12.本田宗徳③
日中用事のため夜中の更新です。
本田さん編、これにて一区切りです。
転職、なかなか勇気いりますよね……。
薄々、気づいていたんです。
今の役所のデータ管理課でも同じような視線を感じていましたから。やっぱり残業も多かったですよ。作業効率、悪かったんでしょうね。
でも、ここはいくら働いても体を壊さないから誰の責任ということもない。
それにできなかった仕事がいつの間にか終わっていることもある。ここのデータ管理課は厳密に担当が決まっているわけではないから、たぶん誰かがフォローしてくれたり、仕事量を調整してくれていたんだろうと思います。
情けないですね、それにさえ気づく余裕もない。
記憶の世界から戻ってきた本田さんは痛々しい程に穏やかな笑顔だった。
記憶の世界にいた人々は誰も悪くない、悪いのは自分だと。
「……現世窓、行く必要なんてありません。手間になってしまいます。」
「それ、本気で言ってるの?」
雪花さんが尋ねると、本田さんは居心地悪そうに頭を掻きながら頷いた。
「はい。東雲さんの言う通り、過去の記憶を見て、自分の努力が足りなかったことを実感しました。」
「……本田くん、そういうことじゃ。」
さすがの志島さんも言葉をかけた。この場にいる本田さん以外の人間が、話の本質はそこにないことを知っている。
たぶん、本田さんも分かっている。でも、認めたくないだけだ。
虚な目のまま、本田さんは話し続ける。
「志島さん、僕には現世窓より優先して行かなければならないところがあるんです。」
「それはデータ管理課ですか?」
背後の出入口から聞いた覚えのある声がした。
そこには片手にタブレットを持った斑目さんが立っていた。明らかに雪花さんの警戒度が上がったような気がしたけど、東雲先生は読んでいたのかなんてことのないように尋ねた。
「話があるんだよね?」
「……ほんっと、そういうところですよ。」
先生の言葉に僅かに目を細めた。
だが、斑目さんが口を開く前に、慌てた本田さんが彼の腕をとった。明らかに嫌そうな顔をしたが、本田さんに気にする余裕はないらしい。
「ちょっと離……、」
「今までごめんなさい!」
「はぁ?」
うわ、圧が凄い。
でも、本田さんもめげない。
「今まで僕のフォローしていてくれたのは君だろう? 今回の記憶を見て気づいたよ。僕が仕事を全然できていないことに。」
「それなら「でも! 僕はこの仕事しかないんだ! だから、もっと頑張る! 追い出さないでほしいんだ!」
本田さんは縋るように繰り返す。
先生や志島さんは何も言わずに見守っているだけだが、雪花さんは何かが気に障ったらしく、うずうずしていた。
斑目さんは自分を落ち着けるようにため息をつくと、本田さんを引き剥がした。
「そういう次元の話をしに来たわけではありません。俺は事実を告げに来ただけです。本田さんはデータ管理課では戦力にならないっていうことを。」
「……ッ!」
あまりにもはっきりと言うものだから俺は一瞬固まった。
斑目さんは淡々と伝える。
「貴方の頑張るはその業務内容に対して非効率なんです。本田さんが言う方法じゃ何も根本的な解決にはならない。そうではないですか?」
「……。」
きっと、斑目さんの言葉は正しい。
それは本田さんも理解している。だから、本田さんは言い返せないんだ。
斑目さんが口を開こうとした時、つい俺は飛び出してしまった。
「斑目さん! 1回ストップです!」
飛び出した俺を一瞥すると、淡々とした声音でポツリと呟く。
「……俺、お前には話してないんだけど。」
「ぶっちゃけ俺も話すことはないっす! でも、いくつか言わせてください!」
正直テンパっている。でも、このままじゃ本田さんは潰れてしまう気がした。俺は勢いに任せて話してしまう。
「斑目さんの言ってることは全面的に正しいし事実かもしれません! でも、それをいっぱい言うだけじゃ本田さんは何も言えないっす! それに……。」
「それに?」
「斑目さんはぶっちゃけ顔もいいし身長も高いから物理的な圧も強すぎます! なので、ちょっとだけ優しく話してください!」
しん、とその場が静まり返った。
先ほどまでの圧はどこへやら、斑目さんが驚いた顔をしている。
「……お邪魔しました。」
「あ、うん。」
「ふっ。」
顔が熱い。勢いに任せるべきではなかった。
後ろで笑ったのは絶対雪花さんだ。あの人結構ツボ浅いもん。
「えっと、斑目くん。」
「はい。」
「僕は冷静でなかったです。すみません。」
「こちらこそ。」
2人は頭を下げ合っている。本田さんは先程までと違う少し肩の力が抜けた感じで、斑目さんもまたどこか緊張が抜けている気がした。
斑目さんは爪をいじりながら小さく口を動かしていた。
「……俺、別に怒ってるわけではなくて、本田さんは落ち着いていれば受付とか営業の方が向いているって思ったんです。」
データ管理や研究、開発が向かないのは間違いないけど、と付け加えたあたりブレない。
だが、本田さんにとっては斑目さんの言葉は予想外だったようで、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
「それは、何でか聞いてもいいですか?」
「……自分から話すのとか、自分の中での解決法を見つけるのは下手ですけど、他人から聞かれた時はしっかり聞いてるし、解決策を出すのも上手いじゃないですか。俺は聞かないですけど。」
「斑目くん、さっきからちょこちょこ余計だよ。」
志島さんにチクリと言われ、斑目さんは顔を背けた。
本田さんは信じられないと言わんばかりに挙動不審だ。
その光景を見ていた東雲先生が口を開いた。
「本田さん。」
「……はい。」
「斑目くんが珍しくここまで言ってくれてるんです。現世窓、見てみませんか? あなたが今まで知らなかった真実を知るため。」
その言葉を聞いた本田さんはグッと下唇を噛むと頷いた。
本田さんの現世窓は病室を映していた。
そこにはベッド横で俯く奥さんと、泣きじゃくる娘さん、その肩を叩く息子さんがいた。
『母さんも、美和も泣かないで……。』
『だって、だってパパ、ストレスで倒れちゃったんだよ……? 絶対あたしが冷たくしたせいじゃん!』
『そんなの言ったら俺だって……。父さん頑張って働いてるのに。』
『……母さんが悪いのよ。この人が自分から話すの苦手なの、知ってたのに。私が甘えて自分から話すのを怠っていた。結局私が自分のことばっかりだったの。』
息子くんが顔を歪めると同時、扉のノックが鳴った。
奥さんが返事をすると、本田さんと同じくらいのおじさんと2人の若い人が入ってきた。
どこかで見覚えのあるような。そんなことを考えていると雪花さんがつぶやいた。
「あれ、職場でビビってた部下じゃん。」
「へぇ。」
そうだ。近くのデスクに座っていた同僚達だ。
傍らにいた斑目さんも雪花さんの言葉で僅かに表情を変えた。ん、よくよく見ると雪花さんに服を掴まれ、足踏まれてないか?
