31.先生のご趣味?
今日は藤堂さんの見送り。
午前仕事して、午後は事務所を休みにして3人で見送りだ。同業っぽい人たちも集まっており、彼の人の良さが窺える。
結局のところ、昨日のプールの件は不可解な謎が残ってしまった。
あの人工波が発生したのは機器の誤作動。だが、誤作動では済まないことがあった。それは本来貯水タンクに水は溜まっていないはずであったのだ。それがなぜか溜まっていた。
管理人さんが担当者に確認した所、その担当者はいつもと違う様子だったらしい。普段より少しぼうっとしているような。
しかし、今日の午前、再度聞いてみると普段と同じしっかり者に戻っていたそうだ。彼の話では昨日どことなくふわふわしている時間があったそうで、理由は分からないが、なぜか貯水設定を行い、機械の作動ボタンを押したような気がすると、何とも曖昧な供述をしたそうだ。
結局警察も来て証拠確認が行われたが、指紋も彼のものしか無かったそうだ。一方で罰としてのポイントの減少はほんのわずか、悪意をもって行われたわけではないらしい。
ただ気になることを言っていた。
同僚に何かを話されてから、体調が悪くなった気がすると。加えてその同僚の名前を確認したが、役所に登録されていなかった。つまりは【罪人】? それに関しては誰も知らなかった。
管理人さんに確認したが、その同僚とやらはいつのまにか辞めてしまっていたそうだ。
ひどく後味の悪い事案だったように思う。
雪花さんは何か心当たりがあるみたいだったけど教えてくれなかった。
先生に聞いてみたら、時々こう言った不可解な事件はあるそうで、警察や、場合によっては神官が対応するそうだ。被害が多ければ、地獄に落とされるそうだし。
とりあえず、目の前の藤堂さんはスッキリした表情で帰れたようで良かった。
知り合いでも、知り合いでなくても、笑顔で帰る様子を見送ることができるのは嬉しい。
俺は役所のフロアを通る時、あたりを見回す。
どうやら千里さんは今日も表にいないらしい。最近連絡もあんまりとってないし。あの人またもっさりしてんじゃないかな。
「どうしたの?」
「いや、最近千里さんに会ってないなって。」
「近々事務所に来るって言ってたよ。何か調べてるみたいだけど僕も詳しくは聞いてないんだよね……。」
相談してもどうしようもないんだろうけど、寂しいなぁ。
俺がそんなことを考えていると、雪花さんが振り向いた。
「もう解散でいいよね。」
「うん。じゃあ僕も出るけど日笠くんはどうする?」
「うーん、一応顔出してみます。」
わかった、というと2人は出て行ってしまった。
俺は顔見知りの職員ー玲夢ちゃんの事件に一緒になったおばちゃんーに声をかけてみたけど、特に芳しい結果はなかった。
やっぱり仕事場には顔すら出していないようだ。
俺が肩を落としていると、おばちゃんが申し訳なさそうにした。
「ごめんなさいねぇ。あの子いなくても仕事できるから誰も文句言わないのよ。」
「大丈夫っす。」
「あれ、真紘くん?」
ん、聞いたことのある声?
俺が振り向くと、そこにいたのは加地さんだった。
え、謹慎解けたのか。
「加地さん、謹慎解けたんすね! 反省したんすか!」
「久しぶり。相変わらず容赦ないな〜。」
反省したよ、なんて笑っている。
本当かな。俺がジト目で見ていると、加地さんは申し訳なさそうに肩をすくめた。
「流石に今は真面目に……、というか、俺あの頃どうかしてたんだよな。いや、仕事がしんどくて君らに手伝ってもらおうって思ったのは俺の本音なんだけど。」
「どうかしてたって、勤務中に彼女と電話してるとか本当どうかしてましたよ!」
「んー、それもそうなんだけど、真紘くんが女の子追いかけて走って行った時。俺、見ているだけで何もできなかったろ?」
確かに、玲夢ちゃんを助けるために俺がともに記憶の世界に飛び込んだ時、この人腰を抜かしていたっけ。
「……完全に言い訳だったんだけどさ。俺、なんかここ暫く変だったんだよ。定期的に電話しなきゃ、とか【半生人】の業務は深く関わっちゃいけないとか、訳のわからないこと思っててさ。監査でもすげー怒られた。」
どういうことだ?
