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プロトタイプシリーズ

ひらく拳

作者: 雲野 蜻蛉


 順番をつげる女教諭のひびきのよい声は、サキア・ドライアーネにとって死刑宣告とはいかないまでも、それにちかい圧迫感をともなうものだった。まるで、これからうける折檻を覚悟せよ、そう告げられているかのようだ。

 どこか嘲りの表情をにじませたまえの生徒に場所をゆずられ、彼女はくらい気持ちのまま開始位置にたった。


 ここは、魔術と戦獣を生み出したといわれ、古の歴史が息づく国家、ウェラヌスキア。貴族や俊英のみをあつめた国内随一の魔導学校、ロマネサ・ネシア学園の魔術鍛練場。魔導の授業のただなかである。

 サクことサキア・ドライアーネは、切りそろえた藁色の前髪のしたからのぞく、おずおずとした不安げな金の瞳を、数メートルさきにたつ的の人形にむけた。 

 サクはことし九歳。来年には中等部高学年の仲間入りをする。にもかかわらず、この実技の授業は何年をへても、彼女のなかに重石としていすわり続けていた。

 実家のドライアーネは国内でも屈指の魔術の名家であり、また、一等の貴族でもあった。彼女はそんな家の長女として生をうけた。とうぜんのことながら周囲の望みはおおきく、跡継ぎとして期待される立場にある。

「はじめ!」

 横あいにたつ教諭の号令に、サクはおずおずと右手をあげ、口内で言霊をとなえた。身のうちに魔力の高まりを感じながら、それを掌一点に集中するイメージを維持する。

「ヴォルグ!」

 となえると同時、サクの右手から炎の玉が発射される。炎はかろうじて的にとどき、その表面にひかえめな焦げ跡をのこした。

 誰にも悟られぬようサクはほっと息を吐く。が、背後から聴こえる級友たちのクスクスという嗤い声は、魔法を撃つまえの不安とちがって、かき消すことはできなかった。女教諭はふかぶかと嘆息する。

「ドライアーネさん、的に届いたくらいでなにを安心しているのです。これではとても及第とはいえませんよ」

 サクはふたたびシュンとして、のろのろともとの位置にもどった。

 つぎに呼ばれたのは長い髪をした気の強そうな女生徒で、いかにも貴族令嬢といった風格をまとっていた。彼女はすれちがうサクとは対照的に、自信満々といった様子で開始位置にたつ。

「ザァルケ!」

 教諭の号令とともに発された彼女の魔法は、もはやたんなる下級の術とは異なるものだった。青白い刃となったそれは、きらめく光の粉を散らせながら的へと突き刺さり、一瞬で目標を業火のなかへとつつみ込んだ。おぉーっという級友たちの感嘆の声のなか、サクはかかえた両膝に顔をうずめた。

 まるではかったように、鐘が授業終了の音色を奏でる。

「つぎの座学は幻術魔法の章からです。分身投影の項から読んでおくように!」

 教諭の声がどこかおぼろげにきこえた。まさにいまの自分にぴったりの魔術だ。サクはそうおもった。

 ほんとうに、どこかに姿をくらませられるなら、どれほどよいことだろう。




「おい、サキア!」

 下校時。にわかに呼ばれてサクはふり返った。声の主は、おなじ年頃の男子生徒たちだ。ひとりは自分と教室を同じくする、いわゆるクラスメイトというやつで、ほかの三人はよく知らない顔だ。

 そのひとりと三人ほどは親しげにあつまって、にやにや笑いを浮かべてこちらをみている。サクは暗い表情を隠そうともせず、しかし無視することもなく返事をうった。

「なに」

「オマエ、ちっとも進歩しないな! ちゃんと自主練してんのか? そんなんじゃ、いつまでたっても妹に追いつけないぞ」

「そーそー、こいつの妹、 魔術の天才少女だって評判だしな。来年飛び級するってはなしじゃん」

「このままじゃ跡継ぎの座も、妹にもってかれるんじゃね?」

 ギャハハハと品のない嗤いをあげる少年たち。一様に下校しようと家の迎えをまつ生徒たちのなかにも、数人は顔をしかめるものもいたが、誰もおもてだって注意しようとするものはいなかった。サクはまた、はぁっと溜息をついて答えた。

「そうだったらなに?」

「あ?」男子生徒たちの表情が急にけわしくなる。

「······ならもういい?」

 相手の反応を待ってから、サクはふいっと視線をきる。挑発を思わぬかたちで流された男子生徒たちは、怒り顔でなにか悪口を吐いてやろうと口をモゴモゴさせていたが、ついに果たせずグッと呑みこんだ。

「勘違いすんなよ! オマエなんか誰も認めてない! 家がドライアーネってだけなんだからな!」

 悔しまぎれのすて台詞をはき、生徒たちはぞろぞろとつれだって姿を消した。サクはそれをチラと横目で見ながら、また溜息をついた。

 そんなことわかってる。もう飽きるほど聴かされてきた······。



「くそっ、ムカつくぜアイツ。泣きだせよ、普通によ!」

 校門からはなれた男子生徒たちは、口惜しそうにブツブツと負け惜しみを言いながらそぞろ歩いていた。

「何が『そうだったらなに?』だ! 家柄だけがとりえのくせに!」

「昇級できたのだって絶対そのおかげだぜ!」

「あぁ! 見た目がちょっといいってだけのくせにな!」

 仲間内のひとりがおもわず口走ったひとことに、ほかの三人はいっせいにそのひとりを凝視する。うっかりと本音を暴露してしまった少年は慌ててとりつくろった。

「いや、ホラ······一般的にって話で! 誰ともツルまねーし、性格ブスだけどさ」

「·········」

 否定も肯定もせずに、少年たちは沈黙する。 

 サクと同じクラスの、くせっ毛にソバカス顔をした少年が、脱線した話題にいらだちを隠そうともせずに、いまいましげに吐きすてた。

「だからなんだってんだ。この国じゃ、魔術学の出来がすべてだ。見た目がどーだの、ましてや男か女かなんて関係ない。けっきょく実力のある家柄が、ぜんぶ持ってっちまうんだ」

にがい唾をペッと花壇の花にひっかけ、また歩きだす。

 ······フワリ。

 そのわきを、髪をなびかせながらひとりの少女がとおり過ぎた。

 やや青味をおびたような黒の髪を肩口でたらし、おおきな灰色の瞳にはキラキラと光をたたえる、誰が見みてもひと目で印象にのこるであろう女子生徒である。

 そのすれ違いは、たとえば火と氷といったような、まったく異質なものが行きかったような感覚をともなっていた。いや、なにも少年達ばかりにかぎった話ではない。背丈がめだって大きいというわけでもない。にもかかわらず、その少女はまわりのどの生徒と見比べても、一等大人びた雰囲気をまとっていた。

 少女は行きちがいざま、少年たちの話をきくともなしに聞いていたが、唇をむすんでまた歩きだす。

「そう······この国では魔術の出来がすべて」

 彼女はそのまま歩いて校庭へとでた。そしてまたまっすぐに歩をすすめ、向こう側で顔をあげたサクに近づき、微妙な距離をとって止まる。

 サクは彼女が近づいてきた瞬間こそ目をあわせたが、すぐに気まずそうにそっぽを向いた。そんな彼女を、ブルージュの髪をした少女は平然と見すえる。だがこちらも無言のままで、声をかける素振りはみられなかった。

 ······だから私はここにいる。

 そんなふたりのもとに、浮くほどには派手すぎない礼服を着こんだ男がゆっくりと歩みより、慇懃な仕草で頭をさげた。

「サキアお嬢様、テレシアお嬢様、お待たせいたしました······」





 馬車ばどっしりとした赤レンガ造りの門を抜け、広大な前庭を所有する邸宅のまえで止まった。

 人の背丈の倍はありそうなおおきな扉をくぐると、そのなかでは、執事が二名のメイド頭をしたがえて、ふたりの令嬢の到着を待ちかまえていた。全員がまるで息をあわせたように、ぴったりと同時に頭をさげる。

「お帰りなさいませ、サキア様、テレシア様」

 屋敷のなかをテレシアが先に、サクが後になり、ふたりのメイド頭をつれて進む。

 自宅。そう呼ぶにはどこか他人行儀な家だ。

 じっさい、この邸には冬から春のあいだにだけ住まいをするのだから、いままでの人生ぜんぶで考えたとしても、寝起きした時間は半分にも満ちるまい。

 子供にとって広すぎるこの邸宅には、そこかしこにさみしげな暗がりがあり、なんだか色々な、幽霊というよりはもっと、人の生の感情がこごって漂っているような感じがして、サクは好きになれなかった。

 いつからだろう、こんなことを考えてしまうようになったのは······。

 またヒソヒソと噂しあう声がもれ聞こえてくる。裏階段のほうからだろうか。

「しかし、奥様もよくやるよな。いくら家格を保つためとはいえ、まさか子供ごと新しい婿をもらっちまうは」

「まったくだな。あの家は家格こそそこそこだが、まさか遊びずきの次男坊のほうだってんだから」

「それもこれも、あのテレシア様がいてこそだってさあ。まったく、父娘そろってやるもんだね。このままおふたりにお子が生まれなきゃ、あの方がそっくり継いでっちまう」

「まえの旦那様も罪なかただよ。仕方ないとはいえ、サキア様をおひとり、おいてっちまうとはねえ。どうせあのお嬢様じゃ、みこみは暗いだろうに···」

 サクは哀しそうに目を伏せた。そんな彼女を、かたわらのメイド頭は気の毒そうにみつめる。

 一方のテレシアも、けわしい表情をみせはしていたが、それでもぐっとこらえて無言のままを貫いた。さっしたテレシアつきのメイド頭は、コホンとかるく、だがはっきりと周囲にきこえるように空咳をした。

 慌てたような気配がして、今度はシィンと不気味なほど静まり返る。

「······まったく。使用人が主人家を噂の種にすることはよくありますが、こうまであからさまでは···家の品格が疑われかねませんわね」

 涼しい顔のまま、できそうなそのメイド頭はぽつりとつぶやいた。


 ほどなくふたりは、両親のまつ居間へとやってきた。とりついだメイドが令嬢ふたりの帰宅をしらせにひっこむと、すぐにでてきて「どうそお入りください」と頭を下げ、わきへとそれる。

 扉が静かに開き、なにごとか談笑していたひと組の中年の男女が、まっすぐこちらを見すえた。

「ただいま帰りましたわ、お父様、お母様」

「お帰り、テレシア。今日もつつがなかったかね」

 しゃれた最新のスーツを着こみ、暖炉の角にもたれるようにして立っていた男がさきに応えた。かたわらで椅子に腰を掛けていたロングドレスの女性もうなずいて返す。

「ただいま帰りました。お父様、お母様···」

 テレシアにつづいてサクも挨拶する。だが、新しい父親となった男は「ああ」としかこたえず、実の母であるはずの人も、まるでなにかを量るような、鋭い視線を彼女にむけたまま答えなかった。

 サクはこの視線が苦手だった。母のこの視線を浴びるたび、自分の成長の遅さを正確に見抜かれ、なじられているような気分にさせられるからだ。

 そして最後は、きまって溜息で終わるのだ。今回もそうだった。

「ふたりともお帰り。もういいわ。さがって休みなさい」

 その言葉をしめに、ふたりは早くも廊下へと退出した。

 テレシアは自分つきのメイド頭を従え、さっさと自室へむかったが、サクはくらい顔をしたまま、なにかを求めるようにまた扉をみつめた。扉は換気のためかうっすらと開いたままになっており、室内の光がよりくらい廊下へと流れだしている。

「しかしサキアの、あのパッとしない感じはどうにかならないのかね。このままでは、この家の威厳おとしめるいっぽうだよ」

 新父のやれやれといった感じの声だ。

「したかないわ。父親のほうに似てしまったのだから」

「まったく······これだから家名優先の婚儀というものはダメなのさ。つねづね僕もそう提言しているのだがね」

「あら、貴方も人のことは言えなくてよ? そのぶんは、テレシアに期待しているわ」

「おやおや、これは手厳しいな」

 母たちの笑い声から逃げるように、サクは無言のまま自室へと駆けだしていた。




 ドライアーネ家は、貴族の家としてはめずらしく、朝夕の食事を親子そろってとる、という伝統がある。でもこの日は気分が悪いからとゆるしをえて、食事は部屋でとることにした。

