27.既往は咎めず
あの時の悲鳴が時々聞こえる気がする。
俺はいつも通りの時間に目を覚ます。
あれから地区外での仕事は無事終わった。3日目には失踪者は全員所在確認でき、志島さんも4日目には手続きや自分たちの地区への報告も終えたから、スケジュールを1日早めて帰れた。
この5日間の仕事の後は2日休みがあったが、早く終わった分3連休だ。
1日目は泥のように眠った。いつものランニングもサボってしまった。心身ともに疲れていたのだ。起きたのはその日の夜だった。驚いた。
2日目になると、普通のリズムで起きられた。でも、ずっとあの時の馬路の声が耳から離れない気がした。
3日目も家に独りでいると、そんな感じだったから試しに走りに行ってみたけど駄目。シャワーを軽く浴びて、何かできないか。とりあえず出かけよう。
俺は適当な服装で玄関の扉を開けた。
すると思わぬ人物がバイクに寄りかかって待っていた。
「よ、真紘。」
「千里さん……。」
千里さんはこっちに気づくと、メットを持ってやってきた。何だろうと見上げていると、乱雑にそれを被せられた。
「仕事、お疲れ様。大活躍だったらしいね。」
「そんな、俺は……。」
今までと比べるとちゃんと働いたのに、はいと言えない。千里さんは俺の様子など構わずぐいぐい引っ張っていく。
ちょっと、少しシリアスを感じ取って。
「……って、これ。最初会った時のバイクっすか。」
「そ。今日は少し遠出しよ。いつも俺に付き合ってくれてるから時々は。」
ほら跨がれ、と容赦なく乗せられる。
ああもう、何でこんな時に優しくするんだ。エンジン音に合わせて千里さんの腰に回した腕を強め、背中に顔をくっつけた。
ぐぇ、と苦しそうな声がしたが、俺は聞かなかったことにした。
辿り着いたのは俺たちが住む居住区とは真反対の地区。東区の方だ。噂には聞いていた通り、やっぱり東の方は商業施設もアミューズメントも揃っている。
そして、目の前に広がるのは初めての場所。
「……何すか、ここ。」
「この地区にある数少ない自然公園。そして併設された俺には無縁のスポーツ施設。」
「バッセン、バッセン行きましょう!」
この人誘っておいて露骨に嫌そうな顔をする。通常運転すぎる千里さんに俺は噴き出した。今度は彼の腕をぐいぐい引っ張って俺が道を先導した。
バッティングセンターでは、140km/hまでならなんとか当たった。隣にあったアーチェリーとか、施設の中にあるボーリングとかもやった。正直、こっちの世界に来て1番楽しかった。
ちなみに千里さんは自己申告通り、運動はめちゃくちゃ苦手だった。バッティングセンターでは球威に負けてたし、ボーリングなんて球が重いから子供用使おうかな、なんて5本指が入る球を使おうとしていた。流石に止めた。
でも、なんやかんや当たるし真っ直ぐに転がるし、運動神経がないわけではないと思うんだけどな。
スマホで調べたら、昼はテイクアウトできるカフェがあるらしいので、そこでテイクアウトして公園で食べようと誘った。
今回は心の中の千里さんに助けられたから奢りますって言ったら何がツボだったのか笑っていた。でも、結局奢られてくれなかった。
俺が注文を終えると、千里さんは何故か引いていた。本当にその量食べるの? 腹どうなってんの? とか、何度も聞かれた。
逆に、その量でなんで半日保つんすか? って聞いたらこれまたバケモノを見るような目で見られた。納得いかない。
公園に行くと、不思議と腹が鳴る。
昨日とか今朝はあんなに食欲なかったのにな。
「いただきまーす!」
「……いただきます。」
俺をチラリと見た千里さんも手を合わせて呟いた。
「千里さん、今日はありがとうございます! 志島さんから聞いて心配で来てくれたんすよね?」
「いや。パソコンの整備終わって暇だったから、ついでに。」
「はーん……。」
相変わらずだなこの人。
でも、とポテトを口に入れながら呟く。
「提出された報告書、ぬ……読んだ。初めての地区外の仕事であんだけ活躍して、【罪人】になるのも見たら、疲れて当たり前だから。」
盗み見たんだな。
やっぱりこの人は根はいい人だ。結局のところ、心配してくれたんだろう。思ってなくてもそう思ったことにする。
「……千里さんは見たことありますか?」
