10.本田宗徳①
少し長めの案件です。よろしくお願いします。
黄昏探偵事務所に勤め始めて1週間。
俺はいくつか分かったことがある。
1つ目は探偵事務所の立地の悪さ。
探偵事務所は役所を中心としたこの地区の最西端ーもちろんその周りにも郊外的なところはあるがーであり、人の足は少ない。黄昏、というのも夕暮れ時、つまりは西に太陽が沈む時と最西端であることを皮肉った名前だと教わった。
曰く先代がつけたとかなんとか。なんかかっこいいな〜って思ってたら俺が馬鹿だった。
2つ目は東雲先生は人がいいということ。
他事務所のあぶれた仕事を引き取るらしい。よく分からないけど人助けや仕事をするとポイントは、俺たち【半生人】にとっては生活を潤す所謂お金と同等、それを半分譲って残りを雪花さんに渡しているそうだ。
雪花さんは物凄い形相で経営が下手と文句を言っていた。滅茶苦茶怖かった。
そして、3つ目。
仕事は【半生人】の人生相談だけではないということ。梶江さんのような事案も含め、輪っか持ちの人の困りごとを手伝ったりとかもあるらしく、地道な作業の方が多い。
この前は猫探しとかもしたけど、漫画の中の売れない探偵みたいなこともするんだな。
あとは他事務所の応援。俺は下っ端だし要領も得ないから行くことはない。というか、未成年ってことで嫌がられそうだ。それくらいの空気は読める。
そんな俺は本日役所に来ている。
東雲先生に任された報告書の提出だ。
ついでに俺の仮通行証と本格的に助手として業務にあたるための申請とやらをするようにと言われた。
こういう手続きに関しては現世と同じで面倒らしい。黄泉の国もデジタル化された部分と妙に遅れている部分があるもんだから違和感も強い。
ぼんやりと待ち合い席で座っていると、後ろから肩を叩かれた。
何だろうと振り返るとコーヒーとお茶を持った志島さんが立っていた。
「やぁ、元気そうだな。」
「志島さん! お久しぶりっす。この前はありがとうございました。」
「いいよわざわざ立たなくて。隣いいかい?」
「はい。」
俺がこの世界に来た時に応対してくれた志島さんが隣に座る。
「そういえば、東雲くんの所の助手を務めることになったみたいだね。」
「はい! まぁ、色々考えまして。そういえばこの記憶の世界への通行証、ありがとうございました。」
「ああ、それは斑目くんが手配したものだ。彼にお礼を言うといいよ。」
マダラメさん? 何か聞いたことあるな。
俺が首を傾げると志島さんは笑顔でその疑問に答えてくれた。
「この前バイクで送った担当者、通行証を発行したのも彼だよ。」
「ああ、あのかっこいい人!」
「ふっ。」
俺が手を叩きながら言うと何故か志島さんは噴き出した。
「何か俺、変なこと言いました?」
「いや。そうだな、癖はあるが、日笠くんなら仲良くできそうだ。あの子は噛めば噛むほど味が出るタイプの人間だからな。」
「噛……?」
黄泉の国に来ると昆布みたいになる人間もいるのか。
自分を噛んでみたが、全く味はしない。この時志島さんが俺のことを何だコイツって目で見ていたことに気づいておけば良かった。
「それで話は変わるけど今日は何か用事で来ていたのかい?」
「そっす! 今日は報告書と申請のために来ました。」
「……東雲くんは忙しそうかな?」
「午前中は他の事務所の応援行くらしいですけど、午後は普通に事務所いるって言ってました。予約も……入ってないです。」
「なら、話は早い。」
スマホで事務所の予定を見ていると、何やらメールが届いたようだった。
開いてみると、公的なメール、つまりは志島さんからの仕事依頼だった。
「午後から私が対象者を連れて行く。東雲くんによろしく頼むよ。」
「分かりました。」
俺は二つ返事で頷いた。
ただ、木原さんの件以来、平和と言ったらアレだけど込み入った話がなかったから少しだけ緊張しているのも事実だった。
「へぇ。志島さんから。」
「そうなんすよ。あ、もしかして他に受けたい仕事とかありました?」
「大丈夫だよ。というか、断られないようにって志島さんからもう対象者の情報送られてきてるし。本当に根回しの上手い人だよ。」
優しそうな顔をして抜け目のない人なんだなぁとぼんやり思う。
手続きの間も暇だったから何となく志島さんを目で追っていたが、利用者職員問わず色んな人に声をかけられていた。それだけでみんなから慕われて頼りにされる人ということは理解できた。
「でも、志島さんも長いよね。」
「そうなんすか?」
雪花さんが、俺が買ってきた物品を開けて中を確認しながらポツリと呟く。
「まぁ、それに関しては僕から言うことでもないけど。」
「そうだね、私達には関係ない。」
「……そっすかぁ。」
東雲先生は何か理由を知ってるっぽいけど、雪花さんは一線を引いているように見えた。
何となく気まずい空気がその場に流れる。
俺は思い出したかのように手を叩いた。