 ひとり用のテーブルのうえで、サクはのろのろとナイフとフォークを使っていた。先ほどからちっともそれが進んでいない。そばに控えていたメイド頭は、また気の毒そうな表情でその様子をうかがっていたが、やがてしばしの逡巡ののち、唐突にこう切りだした。

「お嬢様、すこしよろしいでしょうか」

「···なに?」サクは食器をつかう手をとめて、気怠そうにメイド頭をみあげる。

「私の弟で、シガともうす者がいるのですが、いちどお会いになっていただけませんでしょうか······」

「ふぅん。ホシに弟なんていたんだ···」サクはたいした関心もないように言った。

「···で? その人がどうしたの?」

 ごくり。ホシと呼ばれたメイド頭は、その異国のよそおいを感じさせる顔にためらいをみせつつ、唾をのんだ。なんだろう、勝手に知らないものを自分にひき合わせるのが、恐ろしいんだろうか。

「ハイ。じつは先ごろ、諸国をめぐる修練の旅の途上、私に会いにこの国へ身をよせまして。拳闘術の師範をつとめております」

「ケントウジュツ? それってなに?」

「おもに肉体のみをつかって敵を制す、戦術のひとつです」

「肉体って···身体だけで? 武器も魔法も使わずに、そんなことできるの?」

 サクは目を見張って、ホシの顔をみつめた。そんな戦術があるとは聞いたこともなかった。ある意味で、魔法とは正反対の考えかたではないか。

「とにかく。いろいろな国をまわってきた男なので、お話をきくだけでも、きっとお心も晴れると存じます」

「ふぅん···」

 サクはそれだけ言って、切り分けていた魚の切り身をほおばった。その視線は、目のまえの皿を見ているようで、どこか別のところをさまよっているのが、ホシにはわかった。




 翌日は朝からよく晴れていた。サクは末弟のヤーノスにこわれ、気持ちのよい庭で彼の遊び相手をしていた。ヤーノスは新父がつれてきたテレシアの弟にあたる子で、まだ幼く、サクに懐いていた。

「いないと思ったら、こんなトコにいたんですの」

 サクが顔をあげると、むこうからテレシアが歩いてきたところだった。テレシアはヤーノスに笑みかけると、サクへと向きなおった。

「私の弟を遊ばせてくれて感謝しますわ、お姉様」

 険をかくさぬ物言いに、サクは表情を曇らせた。

「貴女のって···私にとってもヤーノスは弟」

「エエ、そうですわね。ということは、私も妹としてふるまわなければならないのかしら」

「···そんな言いかたはやめて。同い年でしょう」

 くいくい、と、テレシアの後ろにまわったヤーノスが姉の袖をひいて、心配そうにみあげた。その視線に、テレシアはハーッと、大きくひとつ溜息をついて話をあらためる。

「······聞きましたわよ、先日のこと。またからかわれたそうではないですか。なぜ反論しないのです。そんなことだからこのドライアーネの家がなめられてしまうのです」

 サクは静かに目線をふせた。

 家がなめられてしまう、か······

「······それって、そんなに大切なこと? あの人達が言ったことは事実だし、私にはどう反論すればいいのかわからなかっだけ」

「大切! 大切かですって!」

 背後でヤーノスがビクリと身を縮めるのにも気づかず、テレシアはとつぜん声を荒げた。

「貴女···! 貴女がそんなだから私達はこんなところに······っ!」

 そのまま怒りでわなわなと震えていたが、なんとか自制してそれをおさめた。その銀に輝く瞳で正面からサクをとらえる。

「このさいハッキリ言っておきます! 私はこの家を、貴女にかわって継ぐために貰われてきたのです。私は貴女から家督を奪う! でもお下がりなんて願いさげよ。私は、私の力だけでも立派に家を興せたのだとまわりに認めさせてやる、絶対に! そのために、正々堂々と貴女と決着をつけます! たとえ貴女がどんなに拒んでも! 私がここにいるかぎり、私との対立はさけられないとそう思いなさい!」

 それだけ言うと、テレシアはヤーノスの手をひき、くるりと背をむけて歩みさった。

 一方的にまくしたてられたサクは、しばらくそのままぼうっとしていた。

 うすうす感じてはいた。やはり彼女は、この家に喜んで来たわけではないんだ。いってみれば彼女もまた、大人たちの都合にふり回された──いや、もっといえば、サクの犠牲者だったのだ。

 それは嫌われてもしかたがない。が、だからといって、自分にどうしろというのだろう。才能を持って生まれたテレシアには、無いものの気持ちなんてしょせんわからないのだ。

 そう思いながらも、たったいま自信の内に生まれた不思議な感情に、サクは戸惑っていた。それは勝手なことをいう親やテレシアにたいする怒りであり、哀しみでもあったが、もっとなにか別のものをふくんでいるような気もして、なぜだか彼女をどうしようもなく不安にさせた。





 湖のほとりの森のなかで、サクは紙片から顔をあげた。ホシからもらった地図かによれば、もうそろそろのはずだ。ひとりでとんなところまで来たのは初めてだった。迷ったのではないかとすこしの不安はあったが、それ以上に、ちがうドキドキが彼女の胸を満たしていた。

 ふいに鳥たちが騒ぎたつ音に、サクはビクリと身をふるわせた。なにかに驚いて飛びたったのだとサクは思った。怖かったが、おっかなびっくり、その方向へ歩みをすすめた。

 さほども行かぬうちに、唐突に樹々がとぎれ、きらきらとした輝きをたたえる湖がいっぺんに視界へ飛び込んできた。あまりのまばゆさに一瞬目を細めたが、その美しい光景に、サクはしばらくの間、ぼうっとながめ入ってしまった。

 彼女を現実にひき戻したのは、何者かのたてた水音だった。こちら側の岸にちかい湖面に、なにかしらの生物が二問足で立っているのが見えた。反射する光のせいで、影しか見ることはできない。

 ひょっとして熊じゃないかしら。サクはゾッとして総毛だった。

 彼女が瞬間そう思ってしまったのも無理はない。遠目からみてもその影は大きかった。が、影はあきらかに人の動きで、熊にしてはほそい両の腕をおおきくぐるりと回すと静かに腰をおとす。

 今度はシィンと、まるでその風景をきりとった絵画のなかへでも落ちこんでしまったかのように時間がとまった。

「──ふッ!」

 唐突に。気合いとともに拳が突きだされた。ほぼ同時に、ドンッという見えない衝撃が、かなり離れているはずのサクの全身を駆けぬけていく。

 最初、それはあの聞きなれぬかけ声によるものだと彼女は思っていた。だがそうではなかった。人影が拳をつき出したつぎの瞬間、なにもなかった──湖のほかには──はずの空間が爆ぜ、湖の水面を半円球状にえぐった。舞い散った水しぶきが、人影のまわりに時雨となってやさしく振りそそいだ。

 気づいたときには、サクは駆けだしていた。目の前にもし鏡があったなら、サクは自分でも驚いたことだろう。おおきく見開かれた両の瞳にはキラキラとした輝きがともり、息がきれそうになるのもまったく苦にならなかった。

 サクは勢いそのまま湖畔へといたり、人影が殴りつけた空間に、必死に目をこらした。

 感じとれるかぎり、人影からはいっさいの魔力の放射もなかった。なのに、まるで風や炎の魔法を使ったかのように爆発をひきおこしたのだ。

 ──いったいなぜ! どうして? 魔法も使わずにこんなことができるものなの?

 息を切らせているサクの気配に気づいて、人影がこちらをふり向いた。

「おや、客とは珍しいな。どこの迷子だ?」

 サクは男を見上げた。

 大きい。背もさることながら、がっちりとした身体に隆々とした筋肉の鎧をまとい、胸板はレンガよりも分厚かった。学園の先生たちよりも、母の新しい相手よりも、ひと回りほどにちがう。すくなくともサクが目にしたことのある男性のなかでは群を抜いていた。

 サクはしばらく、その巨体に圧倒されたようにみあげていたが、唐突にハッと我に返って顔をそむけた。

 男は上半身裸だったのだ。サクは、自らの顔が耳まで赤くなっていくのを感じた。岸べりにおいてあった、男のものであろうシャッをひっつかんでツカツカと近よると、無言のままズイとつき出した。男のほうもなんのことやらと、ぽかんとしていたが、突如大声で笑いだした。

「そーかそーか! おチビは男の裸みるのは初めてか! こりゃあ悪かったな! 許せ許せ」

 そういって、あろうことかサクの頭を、その大きな手でぐりぐりと乱暴になでまわした。

 かりにも女の子である、しかも貴族の令嬢である自分の頭を、まるでどこか庶民の悪童にでもそうするかのように撫でまわされ、サクは心中おおいに混乱した。いったい自分の身になにが起きているのかもわからなくなっていたが、とりあえず、男の手をペシッとはたいておいた。



「ホウ? お前がアネキが書いてよこした子か」

 数分後。きちんと服を着た男のまえに、サクはちぢこまって座っていた。

 ここは湖畔にたつ小屋の中。もとは狩人か漁夫がつかう休憩小屋だろうか。ひろさはサクの部屋よりあきらかにせまい。だが外目の荒々しさとは違い、なかは意外にもすっきりと片付けられており、そのせいか、どことなく落ち着くような感じをサクに与えた。大人の男のひとり暮らしというものがどういうものなのかは知らないが、なんとなく、目のまえにすわる男のイメージとは結びつかないような気もした。

 男は、さっきまでザンバラだった、肩のあたりまである黒っぽい髪を後ろで束ねていた。髭はきれいに剃ってあるのがわかる。

 ズボンもさっき濡れたものからよりしっかりとした、おそらくは動物の革をなめしてつくられたのであろうものに着替えていたが、足は相変わらず裸足のままだ。小屋の入口にはブーツが一足おいてあったから、外へ出るときなどは普通にそれをはくのだろう。小屋のなかを汚さないためかもしれない。ただ自分は土足で失礼させてもらっている。

 こうして向きあっていると、まるで目のまえに岩があるかのように感じられる。もしもそのたかい位置から自分を見下ろしてくる茶色い瞳に陽気な輝きがみてとれなかったなら、あのとき、すぐにでも悲鳴をあげて逃げだしていただろう。

 サクの視線に気づいたのか、男はぐるり部屋を見回していった。

「この国にいるあいだ、たのんで貸してもらってるんだ。湖の番もかねてってことでな。物もすくないし、旅ぐらしをしていると、これくらいの整理整頓は身につくもんさ」

 意外そうだな、とわらう男に、サクはプルプルと首をふった。

「さて、じゃあ自己紹介といくか。俺はホシの弟でシガ。シガ・バンドレットという。みてのとおり、諸国をめぐって拳闘術の有用性を説いてまわっている」

「サキア・ドライアーネと申します」

 本来なら、立ちあがって礼をするところなのだろうが、シガがそうしたように、サクもあてがわれた敷物のうえに座ったまま頭だけをぺこりと下げた。

「ふぅん。ドライアーネねェ。ソイツは大変だ。この国でも五指にはいる大貴族サマだ」

 そのわりには、ちっともおそれ入っていない口調である。サクの前のカップに茶をついでくれ、それが終わると、自分のカップにもドボドボと注いだ。

「で、その御嬢さんがオレになんの用だ?」

 サクは一瞬口ごもった。ここまで来ておきながら、とくにはっきりとした目的があったわけではなかった。ただ、あのとき感じた恐れから逃げるようにしてここまで来てしまっただけだったからだ。サクはそっと目をふせて答えた。

