47.暗夜の灯火を手に
真紘視点に戻ります。
長かったですが、これにて雪花編は終わりです。
2人の関係はどうなるのでしょうか。
何となく落ち着いてきた頃、先生が戻ってきた。
あからさまに不安げな顔であったが、きょとんとする俺を認めるとどこか安堵したように一息ついた。
「無事でよかった。何が起きたか覚えてる?」
「ぼんやりと、っですかね。」
俺は男性が雪花さんを襲うと直感した。
だから、俺の頬を抓る彼女の手を思い切り引き、跨ぐようにして位置を替えた。それと同時に男性の手にナイフがあるのが見えた。
振りかざされ、咄嗟にその手を掴もうとしたが少しずれてナイフ自体を握った。不思議と痛みはなく、俺はそのまま相手の腕を掴んだ。
正直身長は俺より大きかったけど、あんな細身の男に負けるわけがない。俺はそのまま自分の身ごと男を突き飛ばした。
覚えているのはそこまで。
それから、俺は気づいたらここにいた。
「君ね、傍目から見たら、突き飛ばした反動でナイフに刺されたように見えたんだよ。」
「マジですか!? いや、でも無傷ですよ?」
しかも、問題は前後の記憶がぼんやりしているということだと思う。
「相手を押し倒した時2人して頭を打って脳震盪を起こして気を失ったみたい。掌は怪我してるけどね。」
なるほど納得。
だが、掌など怪我をした覚えがない。実際に見てみると包帯をぐるぐる巻きにされていて驚いた。幸い浅く縫うまではいかなかったそうだ。良かった。
ただ、藤堂さんの時に怒られたことを考えると怒られてしまうのかなと肩をすくめる。
それを先生は察したのか、仕方なさそうに微笑んだ。
「今回に関してはベストな選択だったと思うよ。君が傷ついたのは誠に遺憾だけど。」
「なら、今度護身術とか教えてくださいよ。」
先生がえぇ、なんて言っていると、俺の腰が何度か雪花さんにより叩かれた。滅茶苦茶鋭く睨みつけてくるけど目元が真っ赤であんまり怖くない。鼻を啜る彼女はどこか幼く、不謹慎にも可愛いなと思ってしまった。
「アンタ、馬鹿だよ本当に。この国じゃ人は死なないの、知らないの?」
「いや、それは知ってますけど……。」
「なら、私を庇わなくても大丈夫なことだって分かるでしょ? ……それに私は痛いのなんて慣れてるんだからアンタは知らなくていい痛みだよ。」
突き放す雪花さんは真っ直ぐに俺を見つめる。
普段ならこんな美人さんに見つめられて、と照れそうな場面だが、その瞳があまりにも悲しくてそれどころではない。
雪花さんは震えながら息を大きく吐くと驚くべきことを言った。
「私は生前、たくさんの人を殺めた。女性に卑劣な行為をしてきた男や実の両親への制裁だった。」
それから、雪花さんの現世での生き方、罪の内容、黄昏探偵事務所に来てからの経験、晴間さんへの想いを聞いた。
手にかけた人数は分からなかったそうだ。気づいたら切り裂きジャックと呼ばれていた、と。
「私が斑目を嫌うのは、身勝手な理由。でも、結局のところ嫌いでいることを許してくれるアイツに甘えてるだけで私は弱いままで変われてない。」
顔を覆った雪花さんは肩が震えていた。
「……もう嫌なの。自分のために誰かが傷つくのは。日笠だって大切な後輩なんだよ。晴間の時も思ったけど、それなら自分が傷ついた方が、罪を重ねた方がまだマシだよ。私にはそれしか浮かばない。」
雪花さんの泣き声と沈黙が場を包む。
彼女の犯した罪と苦しみの重さは想像し難い。俺にはもしかしたら一生理解することができないのかもしれない。
でも、ーー。
「俺だって雪花さんが傷つくくらいなら自分がって思いました。だから、俺も飛び出しました。」
「……雪花さんと、同じだね。」
さすが、先生。俺が一瞥しただけで欲しい援護をくれた。俺たちの言葉を聞いた雪花さんは明らかに困惑の色を見せた。
「俺も弱いってなりますかね?」
「そんなわけない。アンタは……強いよ。」
「なら、雪花さんも強いです。」
彼女は驚いた顔をした。そんなに予想外なのかな。
「俺は雪花さんじゃないから同じ立場だったとしてどうなったかは分からないけど、たぶん人生のどん底ってなった時に自力で立ち上がって、そんでもって人を助けるなんて選択はできないと思います。」
