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25話 「ちょっと悪戯してみたくなったんです」

 そこから五分ほど部誌を眺めていると、折り畳まれたのかと思うほど肩を落とした部長が帰ってきた。

 彼は無言で僕の隣に腰掛け、絞り出すように溜息と言葉を吐き出す。

「俺はちゃんと宣伝の為に校内を歩いていたんだよ。嘘じゃない。そりゃ時折模擬店に入ったこともあったさ。でも仕方ないだろ? 学園祭なんだから」

 こちらが何も聞いていないのに、部長は勝手に言い訳を始めた。

 ふらりと帰ってきただけならばこうはならなかっただろう。おそらく安久利先輩に捕まったんだな。部長と違って仕事が早い。

「どうやら安久利先輩も宣伝を手伝ってくれるらしいですよ」

「あっ」

 ほらやっぱり。名前を出しただけで萎縮してしまった。

 部長はさらに大きな溜息を吐いて、部誌の束を突いた。

「良いよなお前は。俺も優しくされたい」

「だったらちゃんと仕事してくださいね」

「はぁ。後輩にまでこの扱い。俺を甘やかしてくれる可愛い天使はどこにいるんだ! 俺の青春はどこにいったんだ?」

「知りませんよ。桜の木の下にでも埋まってるんじゃないですか?」

 僕が軽口を返すと、部長は更に肩を深く落とした。少し意地悪をしすぎたかもしれない。


 僕の哀れみの目を受けて、彼は思い出したように顔を上げた。

「ああ、そうだ。さっき後夜祭の迷信みたいなのを聞いたんだが、あの情報はどこから仕入れたんだ?」

「後夜祭の迷信?」

 わざとらしく首を傾げた僕に、部長は説明を始めた。


「今回の演劇部の演目で、この学校の隠れた噂について触れているらしいじゃないか。なにやら後夜祭で一緒に踊って想いを伝え合ったら、願いが叶うみたいな。誰が広めたのかわからないが、学校中その迷信のせいで色めき立ってるぞ。演劇部の舞台にも注目が集まってる。演劇部に脚本提供したのお前だろう? そんな逸話どこで知ったんだ?」

「ああ。その事ですか」

 更にわざとらしく、素っ気ない顔を作る。

「過去の文芸部誌に書いてたものを拾ってきただけですよ。昔は結構流行っていたみたいですね」

「そんな文化があったんだな」

 部長はほうと感心を浮かべた。僕はそれを見て心の中でガッツポーズを思い描く。


 なんだ。部長の余暇も役に立つじゃないか。無意識だろうけど、欲しい情報を集めてきてくれた。にやつきを抑えながら、数週間前のことを思い返す。


 後夜祭の迷信。正確に言うと『後夜祭名物のチークダンス。そこで恋心を伝えると、想いが叶うよ』だ。

 もちろんそんな非科学的な験担ぎを信じて書いたわけじゃない。それどころか、そんな逸話も噂話も元よりこの学校に存在しないし、部誌のバックナンバーを探したって見つかるわけがない。

 なぜならこれは純度百パーセントで僕の創作話であり、僕が律さんのため用意した最後の一矢なのだから。


 改稿のタイミングで、僕は脚本にこの頭にお花が咲いたような迷信を差し込んだ。

 安久利先輩には、演劇部の注目度を上げる為に、存在しない噂話を作り上げてしまおう、という作戦として伝えている。

 それに同意し、広めてくれたのも彼女だ。さすが頼りになる。噂というのは本当に回りが早い。


 しかしこの作戦の本懐は、この学校における告白というものに対してのハードルを下げることにある。

 律さんのように合理主義ならば話は変わるが、人間は縁起や迷信というやつに弱い。自分の行動やその成否に、何かしらの根拠を探してしまう生き物なのだ。

 だから僕は、宗方先輩への最後の一押しとしてこの作戦を選んだ。

 縁起のいい逸話まであって学校中色めき立てば、告白もしやすかろう。男を魅せるシチュエーションとしては申し分ないだろう。空気を読むのが得意な人間ほど、この網にかかってくれるはずだ。

 告白というイベントさえ設定されれば、あとはそれが発生する好感度に到達すれば良い。

 そして今日に至るまで、律さんはしっかりと好感度のボーダーを超える働きをしてくれた。

 