俺が訳もわからず首を捻っていると、加地さんも同じように首を捻っている。
「しかも、電話の内容も覚えてないし、斑目には彼女と電話してたろって言われたけど、俺彼女いなかったし、スマホにも履歴がなかったんだよな。
ったく、気味が悪いぜ。」
この話って、まるで昨日の話と同じではないか。
俺が難しい顔で腕を組んでいると、カウンターの奥から加地さん達を呼ぶ声がした。
「ごめんね、日笠くん。」
「今度お詫びに何か奢るな。また来てな!」
「あ、はい! お仕事頑張ってください!」
とりあえず心を入れ替えてくれたみたいで良かった。
俺は2人に頭を下げると役所を出た。
俺はその足で初めて図書館に行ってみた。
勉強嫌いな俺からすれば滅多に足を運ばない場所であったが、不意に気になったのだ。
俺が読むのはスポーツ誌や漫画、図鑑とかも好きでよく読んでいる。動物の足のつくりとか見るの、結構好きなんだよな。
先生なんてよく文学作品を読んでるし、意外とその辺にいたりして。
なんて、思っているといるんだよなこれが。
しかも、私服の先生とかレア。シュッとしたシャツとスキニーパンツ。
実を言うと、先生はいつも事務所ではスーツを着ている。雪花さんはパンツスタイルのいわゆるオフィスカジュアル。俺は、というとはじめの頃に何でもいいと言われたため上はメンズのカットソー、下は動きやすいカーゴパンツで行ってしまっている。
はじめはスーツで行くべきか聞いたけど、2人から実働隊として頑張れと言われたため現在の形に落ち着いている。他の事務所だとジャージの人もいるらしい。
俺は改めて、物陰から先生の様子を窺う。
机の傍らには恐らく借りるであろう図書が積まれている。作品の傾向を見るあたり、先生は過去文豪と呼ばれた小説家の本やミステリーを嗜むようだ。
俺は難しくて読めない。雪花さんも興味ないって言ってて、先生はしょんぼりしてた。
今読んでいるのは分厚いファイル、警察のドラマでよく見る過去の資料のように見える。ここからだと見えないな。
それにしても、先生は謙遜するけど、彼も綺麗な見た目をしている。本を読む姿はリラックスはしているものの背筋は伸びていてしゃんとしている。それに本人は女顔って気にしてたけど整ってるよな。俺の周り顔面偏差値高すぎでは?
ここで俺の中に、悪戯心が湧き上がってきた。
先生の私生活を知りたい、と。
うん、これは尾行の練習だから。決して興味本位じゃないから。
俺は少し離れたところで神様便を使用して伊達眼鏡とキャップ、フード付きのパーカーを出した。あとはそれなりに元気な髪たちを水でヘタレさせる。これで及第点だろう。
俺はそこそこ離れた席で少し厚めの時間が潰せそうな本を持ってきて、それを読むふりをしながら先生の様子を窺う。
俺は思った。彼の集中力は凄まじい。
結論から言えば先生はあの後3時間、席から微動だにしなかった。そんなに面白い本を読んでるのか?
やっと動き出したことに安堵しつつ、適度な距離を保ちながら後ろをついていく。
先生が向かったのは、酒屋。
残念ながら未成年の俺は入れない。店の外から見ていると、中で店主と何かを話しているようだ。俺の印象だけど、どうやら懇意にしているようで、あれやこれやと指差し吟味している。
数十分かけて選んだ酒は1本、と何かジュースを数本?
