8. 運命の恋
「エリオット殿下、今日は西棟の渡り廊下を通って行きませんか? 」
「西棟は研究棟もありますし、もしかしたら、アリア様にお会いできるかもしれませんよ」
「そうか。なら、そうするとしよう」
アリアの名前を聞いて、私は少しだけ心が浮き立つ。
最近、私の側仕えとなった彼らは、こうして彼女のことを知らせてくれるので大変有難い。
実際、彼らの助言通りに行動すると彼女に遭遇することがグッと増えている。
――アリア。
彼女は不思議な女性だ。
平民という出自だからだろうか、私に取り入ろうとするわけでもなく、平気で私の誘いを断ったりする。
だが、素直で表情豊かな彼女だからこそ、惹かれるものがあった。
彼女と出逢って私の世界は広がった気がする。
――彼女こそ、私の運命の相手。
私はいつしかそう思うようになった。
しかし、それを周りに言っても彼女が平民だからという理由だけで、彼女と親密になることに苦言を言う者ばかり。
そのことにうんざりしていた時に、私の助けとなってくれたのが、今の側仕えとなった彼らだった。
従者としての仕事ぶりはまだまだの部分は多いが、それも時間が経てばなんとかなるだろう。
私には味方がいるということが何より大切だった。
王宮で過ごしていた時には感じなかった自由がここにある。こうして自分の意思で選択し、行動できる喜びは何よりも代え難い。
この学園に入って本当に良かったと思えた。
西棟の二階にある渡り廊下は窓枠のない吹き抜けとなっている。
そのため、雨など天候の悪い日は使えないことが多く、普段からあまり利用する生徒は少ない。
しかし、今日は珍しく渡り廊下の中央で談笑している女子生徒たちがいた。
その中に一際目を引く人物を見つけ、私は足を止める。
「殿下、いかがされましたか? ――あれは、エレノア様」
後ろを歩く従者も彼女の姿を見つけ、戸惑ったようにこちらを見た。
エレノアは私の婚約者だ。
しかし、婚約者と言っても親が決めた政略結婚の相手。
確かに昔から美しく、身分も品位もあって、結婚相手として申し分のない相手だが、私の心が動かされるということはなかった。
ここ最近は、彼女もアリアのことについて小言を言ったりと、正直煩わしいと感じていた。彼女の立場も分からないでもないが、学園にいるときくらい好きにさせてくれと思う。
こんな場所で出会うとはな。
しかし、彼女を避けて引き返すというのもあからさま過ぎる。
「殿下、如何致しますか?」
「このまま行こう」
私は従者に告げると、そのまま渡り廊下を進んだ。
「あら、エリオット殿下」
「ごきげんよう、殿下」
エレノアの取り巻きの令嬢達が真っ先に私に気づき、礼をする。
「うふふ。ちょうどエレノア様と殿下の幼少期のお話をしておりましたの」
「お二人のご婚約が決まって殿下から指輪を頂いたお話ですわ。今、その指輪を見せてもらっていましたの」
彼女たちは頬を赤くして私に話を振ってくる。
私に声をかけてくる女性はいつもこうだ。期待に満ちた眼差しに、高揚した頬。そんなにも王族という立場が珍しいか。
そんなことを思いつつ、ふと彼女たちの顔に注目する。
そう言えば、エレノアも学園に入って取り巻きを変えたようだ。あまり馴染みのない顔にどこの令嬢だったか考える。
「……今日はどちらに行かれますの?」
そんな私の思考に割ってくるようにエレノアが口を挟んだ。
その声は固い。
まるで私の心中を見透かすようだった。
「図書館へ行くだけだ」
「そうですか。……図書館なら北棟から行った方が近いのではありませんか?」
「何処を通ろうと私の勝手だろう」
後ろめたい気持ちもあってか、棘のある声になってしまった。
「……失礼する」
気まずい思いから、エレノアの反応を見ないまま足を進めた。
その時だった。
吹き抜けの渡り廊下に強い風が吹く。