 思い返してみても、あまりに作戦が上手くいっている。我慢し続けたが、耐えきれず白い歯が溢れた。

「なんだ? 楽しそうだな。迷信に乗っかって告白でもするつもりか?」

「馬鹿なこと言わないでください。発信が僕自身なのに絆されるわけないでしょう」

「からかっただけなんだからそんな正論返すんじゃねえよ。泣くぞ本当に」

「まだ落ち込んでるんですか? さっさと立ち直ってくださいよ。また安久利先輩に怒られますよ?」

「やめろってお前。名前出すなって。恐ろしい」

 とうとう安久利先輩が禁止ワード認定されたらしい。ここに戻る前に何を言われたのか非常に興味が湧いてきたが、そんな話はまた今度聞けば良い。

「僕ちょっと抜けて良いですか?」

「ああ。存分に羽伸ばしてこい。ついでに宣伝もしてこい」

「ありがとうございます」

 僕は立ち上がり部室を後にする。結局部長と雑談している間も客は来なかったな。

 先行きの不安を身に下ろしつつ、僕はお化け屋敷の方に足を進めた。

 


 賑やかな祭の空気を細目で眺めながら、律さんのクラスである二年五組の教室に向かう。

 その途中で僕を待ち受けていたのは、白い幽霊に絡んでいる妹の姿だった。

 なんとも恐ろしい光景だったが、白い方は律さんだろう。那月はこちらに気付き手を振った。

「あー! ハル兄だぁ! おーい!」

 そんなに大きな声を出さなくても聞こえている。恥ずかしいからやめてくれ。

「声大きいよ。迷わずに来られた?」

「うん! 無事りっちゃんにも会えたし!」

 律さんの姿的に無事かどうかはわからないけれど。言葉を向けられた彼女は、僕の方を見て口角を上げた。

「やあハル君。追いつかれてしまったね」

「追いつきましたね。びっくりです」

 柔らかく微笑む白幽霊姿の律さんからは、さっきのような棘は感じられない。やっぱり僕の気のせいだったようだ。

 そんな彼女は先ほどと同じ装いだったが、手元にはこの数時間で見慣れた部誌が握られていた。

 ずっと店番をしていたけれど、彼女は部室に一度しか現れていない。僕は部誌を指差した。

「あれ? なんでそれを」

「ああ、これかい? ついさっき紗凪さんがくれたんだ」

 彼女は手元に目を向け、ひらひらと僕の前で部誌を揺らした。

「紗凪さん……。安久利先輩ですか」

「そうだよ。彼女はここの演劇部らしいね。他校の生徒かと思っていたよ。観劇も勧められた」

「そうなんですね」

「せっかく君が書いた文が載っているんだ。あとでゆっくり読ませてもらうよ」

 そうか。部誌が彼女の手に渡ったということは、もれなく僕の脳内妄想が読まれてしまうということか。

 気恥ずかしさに視線を泳がせた僕の袖を、那月の手が揺らした。

「ねーえー。那月も本欲しいー」

「はいはい。帰ったらちゃんとあげるから。というかなっちゃん文字とか読めるの? 結構長いよ?」

「あー! 今すっごい失礼なこと言ったよねぇ!」

「言ってないよ。だってなっちゃん漫画しか読まないじゃん」

「もー! ねえねえ聞いたりっちゃん? ハル兄が虐めてくるー」

 頬を膨らませる那月の頭を優しくなでた後、律さんは恨めしい表情をこちらに向けた。

「ねえ。ひどいお兄さんだ。呪ってしまおうか」

「いいね! やっちゃえやっちゃえ!」

「ちょ、律さんまで……」

 僕が一歩身を引くと、律さんは袖で口元を抑えて笑い始めた。

「ふふっ。もちろん冗談だよ。呪いなんて論理的じゃない物、私は信じていない。仲が良い君達に混ざりたかっただけだよ」

 非現実的なものに寄せたそんな風貌をしてよく言ったもんだ。学園祭の空気感は、普段感情表出が希薄な律さんの気分も漏れなく上げてくれているらしい。

 さっきは全く思わなかったけれど、独特な衣装で口元を抑え笑う彼女は、今まで見た中でも上位に食い込むほど綺麗だった。

