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26話 「ああいうところさえ無ければな……」

 開始二十分前にも関わらず、講堂はもうすでに座席が六割ほど埋まっている状態だった。

 全部埋まれば大体四百人くらいだろうか。足を踏み入れたのは入学式以来だ。

 適当に空席を見つけ、三人並んで腰かける。

 未だ幽霊の格好をした律さんは相変わらず視線を集め続けているけれど、始まりが近づくにつれそんなことも気にならなくなった。


 諸注意のアナウンス、演劇部員によるナレーション、暗転する講堂、鳴り響く開幕のブザー。結局どれだけ観劇客が入ったのかはわからないが、薄明りが灯ると共に幕が上がる。


 僕は一度彼女たちの芝居を見ている。横に並ぶ二人よりも耐性があるはずなのに、僕は瞬きも忘れて舞台にのめりこんだ。

 映像で見た時よりも抑揚のある演技、天井に反響して心臓に直接届いてくるかのような音の波、観客のリアクション。

 さっきまで看板を持ってうろうろしていた安久利先輩が、舞台を大きく使って演技を始める。舞台に立っていたのは、安久利紗凪ではなく『空木百合音(うつぎゆりね)』だった。

 現実と演劇の境界線がわからなくなってしまった。これは練習と別物と言わざるを得ない。

 五十分という公演時間が、僕にはほんの僅かな時間に思えた。


 そして締めの一言が放られ、幕が下りる。終幕と共に、会場内は大きな拍手に包まれた。

「いやあ。演劇というものに触れてこなかったけれど、これはなかなかに良いものだね」

 拍手の音に紛れて、こそりと律さんが呟いた。にこやかに顔を向けると、口元から血糊を垂らしている彼女の姿にぎょっとしてしまった。急に現実に引き戻される。

 他の人の顔色を見ている余裕なんてなかったけれど、眉の上がった律さんの顔とこの歓声を聞けば、公演が大成功だったことがすぐに分かった。

「はい。本当に凄いです! 最高でした! これを上手く形容出来ない自分の言語中枢が許せないです!」

「ふふっ。君のような反応をしてもらえれば、彼女たちも役者冥利に尽きるだろうね」

「は、はい。そうですね」

 柄にもなくテンションを上げて言葉を返してしまった。恥ずかしい。

 照れて視線を逸らせた視線に合わせ、律さんの指が舞台を向いた。

 安久利先輩を中心に、演劇部員たちがずらずらと舞台に姿を現した。


 懐からマイクを取り出した安久利先輩は、少しのハウリングをつれて大きく頭を下げる。

「私たちの舞台をご覧いただき、誠にありがとうございます。三年六組、演劇部部長の安久利紗凪です。さて早速ですが……。みなさーん! 楽しんでもらえましたかー?」

 会場にマイクを向ける彼女は、もうすっかり安久利紗凪に戻っていた。

 急に子ども向け番組のような空気になったが、彼女の声に共鳴するように会場からは盛大な歓声が返される。

「うんうん。最高ですね。え? 大好き? そうよね、私もみんなのこと大好きよー! あっ、マイク取らないで。わかった、わかったわよ。ちゃんとやるわよ。……こほん。副部長から手短にと大釘を刺されたので、手短にご挨拶させていただきます――」

 彼女はそう言って本公演での思いを語り始めた。何とも締まらない挨拶だが、きっと彼女はどこにいてもこんな感じなんだろう。

 途中で脚本の話もあったので緊張して聞いていたけれど、話し上手な彼女の演説は、聞いていて非常に耳心地がいいものだった。


 そうして彼女の口は迷信について語り始める。

「皆さんも気になってるでしょうけれど、本作の中に登場した後夜祭の迷信。あれは昔、本当にこの学校にあったものらしいですよ。あ、脚本担当が言ってたんで間違いだったらごめんなさいね。真偽はどうであれ、学園祭をもーっと楽しみたいって人の背中を押すことが出来る、素敵な迷信だと私は思っています。これを機に、伝えあぐねている思いがある人は、迷信に絆されてみるのもいいかもしれませんね」

 言葉を並べた安久利先輩と目が合った気がした。なんというか、お前にも言ってるんだぞ、みたいな。いや気のせいだろ、僕らが座っている場所を彼女は知らないわけだし。

 くすりと笑みを浮かべた彼女は、おどけるように言葉を続ける。

「ちなみに安久利の後夜祭の予定は今のところフリーです! くすぶった同級生、下級生、なんならOBの方でもかまいません。いつでも想いを告げにきてよろしくてよ。おほほほほ――ちょ、ちょっと、マイク返し――」

 ぎゃあぎゃあとわめきながら、小柄な彼女は易々と袖のほうへと連行されていった。

 真後ろに座っていた男たちの「ああいうところさえ無ければな……」という呟きとと共に、副部長と思われる演劇部員が場を閉じる言葉を放った。



「凄かったぁ。あのちっさい人、紗凪ちゃんだっけ? 素敵だったなー。ハル兄が考えたお話も面白かった! さすが那月のお兄ちゃん!」

「そう見えたのはみんなが頑張ってたからだよ。僕の力なんて――」

「私もなっちゃんと同意見だよ。部誌を読むのが楽しみになった」

「ほ、褒めても何も出ませんからね」

 逃げるように顔を背けたが、内心は純粋に嬉しかった。こういう気持ちになることが楽しくて、僕は文章を書き続けている。そんな今更の気持ちを思い出した。

 カーテンコールの時の演劇部員の笑顔や、観客の歓声、そして身近な二人の言葉。それを生み出した一端を自分が担っているという事実のおかげで、わずかばかり祭りの主役になれた気がした。


 しかし魔法は解ける。シンデレラは時間が来たら帰らなければならない。

 さすがに部長がかわいそうだし、そろそろ部室に戻るとしよう。

「うっかり羽を伸ばしすぎました。部長が一人で店番してるんで、僕は部室に戻りますね」

「そうか」

「なっちゃんは? どうする?」

「うーん。どうしよっかなぁ。りっちゃんは?」

「のんびり学園祭を回ろうと思っているよ」

「じゃあ那月はお化けさんと一緒に学園祭を回るのであります! 独占しちゃうのであります」

「あんまり迷惑かけちゃだめだよ」

「はぁーい」

 こちらに手を振る二人を見送り、僕は鬱屈とした部室へと戻った。

 

 湿気ったせんべいのように覇気のない部長の愚痴を聞きながら、何事もなく学園祭一日目が過ぎていく。


 布石は打った。噂の広まりも上々で、これが宗方先輩の耳に届かないわけが無い。そしてなにより明日は蒔枝さんが来る。

 つまり明日、僕の魔法は全て解ける。

『空木百合音』が安久利紗凪に戻ったように、『恋のキューピッド兼ゴーストライター』は片桐晴幸に戻るんだ。

 落ちていく夕日を眺めながら、僕はそんなことを考えた。

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