15.相澤玲夢①
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「おはようございます!」
「え、何でいるの?」
出勤してきたばかりでボサボサの千里さんは怪訝な表情を浮かべた。
確かに集合時間は9時、現在8時30分。
俺の居住区は地区の南西部、事務所では徒歩30分くらいだが、役所までは徒歩1時間かかるから普通ならバスを使う。だが、その始発バスに乗ると到着は8時57分、遅刻ギリギリなのだ。
後から聞いた話ではあるが、俺が住んでいるところらへんは役所関係者は殆どいないか、車通勤らしい。
つまり、千里さんの疑問は、『え、何で(この時間に到着するバスがないのに)いるの?』ということである。
昨日1日で千里さんの言葉の少なさや雑さは何となく慣れたし、理解できるようになった。
「走ってきました!」
「……信じられない。」
運動嫌いの千里さんは化け物を見るような目で俺のことを見つめた。その刺さる視線も慣れた。子どもと怪獣ごっこしてる時ちょこちょこ向けられてたもんな。
その視線は気づけば、どこか心配を滲ませたものになっており、俺はどうしたんすか、と声をかけた。
するとどこか躊躇いがちにポツリと尋ねてきた。
「……嫌じゃなかったらウチに泊まる?」
「いいんすか!? 千里さん、知らない人は家に入れなさそうな顔してるのに。」
「どんな顔だよ。別に真紘ならいいよ。」
呆れたように言う彼に、どうやら自分は心を許してもらっているらしい。嬉しさのあまりにやにやしている間、冷たい目で見られていた気がしたが、俺は気にしないことにした。
俺たちがフロアに行くと、子ども達の視線がぐりんと向く。
「まーくん、おはよう!」
「ちなちゃん、雄志くん、おはよっすー。」
俺が飛び出してきた2人に声をかけると一気にみんなやってきた。
千里さんはサラッとおはようと返すと引き継ぎに行ってしまった。俺は子ども達と遊びながら引き継ぎの内容に耳を傾ける。
「……3人減ったんですね。」
「ああ、昨日引き継いでから鍵が出てな。多分数日のうちに一気に減るから、残った子のケアを頼む。」
「分かりました。」
俺は自分に寄ってくる子ども達を確認しながら、誰が現世に帰ったのか確認していく。
中には心細いためか、目を潤ませている子もおり、控えめに千里さんの裾を引く。
「ねぇ、千ちゃん。どうして、みぃのママは迎えに来ないの? みぃ、捨てられちゃったの?」
みぃちゃんの側には同じように泣きそうな男の子もいる。千里さんはしゃがんで視線を合わせると穏やかに話し始める。
「みぃちゃん達の母さんはみんなを迎えにくるために必死に頑張ってるんだよ。でも、頑張ることがそれぞれ違くて、時間がかかることもあるんだ。
だから、母さん達を信じてみんなで待とうね。」
「……うん。」
涙と鼻水をぐっしょりつけられて、一瞬だけ嫌そうに顔が歪んだが、仕方なさそうに2人の子を抱きかかえた。よたついていたあたり、やっぱり力はないらしい。
でも、かっこいい大人だな。
夜勤の人と目が合うと、彼も微笑んでいた。
「じゃあ頼むな、斑目。」
「はい。お疲れ様です。」
「あと、次の夜勤担当者に子どもの就寝部屋の鍵が壊れてること伝えておいてくれ。」
「それは神様に言ってくださいよ。」
「この前言いすぎて神官が来たんだよ。」
「あのクソドケチが。」
普段と変わらない表情なのに口が悪い。小さい子抱えてるんだから駄目だろう。
「千ちゃん、口悪い〜。」
「いけないんだ〜。」
「お前なんで懐かれるんだろうな。」
男児2人にげしげし蹴られたり服を引っ張られているが、嫌そうな顔をするだけで何もしない。
ただ、夜勤の人が千里さんに何か耳打ちをしており、彼は少しだけ険しい顔をした。あ、夜勤の人子供に鼻フックされてる。
俺は子どもに引っ張られながら、ふとある所に視線を送る。部屋の隅の方で体育座りをしている女の子と目が合った。
怖がられてんのかな、俺は笑顔を浮かべてみたが、女の子は顔を逸らして少し離れてしまう。
あの子は相澤玲夢ちゃんと言ったか?