「あるよ。画面越しだけど1回だけね。」
「俺、また見たら立ち直れないかもしれないです。」
そう言いながらもハンバーガーを食べる手は止まらない。腹は食事を求めている。
手を止めたのは千里さんの方だった。
「……見る必要もないし、見たとしても立ち直るのだって急ぐ必要ないでしょ。何で他人のご都合に俺たちが心摩耗しなきゃいけないわけ。
大体、そういうの見たくないって思って全部救おうたって無理があるし、なるようにしかならない。その考えは烏滸がましい。」
「うう……。見事な正論パンチ。」
千里さんらしい答えだな。
だが、この後続く言葉は予想していないものだった。
「でもさ、真紘は助けたかったんでしょ。」
「……はい。」
そう。
数日前からきっとそのチャンスはあった。ファミレスで止めることもできた。ポイントがないことも気づけた。その後だって、何か、止める手立てがあったかもしれないのだ。
「ならさ、次は助けられるように頑張るしかないんじゃない。今回のことだってこの地区に来た頃の真紘だったらもっと下手こいたかもしれない。それと比べたら進歩してるんだから、これからまた良い案は浮かんでくるでしょ。俺は諦めるけど。」
「慰めてくれるのは嬉しいんすけど、千里さん、本当に一言余計ですよね。」
「俺らしいでしょ?」
「まあ。」
どちらかともなくフッと口元を緩めた。
ふと、俺は前々から聞きたかったことを思い出した。その不安が伝わったのか、眠そうな目をこちらに向けてきた。
「千里さん、答えたくなかったら無視していいんすけど。」
「うん?」
「……千里さんって、現世のことどれくらい覚えてますか?」
一度口にしたら止まらない。俺の口は淀みなく、俺の思考を漏らしていく。
「俺、現世の記憶があんまりないんすけど、今回の事件で、なんかますます自信無くなって。もし、思い出したり過去の記憶の世界で見たらどうなるんだろうって漠然と不安になってきて……。」
別に千里さんも『パンドラの鍵』で、自分の過去を見たわけではないからそんなことを言われてもどうしようもないだろう。
だが、彼は俺の言葉を馬鹿にするでもスルーするでもなく、少しだけ考えるような様子を見せた。
「……俺はさ、結構覚えてるんだよね。」
「そ、なんすか?」
千里さんはやっとアップルパイに手をつけるらしい。小食の極みである。
「俺は、政治家の父親とモデルの母親がいてね。」
「へー。」
「興味なさそうだね。」
「まぁ、親がどうであれ、千里さんは千里さんですし。」
「はは、そういうとこ好き。」
もうこの人の背景なんなの、とは思ったけどさ。
そして千里さんは何事もなかったかのように話を続ける。
「で、母親は何かと芸能界に絡ませようとするんだけど、俺は嫌だったから滅茶苦茶勉強して、祖父母宅から通える高校に進学して大学で一人暮らしを始めたわけ。その過程でたまたまいい仕事にも就けたから、結構順風満帆に生きてきたんだよ。」
「……忘れてることは、殆どないってことですか?」
「他の人に比べるとね。ただ。」
千里さんは少しだけ目を細め、眩しそうにしながら晴天の空を見つめた。
「死因もそうだけど、それ以上に何か大切なものが思い出せない気がする。」
いつもと変わらない表情、しかしどこか寂しそうな様子だった。
「恋人、とか?」
「はは、ありえない。」
さっきまでの雰囲気はどこへやら、ハッと鼻で笑う。
どうやら千里さんは恋愛は全く興味がないらしい。
「逆に聞くけど、お前は何を覚えてるの?」
「俺っすか……。」
どんなに思い返しても記憶には靄がかかったような気がする。
千里さんが言うように、何か大切なものを思い出せない。両親も、友人も、高校生活も。勉強とかの知識はしっかりあるのに。
「……正直なところ、やっぱり親しかった人や家族の記憶はほっとんどないんす。ただ、少しだけ思い出したというか気づいたことはあるです。」
思い出したというか、覚えていたというか。
「この前の仕事の時は誰かに言われた極限状態に入るための言葉が頭のどこかに残ってたんです。」
「その言葉が誰に言われたとかは?」
「全く心当たりはないです。」
俺はそれ以上のことを記憶として思い出せない。
だが、身体が覚えているのだ。
