11.本田宗徳②
この話後半では暴言の描写があります。
苦手な方はご注意ください。
この日は本田さんの希望で解散となった。
というのも、記憶の世界を見た方がいいと東雲先生が推したからだ。
本田さんは、データ管理課から現世窓・扉管理課、つまりは志島さんと同じ部署への異動となっていたそうだ。
本人曰く自分が仕事ができないことが理由らしいが、先生曰く別の理由が根底にありそうとのことだ。
現世に戻らないとしても、今後のためにその理由を知った方がいい、そしてそのヒントが記憶の世界にあると先生は言うのだ。
ただ、説得したというよりは、途中から語気と勢いで押し切ったという方が正しい気がした。
本田さんはそれを聞いて先生の意見に流されたのか、心の準備をしたいので明日の午前でお願いしますと土下座する勢いで頼んでいた。
まぁ、そんな訳で帰路についているわけだけど。
今日は戸締りは東雲先生がするそうで、雪花さんと初めて一緒に帰る。
俺はふと今日のことを尋ねてみた。
「雪花さんは本田さんのことどう思いました?」
「どうって言うと?」
「こう、前の木原さんみたいに、死因っていうんですか? もう予想ついてます?」
正直あの短いやり取りとか、見せてもらった情報を見ても、よく分からなかった。
「まぁ、アンタには分からないかもね。社会経験のない学生でしょ?」
「たぶん高校生っす。……失礼ですけど、雪花さんって何歳なんですか?」
「本当失礼な奴。20歳だよ。」
「20歳!?」
俺が驚くと、低い唸り声と共に射殺すような視線を向けられた。
「いや、何かすげー頼りになりすぎて、そんな歳が近いと思わなくて。」
「……大学も通ってたけどバイトとかに時間割いてたからね。それに、この仕事ついて結構経つから。」
何だろう、今の声音。
これ以上踏み込んでくれるなと言わんばかりの冷たいものだった。
それを証明するように雪花さんは露骨に話題を変えた。
「本田さんの件に関しては、正直なところ、私も正確には分からないけどね。でも、違和感はあったでしょ?」
「ああ、思ったのは異常なまでに甘党だなって。」
「そうだね。はっきり言うと、アレ、完全に味覚障害だよ。おそらく糖尿病の。」
「糖尿病? 甘いもんの取りすぎってことですか?」
「……何にも知らないんだね。」
「高校生なんてそんなもんすよ!」
俺がおかしいのか?
いや、友だちとかもそんな認識のはずだ。
「たぶんよくあるタイプで、食べ過ぎや飲み過ぎ、運動不足やストレスで膵臓の機能が……。」
俺が目を白黒させていたことに気づいたんだろう。
雪花さんはごほん、と咳払いをすると簡潔に述べた。
「あの人、疲れていたし、手もカサカサ、飲み物も何杯も飲んでいた。あとは、異動の理由も大きいよ。」
「ああ、休憩も入れず遅い時間までやってるみたいな?」
「そう。シンプルに仕事量が多いならわかるんだけどね。明らかに悪循環にハマってる。」
「悪循環?」
俺が質問したが、ちょうど別れるところに来てしまって、彼女は「明日分かるよ。」とだけ言ってそのまま帰ってしまった。
未だ雪花さんとは、先生もだけど、距離を感じることがしばしばある。出会って1週間も経ってないし、仕方ないことなんだろうけど。
「……友だち欲しいな。」
業務連絡しか取り合っていないスマホを見つつ、俺はため息をついた。
翌朝、現地集合だったため、言われた通り役所に行った。
とりあえず必要なものを持って、待ち合わせの30分前に役所で待っていた。10分ほど過ぎた頃に本田さんがやってきた。
「す、すみません! お待たせしてしまって!」
「待ってないっすよ。なんとなく早めに来ないと落ち着かない性分で。むしろ気を遣わせてしまってすみません。」
「いえ……僕なんか、仕事もできないんで気を遣うくらいしか役に立たなくて。妻や娘にも情けないってよく怒られますし。職場のことは思い出せないですけど。」
「そうなんだ。でも、真面目に取り組めるのは凄いことっすよね。俺、勉強とか嫌いだから大人になったら苦労しそう。」
「そんなことないよ。君はしっかりしてそうだし。」
本田さんが頭を掻きながら、不安げな表情になった。
「会ったばかりの君に言うのもおかしい話かもしれないけどさ。僕っておどおどしているだろ? だから、真面目で、誠実であればいつか見返りがくるって信じて頑張ってきたんだ。」
確かに真面目に頑張っていればいつか努力は報われると人は言う。
だが、俺は見てしまった。例え、頑張っても報われないことがあるという事実を。
「でも、蓋を開けてみればこうして死んでいるわけだから。どこかで間違っていたんだよね、きっと。」
「そんな……。」
「だから、君達みたいに背筋の伸びた人が少しだけ羨ましい。」
寂しげに笑う本田さんになぜか俺は悔しいと感じた。
何だろう、よく分からないけど自分をそんな風に卑下することは間違いだと思うのだ。
「そんなことないです。本田さんが猫背なのはきっと話す相手に視線を合わせたいからっすよ。俺は唯我独尊ですから!」
「……何それ。使い方間違ってるよ。」
俺の言葉に本田さんはふっと小さく噴き出すと我慢できなかったのか、初めて見せる笑顔を浮かべた。
何だ、落ち着いて話せば全然面接じゃないじゃん。
「俺だってもしかしたら、いかつい理由があってここにいるのかもしれないですし?」
「例えば?」
「えー? えーっと……ヤクザの抗争に巻き込まれたとか?」
「どんな生活をしてたのさ?」
