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30話 「未練は本人に断ち切ってもらえばいい」

 少し離れた校庭から漏れる光と音は、どこか遠くの国の映像のように現実味のないものに思えた。

 どうやら後夜祭が始まったようだ。


 校内の模擬店が全て終了し、祭りの余韻を楽しもうという人間のほとんどがあの遠くの光と音の中にいる。

 それに引き換え、蛍光灯だけが淡く光る文芸部室は、椅子が軋む音すら聞こえるほど静かだった。

 まるで世界が終わる前みたいだ、なんて感想はちょっと詩的過ぎるか。

 やんわりと笑みを浮かべながら、僕は部室で蒔枝さんを待っている。全てを白状するために。


 昨夜送ったメールで、智哉から僕に課せられた依頼は終了した。今後はメッセージアプリを使うよう、智哉にも言伝してある。

 全ての役目を終え、ゴーストライターは晴れて成仏したわけだ。

 おそらくこのまま黙ってフェードアウトすればバレる事もないし、わざわざここで名乗り出る必要も意味もない。何食わぬ顔をして、しれっと違う世界に逃げてしまえばいい。

 そう思っていたけれど、そうじゃない未来が見たくなってしまった。


 どうせ黙っていたって、僕は蒔枝さんと仲良く出来なくなる。

 素知らぬふりをすればいいのに勝手に気にして、勝手に負い目を感じることが出来る、僕はそういう奴なんだ。

 だからせめて自分が納得できる終わり方にしようと思った。

 嫌われて罵られようが、後々智哉に何か言われようが、最後くらい自己中心的に振る舞ってやろうじゃないか。

 どんな批評も悪態も、飲み込んで吸収してやる。胸焼けしそうになったら、安久利ヤギに食べてもらえばいい。


 一分に一回、長針が動く音が部室に響く。蛍光灯のジリジリという音も、今日はなんだかやけに煩く聞こえる。

 虚空に想いを馳せていると、遠くから足音が近づいてきて、部室の前で止まる。

 僕の吐いた息に合わせ、部室の扉が開いた。 


 徐々に姿が見えてくる。それと同時に、僕は立ち上がり間抜けに口を開いた。

「な、なんで?」

「やあ。なんで、というのは何に対しての疑問かな? それによって返答が変わってしまうよ」

 暗闇から姿を現したのは、蒔枝さんではなく律さんだった。数時間前の道着姿ではなくいつも通りの制服姿で、さらりと彼女はそう告げた。

 意表を突かれた僕は、急いで手元の携帯電話を見つめ、メッセージアプリを開いた。

 さっき彼女に送ったメッセージを見返すと、間違いなく『後夜祭には校庭にいるようにしてください。そこで律さんの惚れさせ計画は達成されます』と書いてある。既読もついている。


 でも彼女はここにいる。だから「なんで?」と言ったんだ。

「後夜祭、始まってますよ? もしかしてメッセージを見てませんか?」

「知っているよ。設営を手伝っていたからね。メッセージにもちゃんと目を通した」

「じゃあなんでこんなところにいるんですか?」

「先約があったからね」

「せ、先約?」

 意味もなく携帯電話と彼女の顔を交互に見る。

 僕の記憶に彼女との約束はない。しかし、わざわざ律さんとの集合場所にここを使う人間なんて、僕以外思いつかない。

 まさか焦ってメールを送り間違えたのか? いやそれもない。そもそも僕は律さんのメールアドレスを知らないし。

 現れたのが蒔枝さんじゃ無かっただけでも衝撃なのに、こんなふざけたタイミングに誰が律さんを呼び出したんだ?