「ホシが······貴方はいろんな国を回っているから、話だけでもきければと思って······」

「ふぅん、そうかい」

 シガはぐびっと茶をひと口やると、じっとサクの生っ白い顔をみつめてから言った。

「だったら残念だったな。俺は道化師じゃない。暇そうにみえても、お前の暇つぶしにつき合ってやる気はない」

 いわれてサクはシュンとなった。それはそうだ。この人はこの国の民でさえない。名ばかりとはいえ、私のような貴族の子供に愛想よくする必要はないんだ。

 そもそも、ほんとうに、真剣に話がききたかったわけじゃない。私が求めていたのはもっと······。

 だが彼女は、それをうまく言葉にすることはできなかった。

 サクはうすい溜息をついてたち上がると、礼をして戸口へとむかった。戸に手をかけたとき、シガが呼び止めるように口をひらいた。

「よけいなお世話だとはおもうが、言っとく。オマエのまわりには、良しにつけ悪しきにつけ、これからもおおくの人間が群がってくるだろう。ソイツらがすべて、善意だけで寄ってくるとはおもわないことだ。

 ウチのアネキにしたってそうさ。まったくオマエを心配していないわけじゃないだろうが、俺がオマエの知遇をえることで、この地に道場でも建てて根付けるんじゃないか、なんて考えがゼロだったわけじゃない。供もつれず、ホイホイひとりでこんなところまで来るんじゃない。憶えておくこった」

 サクは戸口に手をかけたまま、自虐的にフッと笑った。

「···私にそんな利用価値なんてない。ひとりで来たのは、誰も私の供になりたがらないから。得することなんてなにもないもの」

シガはギロッとサクを睨むようにみた。

「ねぇ···アレ、どうやったの?」

「あん?」

 サクはひらきなおって振りかえった。どうせもう嫌われているのだ。ちょっとくらい図々しいと思われようが、どうってことはない。

「湖でやってたアレ。なんで魔力も使わずにあんなことが出来たの?」



「厳密にいうと、魔力をまったく使わずにやったことじゃない」

 湖岸。シガはサクを外につれだすと、岸に彼女をのこし、ザブザブと湖に入っていった。膝くらいまで水につかると、さっきと同じようにして立った。

「おおくの人間は魔法の印象がつよすぎるせいか、魔力的な力と肉体的な力はべつものだと思っているが、じつはちがう。そのもとは同じ。ただ働きが違うだけだ」

 シガは腰をおとすと、おごそかにふかく息をすい、気を落ちつけた。

 そのままどんどん静まっていくかにおもわれた刹那、ゆっくりとすべるように掌を突きだした。

 ブワッ!

 周囲の空気が唸りをたてて、背後にたつサクの髪をも乱してすぎた。

 これだ!

 サクは目を見張って、その様を食い入るように見つめた。

 さきほどとはちがい、シガの動きはとてもゆっくりであった。ただ、それでさえ、その動作ひとつひとつが、まるで周りの空気をうねりもそのままにまきこんで、拳の先へとつれていくような。まるで水のなかを蹴ったときのようなたしかな力として、つぎつぎと前方の空間にくり出される。

 そのたびに、湖水はその面をうがたれ、さっきとおなじようにこまやかな雨へと変じた。

 シガは息をつぐと、フム、と自身の出来を確かめるようにしてからふり返った。

「ま、こんなとこだ。ひろい世界にゃ、ホントに腕力だけで同じことをやってのけちまうような奴もいるんだろうが、俺はまだこの程度だな」

 サクはさらに目をまるくした。環境上、サクは強力な大人の魔法使いをおおく見てきた。そのうえで、どんな大魔術を行使した先達よりも、己れの身ひとつでこんなことを成してしまう目のまえの男のほうが、よっぽどすごく思えた。さらにその上があるなんて、とても想像がつかない。

「魔法は自己の魔力でもって自然のエネルギーに力をくわえ、バランスをくずすことで奇蹟の業をひきおこす。対して、この術は大自然のちからをとり入れることで自己のバランスをたもち、限界を超えた業をなす。だがふたつの根っこはどちらもおなじ。ココ」

 シガはドンと胸をたたいた。

「つまり魂の力だ」

 サクは、ふへぇと、自分でも間抜けだな、と思うような息をもらした。でもたしかに、考えてみればそうかもしれない。だってどちらも、けっきょくは人がつかう術なのだ。

「どっちも人が編みだしたもの、だから······?」

「そういうことだ」

 サクがもらしたつぶやきに、シガは興味深そうに口の端をゆがめた。

 サクはドキドキする鼓動を必死におさえた。かつて、これほど胸の内が高鳴ったことなどなかった。あまりに耳に響いて、これから口にしようとする言葉をまとめるのもままならないほどだ。

「···私にも」

 サクはやっとそれだけしぼり出した。

「私みたいな者でも出来ますか? そんなふうに······」

「············」

 シガは真顔になって、だが彼女の問いには答えず、湖からあがると手ぬぐいでガシガシと頭をふいた。

「モヤモヤを晴らすには、たしかに拳闘術はうってつけだ。なにかを始めるのにも、たいした理由なんて必要ない。だが」

 そこで手の動きをぴたりと止め、布の奥から鋭い眼光をサクにそそいだ。

「あえて問う。おまえは何のために俺から学ぶ」

 よきせぬ質問に、サクは面食らった。

「それは······いまのままの自分じゃイヤだから······」

「なぜイヤなんだ? いいじゃないか、べつに弱くったって。お前は貴族の跡継ぎだ。よっぽどのことがないかぎり戦場に立つこともない。家を継いで、婿をとって子を育て、一生裕福に暮らしていける。陰口をたたく奴がなんだ。家の力でも金の力でもつかってねじ伏せろ。ガキの時代なんて、どうせあっという間に終わるんだ」

 サクはふるふると首を横にふる。なぜだかくやしくて、涙があふれてくる。でも、言葉は胸につかえたまま、出てきてはくれない。

「それとも強くなって仕返しがしたいか。自分を見下してきた連中をぶちのめし、チンケな見栄をズタズタにしてやりたいか」

 サクは必死に首をふり続ける。どうして? なんで声が、言葉が出てきてくれないの? 私は違う。そんな、そんなんじゃない。

「それとも親に認められたいからか? 魔法の力しか認めず、了見のせまいママに、誉めてもらいたいのか? 自分の子をみはなして、ヨソから出来る子をもらってまで家の体面をとりつくろおうとする冷たい人に!」

「私にだって心はある!」

 気を失いそうになる感情の嵐がプツリと途切れた途端、サクは大声で叫んでいた。その声は静かな湖と森の空気をふるわせ、あわてた鳥がむこうの梢から、かしましく飛び立つほどに迫力がこもっていた。

「私にだって···心はあるからです······」

 サクはくり返した。涙が後から後からあふれだす。顔は涙と鼻水でくしゃくしゃになっている。だが、サクはちっともかまわなかった。

「家が嫌いなんじゃない! どうでもいいわけがない! だって···だって私の家なんだもの! 私をイジメた連中に仕返しだってしたい! 自分よりもおとる私に敗けた気分はどうだって、笑ってやりたい! 貴女は間違ってる、ホラ私をみて、魔法なんかなくったって私は凄い! だから、あんな気にくわない男も、生意気な妹もみんな追いだしてって!」

 せきを切ったように言葉をはき出し、サクはひたすら泣いた。シガはそんな彼女の様子をみて、静かに歩みよると、ぽんぽんと頭を撫でた。

「······いい叫びだ。大人でも、自分のドロドロしたものをはきだすのは難しい。俺の魂にもビリビリきたぜ」

 サクはずぶ濡れなままのシガの服にとりすがり、顔を隠して泣きつづけた。





 まず、最初にサクがシガからさずかったのは、道着だった。どこにもひっかける部分のないただの筒のような肌着と、もうしわけ程度に袖のついた、前であわせる型の上着に、膝とすねに革の当てのついたズボンと靴がひと組。

 シガは葛籠から出してきたそれらをサクにおしつけて言った。

「まえの弟子がガキのころに着けていた余りのヤツだ。ちょいと大きいかもしれんがじきに合うようになる」

 サクはどうみても、ただ端を縫いつけて円くしただけのような布キレをつまみあげて絶句した。肩はおろか、胸元までまるだしではないか。シガはそれをみて笑った。

「バァカ! なにイッチョマエに恥ずかしがってる。毎日泥まぶれで家まで帰るつもりか? いっとくが、ほつれたら自分で縫えよ。稽古がすんだら毎日湖で洗って、そこの物干しに干して帰れ。よっぽどくたびれたら新しいのをやる」

 サクは目を白黒させながらもうなずいた。服を自分であらって、自分で縫う? 洗うのはともかく、針なんてもったこともない。

「返事は、ハイ、師範! だ」

「ハイッ、師範っ」

 シガは腰に手をあててうなずいた。

「ウム。このさいだからハッキリ言っておこう。これから···つーか、まあ最初っからだったが、俺はおまえを、貴族とも、令嬢ともおもわん! お前はこれから、大陸中にふえるだろう俺の弟子のひとりだ、いいな!」

「ハイッ、師範っ」

 シガはサクの返事をうけて、ニカッと笑った。そして、湖の対岸にみえる森を指さして言った。

「よしっ。それじゃあ、最初の指導だ。俺がいいというまで、あの森のなかを走ってろ」

 サクは立ちあがって目を丸くした。

「なぁに、俺が毎日走ってるコースだ。危険な戦獣も動物もいない。迷わんよう赤い布キレをところどころに巻いてるからそれを目印にするといい。

 学校が終わってから夕暮れまでの間、行けるところまでだ。ペースも考えて走れ。こっから家のちかくまでは馬で送ってやれんこともないが、最終的には自分の足で帰るしかないぞ。一周走り終えて息をきらさんようになれば、つぎの段階にうつる」

 翌日から、サクの修練がはじまった。シガはなんでもないことのようにいったが、この山中のマラソンコースが、またとんでもない曲者だった。

 ただでさえ、サクが学園の授業で走ったことのある距離よりも長いのにくわえて、まったく整えられていない天然の道である。あちこちに倒木やら岩がゴロゴロし、地面自体にも凹凸がおおく、砂利道もあれば、湿った苔でおおわれた場所もあった。左右から木々の細い枝などもはり出しており、前進しようとするサクの行く手をはばんだ。

 そういう障害物があるたびに、サクはジャンプしたり、よじ登ったり、または地面にはいつくばってくぐり抜けたりしなければならなかった。

「走る、跳ぶ、しゃがむは、身体を上手くつかうための基本だ。まず、お前はそこからなっていない。いいから俺がOKというまで飛んだり跳ねたりしていろ」

 サクが文句をこぼすたびに、シガはそういって笑った。

 最初のうちは力の配分がわからず、暗くなるまでに小屋に帰りつくことができずに、シガに探しに来てもらうこともザラだった。

 それでも、いつの頃からか、サクは自分の身体に、なにか、活力のようなものが漲っているのに気づいた。それは、辛くて、ただ前に進むことしか考えられなかったころにはわからなかったものだ。でもある日、唐突にそのことに気づいてみると、このマラソンをそこまでつらいものだとは感じなくなった。

 道着を繕うのも上手くなった。ホシは責任を感じているのか、やたらと手伝いたがったが、アドバイスをもらうだけで、サクはぜんぶ自分でやった。

 あちこちにつくった細かなすり傷がみつからないよう、湯をつかうのも、食事をとるときも気をつかった。シガはとくになにも言わなかったが、自分がこっそり魔法以外の術を学んでいることが親にしられると、彼に迷惑がかかると思ったからだった。が、幸か不幸か、自分がひとり自室で食事をすませようが、母親はとくに何も言わず、そのことが、サクにはちょっぴり哀しくもあった。

