34.豊橋芳司②
取り調べ回です。
先生はまず豊橋さんの後ろで控えていた監視員を部屋の外に出した。
それから、なぜか南条さんのことも追い出した。記録員なら俺じゃなくて顔見知りの南条さんの方がいいのでは、と思ったけど。荷が重い。
雪花さんのこともあるが、まずは目の前のことに集中しなければ。
「ごめんね、たくさんの人に囲まれて圧迫感あったよね。豊橋芳司さんだったよね。25歳か、僕とあまり変わらないね。」
先生がタメ語でいくなんて珍しいな。
俺は録画と並行して打ち込みつつそんなことを考えていた。あれ、もしかして南条さん打ち込み遅いとかかな。
「東雲さん……でしたっけ。」
「そう。僕は28歳、彼は17歳だよ。」
「そういえば名乗ってませんでした! 日笠です。」
「名乗ってなかったの?」
珍しく目を細めて俺の方を見た。
それに気づいた豊橋さんは慌てて口を開く。
「差し出がましいようですが、怒らないでください! 僕のせいなんです。僕が矢継ぎ早に勝手に話してしまったので……。」
「いえいえ、気にしないで。彼もまだまだ勉強させていただいている身、胸を借りるつもりでお話しさせていただけると、ね。」
「はい、よろしくお願いします!」
「僕なんかで良ければ……。」
さっきまでは話しかけないで、なんて拒否されていたのに先生の手腕は凄い。
俺は改めて一礼すると、席についた。
「でも、お若いのに凄いですね。3つしか変わらないのにしっかりされて、部下、っていうんですか? 彼のことも面倒見て……。」
「ふふ、僕は引きがいいみたいで、彼みたいないい子がついてくれることが多いんだよね。彼はまだまだ駆け出しだけど、教え甲斐がある子だよ。」
数十分続く、全く豊橋さんのことに触れない何てことのない雑談。
だが、それで見事に彼の懐に潜り込んでいく。時々先生から振られる話題に答えつつ、会話を聞いていると、どうやらこの短時間に先生は豊橋さんの優位に立つことに成功している。
加えて豊橋さんの緊張は少しずつ解れ、彼から俺に話しかけてくることもあった。しかも驚きの話題を自ら振ってきたのだ。
「日笠くんは、探偵事務所の助手ってことは甦ったらそういう仕事に?」
「俺っすか? 俺は……絶対無理です。」
「ちょっと。」
「だって先生の手腕見てそう思えるわけないじゃないですか。俺はどうしようかな、運動ばっかですからね。」
「あはは。後輩潰しですね。」
「こういう口だけは回るんだよね、全く。」
ペンで背中を突かれた。
ヴッと小さく唸ると、先生と豊橋さんは笑っていた。
「僕にも、先生がいたり、反対に慕ってくれている後輩がいたら何か変わったんでしょうかね。」
「仲のいい先輩や後輩はいなかったんですか?」
「……残念ながら。子どもの頃から、卑屈で、断れない性格だったからカースト上位の同級生とつるんだり、勉強頑張って教師に媚を売るしか、安寧に生きる道がなかったんです。」
肩をすくめて、豊橋さんは話す。
「はじめは、機嫌とりで付き合っただけなんです。煙草を吸ったり、飲酒したり。でも、だんだんエスカレートしていって万引きとか、喧嘩とか。
断ったら先生や親にバラすぞって脅されてズルズルと。」
「……大学とかで縁は切れなかったんですか?」
「アイツが僕の親とも仲良くて。切るに切れなかったんです。」
思ったよりも主犯の男は囲い込みが巧妙だったのだろうか。それから大学では特殊詐欺を中心に手を汚していたらしい。
それにしても話を聞く限りだと、自己保身の弁が多く、あまり罪の重さを感じていないのでは、と思ってしまう。
ただ、そんなことを考えると、どうしても過るのは雪花さんの寂しげな背中で、それ以上思考を飛ばすことはできなかった。
「社会人になっても、それは変わりませんでした。社会人になったらなったで、アイツも人脈や権力を携えて、やることも大規模で、巧妙になっていったんです。」
