
確かに、確かに顔を真っ赤にして怒るまではあるが、制止されれば俺は大概止まってきた。だが、今回は2人を引きずりながら外に向かっていた。彩明さんも加勢したが止まらなかったそうだ。
後から聞いた話、役所の人たちもこの光景には驚いていたらしい。
暴れる俺に、誰かが声をかけてきたのか、さすまたを持たされた千里さんまで引っ張られてきた。
「ちょっと真紘、他の人の迷惑になってる。」
「だって!!」
ここでやっと俺は周りが見えた。
急激に頭が冷え、役所の待合の端っこに連れて行かれた。周りの高齢者からも子どもの喧嘩の行く末を見るような目で見られており居た堪れない。
「君がここまで暴れるの、初めてだよね。というか、君あんなに力強かったんだね。」
「それはどうもっす。」
「褒めてない。」
雪花さんに額を叩かれた。その間に、彩明さんが千里さんに経緯を説明したらしく、千里さんはどこか呆れたようにしていた。
「そんなに旅券使われたのが腹立ったの?」
「当たり前じゃないっすか! だって、みんなで修学旅行みたいにわいわいするの楽しみにしてたんですよ!」
「……そういうこと。」
千里さんはここで大方察してくれたらしい、受付の方に行ってしまった。先生も同じようで、未だ理由を計りかねている2人に話し始めた。
「旅券、4人用だったろう?」
「そうだけど、別に購入したものじゃないんだよね。」
「そこじゃなくて、元々日笠くんは誰と行こうかすごい悩んでたんだよ。」
事務所メンバーと千里さんまたは南条さんだと雪花さんが女性1人になってしまい気を遣わないか、逆に雪花さん以外で行ってしまえばせっかく仲直り? できたのにそれは寂しい。と思っているところに彩明さんも現れたものだからどうする? と、悩んでいたのだ。
それで保留にして先生のデスクに置いていたところ、気づかぬうちに持ち出されていたというわけだ。しかも、望まぬメンバーで申し込みされていた。
不貞腐れる俺の元に、のんびりと歩きながら千里さんが戻ってきた。
「アイツ、余程急かしたのか、申請もう完全に通ったって。しかも、取り消しできない時間ギリギリを狙ったんじゃない? 小賢しい。」
「は、アンタが揉み消しなよ。」
「無茶言わないで。志島さんレベルでも無理だよ。」
千里さんが睨み返さないあたり、冗談でなくお手上げなのだろう。当日の地区外許可申請の変更は当日の12時まで、ドタキャンはできなくはないが色々大変だと志島さんから聞いたことがある。
先生はどうにか断れないかと思考しているようだ。
「……役所職員の前で言うのもなんだけど、本人と地区外の宿泊施設からのクレーム覚悟で断ろう。」
「ごねて甦り無しになる可能性もある。」
雪花さんが少しだけ考える顔をすると千里さんに向き直った。
「真面目な話、部屋の手配とか、チェックインチェックアウト、交通手段はどうにかできる?」
「行きの電車はボックス席、チェックインの時間は変更きかないかな。部屋の手配はもちろん男女別、チェックアウトと帰りの便を1番早くするのはどうにかする。」
「……それなら私は妥協する。東雲、休みは貰える?」
「もちろん、有休だしボーナスも弾ませるよ。」
先生がそう言うと、雪花さんは仕方なさそうにため息をついた。その様子を見ていた彩明さんは慌てて挙手する。
「あたしも、雪花ちゃんが我慢するなら我慢します! あ、でもお休み……。」
「半休にしておくよ。加地さん、明日休みだからどっか変わってもらいな。」
「ありがとうございます!」
相変わらず立場は千里さんの方が上らしい。巻き込まれた彼に同情する。
「俺は嫌です。」
「珍しいね。」
俺が隅の方で体育座りをしていると、先生が傍にしゃがんだ。
だってだってだって。
「この前久々に事務所の3人で飯行って、またみんなで何かできるって思ったのに……。」
「アンタ、そんな風に思ってたんだ。」
「いつだって思ってますよ。」
「やだ、何、可愛い。」
「だろ?」
役所組がそんな話をしているのは耳に入っていない。
俺は周りにしゃがむ2人を睨んだ。
「……先生と、雪花さん、千里さんに南条さん、あと彩明さんが一緒で美味しいお店に連れて行ってくれるなら我慢します。旅券も諦めます。」
「お安い御用だよ。むしろ、それで妥協してくれるの?」
「……仕事なんで。」
「やだ、何で職員じゃないんですか、この子。」
「引き抜く?」
「はい。」
「アンタら黙って。」
役所組の感想を雪花さんが跳ね除けた。
彼女は立ち上がりながら、俺の頭をわしわし撫でた。
「なら、今からちょうど昼だし日笠は斑目のところにあるお泊まりセットでも持ってきな。東雲、荷物取りに行くから送って。」
「うん、ごめんね、僕が行けたらよかったんだけど。」
「日笠がいるし、大丈夫。あんな貧弱に負けないし。」
「あたしも荷物持ってきます!」
あれ、思ったよりあっさり我儘が通ったな?
俺が辺りを見ていると、千里さんが行くよ、と声をかけてきた。
「ま、今回は不幸だったね。」
「ああ……そうなんすけど。」
「何、要望があっさり通ったのが驚いた?」
図星だったため、俺が素直に頷くと千里さんは少しだけ笑った。
「真紘が考えてたことを、みんなもしたかったんじゃない?」
「え、そうなんすか?」
「さあ?」
何だその曖昧な返事。
どん底だった俺の機嫌はほんの少しだけ浮上した。あの人と同じ部屋ってのは気に食わないけど、後の楽しみができてほんの少しだけ頑張ろうって気持ちは戻ってきた。
【おまけ話】
地区外への外出許可は当日12時まで変更可能。その時間以降に変更を申し出ると、申請者と管理課にポイント徴収が入るらしいです。
今回の場合だと申請者4人と、相談課や地区外管理課、加えて申請を行なった斑目もとばっちりを受けることになります。散々ですね。