「そういえば! 今日の買い出しって珍しいっすね、甘いジュースとか紅茶とか、茶菓子まで! 先生はコーヒーばっかだし、雪花さんは水とかお茶ばっかり飲むのに。」
「うっわ、よく見てるね。無駄な観察眼。」
「無駄って。」
褒め言葉をもらえると思いきや辛辣な言葉が飛んできた。
「今回の依頼人、志島さんの同僚みたいで、いただいた情報にも書いてあったから。甘い飲み物を用意してくれって。」
「そうなんすか。」
職場でも把握されてるってことは相当の甘党なんだな。俺が勝手に納得していると、先生も俺に質問してくる。
「そう言う君も甘いものとか間食摂らないよね。」
「あぁ、俺も何となく食べたいって思わないっつーか。嫌いじゃないんですけどね。」
もしかして元々の習慣とかが関わってくるのだろうか。
「確かにアンタ、かなり脚速いし、体脂肪率低そうな身体してる。」
「俺のことそんな目で見てたんですか?」
さっと胸を隠すと、雪花さんに無言で腹パンを食らった。俺の手は胸から腹に移動し、これまた声なく崩れるしかなかった。
そんな話をしていると、いつの間にか事務所の扉は開いていたらしく、崩れ落ちる俺を見て志島さんが声をあげて笑っていた。
俺はその声で初めて依頼人が来ていたことに気づき、慌てて姿勢を正した。
「いやぁ、そんなに経ってないのに随分と馴染んでいるね。安心したよ。」
「ようこそ、黄昏探偵事務所へ。こんにちは、志島さん。」
「はいよ、こんにちは。今日もよろしくお願いしますね。」
「し、失礼します。」
志島さんの後ろから出てきたのは、志島さんと同じスーツを身に纏った中年の男性だった。優しそうだけど、どこか気弱そうで落ち着かなく辺りを見回している。
「どうぞ、おかけください。」
「……ありがとうございます。」
東雲先生が勧めた通りの場所に一礼して素早く座る。面接か。見かけや服装も清潔だし、やっぱりとてもいい人そうだ。
俺は苦笑いしながら、学生の俺にまで恐縮そうにしている男の人に尋ねた。
「飲み物出しますけど、何か好きなものありますか?」
「ええと、皆さんの好きなもので。あ、コーヒー飲まれてるなら、そ、それで大丈夫ですから。」
キッチンの1番前を陣取っていたコーヒー豆が目に入ったらしい。
えーと、東雲先生の話なら、この人は甘党でジュースとか紅茶が好きなんだよな。しかも、この遠慮しいな態度を見る限り正解はーー。
「俺、コーヒー苦手なんですよね。良ければ皆さん、紅茶とかジュース飲みたいんすけど付き合っていただけませんか?」
「私もコーヒー苦手。というか、好きなの東雲だけだし。私は紅茶飲みたいな。本田さんと志島さんも味方についてくれませんか?」
「そうだなぁ、女の子と可愛い助手くんに言われたらな。本田くんもいいかな。」
「は、はい。」
「……僕だってコーヒー以外も飲むよ。」
意図せず少数派にされた先生は少し拗ねたように唇を尖らせながら、男の人の正面に座った。
良かった、みんなフォローしてくれた。
俺は紅茶を準備して各々の前に置いた。甘党なら角砂糖入れとかミルクも出しといた方がいいかな。珍しく気の利く行動をした俺はテーブルに茶菓子とあわせてセットした。
空いている席は残念ながらお誕生日席だけだったが、諦めてその席に腰を下ろした。
みんなが紅茶を飲んでいるのを見ていたが、俺はある光景に一瞬固まった。
男の人が信じられない量の角砂糖をどばどば入れてからミルクも投入しているのだ。
甘党にしたって限度があるのではなかろうか。
いや、でも変に指摘して拗れるのは避けたい。黙っていよう。
全員が一息つくと東雲先生が口を開いた。
「では、改めてお名前からよろしいですか。」
「はい!」
いや、本当に面接か。俺もはらはらしてしまう。
それを志島さんが苦笑しつつ、雪花さんは冷たい目で見ていることなんて気づかなかったが。
「私、本田宗徳と申します。歳は42歳、家族は妻と娘、息子、とある大手企業の開発部で働いております。現在は役所のデータ管理課に所属しております。近々異動の命をいただきましたが、『パンドラの鍵』が発現しましたので、休職しております。」
「面接じゃん……。」
「雪花さん。」
机の下で俺が足を突くと彼女は口を横にキュッと結んだ。俺だって突っ込みたいわ。
「期間は残り2日と18時間……ですが。」
「ですが?」
俺は予想しない接続詞につい尋ねてしまう。
本田さんは弱々しく笑うと、紅茶風味の砂糖水を一気に飲み干した。
「私は過去を知ることなく、このまま命を終えたいのです。」
思わぬ言葉に俺は目を見張る。
ただ、悲しいことにその時の本田さんはここに来て初めて肩の力を抜いたように見えたのだ。
【登場人物】
志島武久
61歳、サラリーマン、163cm
性格:面倒見がいい、懐が深い、計画的
役所の【半生人】に関する業務担当であり、現世窓・記憶の世界への扉の管理人の中でも人気が高い。とある部下が好き勝手にやっていることを黙認しているが、本当に不味い時には止めてくれる。




