35.限界は目の前に
あれから数日、雪花さんとはあまり会話がない。
まともに会話したのは業務に関わることと、豊橋さんの事案の翌日の会話だけだ。
「日笠。」
「雪花さん、俺、」
「【罪人】ってこと隠しててごめん。ついでに言うと私、故人だから。」
え、そうなの?
俺が呆気にとられていると、彼女は矢継ぎ早に告げた。
「今更人の命を奪おうとかは考えてないから安心して、って言っても無理だよね。大丈夫、仕事は今まで通りするから。」
じゃ、と1人で買い出しに行ってしまった。
それからというもの、今までは買い出しも時々2人で行っていたのにいけなくなった。やっと3人でご飯も食べに行けたばかりなのに。仕事の合間や掃除の時に冗談言い合ったりしていたのに。
それが元通りどころか、一気に距離を置かれてしまった。
先生もどうにか2人で話す時間を作ってくれようとしていたみたいだが、お灸を据えられたのか、アプローチはできなくなってしまったようだ。
せっかく仲良くなってきたのに。
買い物だって楽しかった。なのに。
あー、マジで何であそこで動けなかったんだろ!
俺が自室のベッドでもだもだしているとけたたましい音でスマホが鳴った。
「はい、もしもし……。」
『何、落ち込んでんの。』
「千里さん!?」
意地悪い声が聞こえた。
「会いたかった……!」
『は、気持ち悪い。切る。』
「待って待って待って! 気持ち悪いことは認めるんで!」
『……切らないよ。』
電話の向こうで千里さんは笑っていた。
だが、どこか疲れているような気がした。顔を見てないから何とも言えないけれども。
『何、また妙な事案を担当した?』
「まぁ、妙っちゃあ妙なんですけど……。そんなことより、俺この前初めて雪花さんが……。」
俺はハッとして口を閉ざした。
もしかしてあれだけ仲が悪かったら知らないとかあるか? それとも、【罪人】であることが原因で仲が悪いとか?
俺が悶々と考えていると考えを読んだかのように、あっさりと千里さんは答えを述べた。
『もしかして【罪人】のこと? やっと言われたんだ?』
「やっと、って知ってたんですか!?」
『まぁね。というか、俺が雪花と仲悪い理由その1だから。』
「その1ってその2とか3もあるんすか?」
『あるよ。』
あるんかい。
相変わらず波のない声だ。
『たぶん、【罪人】であることを真紘に知られたことがショックだったんでしょ。もう少し時間をおいた方がいいよ。あの人、そういうところ繊細で面ど……大変だから。』
「ごまかせてないっす。」
『というか、東雲さん、お前が雪花を【罪人】て気づきそうになる仕事は避けてたような気がしたんだけど運が悪かったんだね。』
大して気にした様子もなく千里さんは疑問をぶつけてきた。確かに雪花さんと並んで【罪人】を対象にした仕事はしたことがなかった。
「うーん……。南条さんからの不意な依頼だったんで何とも。」
『ああ、あの人。間が悪いからね。責任は後々とってもらおう。』
千里さんと南条さんも顔見知りか。
とりあえず、雪花さんのことには時間が必要らしい。俺は待つしかないようだ。
「あ、そう言えば千里さんがわざわざ電話してきたってことは急ぎの用事ですか?」
『急ぎ、というか志島さんに聞かれたくない内容なんだよね。今1人?』
「はい、うちにいますよ。」
よかった、と電話の向こうで安堵の息が漏れる。
どうしたんだろう。千里さんの声がワントーン低くなった。
『……志島さんのことと加地さんのことで相談したいことがあって。3人で、明日中に俺の家に来てほしいんだ。志島さんをはじめ役所の人間にバレないように。』
「それって難しいんじゃ……。」
3人が事務所を出るということは、すなわち探偵事務所を休みにするということ。明日は元々休みだから問題ないが、時折急を要する仕事が飛び込んでくる可能性があるため、役所に依頼をしないよう申請をする必要がある。
つまりは役所に情報が行かないようにするのはほぼ不可能ということだ。
千里さんほどの聡い人間がそれを失念しているとは到底思えない。だが、電話の向こうの彼は引き下がらなかった。
むしろ聞いたことのない声が漏れてきた。
『それは分かってるつもり。でも、お願い。』
千里さんがそこまで言うなら必要なことなんだろう。
無駄なことはしない人間だ。
「……分かりました。お願いしてみます。」
『ありがとう。……雪花のこともあるのに無茶なこと言ってごめん。』
「大丈夫っすよ。友だちの頼みなら!」
電話口の主が笑った。
俺は電話を切ると、すぐにグループチャットに連絡を入れた。先生は二つ返事で了承してくれたけど、雪花さんは少し渋っていた。だけど、志島さんに知られたくないことらしい、と言ったら何故か了承してくれた。
翌日、俺たちは揃って千里さんの家を訪ねた。
管理人さんには話が通っていたのか、俺の顔パスでちゃんと裏から入って役所職員にはバレないようにした。
「へぇ、斑目の奴結構いい所住んでるんだ。」
「役所職員は給料いいからね。僕も初めて来た。」
「え、俺入り浸ってるんすけど。」
「斑目くんの部屋なんて来たことがあるの、君くらいじゃないかな。」
え、そんなレアだったの?