 どう回せばいいか分からない脳を必死に回転させる。とにかく彼女はここにいちゃいけない。校庭で宗方先輩が待っているんだ。

 焦る僕に反し、律さんは静かに微笑んで言葉を置いた。

「君こそこんなところで何をしているんだい?」

「僕は……。蒔枝さんに本当のことを話そうと思って」

「なるほど。そんな気がしていたよ。それで蒔枝を呼び出したというわけか」

「そうです。……って知ってたんですね」

「当然だよ」

 そりゃ二人は一緒にいたんだし、知っていてもおかしくはないか。そう思い律さんを見る。

 ――いやいや、おかしいな。知っていたならなおさら律さんが一人でここに来る意味が分からないじゃないか。

 彼女はゆっくりと僕の携帯電話を指さした。

「メール。もう一度蒔枝に送ってみるといい」

「えっ?」

「届いていないかもしれないだろう? 電波は目には見えないからね。もう一度呼び出してみたらどうだい?」

「は、はい……」

 言われるがまま、さっきの文章を少し変えてメールを送信する。可愛げのない文字が、送信完了を伝えてくる。


 ぽこん、という間の抜けた音が部室に響いた。耳馴染みのあるメール受信音、それが律さんの方から。

 彼女は予定調和のような動きで携帯電話を取り出し、画面を僕の方へと向けた。画面に映し出されていたのは、たった今僕が蒔枝さんに送ったはずのメールだった。

 アドレスを間違えるはずがない。僕は律さんのメールアドレスを知らないんだから。何度考えても、そこで思考が行き止まる。

 でも、あの飾り気のない携帯電話は、間違いなく律さんの物。だったら送ったメールがそこに届いたというこの状況はなんだ?

「なんで……?」

「さっきも言っただろう? 何に対しての疑問かによって、私の答えも変わってくるよ」

 今度の「なんで?」は深く考えるまでもない。

「なんで律先輩の携帯に蒔枝さん宛のメールが届いているんですか?」

 律さんはくすりと笑みを浮かべ、暗転した携帯電話をポケットにしまった。

「そのアドレスが、私の物だからだよ」



 唖然とする僕に、彼女は淡々と言葉を続ける。

「考えなかったのかい? 君が代打ちをしているということは、相手もそうであるという可能性を。君が『和田口智哉』であったように、『羽束蒔枝』も他の誰かかもしれないということを」

「えっ、あれ? ということは……」

「君が今までやり取りをしていたのは私だ。騙していてすまなかった」

 律さんの眉が下がる。窓が締まっているのに風が吹き込んできた気がした。


 考えもしなかった。たしかにメールの向こう側にいるのが誰かなんてわからない。自分がやっていたんだから今思えば当然すぎる事だけれど、相手もゴースト、ましてや律さんだったなんて想像できるもんか。

