17. リディックside
おまけの閑話です。
「リディック。来週から学校に戻るって本当?」
「ええ、母上。いつまでも休学している訳にはいけませんので」
荷造りをしていた手を止めて、ソファに座る母上を振り返る。
「……そう」
息子の自室に訪れた彼女は我が物顔でソファでお茶を飲んでいた。
一応、自分の分のカップもテーブルに用意はされていたが、今は一緒にお茶を飲む気分ではなかった。
「――でも、それって、お父様の訓練から逃げる為じゃないわよね」
ヒヤリとした冷たい声に背筋が凍る。
正直、昔から父よりもこの母の方が怖い。
女でありながら、豪傑かつ冷血と謳われるデイヴィス家の跡取り娘。元々デイヴィス家は母の生家。禁軍の騎士団長を務める父は養子だった。
実際にデイヴィス家を仕切っているのは父ではなく、彼女だ。
着飾っているが、ドレスよりもよっぽど騎士の制服の方が似合うだろう。
その彼女が鋭い眼付きで睨みを効かせる。
「まさか! 私は、いつまでも父上に甘えていてはいけないと思ったから学園に帰るのです」
「……そう」
「そうですとも。母上」
「でも貴方って、昔から逃げ癖があるから」
ふうとため息ついて、彼女はカップをテーブルに置く。
――また始まった。
いつもお馴染みの母上の説教開始の合図に内心ため息をつく。
話が長くなるな。
オレは諦めて、荷造りをしていた手を止め、母上の向かいのソファに移動した。
ソファに座ると、彼女はティーポットを手に取り、手ずから息子のカップに紅茶を注ぐ。
「シエナの時もそう。あの時は酷かったわね」
「……シエナのことは、もう。……昔の話です」
初恋の君の名を出され、胸の奥が鈍く痛んだ。
「私も力になれずに申し訳ないと思っているのよ」
「母上がそうお思いになる必要はありません」
湯気の立つカップを手に取り、澄ました顔で応える。
シエナが外国の貴族の元へ嫁いで行った経緯については、彼女の家の問題で、うちが介入してどうこうできる話ではなかった。
もっとも、彼女が居なくなったことで随分と自暴自棄になったことは認めるが。
「あれから、すっかり女性不審になってしまって」
「……」
この人の嫌なところはナイーブなことをズバズバと口にするところだ。
「せっかくお父様の口添えで王子の近衛騎士にもしてもらったのに。名誉なお役目に少しはやる気になったかと思えば、学園に入った途端、自堕落になるなんて」
「お、お言葉ですが、母上。決して私は自堕落などでは。……授業も受けてましたし、騎士クラスの訓練だって休まずに参加を」
「黙らっしゃい!」
ピシリと一喝され、口を噤む。
「はぁ。講義を受けるなんて当たり前です。問題はその姿勢。オーウェンから聞きましたよ。貴方の学園での素行」
まさか、母上と講師のオーウェンが顔馴染みだとは思いも拠らなかった。
オーウェンはオレについてあれこれ隠さず母上に報告したらしく、実家に帰ってからずっとそのことについて説教されっぱなしだった。
耳がタコになるほど繰り返される小言に、小さく身を縮めるしかない。
――はぁ。早く学園に戻りたい。
母親から解放されたのは、それから二時間後の事だった。
こってりと搾られたオレは、荷造りを再開する気力もなく、ベッドに倒れ込む。
正直、学園に戻るのは怖い。
あれだけの醜聞が広まっているのだ。
――でも、このまま家にいて父や母にいびられ続けるのはもっと嫌だった。
――――――――
予想通り、学園に戻ると周囲の風当たりは強かった。
家柄のお蔭か流石に面と向かって悪口を言うものはいないものの、腫れ物を扱うように皆がオレを遠巻きにしていた。
いつも周りを取り囲んでいた女子たちすらやって来ない。
――まぁ、当分女は懲り懲りだから、いいが。
久しぶりの教室に入ると、一斉に皆がオレを見てくる。
重い空気に息まりそうだった。
しかし、そんな中、普通に話かけてくる人間がいた。
「リディック。復帰したみたいで嬉しいよ」
「……エリオット殿下」
まるで何事もなかったように微笑むエリオットに、オレはその場で跪いた。
クラスメイトが騒つく声が聞こえ、エリオット自身も困惑した様子を見せるが、構わずにそのまま首を垂れる。
「この度の一件、大変申し訳ありませんでした」
「リディック……」
「殿下の近衛騎士としての任務を怠っていたこと、深く反省しております。近衛騎士としての任が外されたことを重く受け止め、今後は今まで以上に精進致します」
父や母に言われたからではない。
これはオレなりのケジメだった。
「……リディック。顔を上げなさい」
言われて顔を上げると、そこには真剣な眼差しでオレを見つめるエリオットがいた。
――果たしてエリオットはこんな顔をする男だったろうか。
いつもどこか遠くを夢見ているようなホワホワとしたイメージしかなかった。世間知らずなお坊ちゃんじみた言動に、主君として守るに値する人間なのかと疑っていたこともある。
しかし、今目の前に対峙する男は、いつもの彼と違った。
「君がまた僕の近衛騎士として戻ってくる日を待っている」
キッパリと述べるエリオットの言葉に不意に目の奥が熱くなった。
「……はい。必ず」
なんとか言葉を絞り出して頷くと、エリオットは元の柔らかい表情に戻って、オレの肩を叩く。
「さぁ、授業が始まる。席に着こう」
さっきまで教室に漂っていたギスギスとした空気は消え、胸の奥が軽くなった気がした。
エリオット殿下がオレにやり直しのチャンスをくれた。
その事がとてつもなく嬉しく感じた。
そしてこの時、初めて自分を改めないといけないと強く思った。
ああ、そうか――
父上がアリアに感謝をしろと言っていたのは、この事だったのだ。
落ちるところまで落ちて、やっと分かった。
確かに、あの平民女に感謝をしなくてはいけないのかもしれない。
――そうだな。
平民風情に馬鹿にされたままでいられるわけにいかない。
エリオット王子の近衛騎士に戻れるよう、騎士として恥じない人間になる。
そう胸の内で決意を改めた。
お読みいただき、ありがとうございます。
少しでも面白いと思ったり、続きが気になると思っていただけましたら、
ブックマークや評価をしていただけると嬉しいです。
作者のモチベーションアップにもつながります。




