26.馬路透④
最後の方は誰の視点でもありません。
今の声、神様の声だ。
俺は知っていた。話したから。
たぶん先生も分かったと思う。それに馬路も。
【半生人】は神様の目の前を通ってから黄泉の国に来るからだ。
俺は走り出した加速度のままに、人質の女の子を抱きかかえてその勢いで先生の方まで転がった。
背後で嫌な音がした。
「ああああぁぁぁぁ!」
「キャアアアア!」
馬路の断末魔と助けた女の子の悲鳴が重なった。
俺が振り向くと、馬路の周りには黒い蔦が生えてまるで檻のように囲っていた。
いつの間にか俺達の間に先生が立っており、背で庇われていたけど目の前の光景はどうしたって見えてしまうし、目を離すことはできなかった。
「……何すか、これ。」
「馬路くんは、罪を重ねすぎたんだ。過去の傷害罪、SNSや配信を通した個人情報保護法違反、そしてさっきの脅迫罪。どれも実刑が下される可能性のある罪だ。」
「つまり、【罪人】になるってことすか。」
先生は頷いた。
警察の人たちも、馬路のグループの奴らもみんな動けない。目を逸らせない。
「何で、何で俺だけ! 俺だけは神様に愛された特別なのに!」
特別かは知らないけど、彼だけが【罪人】と判断される理由は容易に分かった。
ファミレスでご飯を食べれない、つまりは罪を流すほどのポイントを持ち合わせていなかったということだ。
「俺が何したんだよ! 俺は特別なんだ、他の奴らに命令して、他の奴はそれに従えばいいんだろ、なぁ、神様! 何とか言えよ!」
神様は何も答えない。
ただ、その無言は聞こえてないとかでなくて、まるで答えることさえも無駄だと言わんばかりの冷たい沈黙だった。
檻の中から必死に手を伸ばし、馬路は叫ぶ。
「なぁ、アンタら警察だろ! お前ら、助けろよ!」
警察も、仲間達も動かない。もしくは動けないのかもしれない。
馬路は悲鳴を上げ続ける。
そんな馬路と不意に視線がかち合った。
「なぁ、日笠……。助けて……。」
俺は咄嗟に立ち上がった。
助けないといけない、死んでしまうんではないかと。
だが、それは見慣れた手により阻まれた。
「先生!」
「駄目だよ、日笠くん。同情だけで【罪人】を助けてはいけない。」
先生は穏やかだ。いつもと変わらない声音。
でも。
「どんな理由があれど、罪を犯していい理由にはならない。罪を犯した人間は必ず罰を受け、償っていかなければならない。」
俺はこの時、初めて先生が怖いと思った。
何なら神様より怖かった。その瞳は、一見冷静であるが、その奥に業火のような憤りを感じたのだ。
もちろんそんな表情の先生を見てしまったら動けない。
「クソッ、クソッ、何で、何で俺がこんな目に……!」
その言葉とほぼ同時だろうか。
黒い蔦が馬路に巻き付いた。彼はこの夜に出すべきでないほどの声を一瞬あげたかと思うと、身体を硬直させた。口はハクハクと動いており、悲鳴にならない悲鳴をあげ続けていた。
次第に体は弛緩していく。
蔦が地面に戻る頃には、彼は気絶しており、神様に見られているような感覚も消えていた。
そこでやっと警察達は馬路の元に向かった。彼の仲間達は泣きじゃくり立ち上がれない者もいた。自分たちもこうなってしまうのではないかと、恐れているんだ。
「さっきの、何だったんですか……。」
「前に話しただろう。これが【罪人】に業の証が刻まれる瞬間だ。」
いつの間にか志島さんが来ていた。
彼は役所待機のはずだったのに。
そこで初めて自分は呆然としたまま動けず現場処理が半分以上終わっていることに気づいた。
「業の証が刻まれるときには、地獄の一部を体験することになる。それは言葉にし難い痛みだと聞く。耐えうる者も稀にいるが、大概は馬路くんのように気を保つことはできない。」
地獄行き、【罪人】。
説明に聞いていた以上に恐ろしいものらしい。
「ただ、彼は生きている。もう現世には戻れないが、魂を浄化するチャンスはある。これに懲りて罪を改めてくれるといい。」
「……そ、っすね。」
俺はため息混じりに答えた。
どうしようもないのは分かっているんだけど、頭が追いつかない。というか、鉄パイプ振り回されるは警棒投げるわで肉体的にも疲労困憊であった。
先生が何かを言いかけた時だった。
「そうい「オイ、日笠!」
「ぐぇ!」
ガテン系上司さんの腕で首が絞まっている。俺がタップすると悪い、と笑いながら解放してくれた。思ってないだろ、これ。
「お前凄かったぜ! 鉄パイプの受け流しもそうだが、最後の手首ドンピシャに向けた警棒の投擲、あれも見事だ。」
「ああ……あれは無我夢中で。」
「そう言えば君が場所を変えた時も連絡しなくて正解だったよ。エアガンだけど、少し離れたところから君を見張っている人もいたからね。」
