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18話 「い、嫌ならいいんだ」

「うん。いいね、バッチリ。よーく見ておいてね」

「わかりましたけど、なんでこんなところで……」

 移動した木陰からは蒔枝さんの姿も見えるし、声も届く距離ではあるが、出来れば誰にも見られたくない姿ではある。

 人の匂いにつられて虫が寄ってくる。これがからかっての行動なら多分僕は怒っていい。


 五分程蚊と格闘を繰り広げたところで、公園に新たな人影が見えた。

 見間違えるはずもない。あれは律さんだ。なんでこんなところにいるんだ?

 僕の疑問は誰にも届く事なく、彼女は急いで蒔枝さんに駆け寄った。

「ま、蒔枝! 大変なんだ!」

「はいはい。わかったから落ち着いて座りなよ」

「すまない……」

 律さんはさっきまで僕がいた席に腰掛け、大きく深呼吸を挟んだ。

「んで? 急に『相談がしたい』なんてメッセージ寄越してどうしたの? 私がたまたま一人公園で黄昏ていたから良かったけど」

 蒔枝さんはわざわざ説明口調でそう言った。おそらくこれは僕に向けての説明と思っていいだろう。

 それにしても、角度的に正確には見えないが、律さんの眉毛が珍しくハの字に下がっている気がする。彼女のあんな弱気な表情、蜂の時以来だ。

 そんな彼女はさらに見た事がないような様子を見せ続ける。

「実は、ハル君に酷い事を言って傷つけてしまったかもしれないんだ。どうしよう。どうすればいい? どうやって謝ればいい?」

「だから落ち着きなさいって。ゆっくり深呼吸だよ。すってー。はいてー」

 蒔枝さんの言葉に合わせ、律さんは子どものように大きく深呼吸を始めた。


 なるほど。蒔枝さんが言っていた面白いものというのはこれの事なのか。弱気でパニックになっている律さんなんて、確かに珍しい事この上ない。

 力感なく蒔枝さんにすがる姿は、普段の彼女では絶対にありえない姿だった。

「どう? 落ち着いた?」

「落ち着いた」

「よしいい子。晴幸君に酷い事言っちゃって、それを謝りたいってことでいい?」

 あやすような蒔枝さんの声に、律さんは小さく頷いた。

「私の為に自分を犠牲にする姿勢を変えてもらいたくて、ついつい強い言葉を使ってしまったんだ。謝ろうとして教室に行ったけれど、体調不良で帰ったって。ひょっとしたら最初から体調が悪かったのかもしれない。そんなつもりじゃなかったのに、余計な負担を与えてしまった。どうしよう蒔枝……」

「もう、相変わらず落ち方が激しいんだから。どうもこうも、謝るしかないじゃん。私に言ってもしょうがないでしょ。明日謝りに行きなよ」

「でも、嫌がって喋ってもらえないかもしれない……」

 律さんが俯いた隙をついて、蒔枝さんの顔がこちらを向いた。可愛らしいウインクと、悪戯っぽい笑顔。何か仕掛けるつもりなんだろう。


「じゃあ、本人に聞いてみよっか。出てきていいよ」

 僕はゆっくりと木陰から出る。蒔枝さんの手招きの元、再びベンチの近くに戻ると、淡く揺れる律さんの視線と僕の視線がぶつかった。

 やっぱり眉はハの字に落ちていて、今にも泣き出しそうで、背中なんかくるっと丸まってしまっている。弱弱しい姿なのに、不覚にも心が揺れてしまう。

 彼女は僕の姿を認識した後、ゆっくりと目をこすった。

「は、ハル君……?」

「すいません。盗み見してました」

「ふぇっ」

 声にもならない音を発しながら、律さんの顔が赤らんでいく。表情自体はそこまで変わっていないのに、顔色の変化はすぐにわかった。

 彼女はゆっくりと息を吸い、取り繕うように背筋を伸ばした。

「な、なぜここに? 体調は? 元気になったのかい?」

「体調は元から悪くないですよ。サボりです」

「そうか。珍しいね。そんな一面があったのかと驚いているよ」

 きりっと言葉を放っているけれど、その言葉を吐きたいのは僕のほうだ。


 僕は彼女のことを合理的で冷静で、論理に基づいて出した自身の判断に後悔なんてしなくて、誰かのことを想って不安に駆られることもない、そんな焦燥とは無縁な人だと思っていた。