 学園でも相変わらずだった。サクが魔法をしくじるたびに、クラスメイトからは嘲笑を浴びた。

 ただ、ふたつだけ、ちいさな変化はあった。どんなに魔法を失敗してもサクが悩まなくなったことと、表立って彼女をからかうものが徐々に減っていったことだった。

 サク自身は気づいていなかった彼女の内に生まれつつあった自信が、周囲の人間にあたえる印象を変えはじめていたのだ。

 そんな小さな変化をふくみながらも、日々はすぎた。そして、最初の課題を出されてからじつに一年半後。ようやくシガは「それまで」と言った。




 三着目となった道着に袖をとおし、サクはシガの前にたった。この一年半で見違えるほど健康的になり、背も伸びたサクの立ち姿に、シガも満足そうにうなずいた。

「今日からは型の稽古にうつる。それとともに―─」

 シガはおもむろに右手をかざし、息をととのえる、と同時に、その右拳から、どこか春の木漏れ陽をおもわせるような光が溢れはじめた。それはけっして目を射るような激しいものではなく、ただキラキラと優しく、シガの拳を内から輝かせているようにみえた。

「柔活術について教える」

「柔活術?」

サクは顔をあげた。

「読んで字のごとく、活を柔らかく用いる術だ。俺のつかう拳闘術すべてにつうじる基礎にして奥義。いつぞや湖で拳をつかってみせたときも、この力を用いたわけだな。

 ほんらいは日々の鍛練として、大気にみちる力をすこしずつ体内にとりこむことで、剛健な肉体への成長をうながす醸成法のことを指すんだが······」

 みてろ、といってシガはさくさくと歩をすすめると、ちょうどクスレの花の群れているあたりで立ち止まった。

 もうすこしはやければ桃色の愛らしい花を咲かせていただろう四葉草も、いまはうちしおれて元気がなく、黄色くなった茎をだらりと仲間のうえになげるにまかせている。

 その草原のまんなかにシガは立つと、ふかく息をすった。あの木漏れ陽のような光が彼の全身からわきたつように溢れはじめる。

「!」

 サクは息をのんだ。草が、いままであれだけ活気なくしおれていたクスレの草がたちあがっていくではないか。

 まるでながいあいだ待ちに待った雨をえた砂中の花のように、のろのろとだが、それでもしっかりと茎を伸ばし、まるくちぢこまっていた葉はひろがり、みる間にその緑の艶を濃くしていく。

 たったいま目を覚ましたかのような青草のはなつ水気が霧となり、やさしくゆらぐ陽の光を反射して、その中央にたつシガを幻想的にうきたたせていた。まだしぶとく花をつけたままでいたものなどは、ふたたび桃色の花弁を空へとむけて、甘い匂いをはなつまでにいたった。

「これが柔活術の応用法のひとつだ」

 シガはふうっとひと息いれると、

「いいか? この世界の、この大気は、われわれ命あるものにとって欠かせないものだ。だがこまったことに、このなかには」

そういって、みえないなにかを掴みとるようにぐっと拳を握りこんだ。

「生き物にとって必要な力のほかに、ぎゃくに生き物を死にいたらしめる力もふくまれている。およそこの世界において、呼吸を必要とする生き物に不死のものが存在しないのは、これをつねに吸うがゆえだ。いってみれば生命のサイクルを決定づけている力···そうだ、お前さんがた魔法士が『魔力』とよんでいるモノだ。魔法はその毒ともいえる力を、負の側にバランスをかたむけることで利用しているのだろう?

 この術はそのまったくの逆。大気からとり込んだ力の毒を自らの内なる力で弱め、活力──純粋な生きるための力だけをとりだし、これをもちいて傾いたバランスを修正する。もっと上級になれば、植物はおろか、人体の疲れや、魂の力そのものだって癒せるようになるだろう」

 魂の力。ひょっとして······

「それって──魔力もってことですか?」

 物わかりのいい生徒の言に、シガはにやりと笑みをかえした。

「そうなるな。まあ、俺には魔法なんて使えんから実感はないが、むかしの仲間はお墨つきをくれたよ」

 サクはしんそこ感心したように、つめていた息をはぁっと吐きだした。

 ほんとうに、世界とは自分が思うよりもずっと広いものなのだ。こんな理だって、師範に出会えていなければ、まず一生知ることはできなかったろう。

「こんな······こんな方法もあるんですね」

「だから俺はこの国に来たんだがよ」

 シガはおおぎょうに溜息をついてみせ、両手を降参のポーズでひろげた。

「この術を学べば、魔力や体力をあるていど補いながら戦えるようになるし、たとえ魔力ぎれになったとしても、拳闘術がありゃ生存率はあがる。剣術のように高価な武具も必要ない。だのにこの国の連中ときたら、魔法と杖術しかテコでも認めやがらねえ!」

 サクはシガのおどけっぷりが可笑しくなって、クスリと笑みをこぼした。

「私のように力が弱くても、拳闘術なら戦いようはあるもんね」

「そういうことだな」シガもニッと笑う。

「柔らかすぎるのも問題だが、ガチガチに硬すぎるのも駄目だ。お前は柔らかくいろ、サキア。それが生き残るコツだ」

 サクは満足そうにうなずいた。


 その日から柔活術の修練がはじまった。

 だが、これがおもった以上にむずかしい。魔法を学んできたサクにとって、力を操縦し、高めることじたいは苦にならなかった。が、ここからがおおきく違った。

 たかめた力を外にむかって放射する魔法とはちがい、柔活術はその力をとりこんで体内にとどめ続けなければならない。

 そのまま呼吸をするように増幅をくり返し、溢れさせることによって放出へともっていく。さながら瓶に水をため続け、溢れださせるかのような感覚だった。しかも、これがおそろしく体力をうばう。一回終わるたびにサクはいつもヘトヘトになっていた。

「この術が治癒魔法などと決定的にちがうのは、あくまでいちど、自身のうちに大気の力をとり込まねばならないというところにある。そしてそれは、健全な心体によってのみ成すことができる。つまりは絶対的に肉体に起因した力だということだ。

 それゆえに使いすぎには注意が必要だぞ。おのが体で大気の毒をこすのだから、無理をすればとうぜん身体にも異常をきたし、確実に命を縮めることになる。あくまでも、主眼は将来の剛健な肉体づくりにあることを肝にめいじろ。

 これからは、準備運動のマラソンのあと、型の修練。そして活力が高まりきったラストにこれをやれ」

 サクは大の字になって息をつぎながら、それでも嬉しそうにうなずいた。

 だが、サクの熱意とは裏腹に、修練はなかなか上達をみなかった。ただでさえ難しいうえに、とりくめる回数が限られている。

 どうして自分は、みんなのように要領よく生まれついてこなかったのだろう。

サクは、自身の学びの悪さをのろった。






 あれからさらに一年が過ぎた。サクも十五歳になる年となり、にわかにまわりも慌ただしくなってきた。

 学園では卒業をひかえ、より高等のクラスへと進学を決めるもの、他校へうつるもの、資格だけもらって、卒業をまたずに郷里へ帰るものもちらほらと出てきた。

 今年度の卒業試験の内容が噂されはじめる、夏の初めのころとなったある日。サクはいつものように自室で目を覚ました。

 ベッドを抜けだして伸びをすると、顔を洗って手ばやく着替えをすませ、髪をととのえる。だがこの頃になると、どうして分かるのか、いつも決まったようにドアをノックするホシが、どうしたことか、今朝はいっこうに姿を現さなかった。

 サクは首をかしげながら階下へとおりて何気なくその姿を探していると、ちょうど朝食をのせた盆を運んできたメイドと行きあわせた。すこし驚いたようにビクリとたち止まってから、慌ててお辞儀をしていき過ぎようとした彼女を、サクは珍しくよび止めた。

「ねえ、ちょっといい? 今朝はホシの顔が見えないんだけど、どこか悪いの?」

 メイドはまたも驚いて足をとめ、まじまじとサクの顔をみた。そしてハッとなにかを察したあと、気の毒そうに目をそらせた。

 ───!

 サクにはそれで充分だった。礼を言うのもそこそこに廊下をとって返すと、食堂の扉をだし抜けに開いた。

 そこでは家族全員が──サクを除いてだが──そろって朝食をとろうとしていた。窓を背にした上座に父と、その右隣に母が座り、その向かいにテレシアが、母の隣にヤーノスが座っている。

 突然のサクの乱入に、テレシアも、ヤーノスも、何事かと目をまるくした。給仕をしていた執事たちはオロオロとして両者の様子をうかがっている。

 いちはやく我をとり戻した父が、襟元にナプキンを押しこむ手を再開させながら、しかめっ面をみせた。

「なんだね、朝早くから。挨拶もせずに不躾だぞ」

 サクは無言でペコリと頭をさげた。そして、それでもう用はすんだといわんばかり、母の対面まで歩いていって尋ねた。

「ホシを······ホシをどうしたのです、母上」

 母は落ち着きはらって食器をおくと、何でもないふうに淡々と口にした。

「暇をだしました」

「なぜ? ホシになんの落ち度が!」

怒りで燃え立つサクの金の瞳を平然とうけとめ、母は溜息をついた。

「当然でしょう。主家の令嬢にいらぬ知恵を吹きこみ、魔術学への鍛練をおろそかにさせ、しかもそれを黙っていた。解雇されるには充分です」

「!」

 一瞬で頭が真っ白になった。そのままでいたら、本当に暴れ出していたかもしれない。

 カチャ───ン。

 不穏な沈黙につつまれた室内に、冷たい金属の音が響きわたった。驚いてみると、テレシアがナイフを床に落としていた。

 サクは思わずテレシアの顔を凝視した。テレシアもサクをじっと見つめている。その瞳には、いつもの挑発的な光ではなく、どこか、諌めるような色がみてとれた。サクは震えながらも、吸いこんでいた息を静かに吐いた。

「あら、申し訳ありません。私としたことが、とんだ不調法を······」

「お嬢様。ただいま、替わりをお持ちいたします」

助かったとばかりに、執事長がそれを拾い、下の者に手渡して指図した。

 サクはじっと母を睨んだ。

「······そのことに、今日まで気付かなかったくせに······」

「気付いていましたよ。少しはお前のためになるかと思っていたけれど、とんだ見込みちがいだったわね」

「──失礼します」

 サクはきびすをかえし、そのまま扉を開けて出ていった。




「···やれやれ。あの娘があれだけハッキリ意思をみせるとはね、よほどあのメイドに懐いていたのだな」

 父はグラスの水をひと口飲んでから言った。母はその言葉を鼻でわらった。

「いいように言いくるめられていただけよ。まったく心配だわ。こんなことで他家に嫁げるのかしら」

「なぁに、大丈夫さ。魔術の才能はなくても、最近はずいぶんと見られるようになってきた。あの容姿とドライアーネの名があれば、欲しいという相手はいくらも出てくる。現にもうそんな話もチラホラ来ているし」

 なにやら父母の不穏な会話を耳にしながら、ヤーノスは不安そうに、対面にすわる姉の様子をうかがった。

 テレシアは何事もなかったかのように食器を操っていたが、父の言葉をきいた瞬間、いちどだけピクリと眉をふるわせた。




 屋敷を飛びだしたサクは、そのままシガの小屋へと走った。まだ朝のうちだ。ひょっとするとそこにホシもいて、話をすることができるかもしれない。日々の修練でも出したことのない速さで、サクは風のように走った。

 だが残念なことに、そこにもホシはいなかった。肩で息をするサクを戸口で出迎えてくれたシガは、気遣うように彼女を小屋に招きいれ、座をあたえた。

 朝一番でくんだ清水をだしてくれた後、シガは静かに言った。

「夕べ遅くアネキはここに来たよ。何事かとおもってきいたら、ドライアーネ家をクビになったといって、寂しそうに笑ってた」

「ごめんなさい! 師範! 私が···私のせいでっ······!」

 必死に頭をさげるサクを、慰めるようにたすけ起こす。いつかしてくれたように、ポンポンと頭を撫でてくれた。

「大丈夫、アネキはこのことを後悔していない。お前が成人するまで見守れなかったのを残念がってはいたけどな。なぁに、かりにもドライアーネ家のメイド頭をはった女だ。たっぷり貯めこんでいたし、故郷にかえって旅籠でも開くといってたよ」

