3.木原琴子①
3話目です!
よろしくお願いします!
体調が悪そうな女の人の名前は木原琴子、36歳。見た限りだと痩せ型で髪もパサパサ、目元にはうっすら隈がある。
現世では専業主婦をしており、家族は旦那と息子1人。息子のことは思い出せるそうだが、旦那のことはいまいち、ぼんやりしているそうだ。
本人曰く、元より内向的で友人や近所付き合いは少なかった。
普段は起きて旦那を仕事に見送り、子供を幼稚園のバスに乗せる。それから、家のことを済ませる。特に部屋の掃除なんかは隅から隅までとかなり几帳面な性格らしい。
夕方になれば子どもが幼稚園から帰ってくるため夕飯の支度をしつつ旦那の帰りを待つ。旦那が帰ってからは子どもを寝かせて自分も気絶するように眠る。余程疲れているみたいだな。
専業主婦だとそんなもんなのか。子どもの面倒見るっていうのも大変と聞くし。
話を聞いている時の2人はなんだか怖い感じがしたけど、俺は頷きながら聞くしかできなかった。当たり前だろう、そんな経験なんてしたことないんだから。
でも、身の上話をしていると少しずつ落ち着いてきたみたいで声の震えも消えてきていたようで、俺もちょっと安心した。
「旦那と子どもが心配で。役所で生き返りの話を聞いてからどうも焦ってしまって。そんな時にある男の人にお会いしたんです。」
「ある男の人?」
「はい。歳は20〜30代でしょうか。物静かでしたがとても落ち着く声の方でした。その方にあるジュースをいただいたら、掌にこんな模様が。」
女性が差し出してきた掌には何やら鍵の模様と刻一刻と減っていく時間のようなものが刻まれていた。見る限りだとあと13時間か。
俺が不思議そうに見ていると見兼ねたポニテさんが口を開いた。
「……助手はまだ浅いから知らないかもしれないけど、これは『パンドラの鍵』と呼ばれるもので甦りには必ず必要なものなんだ。現世にいる身体が甦るタイミングになると【半生人】の身体に浮き出てくる。」
「じゃあ、このタイムリミットは?」
「……いわゆる、『死ぬまでの時間』を示している。」
ポニテさんのはっきりとした言葉に俺と木原さんは顔を青くした。
だけど、裏を返せばこのタイムリミットまでに甦ってしまえば問題はないはず。
俺のそんな単純な思考を読んだかのように先んじて東雲さんが言葉を添えた。
「普通は鍵が現れるのは自然現象、タイムリミットも大概3日くらいあるんだ。でも、その男の人が飲ませたものは無理矢理鍵を出現させるものなんだ。」
「……それって違法薬物みたいな感じですか?」
不安げに尋ねる木原さんに東雲さんはゆっくり首を横に振る。
「そういうわけではありませんよ。公的に認可はされていますし、事務所によっては依頼人の意に沿うため使用している場所もあります。」
「ただ、甦るかこのままここに残るか、その選択をするまでに時間が少なくなるから私たちは使わないだけだよ。」
何だろう、ポニテさんの言葉には明らかに棘があるように感じる。
甦りたいなら、特に考えることもないだろうし時間だってそんなに要らないはずなのに。
どうやら木原さんは俺と同じ考えらしく、やや前のめりになって2人に縋った。
「考えるまでもありません! 私は少しでも早く帰らないといけません。そうでないとあの人が……。」
ここで俺は初めて違和感に気づく。
無意識かもしれないが、彼女は何かに怯えている?
東雲さんとポニテさんは何やら視線を交えると、いくつか質問を始めた。
「……木原さん、貴女は昔から几帳面だったのですか?」
「いえ……? どちらかと言えばそんなに。」
「それに掃除は几帳面なくせして何で身なりは整えないんですか?」
「だって、死んだ時なんてきっと事故とかですし、……それにここにきて碌に休んでもいないし?」
おや、雲行きが怪しい。
ここでポニテさんが核心をつく一言を告げる。
「なら、その背中の痣もここに来てからできたっていうの?」
その言葉に目に見えて木原さんが肩を震わせた。
ここで初めて俺の中に嫌な考えというものが浮かぶ。
東雲さんは、笑みを消すと真っ直ぐに木原さんに告げた。
「……やはり、貴女は甦る前に知る必要があります。なぜ貴女はここにきたのか。貴女の身体は今後どうなっていくのか。」
頭の中が混乱しているのか。それとも東雲さんの気迫に押されたのか。木原さんは壊れた人形のようにカクンと頷いた。
それから俺たち4人が向かったのは役所だ。
東雲さんは木原さんとともに志島さんの所へ向かった。何か手続きをするらしい。
一方で俺はポニテさんと待たされていた。
「で、アンタは本当に助手?」
「いや。実は甦りを希望したら志島さんに東雲さんの探偵事務所を勧められて、そのあと、えーと、イケメンさんに送ってもらいました。」
「……あの野郎か。」
鋭い瞳がさらに細められる。
俺より身長も低いし細身なのに負ける気しかしない。
「で、流れであんな感じに。」
「なるほどね。まぁ、私が木原さんを連れてきたせいだし。終わったらまた相談に乗らせてもらうといいよ。巻き込んでごめん。」
「大丈夫っすよ! 俺はまだ鍵、出てませんし。あ、俺は日笠真紘って言います。」
「……霧崎雪花。よろしく。苗字嫌いだから名前で呼んでもらえると助かる。」
「分かりました!」
俺が返事をすると雪花さんは小さく微笑んだ。
この人も頭の輪っかはないし、【半生人】なのかな。
「でも、役所で死因を知ることができるんすね。俺も今後のために聞いとけば良かったな。」
「誰でも分かるわけじゃない。完全に亡くなった人、もしくは【半生人】は鍵が出現した人しか知れない。」
「そうなんすね。」
何か面倒なシステムが色々あるんだな。
そんな話をしていると、東雲さんと木原さんが戻ってきた。東雲さんはとても優しげに木原さんに声をかけており、彼女も不安は拭いきれないようだが、声音は穏やかだった。
あの人、何かそういう系の前職か?
