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24話 「ホーホケキョだわ」

 学園祭当日の朝がやってくる。僕はいつもより少し早く目を覚ました。

 今日明日で人間関係ががらりと変わるかもしれないという緊張感が、少なからず僕の睡眠にも影響を及ぼしているらしい。


 二日間に渡る学園祭に、僕はある仕掛けを用意している。これが上手くいけば、律さんと宗方先輩はくっつくことになるだろう。

 智哉には蒔枝さんが来ると伝えているし、蒔枝さんも二人で会うことに合意してくれている。この数週間で会ってもいいと思わせる程度には、『和田口智哉』の好感度は上がったようだ。


 以上二つが無事終われば、僕は晴れて『恋のキューピッド』としての役割を全て終えることになる。

 和田口智哉としてメールを返すこともなくなるし、惚れさせプランナーとして暗躍する必要もなくなる。

 少しの寂しさはあるけれど、全てがより良い形になっていくというのは喜ぶべきことだ。

 考え事のせいで二度寝をすることも出来ず、僕は渋々ベッドから降りた。


「おはよぉ」

 食卓でトーストを齧っていると、取り憑かれたような足取りで那月がやって来た。

 中学校は今日休みのはず。休みの日の那月は、部活がない限りこんな時間に目覚めてこない。

「おはよう。あれ? 今日休みじゃないの? 部活?」

「ふわぁー。だってぇ。今日ハル兄の学校、学園祭なんでしょー? 行きたいもん」

「えっ。来るの?」

「嫌そうな顔ー。ふひっ。ハル兄ー。那月もご飯食べるー」

 答えにもなっていないのっぺりとした言葉を並べ、那月は食卓に突っ伏した。寝起きのこの子はとにかくエンジンの掛かりが遅い。

 トースターに食パンを放り込み食卓に牛乳を置くと、彼女はちびちびと牛乳をすすり始めた。


「ねえねえ。高校の学園祭ってどんな感じなのかな? 楽しみだなぁ。メイド喫茶とか、ああいうのもあるの?」

 トーストを平らげた頃には、那月は普段通りの速さで言葉を吐き出していた。

「僕も初めてだからわかんないよ。来るのは良いけど、僕はずっと部室で本を売ってるから相手できないよ」

「ええー! もったいない!」

「来るんなら早く言ってくれれば、案内する時間作ったのに」

「いいのいいの。那月はりっちゃんに会いたいだけだもん。ハル兄の分まで楽しんできまーす!」

 それはそれで悲しい。僕は溜息を吐いて食器を片付ける。

「僕はもう出るけど、もし何かわからないことがあったら連絡してね」

「あいあいさー!」

 那月に見送られ、僕は学校に向かった。



 飾られた多色の風船のように浮かれた空気を纏い、我が校の学園祭が始まる。

 最大級の学内イベントというだけあって、開始早々学校全体が催眠に掛けられたように賑やかに色めき立っていた。

 オープニングセレモニーや模擬店、装いの違う同級生たちの楽しげな様子。

 それらを見ていると、自身の身にも何か特別なことが起こりそうな気がした。


 しかしながらそんなものは気分だけだったようで、数時間経った今、僕は部室で本を売る置物と化している。

 立地が悪いのか、この部室は人の通りがほとんどない。那月が期待していたようなキラキラなど、ここには存在しない。良くも悪くもいつも通りの部室だった。

 机に肩肘を置き、ぼうっと窓の外を眺めてみる。秋の空は遮るものもなく、ただただ青い。まだ少しだけ夏の息吹を残しているのか、窓から吹き込む風はほのかに緩かった。

 体育館の方から漏れ聞こえるバンドサウンドに、校庭の売り子の声が混ざり、文芸部室にもわずかに祭りの空気が届いてくる。


 それを遮るように同じくらいの目線から声が響いた。

