5. 疑念②
この学園に入学して早くも二週間が経とうとしていた。
学校の生活にも慣れ始めたところで、何とか日々を過ごしている。
このまま平穏な学園生活を送れたらどれだけいいだろうか……
まぁ、乙女ゲーのヒロインにそんな平穏がないことくらい分かっていたけれどね……
私は遠い目をしながら、毎日偶然にも遭遇してしまう攻略対象のエリオット王子に頭を抱えていた。
「やぁ、アリアさん」
「奇遇だね」
「また会ったね」
「今からランチかい? 私もご一緒しても?」
ある日は寮からの登校時に。
ある日は放課後、教室から出たときに。
ある日は移動教室のために廊下を歩いているときに。
ある日は人気のない校舎裏でお昼を食べているときに。
毎日、毎日、毎日……
お前はRPG序盤に出てくるスライムか!?
クラスも違うのに、どうしたらそんなにエンカウントするわけ?
王子のイベントってこんなに多かった?
どこにいても遭遇するなんておかしくない?
いや、思い返してみれば、確かにゲーム上、主人公が校舎を移動する度に攻略対象キャラに出会い、言葉を交わして好感度を上げるシステムはあった。
今は王子のフラグしか立っていないわけだから、彼しか会わないってこと?
いや、それにしても遭遇しすぎな気がする。
クラスだって違うのに、ここまで頻繁に会うもの?
これではまるで、誰かが意図的に出会わせているみたいだ……。
ーーーーーーーー
「おや、なんだか疲れた顔をしていますね」
魔法学研究室にやってきた私の顔を見るなり、クラウス先生はそんなことを言った。
クラウスに選択授業の相談をしてからというもの、放課後になると私は先生の研究室に毎日のように通っていた。
それにはのっぴきならない事情がある。
数日授業を受けてみて、それは判明した。
この世界の勉強にまったくついていけない! ということだ。
前世の記憶なんてほぼ役に立たないうえに、アリアとしての記憶を持っても所詮平民。文字の読み書きはできるものの、難しい単語なんてさっぱりだし、最低限の基礎知識しかない。
そんな状態でいきなり学校の授業を受けても、さっぱり分からない。
はっきり言って由々しき事態であった。
そこで真っ先に頼ったのが、クラウス先生というわけだ。
勉強も見ますよと言ってくれたクラウスの好意に甘えて、放課後は彼に個別授業をつけて貰うこととなり、毎日補習を受けているのだ。
お陰でどうにかこうにか授業にもついていけているという感じである。
正直、彼に関しては警戒したい思いもあるのだが、この状況に形振りかまっていられなかった。
あれからクラウスには特に怪しい素振りはなく、普通の講師のように勉強を見てくれている。
攻略対象キャラでない上にシナリオにも関わっていないことはよく知っているので、とりあえず保留である。
実際、平民の私にレベルに合わせて丁寧に勉強を見てくれており、はっきり言ってクラウス先生には頭が上がらない状況だ。クラウス先生様様である。
「はい、お茶をどうぞ」
「いつもありがとうございます」
お礼を言って、差し出された湯気の立っているカップを受け取る。
そっと一口飲むと、いつもの少しほろ苦い紅茶の味にホッと息をついた。
このお茶は研究室に来る度にクラウス先生手ずから淹れてくれるものだった。
研究室の奥にある調合スペースで淹れているので、若干抵抗はあるが。
初めて飲んだ時は馴染みのない味に戸惑い、変な物が入っているのではと随分不安に思ったが、同じ物をクラウスも飲んでいたので、こういう味のお茶なのかと割り切って飲んでいた。
今ではその味にも慣れて、香ばし風味に美味しさを感じられるようになったので、慣れとは偉大である。
そもそも平民のアリアにとって、貴族が口にするものはどれも珍しいのだ。
学園生活は大変だけど、学食にしろ、美味しいものを口に出来る機会が多くて、これだけは特待生であることに感謝だ。
そんなことを考えて、味わいながら紅茶を飲み干す。
はぁ、心が休まる……。先生の気遣いが荒んだ心に沁み入るわー。
「随分と疲れているようですが、何かありましたか?」
空になった私のカップにおかわりの紅茶を注ぎながらクラウスは訊く。
「先生。実は……」
口を開いてから、その先を躊躇する。
普通、攻略対象に近づくためのアドバイスをしてくれるのがヘルプキャラの役割だ。
しかし、今欲しいのはそれとは全く逆のことに当たる。
果たして彼に相談するのは正しいことなのだろうか?