「お待たせ。はいこれ。」
「何すかこれ。」
「いわゆる通行証だよ。木原さんの過去、つまり死因を見るためのね。」
「へぇー……ってええ! 俺も見るんすか?!」
「この国の法律で、死因を確認するときは付き添い2人、救助者1名って決まりがあるんだよ。」
「木原さんに了承もとってる。」
いいのかそれ! 俺が木原さんを振り向くと彼女は頷いていた。
「まぁ、緊急時には付き添い1人でも可能って言われてるけど、緊急時でもないしね。」
「そう……すね?」
腑に落ちない。東雲さん、本気で俺のこと助手って思ってる?
俺は納得がいかないまま、志島さんに案内されて4人で奥のスペースに通される。長い廊下が続いており、すれ違う人はほとんど見えない。
俺は後方でこっそりと雪花さんに尋ねた。
「というか、付き添いと救助者って何すか? 動画とかで死因を見るとかでないんですか?」
「……厳密に言えば、その人が死ぬ前にみた過去の記憶の世界に潜って自分が黄泉の国に来るまでの経緯を知るって感じかな。大概、それを見ると本人はパニックになる。その記憶の世界で遭難しないように付き添いがいるって感じ。」
「救助者の仕事は?」
「付き添いの人の合図に合わせて3人分の魂を引っ張り上げるだけ。」
「……ちなみに記憶の世界で遭難するとどうなるんすか?」
俺が恐る恐る尋ねると、雪花さんは淡々と答えた。
「繰り返される記憶の中でずっと彷徨い続ける。肉体が死ぬまで。魂は狂ったまま消えていくだけ。」
フィクションみたいな抽象的な言葉。
だけどもそれが身近すぎて背筋に寒気が走った。
「そんなリスクを負ってまで死因とか知る必要ってあるんすかね。」
「……そうだね、人によってはとにかく早く、成果を出すことや本人の希望だけを優先させる人もいる。でも、私はそう思わない。」
あまりにもはっきりと言う。
過去の事例を思い出しているのか、はたまた自分のことなのか。
俺が言及する前に会場に到着した。
床には大きなマンホールみたいなものがあって、そこが『記憶の世界』とやらに繋がっているのは想像に容易かった。だが、得体の知れない恐怖がそこには確かに存在している気がした。
俺は無意識のうちに唾を飲み込んだ。
案内をしてくれた志島さんが空中に画面を開き、内容を確認する。
「今回の対象者は木原琴子さん。救助者が霧崎くん、付き添いは東雲くんと、日笠くん? いつのまに通行証登録したんだ?」
「斑目くんにお願いしました。」
「こういう仕事は早いんだから……。」
なぜか志島さんはため息をつきながら頭を抱えていた。仕事が早いならいいことでないか。
俺たちは救助に必要らしいリストバンドを装着して準備完了だ。
とりあえず俺たちは木原さんについていって、危なくなったら救助を求める。必要に応じて話を聞く。それだけだと言われた。全然それだけじゃない気がするけど。
「じゃあ行きましょう、木原さん、日笠くん。」
「よろしくお願いします。」
「おっす!」
乗りかかった船だ、やるしかない。
木原さんがマンホールに触れると、地面が光り始めた。驚いている間などない、不意に足下の地面は消え、浮遊感に襲われる。
ああ、もうなるようになれ!
俺は覚悟を決めると、2人とともに木原さんの記憶の世界に沈み込んだ。
【おまけ話】
通行証として使われているリストバンドはいわゆるナントカウォッチみたいなイメージです。
真紘は紺色のタイプを使っています。青系が好きだそうです。