 サクはそれでも、口惜しそうに下唇を噛んでうつむいた。自分の無力が、無知が、どうしても許せそうになかった。シガは、そんな彼女のようすを察し、寂しそうに微笑んだあと、真剣な声でいった。

「もしアネキに恩義を感じてくれているなら···サキア、いつかお前は世界に出ろ。そしてアネキに会いに行ってやってくれ。俺達の故郷はケシュカガ国のフロウチュケってとこだ。お前が一丁前になってそこにたどり着くころにゃ、あたりでいちばんの旅籠の女将におさまっているはずだからな。俺の代わりに顔を出してやってくれ」

 サクははじかれたように顔を上げる。

「師範も? 師範もどこか行っちゃうの?」

 シガは苦い表情で水をすすり、ゆっくりとうなずいた。

「ウム。この国の石頭どもには、さすがに愛想がつきた。お前の修練も、型や組み手はほぼ教えつくしたし、そろそろ頃合いだろうと思ってな。お前の卒業を見届けたら、俺もこの国を出ることにするよ」

「そんな···師範まで···師範まで、私を見捨てるのですか!」

 ギラリ、とシガの眼光が飛んだ。サクはハッとして、おずおずと浮かせかけていた腰を落とした。シガはサクの瞳の奥をのぞきこむようにして諭した。

「心配するな。お前はさんはもう、充分に強い。拳闘術にしたってそうだ。いまは足りない何もかもは、歩みを止めさえしなければ、歳月がそのまま自然に解決してくれる。俺はひとりでも多く弟子を鍛え、先祖からうけ継いだこの拳をのこしたい。この身体が動くうちにな。それが俺の使命だと思っている。別れはつらいが、俺の道とおまえの道はちがう。いつかはかならず訪れることなのだ」

「············ハイ」

 サクは涙でぐずぐずになった顔で、それでも師範に見せまいと伏せながら、必死で声の震えを抑えた。シガもその様子に、自身目頭が熱くなるのをこらえつつ、ウムとうなずいてみせた。

「だからサキア。お前の卒業式までが勝負だ。それまでに柔活術を会得し、この俺を満足させてみろ!」

「ハイッ!」





「試験の内容が決まりましたわ」

 テレシアがそう告げに来たのは、中等科での卒業が秒読み段階にはいった、夏の終わりのことだった。

 小屋にとおされたテレシアは、物珍しげに小屋の中をうかがいながら、出された茶に口をつける。意外といった表情でそれをみつめ、カップをおいた。言葉には出さなかったが、思ったよりも美味かったのだろう。

 サクはあれ以来、邸に帰っていなかった。シガに許しをこい、この小屋で起居をともにして、少しでもシガから学びとろうともがいていた。

 家からは特になにも伝わってこない。居場所は知られているようだったし、誘拐犯としてシガをひっくくっていくつもりなら、とうにそうしているだろう。だが、今のところ、そんな騒ぎも起こってはいない。それにどうせ、あと1ヶ月ていどでシガは国を出るのだ。ちょっと身勝手かなとは思うが、サクは腹をくくっていた。

「······まったく。学園にも顔をださないで、どうやって試験内容を知るつもりだったのかしら」

 テレシアは、ほとほとあきれた、といった感じで溜息をついた。サクは悔しんでムッとしてみせたけれど、たしかに彼女の言うとおりだ。修練に夢中で注意がおろそかになっていた。

「日時は明後日の日が昇ってから落ちるまで。内容は、戦獣ファシオロスの討伐。一体でも倒せばはれて卒業、ということになりますわ」

 ファシオロスというのは、ウェラヌスキアではわりとポピュラーな戦獣であった。

 体格は、ちょうどいまのサク達とおなじくらいの小型の戦獣で、チューブ状の頭部。大きく開く口のなかに無数の牙をそなえ、二足歩行でのそのそうごく。申し訳ていどの翼をもった腕は弱く、おもな攻撃は多種にわたる疑似魔法のブレスのみである。

 最大の特徴は、個体ごとにことなる魔法の障壁だ。実戦では敵軍への対魔法兵器として、同属性のものが大量に投入されることもおおい。中等科レベルの修養を終えた学生にとっては、まあ、あらゆる意味でうってつけの相手といえた。

 サクは身を引き締めるように居ずまいをただし、じっとカップのなかをみつめた。そこには自分の顔が、おぼろげに映って揺れている。

 とうとうきた。これまでの成果がためされる舞台が。しかも、それは同時に、シガからの独立を意味するのだ。

「それで場所は?」

「ここですわ」

 一瞬なにを言われたのかわからず、サクは呆けたようにテレシアの顔をみつめた。テレシアは、自分の言葉が冗談のようにとられたことにムッとして繰りかえした。

「だから、ここ、ですわ。──嘘ではありませんわよ? この湖一帯は、昔から学園のテストにたびたび使われてきた御用達の場所です。······まさか、そんなことも知らなかったの?」

「だって、これまでそんなこと一度も···!」

「あたりまえです! 毎回おなじ所をつかっていたら対策がたってしまうでしょう? そんなのテストになりませんわよ!」

 サクは脳裏で、シガのしてやったり、といったふうな顔を思いうかぺ、歯噛みした。あの師範、絶対わざと黙ってた。だから今の今まで、試験のことを、口にも出さなかったのだ。

「とにかく、伝えましたわよ」

 テレシアは息をととのえ終わると、腰を上げた。

「ありがとう」

 戸口に彼女の後ろ姿に、サクは自分でも意外なほどにすんなりと感謝を口にできた。その思いもかけぬ言葉に、テレシアのほうが驚いたか、そこでハタと立ち止まった。

「その···ありがとね。わざわざ報せに来てくれて」

顔は前を向いたまま、言葉だけが返ってきた。

「別に。親から言われたので来ただけですわ」

「···うん。それでも」

「·········」

 しばらく。そうしてふたりは立ったまま、身じろぎもしなかった、やがて、小さなため息がテレシアの口から漏れ、気持ちだけ、こちらに顔がむけられる。

「いつか私がした約束、憶えていますか」

「······約束っていうか、貴女が一方的にぶちまけたんだけどね」

 テレシアの唇がフッとちいさく笑った。

「言うようになりましたわね···」

 テレシアはふいにスカートをひるがえし、こちらへふり向いた。そこには、常にあった挑むような光をたたえるいつもの瞳。

「卒業試験には私も参戦します。とうぜん、私は高等科への進学を決めていますけれど、すこしでも成績をあげて、より上級のクラスからスタートするつもりです。そこで勝負です!」

 サクもフッとちいさく笑む。

「つまり、どちらが多くファシオロスを狩れるか──ってことね?」

「そういうことです。すこしはいい勝負になるよう期待します」

 それでは御機嫌よう、と言い残して、テレシアは小屋を出ていった。

 サクはゆったりと窓枠にもたれかかった。初秋の午後のひざしが、優しく彼女の背を温めてくる。サクは、おのずと知らず、微笑をたたえている自分に気づいた。

 貴女を正式にくだし、私は貴女から家督を奪います。

 たしか、こんな感じだったかな。あの日、庭であの言葉をきかされてから、いったいどれくらい経っただろう。じっさい、年数にしてみればそれほど昔ではないのだろうけれど、それでもずいぶん前のように感じられる。

 サクは自分の右手を見つめ、ぐっと握りしめた。

やってやろう。正々堂々彼女とむき合い、全力をぶつけあう。その先のことなんかどうでもよくなるくらいに。

 サクはどこかわくわくとしながらカップの片付けをはじめた。これから帰ってくるであろう師範をどうとっちめてやるか、ついでに考えておかねばならない。






 サクたちの中等科最終試験、当日。ちょうど、小屋のあるほうとは反対の、いつもサクが走るマラソンコースのさらに奥。そこに、まだ日も昇らぬ暗いうちから、正装した大勢の生徒と教諭が、盛大に燃やされた篝火かがりびに照らされ集まっていた。

 ここは森のなかでもすこし開けた場所で、木々も若く、空もみえる。頭上では徐々に茜色がその色味をまし、夜の闇と星の光をうっすらと呑みこみはじめている。

 そんななか、一段たかくなった大樹の根のうえに、儀式などでたびたび見かけた学園長がたった。

「これより、第一三三二期中等科卒業試験をはじめる!

 この試験は、諸君らが修学結果を、たしかめる場であると同時に、進路先からの能力査定の場でもある。すでに進路が決まっているものも、そうでないものも、全力をつくし、悔いののこらぬ結果をうることを期待する!」

 その言葉を待っていたかのように、山すそにひとすじの光明がはしり、太陽が顔をのぞかせた。樹上の見張り台からたからかにラッパの音が響き、静かな湖畔の空気に沁みわたった。

 試験官役をつとめる教師が、よくとおる声をはりあげる。

「それでは、卒業試験開始! 各自、これまで学んできたことをいかし、学業の締めくくりとせよ! 期限は日没まで、いいな! では────はじめッ!」

 わっという声とともに、生徒たちはそれぞれ思い思いの方向へ散った。

 サクもその波に押し出されるように開始位置から走りだしたが、それほども行かぬうちにたち止まると、するすると近くにあった木に登りはじめた。まったくよどむことなく樹上に到着したサクは、じっくりとあたりを見渡した。

 いつも走りまわっている森とはいえ、ここまでの深部は、サクにとっても初めての場所だった。シガが目印の赤い布より奥にいくことを、決して許そうとしなかったためだ。

 その理由も、こうしてみるとよくわかった。森は深部へゆくほどその緑を濃くし、どうかすると日の光さえとどいていないのではないかと思われる場所もあった。

 ザザッ。眼下を、なにかが素早く動いて過ぎるのをサクはとらえた。あきらかに人間のものではなく、野生の獣の動きにちかかったが、その影は、たしかに二本足で走っていた。

 サクはごくりと喉をならすと、いそいで木を降りはじめた。




 地に倒れ、力尽きたファシオロスの手から一本、爪を魔法できり落とすと、その男子生徒はそれに穴をあけた。そこに紐をとおし、首からさげる。獲物を狩った証しとするためだ。

「······よし、これで全員が合格分、とりあえずそろったな」

「しかし、思ったより捜すのに苦労したな。これじゃ組んでない奴は、けっこう辛いんじゃないか?」

 少年のひとりが戦獣の遺体を見下ろしていった。

「かもな。だがそもそも、このテの試験で協力は禁じられちゃいない。協力することだって立派な学びのひとつだ。ボヤボヤしてて狩り尽くされちゃ目も当てられないからな」

「まぁ、そうだよなぁ。バカ正直にガチで闘ってる奴なんて、点数稼ぎたい奴らか、ドライアーネ姉妹くらいのもんか。姉のほうはザンネンな理由でだけど」

「ザンネンな方といえば、お前、そっちの点数稼いどいたほうがいいんじゃないのか?」

 四人目がニヤニヤしながら、ひとりめのくせっ毛にソバカス顔の少年にいった。昔、学園の庭でサクにからんだこともあるあの少年だ。

「聞いたぜ? おまえ、姉のほうと婚約が決まりそうってハナシじゃん。散々イジメたからな。すこしでもおおく稼いで実力みせとかないと、許してくんないぜ?」

 フン、と、くせっ毛頭の少年は、不満そうな表情をつくってみせた。だがあきらかに、満更でもなさそうな色合いがにじみ出ている。

 サクはホシの一件があっていらい、家へと帰っていないので知るよしもなかったのだが、彼女の家では、おもに継父の主導で、かの少年の家との婚約が、内々に決まっていたのだった。