会って2日目くらいで泊まる? みたいなこと言われた気がするんだけど。
ちょっとだけ優越感に浸りながらチャイムを鳴らすと足音ともに扉が開く。
顔を覗かせた千里さんは眼鏡、つまりは前に見た忙しいモードだった。キッチンはここしばらく使った形跡がないようで、あまり食べていないことも窺えた。
「ようこそ。何もないですけど。」
「おはようございます。少しつまみも買ってきたから食べてください。」
「ありがとう。」
「お邪魔します。」
「……お邪魔します。」
2人も律儀に挨拶をして入る。
室内ではパソコンがずっと起動しているようで、ノートパソコンがリビングまで進出している。
換気をしつつ、それぞれ飲み物を入れると、顔を洗ってきたらしい千里さんがリビングに戻ってきた。
「アンタ、仕事行ってるの?」
「仕事はしてるけど、俺は殆ど行ってない。AIに任せてる。」
「それで成り立つ所が君の凄い所だよね。」
「そこは今更でしょう?」
千里さんはあっさり言ってのけると、ノートパソコンの画面を俺たち3人に向けた。
早速本題に移るらしい。俺たちは素直にその画面を見た。
「改めて、来てもらってありがとうございます。
今日は報告と相談があって呼びました。まずは、役所の職員、加地さんのことです。」
「加地って謹慎がどうとか言ってた?」
「そうっす。」
加地さん。
役所の職員で、ネグレクトされていた【半生人】・相澤玲夢ちゃんの事案に俺が巻き込まれるきっかけとなった張本人。
仕事が忙しすぎて、という理由で黄昏探偵事務所に駆け込んできた。だが、蓋を開けてみれば彼女と電話したり仕事を他人に押し付けたりしてサボるわ、緊急事態に腰抜かすわ、でとてもでないが尊敬できない大人だった。
その事案をきっかけに暫く謹慎処分とされていたが、先日謹慎が解けたと本人から聞いた。
「でも、この前本人に会って話しました。ここ暫く変で定期的に電話しなきゃとか【半生人】に係る仕事をやっちゃダメとか思い込んでたって。」
「……それはまた不思議なことを言っていたんだね。」
探偵モードになった先生は顎に手を当てながら訝しげに呟いた。だが、千里さんは違った。もう少し先の情報を持っているようだ。
「そこまで聞いたんだ。他に彼にかかってた疑惑って覚えてる?」
「疑惑……ってか、電話先の人間に個人情報漏えいしてた気がします!」
「それ、報告したの?」
「忘れてました……。」
ああ、気まずくても雪花さんの視線怖い。背中に突き刺さる視線を知らんぷりする。
ただ、千里さんが言いたかったことと被っていたらしく、彼はそれ、と呟くだけだった。
「実は、ここ最近【半生人】対象者リストっていうのが誰かに漏れたんです。加地さんのアカウントからね。」
「……それは加地さん自身がやったってこと?」
先生が尋ねると千里さんは首を横に振った。
「アクセス履歴は巧妙に隠してありました。俺がそのことを報告したので、監査で尋問されたみたいなんですが、当の本人は知らないの一点張り。でも、確かに加地さんではなし得ないプログラムが組まれていました。」
「……君のセキュリティを突破して外部に持ち出せる人間はそういないだろうし。」
「はい。腹が立ったのでもっと厳重にしました。」
もし今千里さんが甦りしたら役所の重要機密データに誰もアクセスできなくなってしまうのではないだろうか。
「それと、監査の記録、読んでみてください。」
加地さんを知る俺と先生はここで首を捻ることになる。
加地さんといえば仕事をしないという印象だったけど、監査記録に書いてある彼は入職当時は仕事のできる人だったようだ。
「【半生人】にもかかわらず彼は厳しいテストに受かり、窓口業務に長らく勤めていました。それがここ数ヶ月で総務内勤への異動、情報漏洩の疑惑や業務怠慢の報告が出現。明らかにおかしいですよね。」
「……そうだね。何かきっかけは?」