 しかしなんだ今の姿は。自身の後悔を友人に吐露し、後輩に恥ずかしいシーンを見られたことを、顔を赤らめながら取り繕っている。そんなかわいい先輩じゃないか。

 しかもその姿の根幹には、僕への心配という要素まで含まれている。


 思わず綻んだ僕の顔を、蒔枝さんは見逃さなかった。

「にやけちゃうよねぇ。かわいいよねぇ。わかる、わかるよ。思った通りの光景を見せられて、蒔枝ちゃん非常に満足です」

「ま、蒔枝!? 知っていて誘導したのか?」

 乗り出すように食いついた律さんを、蒔枝さんはのんびりと制した。

「誘導だなんて人聞きの悪い。たまたま晴幸君を拾って話を聞いてたら、律から相談したいって連絡が来ただけだよ。まあ陰に隠れさせたのは私だけど」

「本当にひどいな君は」

 拾って、というのも人聞きが悪い話だ。蒔枝さんはくすくすと笑いながら、再び僕のほうに目を向けた。

「前に言ったでしょ? 律は誤解されやすいって。理屈っぽい判断をするくせに、今みたいにちゃんとものすごく落ち込むんだよ。不器用すぎてかわいいのなんの」

「い、意外でした。正直ちょっと、親近感が湧いたというか」

「ハル君まで……」

 いじけるように視線を落とした律さんの頭を、蒔枝さんの指がなぞる。

 夕日の赤色を吸い込んだ律さんの髪が、指の動きに合わせてさらさらと揺れ動いた。

「あははっ。厳格な先輩像があるせいで今回みたいないざこざが起こるんだよ。律は理屈っぽくて不器用で、実は人付き合いが苦手なだけの先輩。晴幸君は深読み癖があってついつい自分を犠牲にしちゃうお人好しな後輩。そして私はかわいいだけの蒔枝ちゃん。簡単に考えようよ」

 蒔枝さんは愉快そうに笑いながら立ち上がる。最後にはちゃんと冗談を吐いて、彼女は場を纏めた。――ひょっとしたら本気なのかもしれないけれど。


 彼女はどうやら想像以上に場をコントロールするのが上手い。僕よりもよっぽどこの人のほうがキューピッドに向いているに違いない。

 言葉や振る舞いが、見事に全て魅力に変換されていると言っていいだろう。求心力とでも言おうか。人を惹きつける魅力をふんだんに詰め込んだような人だな。

 後光差す彼女をしみじみと眺めていると、彼女が座っていた席に僕は誘われる。隣では夕日に負けないくらい顔を赤くした律さんが、蒔枝さんのほうを睨んでいた。

「ほら律、怖い顔しないの。何か言いたかったんじゃないの?」

「……そうだね。文句は山ほどあるけれど、今はこの環境に感謝をすべきかもしれない」

 諦めたように息を吐いた律さんは、まっすぐ僕のほうを向いた。さっきまでの弱気な様子は消え、いつも通りの彼女が僕を見ている。

「ハル君。君の本質を貶めるようなことを言ってすまなかった。君を傷つける言い方をしたかったわけじゃないんだ。ただただどうすれば君が無理をしないで済むかがわからなかったんだ」

