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27話 「きらきらきらーってね」

「やっほー。蒔枝ちゃんだよー」

 学園祭二日目の朝。

 店番をしていた僕の前に最初に現れたのは、私服に身を包んだ陽気な蒔枝さんだった。

 昨日から必死に蓄えていた僕の覚悟やらなんやらが、たった一言で吹き飛ばされる。 


 オーバーサイズのニットと裾の広いジーンズ。秋っぽい落ち着いた色合いなのに、画像加工でもしているのかと思えるほど周りの空気が煌めいて見える。

 近くに律さんも見えないし、一人で来たのだろうか? 相変わらず常人離れしたオーラだな。何度か会っているのに未だにドキリとしてしまう。いや、私服を見たのは初めてか。

「お、おはようございます。ってこんなところで何を……?」

「晴幸君どこー? って律に聞いたらここだって言うから来ちゃった!」

 彼女は可愛らしくそう言った後に、跳ねた髪を揺らし部誌を手に取った。

「一部もらっていい? おいくら?」

「二百円です」

「おおー、良心的な価格」

 財布から取り出した小銭を僕に手渡した後、彼女は空いている椅子に腰かけて部誌を読み始めた。


 足を組んでいる。あ、鞄を下ろした。どうやらここに居座るつもりらしい。

 昨日と変わらず、部室には学園祭の取りこぼしのような音が届いている。幸い天候にも恵まれているが、昨日よりも少し肌寒さが強い。

 少し彼女に見入った後、僕は思い出したように口を開く。

「えっ、ここで読むんですか?」

「ん? 駄目?」

「いや、駄目じゃないですけど……」

 蒔枝さんの耳に掛かったイヤリングが、蛍光灯の光を吸い込んで揺れる。装いが見慣れないせいで、知らない美人な女性と話をしている気分だ。余計に緊張してしまう。


 部長は懲りずに店番をサボっているから、僕としては一人の時間が紛れて非常にありがたいし、彼女がオブジェと化してくれれば宣伝効果もありそうだ。

 しかしながら、この部室は学園祭と呼ぶにはあまりにも殺風景だと思う。

「いいんですか? せっかく来たのに。ここはあんまり学園祭っぽくないですよ?」

 ぺらぺらとページをめくっていた指が僕の方へと向けられる。

「あはっ。恋愛参謀くん、風情が足りませんなぁ。賑やかな喧噪を外れたこういう場所でこそ、秘密がたくさん生まれるんだよ。きらきらきらーってね」

「なんですかそれ……」

「というか一人で回ってもつまんないもん。せっかく来たのに律も晴幸君も店番してるし、ほんとつれないつれない。あとで三人で回ろうねー」

 にひにひと笑みを浮かべ、彼女はセーターの袖を深く下ろした。部屋の奥まで日が届かない分、肌寒いのかもしれないな。

 僕は立ち上がり窓を少し閉め、蒔枝さんに言葉を向けた。

「それならもうちょっとゆっくり来ればよかったのに」

「うーん。まあそうもいかない事情があるわけなんですわ。ちょっとしたら出ていくから、お話に付き合ってよ」

 蒔枝さんは視線を部誌に向けて毛先をくるくるといじった。

 わざとらしく話題を振ったけれど、僕は彼女が浅い時間に学園祭に来た理由を知っている。なにせその理由を生み出したのが僕自身なのだから。


 今日の午前十一時。ちょうど三十分後、智哉と蒔枝さんは講堂裏という人気の少ない場所で会うことになっている。

 蒔枝さんには十一時に会おうと送り、智哉には今までの経緯やメールの内容、今日の十一時に講堂裏に蒔枝さんを呼んだということを伝えた。

 ようやくか、という智哉の言葉に朝一番から苛立ちを感じたが、ようやくだろうがなんだろうが好感度を上げてバトンを渡すという役割はこれで終わりだ。


 二人が落ち合い、どうなるのかも想像は出来ない。ただ、こっぴどく邪険にされて盛大に落ち込んでしまえという呪いを智哉に向けてしまう僕は、多分性格が悪い。

 僕にのしかかる重荷は晴れるわけだし、こんな罪悪感のもと彼女と会うこともなくなる。智哉の依頼なんて二度と聞いてやるもんか。


 十分ほど雑談をしていると、サボっていた部長が帰ってきた。ご機嫌に鼻歌を奏でていた彼は、優雅に部誌を読む蒔枝さんを見て動きを止める。


「か、片桐? その人は一体……?」

 部長は恐る恐る彼女を指さした。指を向けられた蒔枝さんは、大きくて丸い目をきょとんと開き、僕のほうを向いた。

「どなた?」

「うちの部長です」

「ほほう。なるほどなるほど」

 途端、蒔枝さんの悪戯っぽい目が光った。

「初めまして部長さん。晴幸の姉でーす」

「お、お姉さんですか?」

 何を信じているんだ。僕とこの人に遺伝子的つながりがあるようには見えまい。

「いや違いますよ。片桐家に姉はいません」

「えっ」

「あははっ。乗ってくれてもいいのにー。ただの通りすがりの読書マニアでーす。お気になさらず!」

「あっ、へえー」

 彼女のオーラに圧されたのだろう。部長はもふりもふりと口の中で無駄に空気を躍らせながら、伏し目がちに僕の隣に腰かけた。

 そんな彼と入れ替わるように蒔枝さんが立ち上がる。

「っと。そろそろ行かないと。それじゃ晴幸君、また後でねぇ」

「はい、後ほど」

 蒔枝さんはひらひらと手を振って、のんびりとした足取りで部室から去っていった。急に部室がいつもの色数に戻ったような気がする。

 心を抜かれたように口ごもっていた部長は、蒔枝さんの姿が見えなくなると同時に呼吸を再開した。

「おい! なんだあの人は? どこかのアイドルか? どういう関係だよ?」

 慣れというのは恐ろしい。騒ぎ立てる部長のおかげで、蒔枝さんのハイスペックさがよくわかった。

 息を忘れるほど、静止画のように固まってしまうほど可愛い人、それが彼女なんだろう。アイドルだと勘違いしているくらいだし。


 しかし関係と問われれば、答えに困ってしまう。僕と彼女はちょっと歪な友達だ。

「どういう関係でもありませんよ。強いて言えば……メル友だった人です」

 もう彼女とメールのやり取りをすることもないだろうし、なんてことを考えていると、部長が訝しい目でこちらを見つめてきた。

「はあ? お前って時折そういう意味深な空気出すよな。あれか? 中二病か? 隠れた力があって……とか急にカミングアウトしてくるタイプか?」

「失礼なこと言わないでください。そんな妄想とっくに卒業してますよ」

 実は世界には巨大な敵がいて、それを打ち倒すのが俺の使命なんだぜ――。そんなありもしない妄想が僕の秘密ならば、どれほどよかっただろうか。

 誇大妄想にも至らない淡々とした事実が、僕から意味深な空気を滲ませているんだ。


「賑やかな喧噪を外れたこういう場所でこそ、秘密がたくさん生まれるんだよ。きらきらきらーってね」

 ふらっとさっきの蒔枝さんの言葉を思い出した。秘密がたくさん生まれることは、多分きらきらとした事ばかりではない。

 輝きがなく湿度の高い感情を抱いたまま、僕はぼうっと時間が過ぎるのを待った。

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