『頑張ったな、真紘。』
教えも、できた時の達成感も、喜びも。
そんなの都合が良すぎるだろうか。
「記憶に対して不安はあるんです。でも、悪い記憶ばかりでもないのかなって。」
俺の言葉に対して千里さんは目を瞬かせた。
そして、ふっと口角を上げた。
「お前は本当に強いね。」
「そっすか?」
「うん。」
よくよく見ると彼はいつの間にか食べ終わっていた。
一方の俺はというと、完全に手が止まっていた。慌てて食べ始めるとゆっくりでいいよ、なんて千里さんは横になりながら笑っていた。
きっと他意はないんだろうけど、その言葉は他のことに対してもかけられているような気がした。
「千里さん。」
「何。」
「……ありがとうございます。俺、千里さんと友達になれて良かったです。」
「はいはい、どういたしまして。」
適当か。
相変わらずぞんざいな返事をする千里さんに内心で苦笑しつつも俺は食べ進め始めた。
連休明け、俺は遅刻ギリギリであった。
というのも、あの後俺は千里さんの家に行って泊まることになったのだが、案の定バスカードを忘れたこともあり普段より遠いところからの出勤のせいで、到着が遅くなった。
俺は勢いよく扉を開いた。
「すみません、遅くなりました!」
「珍しいね。」
「おはよう。寝坊?」
「千里さんの家に泊まったんですけど、出る時間ミスりました!」
彼は送ってくれる慈悲などを決して持ち合わせていない。
ふと先生の方を見ると、なぜかここにはいないはずの志島さんがいた。
「あれ、何で志島さんが?」
「ああ、ちょうど君たちに用事があってね。」
何だろう、書類に不備、なんてことは先生の場合ありえないか。
俺が息を整えると、何故か雪花さんが少しだけ悪い顔をしながら声をかけてきた。
「日笠、さっきまで東雲がアンタのことベタ褒めだったんだよ。」
「ちょっと、雪花さん!?」
ガタン、と慌てて立ち上がった拍子に先生は椅子を倒した。そこまで慌てるとか何を話してたんだろう。志島さんは苦笑いしているけど。
先生が椅子を直している間に、俺は雪花さんの方に駆け寄った。予期せぬ嬉しいことだし面白い匂いもした。
「例えば?」
「アンタが1人でヤンチャ集団に乗り込んで集団暴力が計画されてる日時を探ってきたとか、警棒投げて人質助けたとか。かっこよかったって。すっごい親バカだった。」
「マジですか!?」
「雪花さん!」
先生が顔を真っ赤にしている。確かに褒め言葉って他人からバラされると恥ずかしいかもな。
「昨日とかだって居酒屋に呼び出されたと思ったら、向こうの職員にセリフ奪われてちゃんと褒められなかったって喚き始めて……。」
「そこまで言ってないだろ!」
「ほら、褒めなよ。みんなの目の前で。」
「無茶言わないでよ!」
どんな羞恥プレイだよ。
俺が笑いながら荷物を置いていると、志島さんがこちらに寄ってきた。
「先日はお疲れ様。君のおかげで本当に助かった。ここで学んでいることがしっかりと活かされていたね。」
「ありがとうございます。」
「それとね、馬路くんのことなんだけど。」
俺は露骨に固まってしまった。
だけど、志島さんの口から語られた話と手渡されたものは意外なものだった。
「意識を取り戻してからね。色々恨み節ばかりだったよ。私は救いようのない浅はかなものばかりだと思っていたけど。でもね、彼は言っていたよ。
君がいたおかげで手下まで傷つけずに済んだって。」
ペーパータオルに書かれた字と同じような歪な文字。でも、そこに書かれたたった5文字は俺にとってこの上ない言葉だった。
「さて、私は帰るよ。」
「送る。」
痴話喧嘩をしていたはずの雪花さんは、扉から出ていく志島さんを追う。
俺が手紙から顔を上げた時にはすでに2人は事務所の外に出ていた。
追わないと、そう思うと同時に優しく頭を撫でられた。決して大きくはないが、節ばった優しい手だ。
「……今回は本当にありがとう。君がいなかったら解決しなかった。辛い事件だったけど、頑張ったね。」
「……ありがとうございます。」
ああ、もう。朝から目頭が熱い。
この人たちに褒められるなら、笑顔が見られるなら、いくらでもがんばれるな。
俺は乱雑に目元を擦ると、志島さんを見送るために勢いよく走り始めた。




