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8話 「私の誕生日はまだまだ先なのだけれど」

「ハンカチ? これを私に?」

「はい。差し上げます」

 いつも通りの昼休み、律さんと僕は文芸部室に集まっていた。

『にゃんこ愛で愛で作戦』から数日が経過しているが、ほぼ毎日と言っていいほど昼休みにはこの状況が出来上がっている。

 なんなら文芸部員よりも律さんの出席率の方が高くなってきているくらいだ。

 

 持参したハンカチを手渡すと、彼女は案の定キョトンとした顔を浮かべた。

「プレゼントとは驚いたよ。私の誕生日はまだまだ先なのだけれど」

「プレゼントというよりは、今回の装備ですね。今から二つ目の作戦を決行しようと思います」

 僕の言葉で律さんが柔らかく微笑んだ。ここ数日で穏やかになった日差しが、ゆらゆらとカーテンに差し込んでいる。

「なかなかに急な提案だね。何か思いついたのかな?」

「はい。名付けて『幸せのトークテーマハンカチ作戦』です」

「……君はあまり題することが得意ではないようだね」

「名前はおまけみたいなものです。気にしないでください」

 僕自身は律さんの言葉を気にしているけれども。ひょっとすると僕はネーミングセンスがないのだろうか。いや、今大事なのはそんなことじゃない。

 僕は大きく息を吸い、続きの言葉を吐き出した。


「今回の作戦の肝は、相手に共通点があると思わせることです。そこでそのハンカチを使います」

「共通点のためにハンカチ? このハンカチには魔法でも掛かっているのかな?」

 そんなもの、そのハンカチには掛かっていませんよ。掛かっているのは僕のお小遣いくらいのものです。

 からかうような視線に苦笑いを返しながら、僕はウェブページを彼女に向けた。

「そのハンカチは、宗方先輩がハマっているこの音楽グループのライブ会場限定グッズです」

「ほう」

「律先輩には、彼の前でそれを落としてもらいます。彼は間違いなく興味を示すでしょう。そこから会話を広げるというのが今回の作戦です」

「なるほど。理解したよ」

 安久利先輩のように話術に長けている人ならば、おそらくこんな作戦を立てなくても話題を大きく広げられるだろう。

 しかし、律さんのその部分に関してはかなり未知数だ。

 だから僕は律さんの能力に依存しない作戦を考えた。標的に意中のバンドのグッズを拾い上げさせ、共通点があると錯覚させることが出来れば合格点。同じものに興味があるとなれば話題の種になるし、安易に距離感が縮まる。

 この作戦であれば、彼女が何も語らずとも、宗方先輩に共通点をアピール出来るはずだ。

「しかし、私はこのアーティストの事をよく知らないよ? 共通点として成り立つとは思えないね」

 もちろんそこが問題になってくるが、それならば知識が無くても話を合わせられる位置に立てば良いだけの話だ。

 この作戦にはバンドに対する好き嫌いの真偽など必要ない。


「おそらく、そのアーティスト好きなの? とか、よく聞くの? とか、そういう事を聞かれると思います。その時はこう答えてください。『最近友達にライブに連れて行ってもらった。そこでファンになってから聞くようになった』と。律先輩はファン初心者のフリをして適当に相槌を打ってもらえれば大丈夫だと思います。話題は向こうから投げてくれるはずですから」

 僕が今まで出会ってきた人間の大半が、好きな物事についての方が饒舌になる。それがファン初心者相手となれば尚更だろう。

 宗方先輩が例外でない事を願うばかりだが、上手くハマれば向こうが勝手に話題を広げてくれる。受け手に回るだけならば細かい台詞を用意しておく必要もないし、なにより失敗時のリスクも少ない。


 律さんは口元に手をやって少し考え込んだ後、僅かに口の端を上げた。

「面白いね。やってみよう」

 彼女の号令のもと、僕たちは宗方先輩がいる教室へと向かった。



 二年五組。律さんが普段授業を受けている教室。この付近は普段踏み込むことがない分緊張してしまう。

 見慣れない人の流れに心臓を揺らしながら教室を覗くと、談笑しながら菓子パンの包みを畳む彼の姿が見えた。


 前回同様、僕が合図を出し律さんが行動を起こすという運びだが、こんなことが続けば僕自身が宗方先輩のファンだと思われてしまいそうだ。今後の作戦はそこら辺も考えて立てないといけないな。

