5話 「私は合理ちゃんだからね」
そこから月曜日まで、僕は羽束さんと連絡を取る傍ら構想を練り続けた。
過去自分の感性に刺さった恋愛映画を見返したり、妹から少女漫画を借りたり、なんなら羽束さんに相談をしたりもした。
友人の恋愛相談を受けて、というトークテーマは意外と羽束さんの心を掴んだようで、彼女は嬉々として『恋は焦るべからず!』というアドバイスをくれた。
こういう親身なところも相まって本当に好きになってしまいそうだったが、自身の興味をぐっと抑えて僕は必死に作戦を立て続けた。
そうして即席の鎧を厳重に着込んだ僕は、月曜日の昼休みを迎える。
そそくさと昼食を平らげ、大きく腕を組んで鎮座していると、ゆったりとした様子で約束通り律さんが姿を現した。
「やあ。今日も早いね」
「こんにちは。そうでもないですよ」
部長の話を聞いた後ということもあって身構えていたが、ひらひらと指を揺らす彼女はやはりクールで美人な姉ちゃんにしか見えなかった。
彼女は従来通り僕の隣に腰掛ける。
「私が呼び立てているんだから、ゆっくり来てもいいものだけれど。私が鍵を持っていないから早く来てくれているのかな? 気を使わせてすまないね。ありがとう」
「あ、いえ、別に」
僕は急いで目を伏せた。
単に部室までの距離で僕に利があるだけで、そこまでの配慮をしたわけじゃない。
意図していなくてもまっすぐ感謝を向けられると照れてしまう。律さんは僕の手元に視線を移した。
「今日は昼食を摂っていないんだね」
「もう食べ終わりました」
「そうか、残念だ。君の食事姿はなかなか愛嬌があって、私は好きなんだけれど」
「えあっ。そ、そうですか」
僕は視線を空の部長の席へと向けた。彼女が来てからキョロキョロしっぱなしだ。
そういう真っ直ぐな表現は刺さるからやめてほしい。羽束さんにしろ律さんにしろ、僕が落ちてどうするんだ。心をしっかり保て。
ゆっくりと息を吸い気を取り直し、僕は鞄からノートを取り出した。
「この数日で情報を集めてみたので、まずはそれを聞いてもらってもいいですか?」
「ああ。聞こうじゃないか」
ノートを置き、耳を織り込んだページを開く。
「まず宗方先輩の方から。宗方圭吾。テニス部の二年生。身長は175センチメートル。体重64キロ。好きな食べ物はラーメンで、梅干が苦手みたいですね。好きなタイプはおっとり系。最近は推理ドラマにハマっているらしいです。あと『エイトパレード』というロックバンドが好きとのことです」
集めた情報を並べたところで律さんの方を見る。彼女は鋭い目を丸くして僕の方を見ていた。
綺麗な色の瞳がじっとりと貼りついてくる。あまりにリアクションがない。静止画みたいだ。何かしくじったか。
「な、なにかおかしな事を言いましたか?」
「いや、素直に驚いているんだよ。どこからそんな情報を集めたのかな?」
「SNSとか噂話とか、そこら辺をチェックして……」
「想像以上だ。素晴らしいね。続けて」
「はい」
よかった、ただ驚いていただけか。
情報集めに必死すぎて引かれているかと思った。彼女の感情の起伏が薄いせいで、妙に緊張してしまう。
僕はページをめくった。
「じゃあ次に宇郷先輩のイメージと今後の話を」
「律でいいと言ったよ」
顔色を変えず彼女はそう言った。
心で理解するのと行動に移すことには大きな差異がある。僕は小心者だから、初の名前呼びはそれなりに緊張するんだ。
「くっ……。じゃあ、り、律先輩について」
「よろしく」
「えっと。クラスでは合理ちゃんと呼ばれているらしいですね。感情に左右されず、論理に従って行動していて、ちょっと怖がられている存在——」
そこまで言って言葉が止まる。本人を目の前にしてオブラートにも包まず、僕は何をやっているんだ。
呼び方で焦った結果、とんでもない失礼をかましてしまった。
「す、すいません。失礼な事を」
「全部事実だから構わないさ。気にしなくていいよ」
彼女はやはり顔色を変えずにそう言った。僕はおずおずと言葉を加える。
「は、はい。その、今言った怖いイメージというのは、今後大きな壁になってくると思うんです。だからまず、この作戦はどうでしょうか」
僕は更にページをめくり、ノートを律さんの方へと向けた。
ページ左上には『にゃんこ愛で愛で作戦』と大きく書かれている。
「にゃ、にゃんこ……」
「はい。にゃんこです」
堂々と返した僕の言葉に、今日初めて律さんの表情が淀んだ。
僕が用意したのは、何を隠そうこの『にゃんこ愛で愛で作戦』だ。
深夜のテンションでこんなネーミングになってしまったのが今更ながら恐ろしく恥ずかしいが、披露してしまったからにはしょうがない。
僕は文字を指差しながら言葉を加える。
「相手を惚れさせようとする状況において、マイナスイメージというのはもちろんない方がいいです。でも、このイメージを逆に利用することがこの作戦の肝です」
「ほう」
「僕を含め多くの男子は、ギャップというものにトキメキを感じるんです。気の強い女の子が弱音をこぼした時とか、そういう時にキュンとしてしまうものなのです!」
それが彼のような陽キャに当てはまるかと言われれば自信はないが。
静かに頷く彼女に向け、さらに言葉を付け足す。
「僕がなんとか状況を作り出すので、律先輩には宗方先輩の前で猫を愛でてもらいます。ただ愛でるだけじゃありません。全力です。ギャップを見せつけるんです。普段クールで怖いのに、こんな顔も出来るんだ、と思わせるんです。……どうでしょう?」
僕の第一の矢は、簡単に言うとギャップで落とそうという作戦。
数ある恋愛物を読み漁ったり、幾人もの恋愛経験談を調べたりした結果、やはり最初はシンプルな作戦が効果的なのではないかと思い当たったわけだ。
もちろんこれで全てが上手くいくとは思っていないが、まずはイメージを変えることが大きな一歩なのだ。
横槍を挟まず言葉を聞いていた律さんの口角が、僅かながら上がった気がした。
「良い。実に良い作戦だ。なにより私の無茶な願いのために、そこまで考えてくれたというのが嬉しいよ。ありがとう」
「あ、いえそんな」
「しかしなんだ。君の人の良さはお姉さんとしては少し心配になってしまうね」
律さんは静かに息を吐き、目を薄く細めてそう言った。
まさか人が良いなんて評価が返ってくるなんて思わなかった。引き受けた以上責任を果たそうと思っているだけで、僕には慮りなんて一つもない。
「人の良さなんかじゃありませんよ。僕はただ、自分が後悔して悶々としたくないだけですから」
「興味深い美学だね。まあこれは別の機会に掘り下げるとしようか」
彼女は細めた目を開き、ゆっくりと立ち上がった。
「なんにせよ、最高の作戦だ。明日の昼休みにでも決行したいくらいなのだけれど、問題は無さそうかな?」
「問題ないです。用意しておきます」
「ありがとう。それではまた明日。よろしく頼むよ、ハル君」
律さんの言葉に呼応して、冷ましていた心が急激に熱を帯び始める。
「は、ハル君?」
「食堂で友人にそう呼ばれていたじゃないか。ならばそれに合わせるのが一番論理的だ。私は合理ちゃんだからね」
彼女は少し悪戯っぽく眉を上げ、教室へと戻っていった。