 僕は一つ息を飲み込んで、ゆっくりと言葉を運んだ。

「いつからですか?」

「最初から」

「最初!?」

「それ以外どのタイミングがあるのか、教えてほしいくらいだよ」

 まあその通りなんだけど、ここまでの蓄積があるんだから驚きの声くらい上げてもいいじゃないか。


 ということは、最初に部室に来たあの時ですら、彼女は全てを掌握していたのか。そのうえであの言動をしていたとは意外と演技派じゃないか。

 目を丸くする僕に彼女は言葉を向け続けた。

「蒔枝は最初からはぐらかすつもりで、自分のものと偽って私のメールアドレスを彼に教えたんだ」

「はぐらかすつもりで……?」

「酷く聞こえるかもしれないが、彼女側にも事情がある。どうか軽蔑してやらないでくれ」

「いや、まあしませんよ」

 僕もなんとなく智哉の手口を知っている。僕に依頼してきたとき同様、彼は要求を通すために断れない空気を作る。それで何人もの連絡先を聞いたと自慢げに語っていた。

 だから、上手くかわしたなという感想くらいで、蒔枝さんに軽蔑なんて感情は一切わいてこなかった。

 ただただ驚いてはいるけれど。

「じゃあ、食堂で僕たちの話を聞いた時には全部を理解していたんですね?」

「そうだね。もちろん蒔枝もこの事を知っているよ」

「そ、そうなんですね。ちょっと恥ずかしくはありますけど、ほっとしました」

 驚きが安堵に変わり、僕は力なく椅子に身を預けた。急に肩の荷が降りた気分だ。


 罪悪感を抱く必要もなかった。なりすましていたと謝って罵声を浴びる必要もなくなった。

 命を賭すような覚悟をしていたけれど、僕の不安は一つ解消された。

 笑みを浮かべた僕に、律さんは困惑の表情を返した。

「怒らないのかい?」

「えっ?」

「君には怒りをぶつける権利がある。というか、そのために私は来たんだ」

 律さんは表情を変えずこちらを見つめ続ける。

 怒りをぶつける権利。あったとしても、そもそもの怒りが今の僕にはない。驚きと安堵を噛み締めることで精一杯なんだから。


 正解の表情がわからず、僕はただただキョトンとしてしまう。彼女も虚を突かれたようにぼうっと言葉を並べた。

「君は必死に代わりを努めていたのに、結果相手は別の人間だったんだよ? 加えて私は間近で君を騙し続けていた。今日もわざわざ蒔枝に講堂裏に行って本人に会ってもらうほど入念にね。君があれだけ心を砕いていたのを知って、私は今の今まで黙っていたんだ。お叱りを受けて然るべきだ」

 彼女の足の動きに合わせ、スカートが揺れた。

 ああ、そうか。僕が思っていたように、律さんにも罪悪感があるのか。肩透かしをくらったのは、彼女も同じなんだ。


 謝罪も叱責もいらない。だって悪いのは僕達も同じだ。たまたまそうならなかっただけで、蒔枝さんを騙そうとしていたことには変わりない。

 なんなら最初の食堂で一喝入れられていてもおかしくないくらいだったんだ。

「なんだか、僕が怒るのは違うかなって。初めからバレていたにしても、不義理な真似をした事実は残りますし。あと、ほんと情けない話なんですけど、想像以上にホッとしてしまって。僕は誰も騙していなかったわけですよね?」

「そうなるね」

「もうそれだけで満足です。お腹いっぱいです」

「なるほど。本当に君は人がいいね。こういう時は多分、怒った方がいいよ? 容認していた私が言うのもおかしな話だけれど」

「腹も立ってないのに怒るのは無理です」

「……そうか」

「そうです!」

 僕はへらりと笑顔を返した。驚きはしたけれど、やはり怒りなんて湧いてこない。

 相手が律さんだったという時点で、僕のやって来たことが無駄じゃなかったと思えるし。

 そこまで思い浮かべて、ふわりと疑問が浮かんだ。感情に左右されないであろう彼女が、なぜメールを返し続けてくれたのだろうか?

「ただすいません。一つだけ疑問が」

「なんだい?」

「なんでわざわざ全部を知ったうえでメールを返してくれていたのかなと。なんというか、合理的じゃないというか、先輩っぽくないというか……。無視する事も出来たじゃないですか」

 というか、無視してくれていればこんな事にもならなかったし。質問を受けた彼女は困ったように笑った。

「ふふっ。いつ君が飽きるのか、興味があったんだよ。いわば恋を知ろう計画のサブプランみたいなものさ」

 律さんは腕を組んで窓の方を眺めた。彼女の位置からでは後夜祭の様子は見えないだろう。遠くの暗闇でも見ているんだろうか。

 いくら智哉からの頼まれごとでも、飽きてやめるくらいなら最初から引き受けていない。


「一度引き受けたことですから、さすがに飽きることは――」

「気の迷いで引き受けることはあっても、それが続くなんてこと、私の常識ではありえないよ。ゴーストライターなんて、どう転んでも君には利がないんだから、一週間ほどでフェードアウトするだろうと思っていた。予想に反して君は欠かさずやり取りを続けたけれどね。そして今日という日を迎えた。これが一つ目の理由。そしてもう一つが――」

 彼女は珍しく顔色を隠すように目を少し伏せた。

 艶めいた黒い髪が、白い光を吸い込んで揺れる。

「いつしか、君から連絡が来る夜が、楽しみになっていたんだ。私は私じゃない。君も君じゃない。繋がってもいない繋がりなのに、私にはそれがとても尊く思えるようになっていた。だから私からやめられなかったし、本当のことを告げる事も出来なかったんだ」