 律さんは存在を否定したけれど僕は呪いをかけられているのかもしれない。彼女の魅力とやらに。

 彼女はひとしきり笑い終えた後、ふるふると袖を揺らして口を開いた。

「せっかくだ。二人で一緒にお化け屋敷に来るといい。全力で驚かせてみせようじゃないか」

「えーいいの? 行きたい行きたい! ね、行こうよハル兄!」

「ああ、うん。元々そのつもりだったし」

 流れのまま、僕と那月は幽霊に案内されて二年五組の教室へと辿り着いた。

 数日前の準備段階をちらっと見たけれど、完成されたお化け屋敷は想像以上に不気味な空気を放っていた。

 入口には『超! 恐怖の館』という非常に頭の悪そうな看板が掲げられている。


 律さんは僕たちを導いた後、手を振って教室へと入っていった。あんな姿を見た後だと、彼女が出てきても全く怖くなさそうだ。

 僕の心に合わせたように、ぽつりと那月が呟く。

「りっちゃんってさ、天然なのかな? あの格好でうろつくとか、恐怖感ゼロになるんじゃ……。いや、まさかそれすらも作戦? あれだけ披露しても大丈夫という自信の現れ? 那月に対しての挑戦状?」

「考えすぎ。ほら行くよ」

「あーっ! 待ってよぉ」

 僕はさっさと受付を済ませ、堂々と暗闇へと足を進める。那月にも律さんにも、恥ずかしいところは見せられない。

 こんなものは学生が作ったおもちゃのような物に過ぎない。これでも数週間律さんと時間を過ごしてきた僕だぞ。非論理的で非科学的な物に屈するわけが無いんだ。

 あいにく、僕がはっきりと覚えているのは、この考えを浮かべたところまでだった。



 僕は叫んだ。とにかく叫んだ。

 ぎゃあとか、わぁとか、文字に起こすことができない音だとか。

 何かが出て来るたび、いや、何も出てきていないときにも声を上げていた気がする。


 教室から出て、恋焦がれた光に目を細めた僕は、ようやく正気に戻った。

 正気に戻って最初の感覚は、恐ろしいほどの喉の渇きだった。

 そして遅れるようにして、入室時後ろにいたはずの那月の背中に、ほぼしがみつく形で立っているという自身の姿が理解できた。

 僕は急いで身を放す。くらりとよろめいた僕を見て、那月は腹を抱えて笑い始めた。

「あはははは! ハル兄ってあんな声出せたんだね。お化けよりもそっちにびっくりしちゃったよぉ」

 けろっと言葉を吐いた彼女は、目じりに涙を浮かべて僕の頭を擦った。

 本来であれば兄の威厳として払いのけたいところだったが、その力も湧いてこない。無意識に力を込めていたせいか、全身が筋肉痛のように痛い。

 なんとか直立した僕は、醜態を無かったことにしようと言葉を返す。

「な、なな、なっちゃんは平気そうだね」

「だって、全部作り物だもん。ななななっちゃんは楽しかったよ」

「か、からかわないで」

「怖いの苦手って知ってたけど、ハル兄は意外とリアクションの人だったんだね。那月は頼りになるでしょー?」

 自信満々に胸を張る彼女を見て、恥ずかしさで何も言葉が出なくなった。

 全部作り物。僕もそう思いながら入ったはずなんだけどな。妹を盾にして窮地を乗り切るなんて、恥ずかしいし情けない。


 そんな感情にモヤモヤしていると、次は首元に生温い空気が吹きかかる。心臓を殴打されたように身体が跳ねる。

「うわぁ!」

「あははっ。君は本当に素敵な反応をしてくれるね」

 振り返ると、律さんの顔がすぐ目の前にあった。驚きと緊張で、僕は急いで身を引いた。

「な、なな、なんですか!」

「ななななんでもないよ。ちょっと悪戯してみたくなったのさ」

 律さんは言葉通り悪戯っぽく笑みを浮かべた。なんで那月と同じ弄り方をしてくるんだ。

 中での記憶が曖昧なせいで、彼女がどこで登場していたかも定かではないが、教室のどこにいたって聞こえるような僕の叫びが、ほぼ無に近い彼女の悪戯心に火をつけてしまったんだろう。

