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20話 「むしろ私がそうしたいんだ」

 翌日の昼休みも、律さんと僕は部室に集まった。

 今更体育倉庫作戦を使うわけにもいかないし、なにより期限の学園祭まで潤沢な時間があるわけじゃない。

 僕は律さんに弁当を分けながら、次の作戦の話を始める。

「実は昨日、妹と話をしていてひらめいた作戦があるんです」

「ほう。君には妹がいたんだね。ああすまない、続きを聞かせて」

 このように、律さんのクールさはいつも通りだ。

 昨日の様子を見た後だと随分印象が変わるが、おかげで僕も律さんの恋路に対して気負わずフラットに考えられているような気がする。

 僕は微笑を返し、人差し指を上げた。


「妹が僕の作ったご飯を食べて、『胃袋を掴まれる』なんてことを言っていたんです。その言葉で思いついたのが今回の作戦『キャッチキャッチストマック作戦』です!」

「キャ……」

「今更ネーミングに触れるのは無粋ですよ先輩。僕はいっそ開き直ることにしました」

「そ、そうか。君が納得しているんならいいんだ」

 その腫れ物に触るような言葉と視線は出来ればやめてほしいけれど。

 やや顔を歪めた彼女に僕は説明を続ける。

「好感度アップのため、宗方先輩に弁当を渡してもらおうと思います」

「弁当?」

「そうです。衣食住。生活に纏わるものは、卒なくこなせるに越したことはないというのが僕の持論です。そして男性は往々にして料理が得意な女性を好みます。要は美味しい料理を振舞って、料理もできるんだと思わせることがこの作戦のポイントです!」

 まさに胃袋を掴む作戦。美味いと言わせて好感度を上げてやるという流れだ。

 世には手作りの物を苦手とする人もいるみたいだが、そこに宗方先輩が当てはまらないということは調査済みだ。ありがとうSNS。

 僕がデジタル社会に感謝を浮かべている間、律さんの顔にわずかな陰りが生まれた。

「作戦内容にはもちろん賛成なのだけれど、大きな問題があるよ」

「なんですか?」

「私は料理が出来ない。君も知っている通り、そもそも食に対して無頓着なんだ」

 ブロックのような昼食を揺らして彼女はそう言った。

 その通り。この作戦は律さんが料理が出来るという前提の下成り立っている。本来であれば。

「失礼な言い方かもしれませんが、ちょっと予想してました。そのための僕ってわけですよ」

「ほう。どういうことかな?」

「僕は家事であれば一通りこなせます。弁当だってこの通りです。僕が弁当作りのゴーストをする、というのが作戦の全容なんです」

「なるほどね」

 手作り弁当を渡すこと自体はべたべたな愛情表現ではあるが、今回はそうじゃない。僕が代わりに作って、律さんがそれを渡せばいい。

 下手だけど俺のために頑張って作ったんだとか、美味くはないけど愛情は感じるとか、そういう一か八かに頼った甘ったるいのはいらない。

 単純に胃袋を掴んでやるための作戦なのだから、作ったフリをしてやればいい。


 蒔枝さんにメールを返しながら思いついたこの悲しき弁当ゴースト作戦ではあるが、ここにもちゃんと問題がある。

「ただ、少し問題があります」

「宗方を騙すことになる、ということかな?」

 律さんは指を宙で動かしながらそう言った。空気に僕の思考が書いてあったのだろうか。なんにせよ説明が省けて助かった。

「はい。その通りです。僕が代わりに作るということは、同時に無くてもいい嘘を一つ作り出すということになります。代打ちをしている身としては、あまり薦めたくない手段ではあるんですが、先輩はどう思いますか?」

 息を飲んで彼女を見つめる。彼女は少しだけ思案したあと、あっけらかんと答えた。

「騙すのは良くないな」

「ですよね……」

 なんとなく律さんならそう言うと思っていた。

 だからこそわざわざ意見を聞いたわけだけれど、さて作戦の練り直しだ。なに、手作りは弁当に限らない。なにか他の物を渡せばいい。


 ふらふらと次の作戦に思考を移していると、律さんの指が僕の頬を突いた。

「ハル君。私は騙すのが良くないといったんだよ。これはつまり、騙さなければ良い作戦だということだ。私が君に料理を教わればいい」

「えっ?」

 何か唐突にとんでもないことを言われた気がする。困惑する僕に、律さんは言葉を放り続けた。

「今日の放課後、暇かい?」

「は、はい」

「じゃあ君の家にお邪魔してもいいかな?」

「えっ。はい。いいですけど……」

「じゃあそういうことで。放課後、校門で待っていてくれ」

「あっ」

 僕がリズムよく感動詞を打ち込んだ間に、彼女は立ち上がり部室から去っていった。

 急流のような速さで恐ろしい事が決定したのは気のせいだろうか。いや気のせいなんかじゃないぞ。

 僕はゆっくりと箸を置いた。律さんが来る。僕の家に。多分料理を教わりに。

「わけがわからない……」

 誰もいない部室に僕の溜息がこだました。



 そして放課後、いつもは一人寂しく帰る道を、僕は律さんと歩いていた。

「浮かない顔をしているね。私の調理技術が不安なのかな?」

「い、いえ。不安だなんて、滅相もないです」

「ふふっ。私はこう見えて要領はいい方なんだ。安心していいよ」

 ここまでの流れが急すぎて、調理技術の有無にまで頭が回っていなかった。

 浮かない顔というよりは、浮き方がわからない顔という方が多分表現として正しい。

 弁当を作る手伝いをするだけだから、そこまで深く教え込む必要は無いと思う。何品か作れるように簡単なものをレクチャーすればいい。


 それよりもなによりも、律さんが家に来るということが恐ろしい。キッチン周りは綺麗にしているので心配ないが、父親が帰ってくるのは夜遅く、那月も部活でいないはず。つまり我が家に二人っきり。