「そんな……アンタならきっともっと上手く立ち回れただろうし。大体、この国に来てからだって晴間や、みんながいてくれたから。」
「なら、これからもそれじゃ駄目なんすかね。」
先生なら相談から説得、実力行使だって何も心配はいらない。南条さんだって顔の広さや物事の采配は天才的だった。千里さんもあんな感じでも雪花さんを案じている、と願いたい。
俺だって、現世のことを知って冷静になれるか分からない。
でも、そんな時にはきっと頼りになりすぎる彼らは嫌と言っても首を突っ込んでくれる気がする。もちろん、雪花さんも含めて、だ。
「頼りないかもしれないっすけど、いつか、雪花さんが頼ってくれたら俺は嬉しいです。」
雪花さんは丸くしていた目からボロボロ涙をこぼす。
傷ついてしまうのではないか、そう思ってしまうくらいに強く下唇を噛んでいた。
「……もう頼りになってるよ、バカ。」
「それならいいんですけど。」
それから何も話さなくなってしまったが、どこか蟠りのとれたような気がして俺は口角を上げてしまった。
神様の力はすごい。翌日になったら傷は治っていた。
いつも通り俺が朝早く行くと、珍しく先生が先に来ていた。
「おはようございます! 珍しいっすね。」
「おはよう。怪我の具合はどうかな?」
「全然問題ないっす!」
俺がグッパグッパとすると、先生は安心したように笑った。俺は荷物を置き、掃除道具を手に取りながら軽い気持ちで尋ねた。
「でも、何でこんな早くいるんすか?」
何か仕事忘れだろうか? 先生に限ってそれはないよなぁ。
その時、先生が渋い顔をしていたことなど全く気づかなかった。
「……君が、晴間くんのこと、知りたがっていたって南条さん達から聞いていてね。」
思わぬ言葉に俺は手をぴたりと止めた。
俺が先生を見ると、あの時の南条さんや千里さんと同じ固い表情を浮かべていた。
「君が知りたいなら話すつもりだよ。……正直な所、君に知ってほしくなかっただけなんだ。ごめんね。」
「……なら、別に話さなくていいっすよ?」
「え、いいの?」
俺がはい、と頷くと先生は虚をつかれたような顔をした。先生が珍しい。俺はちょっと嬉しくなってしまい、つい、んふと変な声が漏れてしまった。
先生は言葉を選ぶようにしつつ少し眉をハの字にした。
「心境の変化の理由を聞いてもいい?」
「……俺、昨日考えたんです。これからも助手なんですけど、本当に困った時は頼りになる同僚でもありたいなって思ったんです。なら、まずは先生達が話したいなって思えるまでのレベルアップと待つ余裕を持った大人を目指そうと。」
「ぷっ。」
突然背後から笑い声がした。
え、と焦って振り返るといつの間にか出勤していた雪花さんが下を俯いて肩を震わせていた。
「おはよう。アンタが大人なんてまだ早いよ。」
「ちょ、聞いてた上で否定っすか! おはようございます!」
目元が少し赤い。でも、ここ最近で1番顔色はよく俺は内心で安堵した。
「でも、晴間の件に関しては……そうだね。私たちもちょっとだけ気持ちの準備期間がほしいし、安易に話していい内容でもないから少し時間を貰えると助かる、よね? 東雲?」
「うん……まぁね。」
「だから、アンタはもう少し時間をかけて大人になりな。」
ぽんぽんと頭を撫でられる。最近距離をとられていたせいか、滅茶苦茶嬉しい。でも、絆されているのも否めない。
たぶん、拗ねているように見えたのかな。雪花さんが顔を覗き込んできた。うわ、顔よ。
「でも、頼りにしてるよ。これからもよろしくね。」
「う、ぉっす!」
「何それ。」
あー、狡い。たぶんこういうとこ子供扱いされてんだよな。
「俺、表掃除してきます!」
「いってらっしゃい。」
俺が大股で表に出るのを大人2人が見送る。
まぁ、2人のあんな表情を見られるならいいか。俺は2人に見えないようにしながらにまにましつつ、晴れた空を見上げた。
【おまけ話】
かつての雪花と斑目の飲み会でも、案の定雪花が潰れたのですが、その時は東雲達の連絡先も知らずバイクも無かったため、志島さんに住所を聞いておんぶで送ったそうです。翌日、全身筋肉痛で初めて仕事をサボり、家から仕事をこなしました。殴られたことより苛ついたそうです。




