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5.木原琴子③

 木原さんは暴走することはなかった。

 瞳に絶望を映し、壊れてしまったかのようにへたり込んでいる。

 はじめは彼女、息子のことを幼稚園児と言っていたが小学生だった。近年のこと丸々思い出せないほどに、ここ最近の暴力は激しいものになっていたということだ。

 俺たちは東雲さんの合図で黄泉の国に戻された。戻るのは一瞬で。俺たちの様子を認めた雪花さんも志島さんも沈鬱な表情だった。


 木原さんの死因はおそらく外傷性の脳出血。

 現状死んでいないということは、誰かが気付き病院に搬送されている可能性が高い。だが、意識障害を呈しており、今後遺症は避けられないだろう。

 東雲さんと志島さんは淡々と話していた。


 俺はというと、何もできないまま木原さんの横に座っているだけだ。


 彼女は生き返ることが正解なのか。

 たとえ甦った所であの旦那の元で今後も過ごすならまた死にかけてしまうのではないか。ならばいっそここで人生を終わりにしてしまう方が彼女のためなのだろうか。

 残念ながら俺にはかける言葉も経験もなかった。


 そうやって何もせずに過ごしていても刻一刻と時間は過ぎていく。

 彼女の手元に映る制限時間は半日もない。決断するには時間が足りなすぎるだろう。彼女の背景を知った今だから言えるが、安易に蘇らせようとした男の所業が無責任すぎると憤ってしまう。


「木原さん。」


 話を終えたらしい東雲さんは木原さんの横にしゃがみ、柔らかい声で話し始めた。


「辛い、過去を見せてしまいました。ですが、あなたは甦るにあたってもう1つ向き合わなければならないことがあります。」

「向き合うこと……?」


 のろのろと木原さんは顔を上げた。

 東雲さんは真っ直ぐに彼女の目を捉えて告げた。


「それは木原さんの今の身体の状態を知ることです。」


 しかし、木原さんはゆっくりと首を横に振るとぽつりとこぼした。


「……いいです。」

「え、」


 俺はつい驚嘆を漏らしてしまう。

 それが引き金になってしまったのか、木原さんはボロボロと涙を溢れさせた。


「だって、生き返った所でまたあの旦那の元に戻るだけなんですよね? それに記憶の限りじゃ、私の周りに味方はいない、助けてくれる人もいない!

 それにね、私、おかしいんです!」

「おかしい……?」


 俺はむせ込む彼女の背中をさすりながら尋ねる。

 木原さんは自分の体を抱きしめるように、震えを無理やり抑えるかのように小さくなる。


「だって、だって。あんなことをされたって、やっぱり悪いのは私で、旦那に一切の非は無かったとしか思えないんですよ! 異常なのに!」

「旦那さんがしたことは、ましてや暴力なんて……。」

「他人のあなた達には分からないでしょう!」


 その言葉に俺は詰まる。

 そう、どうしたって俺は彼女にとって他人だ。

 死を選ぶしかないのか、それが諦めかけたその時だった。



「もし、あなたの身近に味方がいてくれたらどうしますか?」



 そう放ったのは東雲さんだった。


「そんな……いるわけ……。」

「木原さんには見えなかったかもしれない。でも、確実に1人、あなたが苦しんでいたことに気づいていた人はいた。」

「え?」


 信じられない。言葉にはしなかったが、彼女の目はそう語っていた。


「信じられませんよね。でも、今から僕はそれを証明します。」

「嘘……。」

「さぁ、行きましょう。真実を知りに。」


 何でだろう、明確な根拠を言われたわけではない。

 なのに、彼の手の中には正解があるのだと確信できたのは。




 場所を移動した。

 今度は大きなモニターがある『現世窓室』と書かれた部屋だ。

 木原さんをソファに座らせると、東雲さんと志島さんは何やら準備を進めていた。

 泣き腫らした目でモニターを見つめる彼女は放っておけなかった。


 少し悩んだけど、俺は木原さんの横に勢いよく座った。


「何があっても俺、横にいるんで!」

「……あ、うん。」


 八つ当たりしたくなったらぜひサンドバッグに立候補しよう。

 そんなことを考えていると準備が整ったらしい。


 モニターに電源が入った。そこに映し出されたのは、集中治療室で寝ている木原さんだ。穏やかに、静かに眠っている。

 ここから何が分かるのだろう、そう思っていると、モニターの視点が少し横にずれた。


「あっ、純希……。」


 そこにいたのは旦那さんと息子ーつまりは純希くんー、そしてなぜか見知らぬ女性もいた。もしや不倫もしていたのか?

