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19話 「春っぽくないんだよ!」

「ハル兄、なんか変な顔してる」

 帰宅した後、リビングでぼうっと夕飯を食べていると、正面に座る那月がこちらを凝視しながらそう言った。

 そりゃ変な顔にもなるわい、と言い返したくなるのをグッと堪え、僕は溜息を返す。

「僕の顔が変なのは元からでしょ」

「ああ、そっか」

「そこは否定してよ。なっちゃんだって同じような顔なんだから」

「デリカシーがないなぁ。知ってる? レディーの容姿にとやかく言っちゃ駄目なんだよ」

「変な顔って言い出したのはなっちゃんでしょ……」

 もう一度溜息を吐いた後、悩みの種である携帯電話に視線を移す。


 新しい連絡先。律さんはまあ今更としても、蒔枝さんのほうは如何ともし難い。

 今後、メールでは『和田口智哉』として、メッセージアプリでは『片桐晴幸』としてやり取りをしなければならない。

 要求されるスキルのレベルが上がってしまった気分だ。

 コミュニティが広がるというのは純粋に嬉しいし、それが蒔枝さんともあればなおさらなのだが、やはり騙しているのは心が痛い。

 嬉しさと罪悪感の板挟みで、僕のこの複雑な表情が出来上がってしまっている。

 

 その様子をじっと見つめていた彼女は、不思議そうに僕の携帯電話に視線を移した。

「珍しいね。ハル兄が携帯机の上に持ってくるの」

「そ、そう?」

「そうだよ。だって那月がご飯の時に携帯触ってたら怒るじゃん」

「嫌がる人がいるからだよ。なっちゃん携帯触ると話聞かないし」

「もう、パパみたいなこと言わないでよぉ!」

 那月は唇を尖らせて豚の生姜焼きを口に運んだ後、箸を僕の方へと向けた。

「こら、お箸を人に向けちゃだめだよ」

「ハル兄、携帯光ってるよ」

「えっ」

 反射的に携帯のほうを見る。液晶画面が天井照明の光を吸い込んで真っ黒に佇んでいた。なんだ、何も来てないじゃないか。

「いただきっ!」

 視線を戻したタイミングで、僕の皿から那月の箸へと食べ物が逃げ出していった。それはそのまま彼女の口へと吸い込まれていく。

 やられた。いや、それは別にいい。胸がいっぱいでそこまで空腹ではないから、欲しいと言ってくれればあげるし。

 妹に良いように動かされたという事のほうがどちらかというと問題なのだ。

「なっちゃん……」

「油断大敵だよぉ。手の届く範囲全てが私の支配下なのであーる! はっはっはー!」

「行儀悪いよ。言ってくれれば普通にあげたのに」

「人のところにある物は美味しそうに見えるんだもん!」

 なんて恐ろしいことを言う妹なんだ。家で山賊が育っている。呆れて白米を突いたところで、もう一度箸を向けられた。

「ハル兄、携帯光ってるよ」

「あのね、そう何度も何度も」

「……うーん、読めない。羽を束ねるって書いてなんて読むのぉ?」

「羽を束ねる? 『はつか』じゃ、ないか……な」

 僕はハッとして携帯を見る。さっきまで沈黙を保っていた画面に、『羽束蒔枝からメッセージ』という文字が浮かんでいた。

 くそっ。本当に光ってるじゃないか。僕は急いで携帯を懐にしまい込んだ。意表を突かれたせいで、我ながら不審な行動を取ってしまった。

「なるほど。珍しく携帯置いてたのはそういう事かぁ」

「た、たまたまだよ」

 何かを探るような視線が那月から飛んでくる。普段はぽけーっとしているくせに、こういう時に鋭いのはなんなんだ。

「ハル兄ぃー? その『はつかさん』っていうのは、女の子?」

「そうだよ。ただの先輩」

「ふぅーん。漫画の時も怪しかったし、これは春来ちゃったんじゃないの? ハル兄だけに。ぷぷぷぷっ」

「なんで気に入ってるの、それ」

「今まではこれを言えるようなニュースがなかっただけだもん」

 僕は逃げるように視線を食事に戻した。

 那月には申し訳ないけれど、厳密にいうと僕には春が来ていない。この二人の好意を僕以外のところに向けるために力を貸すというのが、僕に課せられた使命なのだから。

 那月は浮かれた声を僕に向ける。

「そもそも、ハル兄は春っぽくないんだよ! 那月はちゃんと夏っぽいのに」

「漢字が違うからね……。それになっちゃん冬生まれじゃん」

「細かいっ! そういうところだよ! でもハル兄が暖かくてぽかぽかした日々を送れているみたいで、那月は嬉しいよ。最近目つきもほやーって感じになったし!」

 心底嬉しそうにそう言った那月を見て僕はほっとした。

 妹が優しい感性の子に育ってくれているというのは、兄としてなんだかんだ嬉しいものである。

 ほやーって感じがどんな感じなのかは全くピンとこないけれど。

「優しいね、なっちゃんは」

「うむうむうむ。那月様は優しいのである!ってことで、もう一枚もらうね」

 どういうことかわからないが、僕の皿から生姜焼きが姿を消した。やっぱり育っているのは山賊だった。

「食いしん坊だなぁ」

「だってぇ。ハル兄が作るご飯おいしいんだもん。妹の胃袋を掴んじゃうなんて、罪なお兄様。おほほほ」

「美味しく食べてくれるのは嬉しいけど、太っちゃうよ?最近服のサイズも――」

「あー! ヤバイこと言おうとしてる! レディーの容姿をとやかく言っちゃダメって教えたでしょー! 成長期だもん!」

 那月は残りをぺろりと平らげ「ごちそうさま!」と勢いよく言葉を発した後、食器を片づけ始めた。僕も寂しくなった皿を空にしていく。

「ハル兄。ゲームしよゲーム。最近買ったフィットネスのやつ!」

「ああ、気にしてるんだ。ごめんごめん、付き合うよ」

「気にしてないもん! たまたまだもん!」

 頬を膨らませる那月の遊びに付き合い、風呂上がりに律さんと蒔枝さんの声を聞き、穏やかな夜が更けていく。


 那月が言っていた通り、今の僕の周辺環境は暖かくてぽかぽかしていて、それこそ春のように心地いい。

 でも、この心地よさは僕の決断一つで簡単に崩れる。

 二人との出会いが、こんな歪な出会い方じゃなければ、どれほどよかっただろうか。 


 今更悔やんでも仕方がないことに顔を歪めながら、僕は和田口智哉としてメールを返した。

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