よくよく考えてみると、彼女の名前だけは本人からでなく千里さんから聞いたっけか。
俺は朝のやりとりのせいで、何かと玲夢ちゃんを目で追ってしまっていた。それで気づいたことがあるのだが、彼女、どうやら幼稚園の友だちと一切話さない。
加えて彼女は俺をはじめ職員達にも全く関わろうとはしない。食事や昼寝の時など、みんなが集まる時にはしっかり集まっていたが、俺には協調した行動というよりは目立たないようにしている印象だった。
それになんだろう、妙な違和感があるんだよな。
俺の行動は不審だったらしい、昼食準備の時間になると千里さんに真っ先に指摘された。
「ちょっと、女の子のこと見過ぎじゃない?」
「そんなに見てました?」
「うん。そういう趣味?」
おおう、そこまではっきり聞くか。
俺は必死に首を横に振る。
「そういう趣味じゃなくて、ほら、玲夢ちゃん。」
「あの大人しい子?」
「そうっす。」
「あんまり気にしてなかったな。事故のPTSDによるものかと思ってた。」
「PTSD?」
「トラウマになった出来事がフラッシュバックする現象。」
その言葉を聞いて俺はますます首を傾げることになる。
そんな現象、発生するはずがないのだ。
「……千里さんは自分が死ぬ原因になったことって覚えてます?」
「そんなの覚えてな……、ああ。」
やはりこの人、頭の回転が早い。俺が言いたいことをすぐに察してくれた。
この子達はみんな頭の上の輪っかはない、つまりは死んでいない【半生人】だ。【半生人】は死ぬきっかけとなった出来事やそれらと結びつくことを覚えていない。実際に俺は現世のことをほとんど覚えていない。反応を見る限り千里さんも同様らしい。
つまりは自分の死因にかかるPTSDなんてありえない。
「他の子どもたちは何かに怯える様子はない。強いて言えば知らない環境で親が来ないことには困惑してるけど。でも、あの子は明確に『何か』に怯えている、そもそもの背景や環境が違う。そういうこと?」
「はい。見た感じだとロボとは楽しそうに遊んでますけど、職員とか、他の子どもにもビビってる感じじゃないっすか。」
あくまでも人に怯えている気がする。
でも、たった1日程度見ただけだ。確証はないし、俺の言うことが果たして正しいのか。
だけど、千里さんはあっさり頷いた。
「タイミングがタイミングだったし、幼稚園のバス事故は最後の事案だった。担当やその意図は知らないけど一纏めにしていてもおかしくない。指摘してくれてありがとう。」
全然ありがとうな表情でないけど、千里さんは納得してくれたらしい。潔い人だな。
「ついでにどうにかあの子と話してきて。俺は上に報告しておくから。」
「えっ。」
「真実を見抜いた真紘にしかできない。頼んだよ。」
「りょ、了解です!」
重要な任務を任された、俺は頑張るぞと内心で気合を入れていたが、後ろの方で「ちょろ。」なんて千里さんが呟いていたことは全く気づかなかった。
さて、どうすればいいのか。
俺は悩みながらも隙を見て近づくという姑息な作戦しか思い浮かばなかった。
ご飯の時も少し離れた席に座っているから敢えてその空いた席に座ってみたり。
「玲夢ちゃん、隣いい?」
「……あ、うん。」
露骨に視線を逸らされた。めげるな、めげないぞ俺。
チラッとみると食があまり進んでいないようだ。豆腐とか野菜のグリルは食べてるみたいだけど肉とかご飯は殆ど残っている。ジュースも飲まないらしい。
「あんまり好きなもの無かった?」
「……味が。」
味? 一言断って彼女が残したおかずを食べてみるが、特段変な味がするとかそういうことはない。ファミレスとかに出てくるような食事だと思うが。
でも、嫌いなもんは仕方ないよなぁ。
「味が濃いって感じすか?」
俺が聞くと玲夢ちゃんは頷いた。
なら、しょうがない。俺はこっそりと千里さんが持ち込んでいる杏仁豆腐と水を渡した。