『あなた達は?』
『あの、宗徳さんの同僚のーーと申します。』
奥さんの目が吊り上がるのと同時、3人が頭を下げたのだ。
『何で……。』
『今回のことは申し訳ありませんでした。
謝っても許してもらえないことは分かっています。ですが、彼が上司からパワハラを受けているのを僕たちは見て見ぬふりをしていました。彼が、無理をするのも止めませんでした。』
『アンタらも!』
息子くんは勢いよく彼に駆け寄り、頭を下げる1人の胸ぐらを掴んだ。彼は抵抗することなく、甘んじてその暴力を受け入れる。娘さんも揃って睨みつけた。
本田さんもまた、慌ててモニターに掴みかかりそうになるが、先生に止められた。
『……アンタらも、職場の人間も、空気が、父さんを追い詰めた。』
『重々承知しているつもりです。』
『アンタらが、パパを殺したのよ!』
『……!』
1人が肩を震わせた。その場に緊張感が走る。
『やめなさい。義和、美和。』
その場を収めたのは先程まで俯いて泣いていた母親だった。吊り上がった目はそのままであるが、映す感情は怒りでなく悲しみが勝っているように見える。
『でも……っ、ママ!』
『父さんの前でやめて。』
奥さんは首を横に振った。
『確かに父さんは会社に殺されかけたのかもしれない。でも、父さんを追い詰めたのは私たちも同じ。たった一言、仕事を変えていいよ、辞めていいよって言ってあげればよかったの。
……私たちも人1人の命を蔑ろにしてしまったのよ。』
その場にいた人たちは誰も口を開けなかった。
本田さんのいたところはいわゆるブラック企業だったのかもしれない。上司がモラハラ野郎だったのかもしれない。
もし、どっちかが無ければ死なずに済んだのか。誰かが手を差し伸べれば変わったのか。自分で打破する力を、逃げる決断をする力を持っていればどうにかなったのか。
とてもでないが、俺には想像がつかなかった。
ただ、この後の本田さんの決断は、俺には想像していないものだった。
「志島さん、東雲さん。僕、甦ることにしました。」
あまりにも清々しい表情で決断したのだ。
現世窓の部屋から出て、すぐのことだったから先生以外が何らかのリアクションをした。
「今すぐ、甦りたいと思います。仕事は……斑目くんがいるから大丈夫ですよね。」
「はい、お達者で。」
「……。」
先程まで拘束していた雪花さんの手が離れると、それだけ言って彼はさっさと帰ってしまった。
その背中に本田さんは頭を下げた。
あ、そういえば好き勝手言ったの謝れなかったな。
志島さんは呆れたように笑うと、本田さんに向き直る。
「でも、何でまた。」
本田さんは背中を伸ばすと眩しそうにした。
「僕の病気をきっかけに彼らが変わろうとしているのを止めたくない。それに、家族や少しでも心配してくれた同僚に、『人を殺してしまった』なんて思わせたくないから、後遺症があったとしても甦りたいんです。……それに。」
「それに?」
俺がつい尋ねると、本田さんは微笑んだ。
ああ、この人はこんな風に笑う人なんだ。
「僕も、自分で自分のことを決めてみたくなったんだ。」
あの時の木原さんと同じ目だ。
俺はその言葉に、そうっすねと小さく返した。
【ケース報告書】
対象者:本田宗徳(42)
大手企業開発部門に所属する会社員であったが、日常的に直属の上司よりパワーハラスメントが行われていた。同部署の社員とのコミュニケーションが不足しており、慢性的な残業や作業効率の低下・遅れが周囲との関係性悪化を助長しており、本人の自責的な性格も相まって他社員との溝を深めることとなっていた。また、家族関係も良好とは言えず、喫煙習慣、糖尿病、自律神経障害、味覚障害等のストレス性の疾患を抱えていた。
本件は、過労による不整脈が原因となる意識消失である。幸い、見回りの警備員により早期に発見され、除細動による蘇生が行われたが、低酸素脳症による後遺症が懸念される。
パンドラの鍵による要因確認後、現世窓を利用。本人の意思のもと決定された。今後は心機能低下や低酸素脳症の症状により、在職復帰困難である可能性はあるも、改めて就労環境の見直しを行うきっかけになったのは不幸中の幸いか。今後は労働環境の再検討や家族の支援を受け、日常生活へ戻ることが予想される。
以上、報告とする。
報告者:東雲標