 羞恥心で大炎上だ。もう顔を上げられない。

「いや、すまない。顔を上げてくれ。そんな可愛げ私には無いから、羨ましくてついちょっかいをかけてしまったんだ」

 彼女は無駄な嘘をつかない。それが合理的じゃないとわかっているから。羨ましいという言葉も、ほぼ間違いなく心の底から思って言っている。

 しかし彼女は大きな勘違いをしている。この勘違いが、僕に反撃の隙を与えた。僕は彼女の右横に指を向ける。

「あ、律先輩、そこに虫が」

「ひゃっ、やだ、どこっ!?」

 普段では見られないほど激しく髪が揺れた。学園祭の賑やかな空気とマッチした可愛らしい声が、白い衣装と共に景色に映える。

 ほら、あなたには可愛げがあるじゃないですか。

「嘘ですよ」

「えっ」

「ちょっと悪戯してみたくなったんです」

 その瞬間、彼女はすっと動きを止め、跳ねた諸々を整え始めた。なんと言ってやろうか、と口元に力が入った顔がこちらに向けられる。

 そんな顔で見ないでくれ。先にやられたのは僕なんだから。


 恥ずかしいことはなるべく避けたいし、かっこいいとも思われたい。叫んでいる姿を見られ、恥ずかしくて悪戯し返す今の僕の姿は、その理想とはかけ離れているに違いない。

 それでも、この姿を見られたことはそれら全てを吹き飛ばすほど嬉しい出来事だった。

 ほんの数秒の焦りのあと、彼女はいつも通りの様子を見せ始めた。

「やられた。先輩をからかっちゃいけないよ――と言いたいところだけれど種を蒔いたのは私か」

 くすくすと笑う優美な白幽霊。僕より先にその姿に反応したのは那月だった。

 僕の横をすり抜け、彼女は律さんの懐に飛び込んだ。

「いやいや、可愛すぎかって。ギャップで死んじゃうよぉ。たった今、那月会議の結果、りっちゃんに抱き着こうという評議が下されましたぁ!」

「那月会議……?」

「りっちゃーん! かわっ! かわわっ!」

 那月はそのまま律さんの衣装に頬を擦りつけた。やっぱり僕と那月は好みがよく似ているらしい。


 彼女は珍しく困った表情を浮かべ、那月の肩を撫でた。

「私にも羞恥心がないわけじゃないんだ。勘弁してくれ」

「あはははっ。というかりっちゃん、お化けなのに屋敷から出て来すぎだよぉ」

 那月の言葉で、律さんはハッとしたように袖口から紙を取り出した。

「出てきた理由を忘れていたよ。さっき紗凪さんから部誌と一緒にこんなものをもらったんだ。私も休憩に入るから、今から見に行かないかい?」

「なんですかそれ?」

 律さんの手には切符サイズの紙が三枚握られていた。時間と番号だけが振られた頼りない紙片が、ひらりと目の前を動く。

「整理券だよ。次の公演のね。丁度三枚あるから、なっちゃんもどうだい?」

「公演? 何を見るの?」

「君のお兄さんが脚本を書いた演劇だよ」

「えーっ! ハル兄が書いたの? 行く! もちろん行く! というかハル兄、わざと黙ってたでしょ」

「どうだろうね」

「なんだよう思春期め! ほら行こうよ」

 那月は意気揚々と僕たちの手を取って歩き始めた。

 カラフルな風船がふわふわと浮かんで、いろんな様相をした生徒たちの笑顔で溢れていて、日常からかけ離れた学校の風景。

 さっきまでの恐怖がじんわりと非日常に溶けていく。


 無邪気な妹に手を引かれ、僕たちはやれやれと目を合わせて足を進める。

 母親がいたら、こんな感じだったのかもしれない。この状況でそんなことを考えてしまったのは、きっと僕が那月の言う通り思春期だからだろう。

 そんな僕は、楽しい感情を隠せるほど、上手く感情と付き合えていない。浮ついた声を那月に向ける。

「なっちゃん。講堂は反対方向だよ」

「そういうのは進む前に言うの! 早く案内してよぉ」

 ついでに恥をかいた那月に二人で笑みを向け、僕たちは講堂へと向かった。

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