「フン。まあ? あんなんでも腐ってもドライアーネだからな。よしみを持っておけば、後々ウチとしても得だから決めただけだ。」

 少年はうそぶいてみせた。

「なぁに言ってんだよ、そう不満でもないくせに。ま、魔術のほうは相変わらずだけど、アイツ、見てくれは結構いい感じになったしな。はぁ~あ、ウラヤマシイねぇ」

「オイ!」

 ふいに四人目が、ひくく短く、注意を喚起する声をたてた。のこりの少年達も即座に気を入れなおして、警戒しながらゆっくりと腰を浮かせた。

「ッ!」

 唐突に、横合いの繁みのなかから雹粒(ひょうりゅう)のブレスが飛んできた。少年たちは素早く散ってそれをかわすと杖を手に手に身がまえた。

「へっ、オモシレぇ。捜しもしないのに向こうから現れやがった!」

「······お、おい······」

 うしろを警戒していた少年が、不安げな声をだした。みなが振りむくと、背後にべつの二頭、さらに前方から二頭が、圧力をかけるように彼らをとり囲み、姿をあらわした。

「な···なんでだよ。ファシオロスが集団行動をとってるなんて! 試験用の戦獣は、みんな戦術はすりこまれてないハズだろっ!」

「間違いない! 昨日兄貴からもきいた話だ! なのに···なんなんだよコイツらっ!」




「待て待て! 今よそっち!」

「みて、あの繁みに逃げたわ!」

 ふたりの女子生徒が、ファシオロスの一頭を追いこみ、勢いよく繁みにとびこむ。が、めのまえの木々は突如としてとぎれ、急に視界が広がったふたりは、面食らってたたらを踏んだ。さっき追い込んだはずの獲物の姿も見当たらない。

 プン······と、嫌なニオイがふたりの鼻孔をついた。ひとりが慌てて鼻をおおう。

「なに? このニオイ······気持ち悪い···」

「ねェ、ほらあそこ」

 もうひとりが姿勢を低くして繁みの奥を指さす。いくつかの影がかたまっているのがみえた。

 ふたりは目で合図しあうと、用心深く音をころし、繁みづたいにそっと近づいていった。臭いはどんどんキツくなり、距離が縮まるにつれ、獣が水をなめているような、あるいは何かしめった重いものを突いているような、耳障りな音が混じってきこえてくる。

 そこに群れていたのは、数頭のファシオロスだった。みな、一様に頭をさげ、首をせわしなく動かしている。

「ヒッ!」

 ひとりが恐怖にひきつった顔で、もうひとりの服をつかんだ。つかまれた女子生徒もその場に腰を抜かせ、へたり込んだ。

 ファシオロス達の脚の間から、なにかながいものがのぞいていた。すらりと伸びたそのながい二本のなにかは、ファシオロスが身じろぎするたびに、同じように規則的に、左右に揺れた。

「ね、ねぇ······アレ、なんなの? なんなの? いったい何やって」

 ふいにそのうちの一頭が首をもたげる。その凶悪な口元は真っ赤に濡れしたたっていた。

「ヒィィィッ!」

「···なんで! だって、だって、この戦獣たちは訓練用だって···!」

 ガサリ。

 背後の木陰が音をたてて揺れた。ふたりは絶望の表情でふりあおぐ。そのふたりを、ファシオロスのよく動く瞳がしっかりととらえていた。

「いあぁぁぁ────ッッ!」






 最初にその異変に気づいたのは、意外にも、湖の反対側にいたシガであった。

 彼は、そろそろあとにする小屋の掃除を終え、学園の職員であるひとりの老教諭と最後の挨拶をかわしているところだった。

「いや、シガさん。ずいぶんと長く世話になっちまったねえ」

 老教諭は、その禿げた頭をかいて笑った。

「こちらこそ、アンタには良くしてもらって······本当にありがとうございます」

 頭を下げるシガを、いやいや、と教諭は手で制し、茶をひと口すすった。

「悪かったねえ、なんの力にもなれなくて。アンタの武術はなにかしら、この学園の刺激になると思ったんだか······」

「それに関しちゃ、俺もザンネンだがね。まあ、まんざら無駄ってわけでもなかったよ」

「ほぅ? というと?」

 シガはカップを持ちあげ、その茶の上に、あの日、精いっぱいの勇気をふりしぼって弟子入りをもうし出てきたサクの顔を思いうかべていた。

「まぁ、特別優れた種ってわけじゃなかったが、ほんのひと粒、偶然まくことはできた。もしかすると、この国をすこしは変えてくれるかもしれません」

「······そうかい。それは幸運だった」

 ふたりは静かな笑みをか交わした。シガもゆっくりと茶に口をつけて──そのままの姿勢で固まった。その面に緊張をみてとった教諭は、いぶかしげに尋ねた。

「どうしたいシガさん。いったいなにを···」

 そこまで言って教諭も息をのんだ。シガは人差し指をひき結んだ口につけたまま、一言も発さない。全神経を集中させてなにかに聴き入っている。

 つぎの瞬間、

「爺さん、後ろに跳べ!」

シガが鋭く叫んで立ちあがると同時、外から目にみえない塊が小屋の正面を直撃し、轟音とともにうがった。

 土煙の立つなか、シガは壁に空いた大穴から外にとび出した。ついで教諭もあわてて杖を握り、あとに続く。その背後、屋根の上から、隙をついた影が襲いかかった。だが、猛禽(もうきん)なみに鋭いシガの眼はそれを見落としたりはしなかった。

「フン!」

 急反転でそれをかわすと、ファシオロスの首元にお返しとばかり強烈な蹴りを叩きこむ。そのままもんどりうって地に落ちたその頭を拳で粉砕し、とどめを刺した。直後、背後にべつの気配が湧きあがる。が、それはシガがふり向くよりはやく、教諭の杖から放たれた風の牙により、ズタズタにされて果てた。

「どういうことだこりゃ···! このクソッタレども、戦術記憶は刷りこまれていないハズだろ?」

「そ、そのはずだよ。しかしこれは······いったいどうしたことだ?」

 教諭も面食らったように戦獣の遺骸を見おろした。だが、どう考えようが間違えようもない。この戦獣たちは、あきらかに戦術行動にしたがって動いていた。  

 シガの頭に、恐ろしい記憶が浮かびあがった。

「···オイ爺さん。たしか戦場では、戦術記憶をまったくもたない戦獣が、優秀な個体をリーダーにむかえた途端、戦術行動をとった例があったよな?」

「? ······ああ、さきのドーヴァーリ会戦の話しか。しかし、それが? ···まさか」

教諭は青ざめた顔を強張らせる。

「ミスでアモトスを混入させてしまったのか? しかし···」

「一級上のヤツか。確かにそういうこともあるのかもしれん。だが···」

 シガは言葉を切って、湖のむこう側をみつめた。

「最初っから『いた』のだとしたら? ずっと生き残って『いた』のだとしたら? この森の、ずっと奥で······」

 教諭は目をみはった。そう、この森は昔から学園のテスト区域として利用されてきた。今日と同様の試験をおこなったさい、数えもれして、放置してしまった個体が生き残った可能性はある。

「い、いかん!」教諭はヒステリックに叫んだ。「コイツらには生徒を第一目標にすえてある! このままでは生徒達が皆殺しに!」

 シガは舌打ちした。まさかこの森に、そんな奴が隠れ潜んでいたとは。あちこち見て回ったというのに、発見できなかったとは。

「爺さん! とにかくアンタはほかの教諭たちと合流して学園と連絡をとってくれ! 俺は見つけしだいかたっぱしからガキどもを保護する! 中にいる教員と協力して全員避難させてやるから!」

「よ、よし! すまんが頼む! 師団をつれてすぐに戻る! それまで持ちこたえてくれ!」

 弾かれたようにシガは駆けだした。彼の胸中で、押し殺しても押し殺しても不安が首をもたげてくる。

 まずい。いまのサキアは、やっと柔活術をモノにしはじめたばかりだ。もし、アイツが誰かの傷をかばって治療を優先したら、自衛にまわすほどの活力は残っちゃいないだろう。どうか、どうか無茶だけはしないでくれ!



「いっ、嫌ァッ! 嫌ッ! テ、テレシア! お願い助けて! ···ギャッ!」

「エ、エマネリカー!」

 背後で友人がまたひとり、ファシオロスにひき倒される。テレシアは怒り狂い、彼女の喉元に喰らいついている戦獣にむけて光弾を放つ。その魔法は軽々とファシオロスのガードをつらぬき、その肉体を暴散させた。

「エマネリカ!」

 テレシアは一目散に走りよる。が、友人は首をまっ赤な鮮血に染め、抱きおこした彼女の腕のなかで、がくんとうなだれた。

「あ···あ···あぁぁぁぁ─────ッ!」

 テレシアは絶叫し、両手で顔をおおった。周囲からは魔法の炸裂する音、級友たちの悲鳴、助けを求める声が止むことなく続き、耳をふさぐこともできない。

 ここは······戦場、いや地獄だ···!

 テレシアは思った。彼女は顔をあげ、友人の亡骸から杖をそっと抜きとると、涙を振るって叫んだ。

「みな! 落ち着いて陣形を組みなさい! 円陣を組んでたがいに背をかばいあうの! 急いで!」




「くっ、来るな! 来るなァッ!」

 足をやられ、仰向けにされながら後ずさり、男子学生はでたらめに杖を振りまわした。魔力はとうに尽き、もはや抗うすべはない。にじり寄るファシオロスが、赤く染まった牙をみせつけるように大口を開く。

「だ、誰か···誰か来てくれェェ───ッ!」

 少年はとっさに両腕で顔をかばい、目をつむって叫んだ。凶獣がいまにも跳びかからんと軸足に力を入れたまさにそのとき、

「やぁぁぁああぁ───ッ!」

 横合いからひとりの生徒が雄叫びとともにとびだし、ファシオロスの横っ腹に掌底を叩きこむ。おおきく揺らいだところをすかさず逃さずその肩にとび乗ると、両足で首をかため、回転する勢いそのまま地面に引き倒した。ファシオロスはあっという間に首を折られ、こと切れた。

「大丈夫!」

 サクはあわてて少年に駆け寄る。その眼が、すこしの驚きに見開かれる。そこに倒れていたのは、いつも自分に難癖をつけてきた、あのソバカスにくせっ毛の男子生徒だった。

「あ?」

 少年も、呆けたような顔でサクを仰いだ。

 しぱらくぶりに見る彼女は、後ろでまとめたながい藁色の髪をゆらし、上は何だかよくわからない、いやに首元と肩口が露になった布をまとい、下には膝あてのついた大きなズボンに頑丈そうなブーツをはいている。さきほど戦獣に一撃を喰らわせた両手には、指の第ニ関節から手の甲までが金属で補強されたグローブをはめていた。

「お前は···サキアなのか?」

 サクは彼の言葉の意味が理解できずに、のぞき込む顔にかかった前髪をはらった。その左手をみて、少年はさらに目を見張る。その手首には、ブレスレットのように六本ほどの黒光りする爪が吊るされているではないか。

「お前は···本当にサキア・ドライアーネなのか? 痛ッ!」

 サクは彼がうわ言をいっているのだと思い、それ以上かまうことなく、身じろぎしようとして固まった彼の足の傷をのぞきこんだ。

「これは···立って歩くのは無理···だな」

 サクは一瞬、迷うように考えこんだが、意を決して、その傷に両手をあてがった。

 すぅっ···はぁ···。気をおちつけ、呼吸を安定させる。やがてサクの全身から淡い光の粒が無数にあふれ、ゆっくりと傷にそえられた両手にむかっていく。少年は、伝わってくる温かい力を感じながら、目を丸くしてその光景に見入った。

 やがてサクが手を離すと、なんとしたことか、あれだけひどかった出血はぴたりと止まり、痛みすらもすっと遠のいていった。

「なっ、なんだコレは? いったいなにをした? 出血が止まって、う、動ける! 立ち上がれるぞ! これは治癒魔法なのか? いつの間に?」

 いや···? 少年はいぶかしんで自分の手をみつめた。握ったり開いたりして、しばらくそうしていた。わずかに···ほんのわずかだが、魔力がもどっている?