「え、そうなんすか?」
先生に言われて自分の考えが合っていたことに安堵の息を漏らす。良かった、正しい方を選択できて。
ガテン系の上司さんも頷いていた。
「どっちもすげぇよな。生前警察学校とか、何か訓練とかしてたのか?」
「いや……。殆ど覚えてないんすよ。何か目覚めたら神様が目の前にいて、話したら神官さんに怒られて、って感じで。」
「……話したの?」
「はい。」
ふうん、と先生は何やら考え込むような様子を見せた。俺は何か変なことを言ったのだろうか。
俺が聞こうとすると同時にガテン系の上司さんに頭をわしゃわしゃと撫でられた。
「それはお前、勘がやべーんだな!」
「勘、すか。」
「おうよ、もちろんそれについていける身体と心もすげーが、勘もすげぇ。きっと記憶がないお前に対する神様からの『ギフト』だろうな。」
大切にしろよと彼は大柄に笑う。
そっか、勘がよく働いたわけか。
何だか、疲れてしまった俺は、小さくそっすね、と頷き、彼に倣って帰路に着くことにした。
「東雲くん。」
「はい。」
「確定かな?」
志島と東雲は並んで歩く。
東雲は確信を持った。彼が神様からギフトを贈られたこと。その内容は恐らく勘、いわゆる第六感に近いものだ。
東雲は前々から可能性を考えていた。
前から片鱗はあったのだ。はじめは共感力が高い子かな、くらいに考えていたものが、相澤玲夢の事件を経たあたりから変わり始めていた。
彼は暗闇という視覚を奪われた状態で、殆ど姿の見えない相澤玲夢がどこに行ったか正確に当て、物品の位置も碌に把握していない状況で、見事に探索器を探り当てたようだった。
友部清三の時もそうだった。ふらふらとすぐに逸れる彼を見失うことなく、いや正確に言えば見失ってもすぐに見つけ出した。
そして、今回の馬路透の件。
縁も所縁もないガーデニングショップで馬路を発見した。加えて、今夜の出来事だ。身体能力の高さやメンタルだけでは説明ができない事象が起きている。
「……彼と同じギフトだな。」
「……そうですね。」
志島の問いかけに東雲は弱々しく笑った。
「元々あったものの能力が極限まで高められている。彼は才能のある子だったんだろう。さて、ここで聞くぞ、東雲くん。」
志島は東雲を睨みつけた。
「君は、日笠くんを君の復讐に利用しているんじゃないか?」
志島は聡かった。伊達に歳を食ってきたわけではない。自分の半分も生きていない若造の思考など読むに容易かった。
だが、東雲の答えは予想と違かった。
「まさか。理解はしていますよ、日笠くんと彼は違うって。でも、あの男が日笠くんに接触してくる可能性は捨てきれない。その時には必ず僕が……。」
東雲の手は血が滲むほどに強く握り込まれていた。病も怪我もないこの世界で、血が滲むほどに。
まるで何かに耐えているような。
志島は首を横に振ると、その手を解くように促しながら口を開いた。
「……東雲くん。忠告はしておくよ。
日笠くんは君が利用する気が無くとも、巻き込むつもりがなくても、優しい彼は自分から首を突っ込んでくる。だから、彼を守ろうとしすぎれば、彼は自衛の手段を持たなくなってしまう。」
東雲の目が僅かに見開かれる。
「このまま置いてともに戦うならしっかり強くしてやれ。巻き込むつもりがないなら事務所から手放してやれ。でないと、彼も失うぞ。」
忠告はしたからな。
それだけを言うと、志島もまた帰路についた。
「……もう失うつもりはありませんよ。」
東雲は誰に言うでもなく、深い闇に包まれた空に向かってぽつりとこぼしたのであった。
【ケース報告書】
対象者:馬路透(16)
対象は高校2年生、SNSに依存的な傾向があり、他人の命を軽んじている発言が聞かれる。自分自身を特別視しており、短絡的な思考のもと、無計画に行動をしている。今回は地域外北部における未成年の迷惑行為の報告により対象に接近することとなった。なお、事前の情報では、『パンドラの鍵』が出現しているとのことであったため、状況確認も併せて行なった。
当探偵事務所の助手・日笠が接触したところ、対象は既に故人となっており、頭部に輪を有していた。対象は、生前SNSにより、他者の犯罪を誘発させたり自傷行為を煽るような内容を発信していた。実際の発言からも【罪人】となる危険性を孕んでいることが予測されたため、接触を継続したところ、日笠に対して集団暴行への勧誘があった。
傷害に対して、静止を求めたが、聞き入れず実際の行動に移り、彼は罪を犯した。神様により、彼は罪人と審判が下った。彼は初回処罰に耐え切れず、その場で気絶した。今後、再犯や精神崩壊の懸念があることから保護施設へ収容となった。
以上、報告とする。
報告者:東雲標