そして、逮捕のきっかけになる事件が発生した。
先生は相変わらず、穏やかな表情で聞いているけど腹の奥ではどう思っているんだろう。顔は知らずとも、同じ警察官がひき逃げされたんだ。心中は穏やかでないだろうに。
それを知ってか知らずか、豊橋さんは自分の罪を次々と明らかにしていく。
罪を濯ぐとかどうでもよくて、本当はただ聞いてほしかっただけなのかな。ちょっとだけ同情する。
「僕は無理矢理巻き込まれただけなのに散々です……。そのせいでどうしてもカッとなりやすいところもあって。今回は施設で共にしてきた知人を殴ってしまうなんて……。本当に、これからどうすればいいのか。」
ここで、先生の纏っていた空気が変わった。
上がっていた口角は静かに下がった。
「その前に、貴方は自分がどんな罪を重ねたか、分かっている?」
え、と豊橋さんは目を見開いた。
真剣な表情をして、紙に何かを淡々と書いていく。
「君は学生時代に未成年喫煙禁止法、未成年飲酒禁止法を犯している。そして、万引きは窃盗罪だよ。」
「でも、学生なのにどうすればいいかなんて……。」
「それでも罪は罪だよ。」
豊橋さんはぐっと押し黙る。
「学生じゃあ、確かに周りからも信頼の厚い多数に抵抗するのは難しいよね。」
「そ、そうなんです!」
「なら、社会人になってから振り返るチャンスは沢山あったんじゃないかな。」
あ、一気に攻め落とす。
俺は記録に集中する。
「万引きをされたら被害を受けたお店は損失を被る。個人商店なら倒産に関わるかもしれない。特殊詐欺だって、被害者はかけがえのないお金を自分の大切な人のためにって想いを踏み躙られた上で、奪い取られたのかもしれない。
君が殴られた人は誰かの大切な人かもしれない。君が人を轢くことで、その人は大切な身体や職を失ったかもしれない。
そういうことを考えたことはある?」
でも、とか、だって、とか、豊橋さんは吃り続ける。
先生は視線を一切逸らさない。
「君の立場を考えると難しいことは分かるよ。でも、先生にも、両親にも、友達にも言えなかった? 大学生や社会人になってからこっそり警察に行くことはできなかった? そんなに警察は頼りなかった?」
そんなことはないだろう。
だって逮捕された時には警察に気づかれて一網打尽にされてしまったのだから。捕まったあとだって後悔や反省の時間はあったはずだ。
それに漫画の読みすぎ、なんて言われるかもしれないけど、主犯の人が調べて安全だと判断したルートに警察がいたということは何らかの対策はとられていたのだろう。
「それに勘違いだったらごめんね。君は手伝って何も得たものはなかったの?」
豊橋さんの身体が固まった。
彼は多分、犯罪の片棒を担いで、飲酒や喫煙を楽しんでいたんだ。万引きした品を得ていた。詐欺で稼いだ金を小遣いにしていた。暴力を振るうことで優越感を得ていた。
「……だって、損ばかりじゃやってられないですよね。それに話せないんだから手で教えるしか。」
「だからと言って、他人に損を与えていい理由にはならない。話せないことが暴力を振るっていい理由にはならない。」
「なら、僕はどうすれば……。」
「今みたいに、話せばいいんだよ。」
そう言った先生はひどく優しかった。
豊橋さんは驚いたような表情を浮かべる。
「さっきまで、僕たちと何てことのない会話をしていたじゃないか。それに今までだって南条さんや施設の知人さん、ボランティアの方と話してきたんだろう?」
「そっすよ、俺とも普通に話してくれた!」
「そ……そう?」
豊橋さんが不安げに聞いてきたから、俺は必死に頷いた。
「豊橋さんは、これが嫌なんだよって自分の胸の中に溜め込んでしまうことを口にする練習が必要なんだ。他人に伝えることで、好転することはあるかもしれない。」