「先輩……」

「私らしくないだろう? まあ、事実メールの中では私ではなかったんだけれどね。何はともあれ、これが真相だ。騙していて本当にすまない」

 律さんは早口でそう言って、逃げるように頭を下げた。

「謝らないでください。怒りもショックも、僕にはありませんから」

 全てを聞いて、今の彼女の姿を見て、僕に湧き上がってきたのは純粋な愛しさだった。

 相手が蒔枝さんじゃなかったという事実なんて、もうどうでもよくなった。


 彼女がやり取りを楽しんでいてくれて、自らそれを話してくれて、最後にはちゃんと僕と向き合ってくれたのが、ただただ嬉しかった。


 誰だよこの人に合理ちゃんなんてあだ名を最初につけた奴は。本当にセンスがない。


 合理的な判断を優先する傾向があるのは事実だけれど、それが彼女の全てなどでは断じてない。

 そりゃメールの代打ちを知って怒ることもなければ、恋という感情を知るために好きでもない奴を惚れさせようともする。

 クラスの出し物には空気問わず論理的な意見もするし、感情表出が苦手で口調も固いし、それらがきっかけで恐れられてもいる。


 でも彼女は、たまに見せる笑顔が眩しくて、小虫に悲鳴を上げるほど可愛らしくて、子どもっぽい一面もあるから一緒にいると楽しくて、自己犠牲を怒ってくれて、落ち込む時はちゃんと落ち込んで、真剣に僕のことを考えてくれる。そして感情というものに興味津々な人なんだ。


 僕の目の前にいるのは、そんな素敵な女の子。僕は彼女のそういうところに惹かれている。


 こんなところまできて、ようやく僕は自身の感情を論理的に精査することが出来てしまった。

 やっぱり僕は、どう足掻いてもこの人のことが好きだ。間違いや幻想なんかじゃない。放っておけば消えてくれるようなもんじゃなかったんだ。



 かちりと長針が動く。魔法が解けたように僕は我に返る。

 彼女がここに来てくれたおかげで、僕はちゃんと自分を知ることが出来た。彼女をこれ以上引き止めるわけにはいかない。

 宇郷律に似合うのはこんな薄暗い部室なんかじゃなくて、賑やかな後夜祭の光彩。そこで彼女を取り巻く環境は変わる。宗方圭吾という人間が、きっと手を引いてくれる。


 僕にできることは、未練がましく袖を引くことじゃなくて、光に向け彼女の背を押すことだろう。心の底から好きだからこそそう思える。

 

 僕は立ち上がる。本当は全部事が済んでから打ち明けようと思っていたけれど、今以上に良いタイミングが思いつかない。

 変化球は要らない。未練は本人に断ち切ってもらえばいい。


「先輩。僕はもう大丈夫です。早く後夜祭に行ってください」

 彼女の頭が上がる。白くて薄い頬が僅かに上気して、薄い赤が浮かんでいた。

「メッセージで送っていた通り、惚れさせるまでのルートは確定しました。ちゃんと本人の言質も取ってます。後夜祭で宗方先輩が待ってますよ。そこで僕たちの計画は終わりです。最後は……そうですね、『言い伝えでハッピーエンド作戦』とでも名づけましょうか」

 僕の言葉で律さんは噴き出したように笑った。

「ふふっ。相変わらず、君のネーミングセンスは酷いね」

「今更ですよ。でも大丈夫です。僕はきっと成長中ですから」

「……そうか。ならば今後の成長が楽しみだ」

 そう、僕は成長中なんだ。頼みごとが断れなくていろんなものを引き受けてしまうし、妹には陰キャだと笑われるし、脚本はボロクソ言われるし、青い春とはほど遠い生活を送っている。

 今後もすぐに変われるわけじゃない。宗方先輩のように顔の良いモテるメンズになれるわけでもない。


 それでもいつか、安久利先輩のように真っすぐで、蒔枝さんのように包容力があって、律さんのように芯がある人間になりたい。

 これからすることは、そのための成長剤。

 きっと律さんを困らせるし、叶わないし、自己満足だってこともわかっている。それでも、蠢いたこいつを成仏させてやらないと、僕は前に進めない。黙って諦めるなんて、僕にはもう出来ない。

 今の感情も、酷いネーミングセンスも、終わった後に全部全部食べつくして成長してやろう。

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