 下世話なことを勘繰っていると、木原さんがあっさり答えを呟いた。


「先生……? 何で……?」


 先生、ということは息子さんの担任の先生か?

 俺も何も言わずに見守っていると、半泣きの純希くんが旦那さんに飛びかかった。


『うわあああん! お父さんがお母さんを死なせたんだ!』

『なっ、純希……!』


 純希くんの言葉に、木原さんも俺も固まった。

 何で知っているんだと。


『お父さんがいっつもお母さんを殴ってたからお母さん、痛くて死んじゃったんだよ! 僕、知ってるんだからね、夜遅くお母さんが助けてって言ってるの!』

『そんな、あれは……お母さんが悪いことするから、』

『お母さんは毎日頑張ってる! お部屋をきれいにして、美味しいご飯を作ってるんだよ! お母さんだってお仕事してるんだよ!?』


 確かに近年では共働き世帯も多く、専業主婦というと楽そうだとかなぜ家事をしないんだと言う人も時にいる。旦那さんはそういう考え方の人なんだろう。

 でも。


『お父さんはそれ以上にお母さんに何をしてほしいの!』


 そうだ。

 木原さんは完璧だった。完璧なのに、それ以上のことを求められた。どうしようもなかったんだ。

 それを息子さんはしっかりと見ていた。


『お父さん、お言葉ですが、息子さんはおうちのことをよく見ていますよ。お母さんの背中には傷があるって言っていました。夜中にあなたが振るう暴力も。あなたが浮気していることも。

 だから、差し出がましいようですが、息子さんが持っていたスマホに私の連絡先を入れさせてもらいました。お母さんがピンチだと思ったら私に連絡してと。』

『……!』

『ここに来る前に警察にも電話しました。それにあなたの近所に住む純希くんの友だちも奥さんがボロボロなこと、気づいてましたよ。』


 やんわりと息子さんを旦那さんから離した。あまりにも躊躇いなく離れ、先生に抱きつくものだから旦那さんはショックを受けたようだ。もう純希くんの父親でいられないと、今更気づいたらしい。馬鹿じゃねぇの。

 そして、先生は涙混じりに息子さんを抱きしめた。


『僕のせいだ。僕がもっと早くお母さんを助けてれば……。』

『ううん、私たち大人が悪いの。純希くんは助けてって言ってくれた。私たちがもっと早くお母さんに手を差し伸べていれば手遅れにならずに済んだ。』

『お母さん、お母さんが死んだらどうしよう! 僕が……僕が……!』

『大丈夫、大丈夫だよ。お母さんは戦ってる。純希くんにありがとうって言うために。だから純希くんも頑張ろう。』


 項垂れた旦那さん、泣く息子さんと先生。

 そこに警察官もやってくる。


 ああ、きっとこれからは大丈夫だ。

 木原さんが思っているより、彼女の周りは味方がいるらしい。俺はその事実に安堵しつつ、こっそりと息を吐いた。


【ケース報告書】


対象者:木原琴子(36)

 5年に渡り、夫による家庭内暴力が振るわれていた。日常的にモラルハラスメントと思われる発言も多い一方で、対象に同情的な言葉をかけることも散見された。外部との交流機会の乏しい対象は洗脳状態に近かったことが窺われた。上記の期間が長く、潔癖や強迫観念も持ち合わせていた。

 本件は、夫が暴力を振るった際に頭部を打撲、くも膜下出血を発症した。身体には保存的加療が為され、後遺症として意識障害および身体障害を呈する可能性がある。

 パンドラの鍵による要因確認後、現世窓を利用。本人の意思のもと決定された。今後は周囲の支援や理解を得ながら心身加療を受けることで社会復帰も可能と思われる。


 以上、報告とする。


報告者:東雲標

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