「い、一冊ください!」

「あ、はい。二百円です」

 硬貨二枚と引き換えに部誌を手渡す。

 部誌を受け取った少女は、揃った前髪の隙間から満面の笑みでそれを眺めた。

 見た感じ小学生の彼女が読んでも楽しめるものかと言われれば甚だ疑問ではあるが、喜んでいるならば良し。

 僕は精一杯の笑顔を返した。

「お兄ちゃんありがとう! 大事にするね!」

 キラキラとした笑顔と謝辞をこちらに向け、少女は入口で待つ両親の元へと帰っていった。

 絵に描いたような幸せな光景に、思わず頬が緩む。来年はあのくらいの年齢の子も楽しめる内容にしよう。そんな事を考えながら、積まれた部誌を眺める。


 百部、と部長は言っていた。この数時間で、今のようにふらっと客が現れる程度で、部誌は指折り数えられる程しか売れていない。

 加えて、部長は偵察と言って早々に部室を去ったっきり帰ってこない。

 僕と部誌と、あとお気持ち程度の看板だけが部室に取り残されていた。

 何が威厳を見せるだよ。本当に売れるのかこんなに。僕は大きく息を吐いた。


「うわっ! 閑古鳥! ホーホケキョだわ!」

 学園祭の賑やかさに負けない喧しさで部室に現れたのは、安久利先輩だった。

 勢いよく言葉を並べられたが、要は「暇そうだな」と言いたいんだろう。閑古鳥はホトトギスじゃなくてカッコウだけど。

 彼女は普段の二つ括りの髪を解き、うちのものではない制服を着込んでいた。手に持った看板には、『演劇部公演 講堂にて!』と書かれている。

 一見別人にも見える彼女は、看板をふらふらと揺らしながら僕の目の前まで足を進めた。

「安久利先輩の声で閑古鳥も逃げて行きましたよ。何してるんですか?」

「公演の宣伝よ。部長自ら宣伝に回るなんて、すごいですねっ!」

「自画自賛……」

「片桐少年の声を代弁してあげたのよ。感謝しなさいな」

 大らかに笑う彼女は、普段よりも大人びた風貌のはずなのに、いつも通りの様子でそう返した。本当に律さんより年上とは思えない。

 わざとらしく頭を下げた僕を見た後、彼女は部室全体に視線を動かした。

「というか片桐少年しかいないの? 他の部員は?」

「なにやら忙しいみたいですよ」

「かぁー! そんなアホな。一年に任せてみんな出ていくとか、ありえへんわぁ。これで片桐少年が学園祭嫌いになってしもたらどないするんよ」

 安久利先輩は呆れながら、なぜか方言交じりでそう言った。

「いやでもまあ、暇なのは僕だけですし。あ、でも部長は暇なのにどっか行きましたね」

「あはっ。オッケー。見つけ次第お仕置きしとくわ」

「よろしくお願いします」

 珍しく僕の中の悪戯心がうずいてしまった。部長には痛い目を見てもらおう。これは仕方がない。


 合わせてほくそ笑んでいると、彼女は目の前の机に紙幣を一枚置き、部誌を指さした。

「買うわ」

「あ、ありがとうございます」

 急いでおつりを用意した僕の手を、彼女の言葉が抑えた。

「いいわ。五部ちょうだい。千円ぴったりでしょ?」

「えっ」

「公演までまだ時間もあるし、ついでに宣伝してきてあげる。一冊は自分用、残りは布教用! やーん。我ながら太っ腹!」

 彼女はそう言って部誌を五部手に取った。

 本当に太っ腹過ぎる。売り上げに貢献してもらえるというのはもちろんうれしいが、その上宣伝までしてもらえるなんて虫が良すぎる話だ。

「いや、そんなの悪いですよ」

「あはは。真面目かよ少年! その部数を何の策もなく捌くなんて無理よ。ここ立地も悪いし。せっかく書いたものが多くの人に触れないなんて悲しいじゃない。あんたには今回世話になったし、まだお礼もしてないから、このくらい手伝っても罰は当たらないでしょ? あ、お礼はお礼でちゃんとするから安心してね」