「きゃあっ!」
エレノアの叫び声に振り変えると、彼女は真っ青な顔で廊下の欄干に縋り付いていた。その様子に驚いて駆け寄れば、エレノアは欄干の下を覗こうと身を乗り出す。
「おい、危ないぞ!?」
「……ゆ、指輪が」
エレノアが泣きそうな声で言う。
「落としてしまいましたわ」
「そんなっ! エレノア様の思い出の品なのに」
「なんてこと!」
「……探しに行きます」
エレノアは身を起こすと、一目散に廊下を駆け出して行った。
「エレノア様っ!? 私達も手伝いますわ!」
取り巻きの令嬢らも、彼女に続く。
「私達も行こう」
あまり快く思っていなくても彼女は婚約者。困っている所を放って置けるはずがなかった。
「無い、無い、無い。この辺だと思いますのに」
「こちらにもありませんわ」
「こっちもだ」
「……もう少し、奥かしら? すまないけど貴方達はあちらを探して見てくれる?」
「はい」
運の悪いことに、渡り廊下の真下は中庭で、草木や雑草が覆い茂った繁みとなっていた。
小さい指輪の落とし物とあっては、探すのに時間がかかりそうだった。
探し始めてどのくらい時間が経っただろうか。
膝をついて茂みの下を探していると、エレノアが声をかけてきた。
「……ごめんなさい、殿下。お手を煩わせてしまって」
「いや、これくらい」
「……」
無言になったエレノアを不審に思って顔を上げて彼女の方を見ると、エレノアは目に大粒の涙を浮かべていた。
その姿に驚いて思わず立ち上がる。
「――エレノア」
「――っ! ごめんなさい。お見苦しいところを」
「いや……。これを使うといい」
「……殿下。ありがとうございます」
私は胸ポケットからハンカチを取り出すと彼女に手渡した。その時、彼女の白い手が土で真っ黒になっていることに気づく。
「……そんなにも大事なものなのか」
思わず呟くと、エレノアは困ったように微笑んで頷いた。
「――あれは殿下から頂いた思い出の品ですので」
「たかだか指輪だろ。しかも、あれはそれほど高いものではないし」
「いいえ! あれは、殿下から初めて……」
途中で言葉を途切れさせ、エレノアは俯く。
「……もう、殿下はお忘れなのですね。……分かりました」
「エレノア?」
「探すのはもう諦めますわ。ありがとうございました」
涙を拭い、無理矢理笑顔をつくる姿があまりにも痛々しくて、胸を打つ。
「待つんだ、エレノア。そんなにも大事なものなのだろう。もう少し探そう」
私は再び地面にしゃがみ込むと茂の中を探った。
あのいつも高圧的で下手すれば傲慢不遜なエレノアが、こんなにも弱々しい様子を見せることに正直戸惑ってしまう。
そんなにもあの指輪が大事だったというのか。
子供の時に贈ったただの指輪だ。婚約決まってすぐの贈り物に用意したもので、今の彼女にはサイズも合わないだろう。それなのに何故……。
視界端にキラリと光るものがあった。
もしやと思い、草むらの中に光ったそれに手を伸ばす。
「――あった」
それは紛れもなく、幼い頃、彼女にあげた指輪だった。
「エレノア。あったよ!」
浮き足だって彼女を振り向けば、エレノアは呆然と私の手の中の指輪を見つめる。
「……良かった」
安堵の声は震えていた。
ぼろぼろと涙を流しながら、彼女は顔を覆う。
その姿は、いつもの彼女と全く違っていて……
まるで小さな少女を見ているようだった。
――思い出した。
今では想像もつかないが、まだ自分たちが小さい頃、彼女はとても内気で泣き虫な少女だった。
そう、こんな風にいつも泣いていて――
「殿下。覚えていませんか?」
「え?」
「これを頂く前の私、とても泣き虫でしたの」
「……あ、ああ」
まさに今、自分が思っていたことを告げられ、ドキリとする。
「殿下との婚約が決まって、王子の妻として相応しくあるように厳しい勉強が始まって、でもそんな勉強に私はついて行けなくて、あの頃は毎日泣いていました」