俺にはその価値が分からないけど、絶対先生が選んだやつはお洒落な高価なやつだ。知らないけど。
先生もお酒好きなんだ。地区外に行った時、志島さんが先生と時々飲むって言ってたもんな。付き合いもあるだろうし。
次に向かったのは、驚いたことに花屋だ。
あれ、もしかしてこの後デートとかある? でも、デートの前にあれだけ本とか資料を熟読する?
だけど、意外にもここでの買い物はすぐに終わった。
白い小さめの花をそこそこ買ったようだ。彼女にプレゼントするには少し慎ましすぎる気もするが。
それから、先生は珍しく徒歩でぶらぶらしながら事務所のある区画に向かっていた。途中、公園みたいな場所に寄り道したり、カフェで何かを買い足ししていた。
結局のところ、辿り着いたのは見慣れた事務所。
まさか、事務所に酒を常備するのか?
俺が恐る恐る物陰から様子を見ていると不意に先生がこちらを向いた。
「日笠くん、いつまでそうしてるの?」
「バレてました……?」
「図書館からね。君も辛抱強いね。」
先生は愉快そうに笑う。
気づいてるならいっそ声をかけてくれ、恥ずかしい。
「すんません……。先生が休みの日どんな風に過ごしてるのか興味本位でつけてました。」
「だろうと思ったよ。どうせ来たなら付き合って。」
「え、酒ですか!?」
俺が慌てて手を横に振ると先生は苦笑いを浮かべた。
「お酒は飲まなくていいから。でも1杯付き合ってほしいんだ。」
「はぁ……?」
夕暮れに照らされた先生はどこか寂しそうで。
俺は先生に促されるままに事務所に入った。
俺は先生がキッチンで何かを準備している間に、先生が買ってきた花を花瓶に生けた。
誰かへのプレゼントでなくて、事務所に飾るものか。
シンプルな白い花はこのデスクによく映える。
俺はバランスよく準備できたことに満足して1人で頷いていた。
「花、飾れた?」
「はい! これ何ていう花ですか?」
「カモミールだよ。お茶にもなるんだよ。」
「へー! 美味しいっすか?」
「うん、僕は飲みやすいと思うよ。」
完全に花より団子の俺を見て先生は笑っている。
もし枯れてしまったら茶にしよう。俺は勝手に決めていた。
そんな俺の前に1杯透き通った飲み物が置かれた。いかにもアルコールですって雰囲気を出しているけど、全く酒の匂いはしない。
「これ、何ですか?」
「シャーリーテンプルっていうノンアルコールカクテル。ジンジャーエールをベースにザクロのシロップやレモンを入れたんだ。炭酸は飲んでたし大丈夫だよね?」
「はい。すげー、大人になったみたい。」
たぶん俺の目が輝いていたのだろう。
先生は笑いながら自分の1杯を持ってきた。そっちは真っ赤で酒の匂いがする。
「それは何ですか?」
「ブラッディ・マリーっていうカクテル。ウォッカをベースにトマトジュースを混ぜたものだよ。」
「詳しいっすね。」
今度は酒臭いし、あんまり美味しくなさそう。
顔に出ていたらしい、先生はクスクス笑っていた。
「結構晩酌が好きなんだ。君も大人になったら分かるよ。」
「あっ、今子ども扱いしましたね!」
「ごめんごめん。こればっかりは普通の中高生みたいな反応したもんだから。」
実際味覚はお子様だろう。否定できない。
先生が準備してくれたものを手に取ると先生は自分のコップを俺の目の前に掲げた。
「さて、じゃあ乾杯しようか。」
俺は差し出されたものに添えるように手を触れてそのまま先生のぐらさに近づける。
「じゃあ、君との出会いと今後の事務所の発展に、乾杯。」
グラスは高く綺麗な音を立てた。
口に含んでみるとそのカクテルはひどく爽やかで、そして優しい甘みがふんわりと広がっていった。
カクテル言葉というものがあるみたいですね。