「僕の方こそすいません。計画の成功の事ばかり考えて、律先輩が嫌う行動を優先してしまいました」

 さっきの様子と言葉を見聞きして、中身が見えにくい律さんの本心が少し見えた気がした。

 この人は本気で僕の事を慮ってくれていて、本気で向き合おうとしてくれているんだ。謝られる事なんて一つもされていない。


 僕は一呼吸置いて言葉を続けた。

「さっき気付いたんです。計画が途中で終わって、急に先輩と話す機会がなくなるのは寂しいなって。だからもう一度僕にチャンスをくれませんか?」

 必死すぎてうっかり話す機会が無くなるのが寂しいと言ってしまった。乙女かよ。慌てる僕に、彼女は落ち着いて言葉を返す。

「チャンスだなんて言わないでくれ。私の方がお願いしたいくらいなんだ。宗方を落とすまでで、どうか力を貸してほしい」

 律さんはそう言って頭を下げた。結構芯を食った事を言ったつもりだったが、どうやら僕の恋心やらなんやらは、彼女には伝わっていないらしい。

 ほっとしたような、もどかしいやら。恋とはままならないな。でもそんな彼女の鈍感さも愛らしく思えた。

 宗方先輩を落とす事が彼女の望みであり、それが彼女といられる口実になるならば、喜んで協力するに決まっている。

「もちろんです。頑張りましょう!」

「ああ。ありがとうハル君」

 会話の切れ目を察したのか、蒔枝さんが僕たち二人の間に無理矢理腰を据えた。

 肩が触れるほどの距離にいる彼女から、金木犀のように甘い匂いが流れてくる。

「なーんか思ってた感じとは違ったけど、まあ今はこれでいいか。うん。万事解決だね! どうする? みんなでご飯でも食べに行く? それともカラオケ?」

 僕と律さんを交互に見ながら、彼女は鼻息荒くそう言った。

 魅力満載の提案ではあるが、眼前で暮れていく夕日が一日の終わりを告げようとしていた。

「あ、すいません。僕夕飯当番なので帰らないと」

「私も疲れてしまったから今日は帰るよ」

「ええー!? じゃあ昂りに昂った蒔枝ちゃんのこの熱い気持ちはどこにぶつければいいのさー!」

「すまないね蒔枝、また別日で企画するよ」

 律さんの言葉を聞いて、頬を膨らませながら立ち上がった蒔枝さんは、癖っ毛をふわりと揺らして振り返った。

「むむむむー! もう、わかったよぅ。その代わり、今夜は二人とも電話に付き合って! それくらいならいいでしょ? ほれ!」

 蒔枝さんは携帯電話を取り出し、メッセージアプリの画面を僕に向ける。アヒルのアイコンの下に、英数字が並んでいた。

「これ、私のIDね。晴幸君も友達登録しといてよ。……まさかインストールしてないとかないよね?」

「い、いえ、やってます。登録しときます」

 僕は急いで携帯電話を取り出し、メッセージアプリを開いた。


 メールよりも手軽で、今やこれがないとクラスの輪に入れないくらいコミュニケーションツールの中心を担っているものだから、もちろん僕の携帯にもインストールされている。

 しかし、わざわざメールという手段を常用している彼女がこれを使っているとは思わなかったな。

 IDを打ち込むと、すんなり『羽束蒔枝』さんが友達登録される。その様子を隣で見ていた律さんが、指で僕の肩を叩いた。


 視線を向けると蒔枝さん同様、彼女も携帯電話をこちらに向けていた。こっちは無地のアイコン。実に律さんらしい。

「わ、私も……」

「えっ」

「い、嫌ならいいんだ。無理にとは言わない。ただ、電話番号以外の連絡先も知っておいた方が、今後何かと便利だと思うんだ」

 顔つきはいつも通り冷静なのに、言葉の早さは律さんっぽくなかった。

 にやにやとした顔を浮かべる蒔枝さんを見たところ、僕の感覚はきっと正しい。目の前の律さんは、最高に可愛らしかった。

 そんな様子で頼まれて断れる訳ないじゃないか。ただでさえ断る理由がないのに。

「もちろん交換しましょう。僕も知りたいです」

 わずかに上がった彼女の眉毛を眺めつつ、僕は文字列を打ち込んでいく。

「今グループ作ったから入っといてね。二人とも、今夜は私のリサイタルに付き合ってもらうよ! よし、帰ろっか」

 弾むように歩き出した蒔枝さんに合わせ、僕たちも立ち上がり足を動かす。


 二つ並んだ影を追って、僕は浮かれながら帰路についた。

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