 にひにひと笑いながら、彼女は踵を返した。


 なんだこのかっこいい先輩は。なぜこの人の思考回路がうちの部長に導入されていないんだ。ここで彼女の案に渋りを見せるほど、空気の読めない僕じゃない。

 僕は立ち上がって頭を下げた。

「ありがとうございます! 演劇、見に行きますね」

「当然よ。もちろん見に来なさい。そして脚本担当として感想を言いなさい」

「はい!」

 彼女は振り返ることなく、手を振って出口へと向かった。

 つくづく部長が彼女のことを苦手だという意味がわからない。

 あんなにもこっちのことを考えて行動してくれる彼女が、どうやったら悪い人に見えるんだ。

 確かに口は悪いけど、なんて考えるのも失礼か。


 思わずこぼれた笑みを隠すため椅子に腰かけたところで、廊下の方から悲鳴が聞こえた。

「ぎゃーー!」

 何とも品の無い音だが、間違いなく安久利先輩の悲鳴だ。逃げるように部室に戻ってきた彼女は、さっきまでの威厳を完全に消し去って壁に身を預けた。

「ど、どうしたんですか?」

「お、おお、おばば」

「おばば?」

「お化けっ! 出口にお化けがいらっしゃるわ!」

 安久利先輩が目を背けながら部室の扉を指さした。それに合わせるように、白い影がひゅっと姿を見せる。


 彼女がお化けだと形容した影は、幽霊のコスプレをした律さんだった。

 律さんは丈の余ったボロボロな服を身に着け、髪を顔のほうに垂らし、口元からは赤色がこぼれていた。随分と本格的だな。というか、その格好でここまできたのか。

「怖いですよ、律先輩」

「し、知り合い!? 少年にはお化けの先輩がいるの?」

「違いますって。よく見てください」

 安久利先輩は指の隙間から影のほうを見る。少しの間の後、彼女は律さんのほうへと寄っていった。小さい背中がくるくると回る。

「あ、ほんとだ。お化けじゃないわ。ごめん! 私今めっちゃ失礼なこと言ったわよね」

「いえ」

「扉のすぐ横に立ってるんだもん! 危うく心臓が止まるところだったわ。文芸部員? あんなところに突っ立ってないでさくっと入ってくれば良かったのに」

「お二人が仲睦まじくお話をしていたので」

 騒ぎ立てる安久利先輩に対し、言葉を短く切った律さんは、ふらりとこちらを向いた。


 お化け屋敷仕様でメイクを施しているのか、彼女の顔はいつにも増して蒼白で、急に現れたら僕も安久利先輩のような反応を取っていたかもしれない、と思わされるほどの仕上がりだった。

 僕は慌てて彼女に言葉を放った。

「僕に用事ですか?」

「もうすぐ出番が終わるから、もし来るのであれば今のうちだよと伝えに来たんだ。邪魔して悪かったね。それじゃ」

 彼女はそそくさと言葉を返し、返事も待たずあっという間に部室から姿を消した。

 わざわざあんな格好で呼びに来てくれたのか。ネタバレが過ぎる。怖さが半減してしまった。

 いや、というか今の様子、なんか怒ってなかったか? メイクと髪のせいで表情なんて分からなかったけど、なぜかそんな印象を受けた。


 小首を傾げていると、安久利先輩の呟きが耳に届いた。

「ははーん。なぁるほどぉ。これはこれは。私、かなり良いバイプレイヤーなんじゃない?」

「な、なんですか急に怖い」

「あの子、二年よね? 確か宇郷ちゃん。返事がなかったけど部員かしら?」

「いえ、違います」

「仲良いの?」

「まあ、どうでしょうね」

「ふーん」

 彼女は面白いものを見つけたように、にやりと口角を上げた。

 部員でもない、仲も良くない先輩が僕に話に来ることは、よくよく考えれば不自然か? 下手なはぐらかし方をしてしまったな。

 彼女は続けて大きく息を吐き、再び出口へと向かっていった。扉の手前でくるりと身を翻し、僕に指を向ける。

「ザキヨシを見つけたらさっさと連れ戻してくるから、少年もちゃんとさっきのお化けちゃんのところに行きなさいね。絶対よ! あと宣伝も任せときなさい!」 

 再び威厳を醸し出した小さな彼女は、ふんふんと鼻歌を奏でながら部室から去っていった。

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