「……そうだったね」
「今思えば何をそんな甘いことをと思いますが、あの時の私は毎日が辛かったのですわ。でも、そんな私に殿下はこれを下さって、言ってくれましたの。――私も勉強は辛いが共に頑張ってくれる者がいると励みになる。だから一緒に頑張ろう、と」
「……」
「私、嬉しかったわ。こんな素敵な人とだったら、一緒に頑張れると。だから、毎日頑張りました。どんな厳しい教育にも耐えてきました。殿下の隣に立つに相応しい貴婦人になるために。……でも、殿下が、殿下が……私でなく、あの子を選ぶというのであれば私は――っ。貴方を諦めますっ!」
涙を浮かべ、苦しそうに言うエレノアに、雷に打たれたような衝撃を受けた。
――ああ、なんてことだ。
私は彼女の上部だけを見て、心の内を見ようとしていなかった。
こんなにも、一途に彼女は私だけ想ってくれていたのに。
「……さようなら。エリオット殿下。もう、私たちは」
「っ! ――待ってくれ、エレノア!」
私は去ろうとするエレノアの腕を掴んだ。
「……殿下?」
「私は……愚かだった。君を誤解していた……。君がそんなにも私を想っていてくれたなんて。許してくれ、エレノア。――今、はっきりと気づいたよ。僕の運命の相手は君だったんだね」
「――っ、殿下!」
「――エレノアっ!」
はい!カットぉぉぉおっ!
茂みの影からその様子をこっそりと窺っていた私は、手を取り合って二人だけの世界に入った彼らを見て、心の中で拍手喝采をする。
ふぅ。いい仕事をした。
エレノア嬢から聴取した二人の思い出話を元に五分で考えたシナリオだが、どうやら成功したようだ。
夢見るロマンチストのエリオット王子なら、簡単に相手のギャップに堕ちると思ったのだが、効果テキメンだったようだ。
トドメに自分の元から健気に去ろうとするなんて、引き留めないわけないでしょう!
エリオット王子の性格を知っているからこそ上手くいったシナリオである。
目薬を使ったとはいえ、エレノア様もいい芝居をするわ。
徹夜で演技指導をした甲斐があったというものね!
指輪を落とした振りをするエレノア様の演技も良かったわ。
苦労したのは、それだけでない。
クラウス先生に手伝ってもらって、渡り廊下に風魔法で突風を送ったり。
エレノアの指示で取り巻き連中を二人から離した上で、邪魔が入らないようクラウス先生がエレノアと王子の周りに魔法結界を張らせて周囲から見えないように仕込んだり。
そして、隠し持っていた指輪をエレノアがエリオット王子の傍に仕込み、タイミングを見計らって指輪に気づくように私の光魔法で指輪を照らしたり。
色々と大変だったが、成るようになって万々歳である。
「私って脚本だけじゃなくて演出の才能もあったのね」
「何をぶつぶつ言っているんですか?」
「あ、クラウス先生」
茂みの奥でに隠れるようにスタンバイしていた私の元へ、影の功労者であるクラウス先生がやってくる。
「そろそろ、結界を解いてもいいですかね」
「んー、まぁ、もう少しだけ二人の世界に入れてあげましょうよ」
「はぁ。仕方ありませんね。まったく、急に手伝ってくださいなんて言うから来たものの、こんなお手伝いとは……」
「あはは。いいじゃないですか。恋のキューピッドですよ。あっ!そうだ。先生、お願いついでに、もう一つお願い事があるんですけど……」
こうしてこの日から、学園では二人が仲睦まじく過ごす姿が目撃されるようになった。
その途端、エリオット王子に遭遇することもパタリとなくなって、私も大喜びである。
さて、後は――
今回の騒動となった落とし前、きっちりつけてもらわないとね!
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