曲がっていた背中が少しずつ伸びてきたようだ。
少し元気つけられたかな、と思っていると、突如本田さんの背中が丸まった。
何事か、そちらに視線をやると見たことのある人がこちらに歩いてきていた。
「あっ、斑目さん!」
「……なんで名前知ってるの?」
俺が志島さんに聞いて、というと少し呆れたようにそう、と小さく呟いた。
「あ、あの、斑目くん!」
「何ですか?」
本田さんは斑目さんに勢いよく頭を下げた。
その様子は斑目さんにとって予期できるものだったらしいが、ほんの少しだけ不快そうにしながら目を細めた。
「……理由なく頭下げられるの、困ります。」
「いえ、引き継ぎを中途半端にしてしまって、申し訳なく思いまして。」
「ああ、志島さんの無茶振りですか。あれ、もうーー。」
「あっ、そうだ!」
俺は本能的にこれ以上の言葉を本田さんに聞かせるのは危険だと判断した。
強引に斑目さんの手を引いて少し離れた位置に連れて行く。彼は意外と素直に応じてくれて、安堵の息を漏らした俺に向けて皮肉めいた声で呟いた。
「……お前、お人好しだね。」
「本田さんに今ここで仕事のこと話したらやばい気しません?」
「だって事実でしょ。」
斑目さんは目を細める。
そして、ため息混じりに無表情のまま淡々と述べていく。
「あの人が何日もかけてできなかった仕事は数時間で終わるものだった。作業効率にも欠けている上、周りへの相談もない。そもそもデスク業務向かないよ、あの人。」
「でも、あの人真面目に頑張って……。」
「真面目に頑張ることは仕事が終わらなくていい理由にならない。」
俺が反論する前にぴしゃりと潰される。
決して怒っているわけではない、ただ事実を話すだけなのだ。
「彼は努力をする方向が間違ってる。我流は限界があるし、他から学ばず非効率的な内容を延々とやる、そのことがいかに周りに迷惑をかけているか、何が自分の長所なのか、彼は自覚すべきだ。」
彼は実力主義のリアリスト。そんでもって仕事はできる。でも、物言いははっきりし過ぎなタイプで、残念だけど俺は斑目さんの言い分が正しいように思った。
「俺が言うまでもなく、それは記憶の世界で思い知らされるんだろうけど。」
「えっ、何で知って……。」
なぜ記憶の世界に潜っていない斑目さんがそのことを知っているのか。
俺の疑問は解消されず、また本田さんにも何も告げることなく彼は役所の奥に向かってしまった。
「アンタ、斑目に会ったの? 大丈夫だった?」
「そんな化け物に会ったみたいな……。」
後から来た雪花さんと先生に、本田さんと志島さんが話している隙を見て先程の会話のことを告げた。
どうやら雪花さんは、彼のことが嫌いらしく憎々しげな目をしながら舌打ちをかましており、先生は苦笑するばかりだ。
「大丈夫っすよ。言い方はキツかったけど、あの人がただ悪口を言ってるようには思えなかったんすよね。」
「彼も頭の回転はいいからね。遠慮がないのは玉に瑕だけど。」
「そんなことないでしょ。あのヒョロ男、運動出来ないし、時間守らないし、すぐ仕事サボるし。人の顔見たら碌なこと言わない。」
「本当は仲良いんじゃ「は?」
あまりにも饒舌に語るもんだから冗談混じりに言ったら雪花さんに片手で顔を潰された。握力半端ない。
嫌よ嫌よも好きのうちかと思ったら本気で嫌よのパターンだった。
俺の哀れな末路を東雲先生が止めずに笑っていると、いつの間にか準備は整っていたらしい。
記憶の世界に行く時間となった。
「お手間おかけして申し訳ないです。よろしくお願いします。」
「こちらこそ。ゆっくりいきましょう。」
「はい。」
東雲先生の笑顔は不思議だ。
見ているとなんだか安心してなんでも話せるような気がしてしまう。あの挙動不審な本田さんもどことなく落ち着きを取り戻した気がした。
しかし、現実とは残酷なもので。
『どうして他の人と同じ仕事の量なのにこんな残業になるんだ!』
『す、すみません……!』
上司らしき男も相当苛立っているのか、本田さんが持参したらしい書類を本田さんに叩きつけた。
辺りの社員もその音にびくりと肩を震わせるも、一瞥するか無視を決める。
『お前はこんなんだからずっとヒラなんだよ! 目障りだ、さっさと使えるモン持ってこい!』
『……はい。』
本田さんは慌てて自分のデスクに向かう。
こんな場面、同僚に見られたくもないだろう。
財布とタバコを持った本田さんはすれ違う上司や話しかけようとしてきた同僚にもそっけなく挨拶すると慌てて喫煙所に向かう。
だが、そこには先客がいて。
『本田先輩って優しいですけど、仕事はできないですよね。』
『開発のアイデアも冴えないし辞めちまった方がいいよ。』
聞かれてるなんて夢にも思わないだろうな。
記憶の本田さんは年齢を重ねれば重ねるほど色濃い疲労と絶望を映し。
へとへとになって家に帰れば、高校生の息子が、中学生の娘が冷たく言葉を吐き捨てる。
『父さんっていっつも仕事仕事って。ちょっとは母さんの話を聞いたら?』
『パパ、ちゃんとお風呂入ってるの? 臭いよ?』
『いつも仕事ばかりで子どものこと少しは考えてよ!』
悲痛のような妻の叫びも今の本田さんにとってはただの毒だ。
職場に目に見えた味方はいない。
家に帰っても労ってくれる家族はいない。
本田さんはどこで心を休めていたんだろう。
彼は薄々気づいていたのかもしれない。
現世の自分を。
なぜ、なくなりかけているのかを。
そして、記憶の彼は倒れた。
深夜の職場でただ1人。胸を抑えて倒れていった。