言い淀んでいると、クラウスはふっと柔らかく微笑んで、「何で相談に乗りますよ」と言ってくれた。
その優しい心遣いに胸がジーンとする。
「先生……」
すっかり弱っていた私は簡単に絆され、相談をすることにした。
「……実は、何故かエリオット王子に気に入られたようで」
「ほう、エリオット殿下ですか」
「ええ。恐らく、平民ながら光の加護を受けた私の境遇がもの珍しいからだとは思いますが。それはまぁ、いいんですが……何せ遭遇する機会がやたらと多くて……。クラスだって違うのに、不自然なくらいに遭って。その度に周りから怖い目で睨まれるし……。どう思いますか?」
「エリオット殿下は何と?」
私はエリオット王子のセリフを思い出して渋い顔になる。
『こんな偶然に逢うなんて僕らの波長が合っている証拠だね。まるで運命だと思わないかい?』
宝石のような紫色の目をキラキラさせて、そんなことを口にする王子に、苦笑いを浮かべるしかなかった。
「……………………運命なのでは、と」
「じゃあ、運命なのでは?」
クラウスが身も蓋もなく言う。
「違います! 絶対違います!」
「力一杯否定してきましたね。普通、王子と知り合いになるだけでも喜ぶものですよ?」
「ハハハ……。周りからの圧力が無ければ少しは喜べるかもしれませんね」
王子に出会す度に周囲の目は厳しくなってきている。
まだ直接対峙してくる者はいないものの、わざとぶつかってきたり、これ見よがしに嫌味を言ってきたりする連中はいる。
今のところは実害はないが、今後どうエスカレートしてくるか分からない。
それは本当に困ったことだった。
しかし、クラウスは私の弱音を一蹴した。
「何をそれくらい。殿下と交流を持てば平民の貴女でもそれ相応の地位を得られる可能性だってあるんですよ。周りの目なんて放って置けばいいじゃないですか。それこそ、玉の輿だって夢ではないかもしれませんよ」
そうやって妖しげに諭すクラウスの目は、どこか楽しそうだった。
「……先生。私はそこまで馬鹿に見えますか?」
私は肩を落としてため息をつくと、クラウスを睨んだ。
「おや?」
「平民が王子と結ばれても不幸なだけですよ。そんなのは御伽噺の中だけで、実際は綺麗事の世界で収まりません。貴族たちに猛反発を受けるでしょうし、それこそ命も狙われるでしょうね。この通り貴族の生活も礼儀も知らないから、一から教育が必要でしょうし。それを馬鹿にする人間に溢れている王宮での生活は大変でしょうね。子供なんかできてしまったら、それこそ地獄ですよ。貴族たちは平民の子に仕えることなんてできないでしょうから。宮廷に味方はいないでしょうね。愛だけでそれらの障害を乗り越えられるほど現実は甘くないことくらいちょっと考えれば分かります。大体、王子には婚約者が……」
ペラペラと意見を述べる私にクラウスは意外だと言うように目を丸くする。
「意外と物を見ているのですね。驚きました」
「……それはどうも」
褒められているのか、馬鹿にされているのか、どちらか分からないが、クラウスは私を見て満足そうに頷く。
「怪しい甘言に耳を貸さないことは評価しましょう」
「あら? 先生は私を試していたのですか?」
ニコニコと微笑みながら聞けば、同じく微笑を浮かべたクラウスが「冗談ですよ」と口にした。
「まぁ、うふふふ」
「ははははは」
和やかに笑い合うが、その目は笑っていないのを知っている。
……まったく腹の内が読めない先生だ。
ひとしきり笑った後、徐にクラウスは手に持っていたカップをテーブルに置く。
「さて、エリオット殿下とやたらと遭遇するという相談でしたね」
どうやら真剣に相談に乗ってくれるらしかった。
私は姿勢を正してクラウスに向き合った。
「私ならまず、こう考えます。――王子が光の加護を受けた平民に興味を持っていると知って、周りの人間はどう考えるか」
「……」
「貴女の言うように、ちょっと考えれば平民と王室の者が交流することが余り良い考えではないことは誰でも分かります。これは貴方の身分を馬鹿にしているわけではありませんよ」
「ええ、わかります」
「話を続けましょう。仮に私が殿下の側近なら、まずは別の人間に貴女という人間を探らせます。貴女に近づき、その上で本当に殿下と交流をするに相応しい人物と判断したのならば、貴女と引き合わせることも考えますかね」
「入学してから私に積極的に近づこうとしている生徒はいません」
……当の王子以外は、だけど。
「では、彼の周りには諫言する人間がいないのでしょうね」
「……えっ?」
なんだか話が変な方向へ向かっている気がする。
「王室にも様々な勢力図があるということです。エリオット殿下は第二王子ですが、彼の他に何人王位継承権を持った人物がいるかご存知ですか?」
いきなりそんな話を振られても、私が知っているゲーム内の設定にはそんな詳しい話が出たことがなかった。勿論、エリオットルートのシナリオにも王位継承争いを匂わすような描写はない。
どうして今、こんな話を?
「平民の私が知っているわけがありません」
「そうですか?」
クラウスの目が探るように私を見る。
なんだか、試されている気がするのは気のせいだろうか。
いや、本当に知らないからね!
「では、ここではあまり踏み込んだ話はよしておきましょう。王室にも色々な派閥があるということだけ覚えておけばいいです。そしてそれは大人の世界の話に限った話じゃありません」
「えっと、つまり、学園内でも派閥争いがあると?」
「子息令嬢が通う学校ですからね。将来ために有効な交友関係築くのが目的の生徒も大勢います」
「はぁ」
「単に王子と交流が持ちたい者。気に入られて、それ相応の立場が欲しい者。あるいは、王子の地位を落としたい者……」
「ああ、そう言うことですか。意図して私と交友を持たせて、王子の立場を貶めしたい輩がいるというわけですね。そしてその人間が私と王子を引き合わせるよう手引きし、画策していると……」
「まぁ、その可能性もあるというだけの話です」
「……」
そうは言うが、クラウスの物言いだと、恐らくそういうことなのだろう。
何処でどう情報を仕入れているのか分からないが、クラウスがある程度の情報網を持っていることが判明した。
そして今はただの傍観者に留まっていることも。
――やっぱり只者ではないな。
話をすればするほど闇は深まるばかりである。
しかし、彼の話は有用だった。
シナリオの裏に潜んだ登場人物たちの背景。
そんなものがあるなんて思ってもいなかった。
でも、考えてみればそうだ。
ここはゲームの世界であっても、ゲームそのものではない。
で、あるならば。フラグをへし折る為にはそこを突いていくことこそ、私の道筋だ。
ただのゲームの世界かと思っていたら、なんだか裏で色々な人間が動いているようです。
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