先生が聞くと、千里さんは腕を組んで難しげな顔をしてしまう。
「はっきりと言うなら掴めてません。ただ、監視カメラのハッキングがてら俺の組んだプログラムをくぐり抜ける輩を探してみたんですが、成果はない。つまりは、役所職員は白の可能性が高いと思います。余程高度な技術を有してなければ、ですが。」
あの悪い行動の裏にはそんな思惑もあったのか。
本当に侮れない人だ。
「そのことに関しては、例の件に関わる可能性があるので引き続き確認する予定ではありますが、その調査の中で俺はふと思ったんです。
結構な悪いことをしているのに表面化しなかったのは何でだろうって。」
「……ポイントの減点で済んでたからってわけではなくて?」
雪花さんの疑問には先生が答えた。
だが、その返答には先を読んだ答えもついてきた。
「本来なら異動とか処罰とかの対象になるだろうね。なら、上司が一部責任を負ったって可能性が高い。
……ここで志島さんの話が出てくるわけか。」
ん、どういうことだ。
俺は少しばかり悩んだが、珍しくすぐに理解した。
「志島さんが加地さんの減点を肩代わりしたってことですか!? え、可能なんすか?」
「そ。役所の特殊な部分、仕事上の過失に対する処罰は申請で行われる。例えば役所で暴行罪、とかになったらその加害者が減点されるわけだけど、仕事上の情報漏えいとかは、申請で判断される。」
「なら、その加地って奴の減点を肩代わりしてたってわけ? 意味分かんないんだけど。」
雪花さんの指摘はごもっともだ。俺だって意味が分からない。
そして、雪花さんは容赦なく追撃を喰らわす。
「というか、アンタ達役所の人間は誰も気づかなかったの?」
「……情けないけど俺は気づかなかった。」
「まぁ、アンタはいいよ。加地のこと興味ないでしょ。」
「今回は言い返す言葉がない。」
珍しくあっさり言いまかされてるものだから、俺がしげしげと見つめていると、千里さんが裸足のまま俺の足を摘んできた。器用だな、というか痛いわ!
俺たちが戯れている一方で先生は無言でノートパソコンを睨んでいた。
そして、何か答えが出たのか呟くように言った。
「ただ、他の人も気づいてたとしても面倒見いいな、くらいだと思うよ。この数値を見なきゃ異常には気づけない。」
「それって何のグラフ?」
「……推定、志島さんのポイントの変動だろう?」
先生がそう言うと千里さんが頷いた。
三次関数みたいな波を描くグラフに接線を記すかのように千里さんはなぞる。
何か数学の授業を聞いているみたいで頭痛くなりそう。
「このグラフは志島さんのポイントの変動を示している。この斜め線はいわゆる、成仏のために必要なポイント。これを上回れば、成仏できる。」
だが、志島さんのポイントが上回ることはない。
なぜ? というか0ポイントと下降気味の斜め線の距離がとても近い。
「志島さんはたぶんそろそろこの世界に来て1年。多くの人間は成仏する時期だ。というのも、成仏までに必要なポイントが日を追うごとに減るって言われているから。」
「じゃあ志島さんもいつ成仏してもおかしくないってことっすね。というか、この場合ほぼ0ポイントになるんすけど。……業の証がつく、なんてことは、」
「あるね。」
何の罪も犯していないのに、あの時の馬路のように苦しまなければならないのか。
想像しただけでゾッとした。
雪花さんは理解できないと言わんばかりの顰めっ面、先生は何か思考を巡らせているのか言葉少なだ。
そんな俺たちに千里さんは真剣な顔で向き直った。
「ここからが、3人を呼んだ理由、いや俺個人の依頼です。」
先生が促すと千里さんは頷いた。
「志島さんを、調べてもらえませんか。」
少しだけ緊張を帯びた声音。
ただ俺には他の感情が混ざっているように思った。
もちろん緊張は言うまでもなく。ただ、他に千里さんがひどく迷っているように見えたのだ。
明日は夜上げかもしれません。
よろしくお願いします。