 律さんは僕のことをただの後輩程度に見ているのだろうけど、僕のほうは違う。

 いずれは諦めないといけないにしても、好意を抱いている相手が家に来るんだ。用がなんであれ緊張して然るべきだろう。


 律さんの提案で適当な食材を購入して、落ち着かないながらもあっという間に自宅があるマンションに到着する。

「ど、どうぞ」

「お邪魔します」

 律さんが玄関を潜る。見慣れた光景が、一瞬にして幻想のように思えてきた。

 帰ってきた僕たちに擦り寄るように、モモが「なぁ」と鳴いて近づいてくる。

「やあ、モモ君。久しぶりだね。元気かい?」

「来客なんて滅多に来ないので、喜んでると思いますよ」

 律さんはしゃがみ込み、足元でうろうろするモモの喉元を撫でる。

 モモは心地良さそうに喉を鳴らしたあと、ひょいと奥の部屋へと逃げていった。


 それを追うように僕は律さんをリビングへと案内する。もう既に次の一手で何を打てばいいのかがわからない。

「あ、荷物は適当に置いてください。えっと、何か飲みますか?」

「ありがとう。飲み物は遠慮しておくよ。急にお邪魔してゆっくりしていくほど図太くはないのでね。早速料理を教えてほしい」

「そうですか……」

 図太さで言えばとんとんだと思うけれど。荷物を置いて腕まくりをした律さんは、そそくさと買ってきた食材をキッチンに運べ始めた。


 気遣いをしなくていいのは非常に助かるが、それはそれでなんとなく寂しいな。でもこの余白の無さは律さんらしくてわかりやすい。

 僕はエプロンを一枚手渡し、律さんに弁当作りのレクチャーを始めた。



 調理が始まってしまえば、結局僕も余計なことを考えず手順を教えることが出来た。

 下校時の言葉通り、律さんは要領よく僕の技術を吸収した。実は暗黒物質を作り出してしまう体質、なんて展開も期待してみたけれど、見事に空振りだ、

 普段料理をしなくても、レシピ通りに作ればそこまで不味いものは作れない。手際の良さとかそういうレベルを求めたらキリがないが、一回きりの弁当のための指導だから問題ない。

 二時間ほど教えた結果、律さんはあっさりと僕と並ぶほどの味が出せるようになっていた。


 完成した弁当箱を見て、律さんは満足そうに頷いた。

「実際にやってみてわかったが、料理というのは大変だ。これを毎日やっていると思うと、頭が下がるね」

「まあ、作り置きとかいろいろ、普段はもうちょっと手を抜いてますし、慣れもありますし」

「いつも分けてもらっている物が出来上がっていく過程は、柄にもなく興奮したよ。君の調理は見ていて飽きないね」

 彼女は僕と弁当箱を交互に見る。作り慣れているとはいえ、褒められるとやっぱり嬉しい。

 那月に褒められた時より盛り上がっているこの気持ちは、僕の私情が入りまくっているので全く合理的じゃないな。

 律さんに笑われないよう、僕はしっかりと顔を作って言葉を返した。

「今日教えたものは大体作れるようになりましたし、大丈夫そうですね。詳しいレシピは後で送っておきます」

「そうだね。先生が良かったようだ。助かったよ、ありがとう」

「いえいえそんな……」

 律さんは出来上がった弁当箱を持ち上げ僕の方へと向けた。

「せっかくの機会だ。私の処女作は君がもらってくれ。礼にもならないだろうけれど、せめてもの気持ちだ」

「えっ、も、もらっていいんですか? 僕が?」

「嬉しい反応をしてくれるね。当然だよ。むしろ私がそうしたいんだ」

 律さんは弁当箱に蓋をしてそれを僕に手渡した。律さんの手料理。まあレシピは僕のものだし、教えたのも僕だし、味だってわかっている。

 それでも、人生でもらったお礼の中で上位に挙げられるほど嬉しかった。おまけで言えば、処女作を貰ってくれという台詞は少し刺激が強かった。

 これらの感情も僕の思春期が生み出したまやかしだろうから、全く合理的じゃない。僕の感性はとことん律さんと違う位置にいるらしい。

 今度は顔を作れないまま言葉を返す。

「あ、ありがたくいただきます」

「ふふ、存分に味わってくれ。じゃあ私はそろそろ――」

 律さんは微笑んでエプロンを外した。本当にやることだけやって帰るつもりなんだろう。

「あっ……。え、っと」

「ん? どうかしたかい?」

「い、いえ。お力添え出来て良かったです。作戦、成功させましょうね!」

「そうだね。さっそく明日作って待っていくよ」

 本音を言えば全力で引き止めたかった。

 せっかく家に来てもらったのだから、料理だけじゃなくて、お茶でもしながら下らないことを話して、のんびりとお別れしたかった。

 しかし、これは過ぎたる欲だと思って足が止まってしまった。

 彼女を引き止める論理的な理由も浮かばないし、弁当作りを教えるという僕の今日の役目は終わったのだ。


 敗北感を抱えながら弁当箱を見つめていると、玄関の方からどたどたと騒がしい音が聞こえてきた。

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