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3話 「試しに恋をしてみよう」

 翌日は鬱陶しい程の快晴だった。季節は秋に向かっているはずなのに、半袖でもおつりがくるほど汗が滲んでくる。

 昼休み、約束通り部室にいる僕は、落ち着かない気持ちのまま弁当を広げた。

 羽束さんとのやり取りは恐ろしく順調で、日常生活に少しばかりの浮つきが生まれていた。しかし、諸々を同時進行できる自信は一日経っても湧いて来なかった。


 正直なところ、智哉の手伝いだけで僕には手一杯だと思う。勢いに負けて受け入れてしまったが、律さんの依頼を断ることも視野に入れないといけない。

 深々と考えながら弁当箱をつついていると、部室の扉が開かれた。


 ひらひらと手を振って現れた律さんは、こんな暑さなのにカーディガンを羽織っていた。それなのに汗一つかいていない。彼女は本当に氷の彫刻かなにかなのかもしれない。

「やあ。待たせたかな」

「いえ、今来たところです」

「そうか。それはよかった」

 デートの待ち合わせのようでとても素敵なやり取りだったが、よくよく考えれば僕はこれからこの人の恋路を応援しなければならないのだった。あっと言う間に浮かれた気分が散っていく。

 彼女は昨日同様隣の席を陣取り、机に肘を置いた。見たところ手ぶらのようだ。

「あれ? お昼ご飯食べないんですか?」

「移動中に食べ終わったよ」

「移動中……」

「なに、私のことは気にせず食べるといい。年下が弁当を貪るという姿も、なかなかに愉快なものだ。横で勝手に話をしておくから、内容だけ頭に入れてくれ」

 そう言われると急に食べ辛くなるんですが。そう思いながらも僕は弁当を食べ進める。律さんは僕の箸の動きに合わせるように話を始めた。

「昨日の話の続きだ。私には惚れさせたい男がいる。宗方(むなかた)という奴なんだが——」

「ごほっ!」

 開始早々、驚きで米粒が喉元に突き刺さった。僕はむせながら急いで水分を流し込む。

「急いで食べるからそうなるんだよ。ゆっくりお食べ」

「は、はい」

 急いで食べていたからこうなったわけじゃない。相手方が予想以上に大物だった事に驚いてしまった結果だ。

 宗方、宗方圭吾(むなかたけいご)、陰キャの僕でも知っている。というかこの学校で彼のことを知らない人間などいないのではないだろうか。

 スポーツ万能、頭脳明晰、おまけにルックスも良いという、漫画の世界から主人公が飛び出してきたのかと思えるような人物。

 律さんのビジュアルであれば大抵はイージーモードだろうと思って油断していたが、なるほどこれは手強い。


 僕は箸を持ち替えもう一度耳を傾けた。

「続きといこう。私と宗方とは同じクラスなのだけれど、困ったことに彼と私は交流がない。まずは何をすべきだろうか?」

「交流がない……? 一目惚れって事ですか?」

「一目惚れとは少し違うかもしれないね。今のところ私にも好意は無いから」

「へえー。えっ。すいませんどういうことですか?」

「これ以上噛み砕きようがないのだけれど」

 律さんは顔をしかめ、指で下唇を挟んだ。どう説明すればいいかを悩んでいるのだろう。僕も同じように眉をひそめた。何から理解すればいいかが分からないからだ。

 好意があるから恋路に協力しろと言ってきたのではないのか? そもそもが僕の認識が間違っていたのか?

「好意がないのに宗方先輩を惚れさせたいんですか? 多分そこら辺を説明してもらえれば理解できると思います」

「なるほど。丁寧な解説をありがとう。私の情報が少し足りていなかったようだね」

 律さんは手を叩き、薄く笑みを浮かべて言葉を続けた。


「『恋心』という感情は、私にとって非合理的で曖昧なもので、到底理解できそうにないんだ。しかしそれで前向きになった人間も多く見てきた。だから試しに恋をしてみようと思ったのさ」

 さも当たり前のことのように彼女は言い放った。薄々感づいてはいたが、彼女の思考回路には多少癖があるようだ。

「なる、ほど。じゃあなんで宗方先輩なんですか?」

「どうせなら顔は良い方がいいだろう? 私にはよくわからないが、どうやら彼は美形らしい」

「そ、そうですね。そうだと思います」

「とまあそういう経緯があって君に依頼したわけさ。順番が前後してしまってすまないね」

 彼女はゆっくりと息を吐いてそう言った。

 要は「試しに恋をしてみようと思うので、あいつを惚れさせるのを手伝ってくれよな後輩!」ということらしい。表情の起伏が少ないと思っていたが、感情の方も起伏が少ないのか。というか惚れさせたところで、それは本当に恋をしたと言えるのだろうか?

 この数分でハードルが見えないほどにまで高くなってしまった。お試しで付き合えるほど、宗方圭吾という壁は低くない。こういう情報は引き受ける前に与えてもらわないと困る。

 しかしながら、恋を知らない彼女が恋をする為にサポートをすると考えれば、これはこれで燃える展開かもしれない。


 少しの間思考を巡らせる僕を、律さんは黙って見つめていた。どうやら口火は僕が切らないといけないらしい。

「少し……。いや、出来れば来週まで時間をもらってもいいですか? 手段を考えたいんで」

「いいとも。こちらは頼んだ身だからね。乗り気になってもらえたようで嬉しいよ。では週明けの昼休みにまたここに来るから、その時にでも教えてもらえるかな?」

「はい。わかりました」

「ありがとう。それじゃあ私は教室に戻るよ。君も早く食べ終えたほうがいいよ。もう昼休みはわずかだからね」

 彼女は言葉を残し部室を後にした。

 ひらひらと揺れるカーディガンを見つめながら、僕は急いで弁当を平らげる。


 まずはリサーチが必要だな。宗方先輩のこともそうだし、律さんのクラスでのイメージもそうだし。それを元にプランを練らなければならない。やることが満載だ。

 思いの外上がった熱量で弁当を食べ切り、教室に戻る最中、携帯電話が揺れたことで羽束さんのことを思い出した。

 僕は何をノリノリで頭を動かしているんだ。断ることも視野だなとかなんとか考えていたはずじゃないか。

 ずしりとのしかかる課題で、大きく肩が落ちる。出来るのか僕に。半端に手を差し伸べてみんなを不幸にするなんて事にならないか?

 足を進めながら自問自答してみたが、そもそも僕にそれらをいまさら断る勇気などありはしないのだ。ほら、頼み事なんて迂闊に受け入れない方がいい。


 教室に戻った僕は、重い頭を回して今後のプランをノートに書き始めた。

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