「今まで気づかなくてごめん。夕飯からは薄味にしてみるようお願いしとくんでお昼はこれでもいい?」
「……うん。」
玲夢ちゃんはそれを受け取るとすぐに席を立ってしまった。結局あまり話せなかった。
残ったご飯は、仕方ない俺が食べるかと食べていると周りの子どもに狡いと怒られて奪われた。ついでに千里さんにも後でおやつの件で嫌味を言われた。
あとは、物の場所を聞くがてら声をかけてみたり。
「玲夢ちゃん、クレヨンの予備の場所とかって知らない?」
「そこの棚の1番上。千ちゃんが入れてた。」
少しだけ距離をとられたが逃げ出さず教えてくれただけマシか。俺は礼を言って予備を取り出す。おっ、縄跳びもあるんだ。もってこ。
「良かったら玲夢ちゃんも遊ばない?」
「……いい。」
プイ、と露骨に顔を逸らされ逃げられた。うーん、やっぱりダメか。
さすがに半日の接触では心を開いてもらえそうにない。
夜勤の人にそのことと食事のことを伝えると、意外にも女の人は俺の仕事を引き継いでくれることになった。無駄な努力かもしれない、でも可能性があるなら見過ごせない、と。
自分の負担を減らすことを考える人もいるけど、今日の夜勤の人みたいに優しい人の方が多いんだなと素直に思った。
俺は食堂で食事を摂った後、本当に千里さんの家に招いてもらえた。マジでこの人少食だった。
1DK、俺の部屋よりは広いけど、まさに男の一人暮らしって感じの部屋だ。寝室はベッドとパソコンで所狭しとされているし、リビングの方にも機器がはみ出ている。
「そうだ、いいもの見せてあげるよ。」
「何ですか?」
そう言った千里さんはベランダを開けて空に向かって何やら祈り始めた。何だ、新手の信仰か?
「神様、神様、膨らますのに手間がかからずこの部屋に収まる程度のエアマットと布団一式、真紘の着替え一式をください。」
これまた千里さんには合わないワードが出てきた。
俺が引いていると部屋の一角が光り出す。思わず目を瞑ってしまったが、目を開けてみるとそこには千里さんが頼んだものが一通り並んでいた。
「え、何ですか今の!」
「神様にお願いするとくれるんだよ。別に信仰とか御礼参りとかもなしで即日即配達。現世の某配達屋もびっくりだよね。」
「すげー! 神様ありがとうございます!」
これが噂に聞いていた神様からのプレゼント。
どこにいるかよく分からなかったから天井に向かってお礼を言ってみた。
そして、千里さんの家、家電もすごかった。最新モデルばっかりで洗濯機も音が全然しないし、時間もかからない。自動の掃除機もあるし、調理器具だって便利グッズばかりだ。
「しかも、最新のゲームまで! 全部使いこなせるなんてやべーっすね!」
「現世の友だちが家電オタクだったからね。ゲームやる?」
「やってみたいっす!」
実は俺、ゲームをほとんどやったことがない。趣味がなかったわけではないと思うのだが、いかんせん思い出せないのだ。
眠くなるまでの1時間くらいだが、協力プレイができるゲームを体験させてもらった。
俺はこの後眠気に負けて寝てしまったけど、早朝に起きたら、寝室の机で突っ伏している千里さんがいた。モニターはロックがかかってて何をしていたかは知らないけど、何となく仕事関係かなって思った。
この人、監視カメラをハッキングとかどうとか言ってたけど、実はなんか企んでるんじゃねーの。
身長は高いけど細身だから簡単に抱えられた。ベッドに運んでみたが、意識のない人ってやっぱり多少重くは感じるのかな。それならこの人かなり軽い方か? ヒョロヒョロってやつ。
そんなことを考えながらふと、あることを思いついた。それと同時に嫌な予感がした。
もしかして玲夢ちゃんはーー。
いや、まさかな。俺は一瞬浮かんだよくない考えを振り切りつつも、派手に鳴る腹の音を止めるべく勝手にキッチンに立つことにした。