先ほどまでの冷静な声音とは一転。寄り添うような言葉だ。
「同時に、誤ってしまったことを自覚する練習も必要だ。」
受けてくれるよね、カウンセリング。
先生がそう言うと、豊橋さんは静かに頷いた。
警察の人に経緯を報告し、手続きを済ませた。
南条さんが入ってくると豊橋さんは礼を述べ会釈をしていた。引き続き、かわたれ事務所が支援するそうだ。
挨拶を終えると南条さんは笑顔でこちらにやってきた。
「さすがの手腕だな!」
「いえいえ。相手によりけりですよ。」
「それにしたって日笠もいいアシストだった。」
大きい手で、まるで犬を撫でるように乱雑に撫でられる。
「そう言ってもらえて嬉しいですけど、南条さんの方が良かったんじゃ。」
「いや〜。豊橋の場合だと歳下で素直に話聞いてます〜って雰囲気が出る奴が同席した方がいいと思ったんだよ。東雲もだろう?」
「はい。実際警察でも補助官って大切ですからね。」
そんな重要な役任せてもらえるなんて。
今更汗が噴き出てきた。
いや、そんなことより俺には聞きたいことがあった。
「それよりも、あの、さっき豊橋さんが言ってた……雪花さんが犯罪者って、嘘ですよね?」
俺が疑問を口にすると、先ほどまで談笑を続けていた2人から笑顔が抜け落ちた。
ここで初めて2人が俺に気を遣って笑顔でいてくれたことに気がついた。何だかな、やっぱりこういうところで自分は子どもなんだなと思ってしまう。
先生と南条さんは視線を交えた。南条さんは小さく挨拶をするとその場から去っていった。
この場には俺と先生の2人きり。黄昏探偵事務所の問題なのだと思い知らされる。
先生はゆっくりと諭すように教えてくれた。
「豊橋さんが言っていたこと、それは事実だよ。」
雪花さんが犯罪者。
しかも、『女版切り裂きジャック』と言っていたということは、彼女が犯した罪はほぼ間違いなく殺人。よくて未遂だ。
「今まで黙っててごめん。君と出会って間も無く、雪花さんと相談したんだ。でも、彼女がそう望んだんだ。君とはただの先輩後輩でいたいって。伝えるのが怖いって。」
「……。」
「詳しくは僕の口からは話せないけど……。でも。」
「大丈夫です。今の雪花さんが無闇に人を傷つける人じゃないってことくらいは分かります。」
知ってる。
だからこそ、悔しかった。
豊橋さんに言われた時、すぐに彼女に手を差し伸べられなかったこと。今言ったことを伝えられなかったこと。
その代償か、翌日の勤務から雪花さんと俺の間には少しだけ距離が開いた。物理的な距離もそうであるが、何より心的に壁ができてしまった。
まるで、出会った時の豊橋さんのように、自分が抱えている罪に俺を近づけないようにしているかのようだった。
【ケース報告書】
対象者:豊橋芳司(25)
職業:会社員
罪状:喫煙、飲酒、窃盗罪(万引き)、詐欺罪、危険運転致死傷罪、強盗罪、暴行罪
学生時代の知人とともに上記犯罪を繰り返していた。
元の性格も相まってか、自己保身が強い傾向にあり、罪の意識はあるものの一部罪状を認めなかった。
だが、彼にも反省の意識はあったため当方事務所では支援を行っていた。
罪の濯ぎは順調であるように思われたが、『パンドラの鍵』が出現した際にある知人がかけた言葉がきっかけで感情を昂らせ、パニックを起こしていた。当方事務所では対応が困難と判断し、黄昏探偵事務所の東雲氏に応援を依頼した。
東雲氏は彼の話を傾聴しつつ、彼が犯した罪について説明し、今後の過ごし方に関して教諭した。一時的ではあるが落ち着きを取り戻した対象は死を選択した。そのため、保護施設に籍を置きつつ、業の証を消すために専門の機関においてカウンセリングを受けることとなった。
果たして地獄堕ちまで時間が足りるか否か、判断しかねるが、彼が罪を濯ぎ終えることを祈るばかりだ。
以上。
報告者:南条秀水