 これなら弱いやつをあと一回は撃てるかもしれない。

「ふぅっ」

 サクは大きく息をつく。全身をすこしの気怠さがつつんだ。できるだけ加減はしたが、どうやらもう拳闘術にまわせるほどの力は残っていないようだ。それでも、ここでジッとしているわけにいかない。

「じゃあ、私行くね。外にこのことをしらせないと···! 貴方もどうか、うまくみんなと合流して、先生たちにこのことを···!」

「ま、待ってくれ! ひとりにしないでくれ! 情けないが、このままじゃとても助かる気がしない!」

 サクはいわれて考えこんだ。確かに、このままでは彼がほかの生徒達と合流できる望みは、そう高くない。それに、たとえ自分が外にいるシガにこのことを伝えたとしても、救護の師団がつくのはもっと後になる。それまで皆がもつかどうか······そうなれば流石のテレシアも危ない。

「わかった」サクはおおきくうなずいた。「このままふたりでみんなを探しましょう。合流して、何とか先生たちのところへ······!」




 もはや戦場と化した試験会場の真っただ中に、生徒達な孤立し、とり残されてしまった。異変に気づいた教師たちもあわてて対応にうつったが、いったん戦闘スイッチが入った戦獣兵の群れと渡りあうには、相応の覚悟をようした。なんとか生徒達を救出すべく前進を試みるも、教諭からも犠牲者を出すなど、立ち往生を余儀なくされていた。



「みんな、なんとか頑張って! このまま試験区域の入り口まで何としても退がるのよ!」

 円形に組んだ陣のなか、みずから殿軍をつとめるテレシアは、ありったけの勇気をふりしぼって、仲間達を激励する。

 そうだ! 私はまだ、こんなところで死ねない! こんな···こんな人生の終わりかたなんて認めない!

「クルオラァァァァ───ッ!」

 まったくの唐突に、森中にこだまする雄叫びが響きわたった。それを合図に、生徒達をとり囲んでいたファシオロス達がいっせいに動きを止めた。臭いを嗅ぐように宙へのっぺりとした鼻をむけていたが、やがてジリジリと後ずさった。

 それでも警戒を緩めないテレシアから二十メートルほどの距離に、ゆっくりと威容に満ちた影が姿をあらわした。

「オイ···嘘だろ、アレは···!」

「──アモトス」

テレシアは目をめはった。

 身の丈は大人ほどもあるだろうか。まるで玉座にある王のように大樹の根方にたつそれは、ファシオロスよりいっそうの迫力をはなっている。

 頭部には立派な二本のながい飾り羽をもち、顔は小型で鳥にちかい。より発達した前腕には、ファシオロスよりおおきな羽根をそなえていた。たしか、おもい身体をささえるだけの力はないが、低空でなら滑空できたはずだ。

 その飛空能力と、筋肉で盛りあがった後脚の敏捷性でトリッキーな動きもこなし、個体としての戦闘力も高いとは、まさに授業で教わったことだった。ほんらいなら、最前線に投入されるクラスの戦獣である。

「で、でも···なにかアイツ、羽根の色がちがう。別物なんじゃないのか?」

 悲鳴にちかい声で誰かが言う。そのとおり、通常のアモトスは飾り羽や羽毛は黒い色をしている。しかし、目の前にいる獣は、全身の体毛が真っ白で、飾り羽と前腕翼の先が、ほんのりと朱に染まっている。

 テレシアはむしろ、その違いに恐怖をおぼえた。とても安心材料になるとは思えない。ひょっとしたらどこからか逃げだした個体から生まれた、天然のものかもしれない。

 絶望の表情で、数人の生徒がヘタヘタと座りこんだ。それでもアモトスは部下となったファシオロスに生徒を襲うよう指示は出さなかった。ただジッと、テレシアのみを見つめている。テレシアの眼とアモトスの眼が真っ向からかちあった。

 兵を屈するには、まさに将を討つべし。いつか読んだ兵法書の一節が、彼女の脳裏をよぎった。

「なるほど、まずはアタマを潰せってことね······」

 テレシアは冷や汗が背をつたうのを感じながら、皮肉な笑みで口元を歪めた。

「でも、それはこちらも同じことよ」

 テレシアは数歩、まえに進み出た。友人の形見の杖を腰のベルトにはさんで後ろへと回し、自らの杖をかまえて足場をかためた。アモトスも応じるように高所から降りたつと、キリキルと威嚇するように腕と口をひろげ啼いた。

 両者はたがいに息を読みあうように、ただ黙って対峙した。そして、今まさに動く! といったその刹那──

「テレシアッ!」

 突如アモトスが後ろに跳んだ。同時にその足元に拳ほどの石が、おもい音を立ててめり込む。

 右の繁みからいっさんに突入してきたのはサクだった。後ろにはひとり、男子生徒をともなっている。

「サキア? 貴女生きて···!」

 サクは繁みから出ると、眼前の光景に慄然とした。いままさに、同級生たちは死の釜のふちにいる。

「アイツッ···アモトスか! 奴がファシオロスを操ってやがったのか!」

 背後の少年が驚きの声をあげる。サクはぐっとアモトスを睨みつける。そんな···なんてこと···!

 アモトスは初め、決闘を邪魔されたことに腹をたてたのか、おおいに荒れた鳴き声を発していたが、やがて落ち着きをとり戻した。そして、テレシアとサクの間で、なんどか視線をうつろわせた。

「ケェェェ──ッ!」

 決めたとばかりにひと声啼くと、強靭な後脚の筋肉がモリモリとふくれあがるほどの力をため、猛烈な勢いでサクめがけて突進した。

 ───!

 テレシアの心中に、まったく言いようのない感覚が生まれた。ひさしく忘れていたような、ひょっとしたら初めてかもしれない感情。だがそれは、ほんの一瞬、またたく間のことだった。彼女は大声で叫んでいた。

「サキア! 危ないッ!」

 ゴスン。

 まるで重たい土嚢が投げだされるような音がして、サクの身体が跳ね飛ばされる──誰もがそう感じた。しかし──

「えっ?」

 その強烈な勢いに押し込まれはしたものの、なんとサクは、その巨体をがっちりと受け止めているではないか!

 必死の形相でふん張りながら、両手は突きの牽制のためにアモトスの両羽根をつかみ、両足は蹴りにそなえ、いささかも緊張を崩さない。

「嘘だろ?」

 まっ青な顔のまま、くせ毛の少年は口を半開きにして固まった。

 フッ───。突如サクが力をゆるめた。意表をつかれたアモトスが乱した足元に、強烈な足払いをみまった。そのままの勢いで、背後の木に叩きつけるようにして投げつける。

 だがアモトスは中空で羽根をひろげて体勢をいれかえると、幹を蹴って跳んだ。サクはとっさに仰向けに身体を落とし、反撃をかわした。

 アモトスは数メートルの間合いをとって降り立った。油断なく身構えなおす。サクもすぐに起きあがると、荒い息をなんとか整えようとつとめた。

 そのサクの身体から、ほんのりとした光のようなものが溢れていることに気付いて、テレシアは目をすがめた。

「···あれは? 何?」

「わからない。ただあれのおかげで、俺の足も治ったんだ」

 一気に緊張がゆるんだことで力が抜けたか、足元をおぼつかせた彼女を支えた少年が答えた。が、もういちど見直そうと視線をもどすまえに、その蜃気楼のような光は淡くも消え失せていた。サクの呼吸がなかなか落ちつかない。

 ···まずい。いまので、もう限界···!

 サクは必死にこみ上げてくる恐れと戦い、アモトスを睨みつける。アモトスのほうでも、サクを手強しとふんだのか、軽々に襲ってきたりはしなかった。慎重に間合いをはかるように、ゆっくりと周囲を動きまわり、彼女の隙をうかがっている。

 と、ふいにその動きが止まった。サクが怪訝におもった直後、アモトスがいきなりブレスを放った。

「あっ!」

サクはかろうじてその熱線を避けた。その隙に乗じて、アモトスが一気に間合いを詰めてくる。

「くっ!」

 たまらずサクは、口中で魔法詠唱をすませ、間一髪、アモトスの爪が及ぶまえに火球を顔面に喰らわせた。文字どおり面食らったアモトスは狙いをはずしたものの、つづく彼女の反撃はすかさず跳躍でかわした。

 ふたたび距離をとるアモトス。だが奇妙なことに、どこか戸惑っているようだった。しきりと目をまたたかせ、頬のあたりをポリポリ掻いた。まるで、おもったほどのダメージでなかったことが不思議だ、とでもいっているようである。

 ──駄目だ。やっぱり私の魔法じゃ、実戦では使いものにならない···! でも、魔法···魔法か。

 サクは、なんだか久しぶりに魔法の存在を思い出したように感じた。

「ゲゲェェェッ!」

 アモトスの攻めかたが変わった。みずからの飛空能力を精一杯つかって跳ねまわり、サクの死角から次々とブレスを浴びせかけた。彼女の接近戦能力を警戒し、より自分に分のある中距離戦を選択したのだ。サクはそれらを必死によけ、反撃の魔法を撃ちこむが、もうアモトスは避けようさえしなかった。

「アイツ······戦法を変えてきやがって···くそっ、マズいぜ」

「私としては、あの娘がまだ魔法の使いかたを憶えていた方がビックリですわ」

 くせ毛の少年はまじまじとテレシアをみつめた。

「オイ···冗談を言ってる場合じゃないだろう」

「ただの本心です。でもそうね···なんとかして」

まわりをとり囲むファシオロス達の様子をうかがいながら、テレシアはぐっと杖を握りしめた。




 魔法······魔法か···。

 激しいブレスの攻撃から身を護りつつ、サクは必死に考えを巡らせた。

 いまの自分にとって、もう魔法はいらないものだと思ってきた。自分にとっては苦しみの根本。忌むべきものでありこそすれ、頼りに思うなど考えの外にあった。

 サクの脳裏に、いつかのシガの言葉がひびく。

 ──サキア、お前は常に柔らかくいろ。柔らかくいることが······そう。

「生き残るコツだ!」

 サクは逃げまわるのをやめた。気合をいれなおすと、構えをとり、精神を集中させる。

 もう柔活術はつかえない。いまの私にできることは···!

 不思議なことに、いちど決心をかためると、萎えかけていた力が戻ってくるように感じる。彼女はそれを拳に注ぎ込んでいった。

「おい! アイツまだ魔法で攻める気かよ! 無理だ! アイツのじゃ······」

 だが、サクは言霊を唱えることなく一気に飛び出した。

「えっ?」

そのままアモトスにむかい、一直線に突っ込んでいく。アモトスが迎撃のブレスをはなつ。サクはそれをフェイントを入れてかわし、拳闘術の間合いに滑りこむ。

「ゲゲェェェッ!」

 アモトスのみぞおちに、深々と拳が突き刺さった。先程とはうって変わり、アモトスは苦悶の声をあげた。だが、攻撃がとおったことに一瞬気の緩んだサクの腹にもアモトスの反撃の蹴りがはいり、両者ははじかれるようにして離れた。

「な······なんだ? いったいなにしやがったんだ?」

「そうよ! 魔力自体は効果があるかもしれないということね!」

 少年はどういうことだというようにテレシアをみる。

「アモトスには魔力が通じないのではない。魔法が通じないのです。あくまで魔法から身を守る盾があるだけなのよ。でもそれは、各種魔法の術式に対応してはじめて機能するもの。そこにサキアは、魔力そのものを拳にのせて打ち込んだ」

 魔力は魔法をつかうための、いわば源泉だ。それじたいが力の塊といえる。

「な、なるほど。だから対魔の盾を素通りしたのか。それなら、たいした力じゃなくても効果はあるか!」

 どうじに倒れた両者は、またノロノロと立ちあがった。先ほどの一撃は、たしかにアモトスに効果があったようだ。なんとかたち上がったものの、よろよろと足もとがおぼつかない。

 いっぽうのサクも、腹の痛みに必死に耐えながら、崩れそうな膝を踏んばっている。

 突然、テレシア達とともに、観衆と化していたファシオロスの一頭が、甲高い声をあげた。

「オイオイ、こりゃどうしたことだ?」

 ガサガサと繁みがゆれ、シガが唐突に姿をあらわした。ファシオロスがそれいじょう近寄るな、といわんばかりに声をあげる。

 シガは、学生達が人質状態にあることに気づき、舌打ちして歩みをとめた。彼は後ろに数人の学生をひき連れていたが、彼らも学友達のおかれた状況をみてとると、なんとか救出してやろうと意気込んだ。学生達とファシオロスの間でも無言の牽制戦がはじまった。