 うだうだと考え事をしている間に、教室から宗方先輩が姿を現した。


 ——改めて近くで見ると本当に男前だな。顔の良さもさることながら、髪はしっかりと整えられていて、背丈もそこそこあって、程よくガタイも良い。

 わずか一瞬のすれ違いで、当分鏡を見たくなくなってしまった。

 律さん、これは本当に高いハードルだと思いますよ。目の前を通り過ぎていく彼を横目に、僕は携帯電話の通話ボタンを押した。

 三コールほど鳴らしたあたりで、廊下の影から律さんが登場する。

 彼女は計画通り、彼とすれ違うタイミングでハンカチを落とし、何食わぬ顔で足を進めた。

 なかなか自然で驚いたが、本番はここからだ。僕は祈るようにハンカチを見つめる。

 気づけ。気づいてくれ。相場より高い金を叩いて買った代物なんだから、それなりの力を発揮してくれ。


 僕の祈りが届いたように、宗方先輩はハンカチを拾い上げた。彼はそのままそれを落とした張本人の肩を叩く。

「落としたよ」

「ああ、すまない。ありがとう」

 律さんがハンカチを受け取る。落とし主が彼女である事に驚いていた宗方先輩だったが、徐々に目の色が好奇心に変わっていく。

「それ、エイパレのグッズだよね? 結構マイナーなバンドだと思うんだけど、ファンなの?」

 彼はそう言って嬉しそうにハンカチを指差した。よしかかった! 食いついた! 僕は小さく拳を上げた。

 不審そうにこちらを見る上級生に会釈を返し、再び視線を彼らに向ける。

「友人がファンなんだ。ライブに同行したら、私までファンになってしまってね。そこから聞くようになったくらいだからまだまだ新参者だよ」

「マジで!? まさか合理ちゃんがエイパレ好きだとは思わなかったよ! いやぁ嬉しいな——」

 彼はそのまま楽しそうに話を続けた。様子を見たところ、話はそれなりに盛り上がっていそうだ。というか本当に合理ちゃんと呼ばれてるんだな。


 無表情ながらも返答する律さんは、ひょっとするとこの作戦すら必要なかったのではないかと思えるほど上手に言葉を選んでいた。出来ればもっと表情豊かに返答してほしいものの、作戦の手ごたえとしては充分すぎる。

 想像以上の効果に驚きが隠せないが、これで律さんのマイナスイメージは薄まったはずだ。


 少しの間、仲睦まじく話す二人の姿を見ていると、喜びの傍らでチクリと何かが胸を刺した気がした。

 作戦の成功を喜ぶだけでいいはずなのに、不気味な感情が浮かび上がってくる。不鮮明でもやが掛かっている、おそらく気がつかないほうが良い感情。

 気づくな僕、今は成功を喜べ。自分を説き伏せるような言葉を思い描く。

 会話の終わりを見届けることもなく、目を背けるように僕は急いで部室に戻った。



「どうだったハル君。私は上手くできていたかな?」

 僕より少し遅れて部室に戻ってきた律さんは、何事もなかったかのように僕の隣に腰かけた。

 昼休みは残り七分。わざわざ戻ってくる必要なんてなかったのに。というか、今に限っては戻ってきてほしくなかった。

 僕は窓の外に視線を移した。

「完璧だったと思います。宗方先輩は何か言っていましたか?」

「今度CDを貸してあげるだとか、そんな感じの事を言っていたよ」

「やりましたね! 満点以上ですよ!」

「そうか。それはよかった」

 口角を上げた律さんを見て、僕は急いで口を開く。

「今回で良いイメージを与えることが出来たと思うので、これからは本格的に恋愛対象として意識させるほうにシフトしていこうと思います。まだまだいろいろと作戦を考えていまして、いやぁ次はどんな作戦を使いましょうか! わくわくしますね!」

 そこまで言って、僕はハッと口を噤んだ。 

 うっかりと早口で言葉を並べすぎた。わかりやすく喜びを表現しようとしすぎたせいで、わけのわからない空回り方をしてしまった。

 ただただ嬉しいだけならばこんな醜態をさらさずに済んだのに、邪魔な感情が僕の行動を捻じ曲げてくる。

 律さんはそんな僕の様子を気にすることもなく淡々と言葉を返した。

「それよりハル君。このハンカチはなかなかのレアものらしいじゃないか」

「えっ。ああ、そうなんですね。ネットで買ったんで僕もよく知らないんですけど」

「買った? この作戦のために?」

「はい。宗方先輩のことを調べるまで、僕はそのバンドの存在すら知らなかったので」

「なるほど。君は本当に、つくづく心配になってしまうよ」

 律さんは目を細めて僕の頬を突いた。本当になんなのか、はよくわからなかったけれど、彼女の指はひんやりと冷たかった。


 彼女はそのまま質問を投げ掛ける。

「今日の放課後、予定はあるかい?」

「いえ、特に……」

「そのまま空けておいてもらえるかな? 授業終わり、校門集合だ」

「えっ」

「それじゃ」

 律さんはすっと立ち上がり部室を後にした。

 放課後? 何をするんだろうか。今日の成功の勢いのまま次の作戦を決行しようとしているのだろうか?

 余計なことを言わなければよかった。まだ次の作戦なんて思いついていないぞ。

 僕は大きく息を吐き出し、とぼとぼと教室に戻った。

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