 サクは肩で息をしながら、過去最高に集中している自分自身を感じていた。蹴られた腹が痛い。今にも吐いてしまいそうだ。柔活術にまわせる活力も底をつき、体力じたいも限界にちかい。でも、それでもなお、身のうちから涌き上がる力を、サクはたしかに感じていた。

 それは闘志でもなく、魔力でもなく、ここまで戦い抜けた自分への誇らしさであった。

「ギャエエエ───ァッッ!」

 アモトスが絶叫する。いままさに死力を尽くさんとする強烈な意志が、サクの全身をビリビリと震わせた。

 アモトスは腰をおとし、四肢を地面について踏ん張ると、大きく力を溜めにかかった。その、まるで砲台のような姿勢からみても、つぎの、おそらく最後の一撃であろうそれが、恐るべき破壊力であることがわかった。

「まずい! デカいのがくるぞ! つぶせ! 出すまえに早く!」

「うっ」

 サクは一歩踏みだそうとして前につんのめった。思いのほか、ダメージと疲労がおおきい。高揚する心に反して、身体はもういうことをきいてくれない。

「駄目ッ! せめて、盾だけでも!」

テレシアが慌てて立ちあがるが、ファシオロス達が、リーダーの一騎討ちに水を差させまいとばかりに威嚇する。彼らも横合いの生徒達から目をそらせないが、いざとなればお構いなしにやるだろう。とても手がだせない。

「···考えろサキア、考えるんだ···」

 いますぐにでもとび出したい衝動を必死におさえ、シガはジッと、愛弟子を見守り続けた。

 ダメだ。もう、先手をうつには遅すぎる。アレを耐えるのも無理そうだ。かわして、こちらの一撃を打ちこむしかない。でも速度と範囲がよめないから確実とはいえない。現状と、のこる戦力をあわせて、いま私ができる最大限のことは────!

 サクは立ちあがると、ふかく腰を落とし、魔力を高めだした。

 集約しろ、自分が編めるギリギリまで、放出し続けられるギリギリまで、大きく、かたく、柔らかく!

「まさか···自分の魔法で食い止めようというの? ムリよ! サキアッ!」

 耐えるのでもなく、かわすのでもなく、うち消すのでもなく······!

「だっ、駄目だ! くるぞ───ッ!」

 カッとアモトスの眼が輝き、直後、巨大な放射軸をともなった魔力砲が撃ち出された。その熱線は自身のあまりの熱量で、白くまばゆい光の柱にしか見えなかった。それが高速で空間をつらぬき、サクを襲う。そして─────


 そのままサクをのみ込み、彼女の全身を炎につつんだ。

「いやぁぁぁあああ───ッ!」

 生徒達から悲鳴があがる。全身を焼かれたサクの肉体は、地に崩れおちると同時に、淡い火の粉を振りまきながら、融けるようにして消えた。

 誰もが愕然としていた。テレシアはへたへたと座り込み、女生徒たちはたがいに抱きあって泣きだした。アモトスは勝利を確信し、さかんに雄叫びをあげ続ける。

 誰もが、奮戦むなしく、サクがその命を散らしたのだと思った。



 ───そう、シガを除いては。



 彼は堂々と、誇らしげに腕を組んだまま、胸をはった。自慢の弟子をたたえるように。

「まだだ」

 テレシアはハッとして、アモトスを、いや、正確にはアモトスの周囲に目をもどす。熱線の余波が巻き起こした風によって、ゆっくりと土煙が晴れていく。

「とった···」

 突如横合いからきこえた人の声に、アモトスはギョッとして固まった。

 いましがた焼きつくしたはずの少女が、腰をおとし、構えをとった状態で控えているではないか!

 アモトスはとっさに逃げようとしたが、全身全霊をこめた一撃の直後、疲弊しきった身体はミリとも動かない。しかも、完全に間合いに入られている!

「覇ッ!」

 サクのありったけの全力をこめられた拳が、蒼く輝きながら唸りをあげ、アモトスの顔面をとらえた。全身のバネでくわえられた回転そのまま、白羽根の戦獣は、その重い一撃に潰されるように地面へとめりこんだ。




 数十分後。テレシアとシガは、地面に仰向けになって気を失っているサクの顔を見下ろしていた。

 アモトスが討たれた後、動揺したファシオロスに、生徒達は猛然と襲いかかった。苦もなくファシオロスは討ち取られ、いまは手わけして、周囲の木々にともった火を消してまわっているところだ。今しがた、先生たちも到着した。

 テレシアは、まるで幼子のように眠りこむサクの顔をみて、あきれたように吐息をついた。

「まったく···スッキリした顔をして······ホント、憎たらしい」

「お嬢ちゃん。俺は魔法にはとんとうといんだが、サキアが最後に使ったありゃ、いったい何だい?」

「······幻影、幻術魔法のたぐいです。分身といったほうがいいのかしら。編んだ魔力の塊で相手の注意をひきつけるのです」

「ほぅ? 魔法ってのは、そんなことまで出来るのか」

シガは感心したようにあごをさする。

「けれど、魔力の消費が中途半端におおくて、次弾にもつなぎにくい。集団戦での補助くらいしか使いみちがないので、誰もつかいたがりませんわ。授業でもいちど、文章ででたくらい。それを執念ぶかく憶えていたのかしら」

「人間、辛いことのほうが記憶に残りやいすからな」   

 シガはしみじみといった。

「それにしても、耐えるのでも、かわすでも、うち消すのでもなく、いなす···か。まったくコイツは···予想外に、不世出の拳の誕生にたちあっちまったのかもしれないなァ、俺は」

 そうして、心底愉快そうに、ハッハッハと大声で笑った。




 その後、学園の要請によって、師団が出動した。アモトスのはなった熱線の炎を消したことで、それが狼煙の役目をはたし、その到着はかなりの速さであった。

 現場へと到来した師団は、ただちに周辺の調査とのこりの戦獣の駆除にうごきだし、生きのこった生徒たちは、教諭に護られて森を脱出した。

 事件をおもくみた国は、監査局を派遣し、前後関係の捜査が徹底しておこなわれ、それはいまも続いている。そのあまりの入念ぶりに、どこかの貴族の陰謀だとか、革命勢力による叛乱だとか、まことしやかな空説が飛びかったが、半月の間ベッドから起き上がれなかったサクには、知るよしもないことだった。

 そして───






「では、行ってまいります」

 ここは遠く、セレスフィアの国都、サーソディンの港。荷物を背負ったサクは、シガに深々と頭をさげた。

「ウム。おたがい達者でな。またどこかで元気に会おう」

 そういってシガは手を振り、船を乗り換えるため歩み去った。サクは、師範の姿が人波にみえなくなるまで見送った。

 あれから、サクはセレスフィアの連合将士大学に進学したいと、母にはっきり告げた。もくろみが破れた父は苦々しげにしていたが、母はただひとこと、「いいでしょう」とだけ返した。

 留学手続きは、おもいのほか滞りなくすんだ。もっと妨害があるかもと思っていたサクにとっては、拍子抜けするほどであった。

 今回の事件において、サクはいわば功労者であった。ただ、その行為を、魔術以外の力でやってのけた、というところに引っかかりが生じた。

 目撃者は生存した生徒たち全員だ。身内のゴタゴタをさらしたくないドライアーネ家にとっては、サクを世間の目から遠ざけるのが、最もよい対策であったのであった。

 進学が正式に決定したあと、テレシアとも決着をつけた。純粋な、魔法のみによる決着だ。そこでサクは完敗した。

 いまでも思い出せる。なんだか、嫌がらせのように、いやらしく衣をズタズタにしてくれたテレシアは、自分を見下ろしながら満足そうに鼻を鳴らした。

「私の勝ちですわね。約束どおり、この家は私がいただきます。貴方はどこへなりと、好きな所へお行きなさい」

 そう言ってくるりと背をむけた彼女は、最後にこう続けた。

「······ただ。どこにいても、私たちはもっと精進しなければなりませんわ。それが無念のまま死んでいった学友たちのためでもあるのですから」

 サクはうなずいた。

 貴女も、しぶとく生き延びなさい。少なくともヤーノスは、泣いてしまうでしょうから。そういって彼女は歩みさった。見送りには姿をあらわさなかった。




「よし、行くか」

 サクはひと言つぶやいて、師範が去ったのとは反対方向へ歩きだす。これからむかう学院は、この港とさほども離れてはいない。昼前には着けるだろう。







 蛇足を承知で、その後のサクのことを、すこし語ろう。結果として、こののち彼女は、ひとりの人物との出会いによって、大きな流れのなかへと巻き込まれていくことになる。



 入学してみて、サクは世界がほんとうに広いことを実感させられた。そこには、みたこともない剣の技をつかう者や、サク以上の格闘術の使い手も大勢いた。

 さすがにウェラヌスキアの人間に匹敵するほどの魔法使いは少なかったが、それでも、校内で目立つ学生のなかには、テレシアを上回るものも何人かいた。

 将士大学は、ほんらい、指揮官などを養成する場である。しかし志望者のなかには、純粋に、より高いレベルの技術を学ぶためにやってきたものも少なくなく、サクもその部類に属した。そうして、ただひたすら拳闘術と柔活術の練磨にあけ暮れて半年がたった。

 運命は、ひとりの少女の姿をともなって彼女のまえにおとずれた。

 昼食前の最後の講義がはじまる直前、サクは講義堂の外によびだされた。自分の目の前には、どこから迷いこんだのか、別れたときのヤーノスよりすこし大きいくらいの歳の少女と、サクがこれまで見たこともないような可憐な容姿をした、長身の美少女がたっている。

 ひとりはふしぎな輝きをもつ朱金色をした短めのくせ毛、もうひとりは、さらさらとした金髪を肩口のあたりでたらし、おなじように輝く瞳を、興味深げにサクに向けていた。

 そして小さいほうの少女は開口いちばん、いきなりこう口走った。

「キミがウェラヌスからきた人? 噂どおり、なんなこう···とってもエロい恰好だね!」

 眉根をよせたサクは、ちゅうちょなく少女の頬っぺたを指ではさみこみ、ガチョウみたいな顔にする刑をあたえた。

「なんだ、この失礼なコドモは」

「ごめんなさいねぇ」

 慌てたように、美人のほうの少女が謝った。マイペースにも、そのまま自己紹介をはじめる。

「私はジュリエッタ・ウィンデスハーク。こちらのちっちゃいのがラシュアリア······えっとぉ」

 ジュリエッタと名乗った少女は、そこでなぜが考えこみ、ふいに唇をサクの耳元によせた。あまりにもいい匂いに、同性であるサクでさえドギマギしてしまう。彼女は耳元で、とある名をそっとささやいた。

 サクは驚いて目を見張った。それは、他国のものである自分にも、聞きおぼえのある名。そして、自分の実家などおよばぬほどの力をもった名······

「でも、そうねぇ」

 サクから身体を離したジュリエッタは、あらためて、サクを頭から爪先までじっくりと観察していった。

「魔導大国からきた人っていうから、もっと細身のひとかと思ってたけど。なにより、その衣がよくないわ。もっと優雅なものを着たほうがいいわぁ。絶対に似合うから。せっかく可愛いのにもったいないわよ?」

「そんなことはどうでもいいんだよっ」

 ジタバタともがいていたラシュアリアが、やっとサクの手から脱出して言った。

「キミ、ボク達のチームに入らない?」

 サクは、まじまじとラシュアリアの顔をみつめた。彼女はイタズラ小僧みたいな笑みを浮かべて、こう続けた。

「きっと楽しいよ!」


最後まで読んでいただき、まことにありがとうございました。

前出の『アミュレット騎士隊のニセモノ魔法剣士』とおなじ世界、ちょっぴり以前のお話で、今回はサクこと、サキアが主人公となっております。

ほんのすこしでもお楽しみいただけたなら、幸いです。

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