14話 「もちろんドッキリよ」
「なあハル。そろそろ羽束さんに会えないのか?」
一日の授業が終わった後、ふらふらと智哉が僕の席に寄ってきた。
メール代行が始まってから沈黙のまま二週間ほどが経過している事もあってか、依頼主は現状を知りたがっているようだった。
ここ最近何かと動き回っていて、まともに報告を出来ていなかったし、報告出来る程の進展もなかったから当然の流れではある。
確実に蒔枝さんとの距離は縮まっていると思うが、核心に至る所までには辿りつけていない。
僕は教科書をリュックに詰めながら溜息を返した。
「まだだよ。人に全振りしといて急かさないでくれ。学園祭前で僕も忙しいんだぞ」
「学園祭? 模擬店の準備なんて張り切ってる奴がやってくれてるじゃん。何が忙しいんだ?」
「部活だよ。そもそも僕が文芸部だから頼んできたんだろ?」
「文芸部ってちゃんと活動してたんだな」
大所帯のサッカー部に所属する智哉には、弱小文芸部の苦悩はわかるまい。反骨的にそう思ったが、よくよく考えればうちの文芸部には苦悩すらなかった。
律さんのことをこいつには言えないし、ましてや「蒔枝さん本人とお茶をして来ましたよ」なんて口が裂けても言えない。忙しいと逃げるに限る。
これでもかと嫌そうな顔を向けた僕に、智哉は呑気に口を尖らせた。
「とにかく! 俺は一人寂しく冬を迎えたくないんだ。そこんとこよろしくな」
「知るか。僕と違ってお前には出会いがあるだろ。何もここだけに絞らなくてもいいじゃないか」
「絞っちゃいないぜ。俺のセンサーは常に出会いを求めているから安心しろ。ということで引き続きよろしく! じゃあな!」
指を二本こちらに向け、智哉は颯爽と去っていった。
何というか、本当にやりがいがないな。そんな立派なセンサーがあるなら、僕を頼るんじゃ無いと言ってやりたくなる。
彼ほど無神経に振る舞えていたら、僕の人生はどれほど楽だったか。どれだけ憂いたとて、僕は彼のようにはなれない。
彼にセンサーとやらがあるように、僕には僕の過敏なセンサーがある。反応しなくてもいいものにまで意識が向いてしまうこれは、ちょっとアレルギーに似ているな、なんて考えが過ぎった。
リュックを背負い、僕は部室へと向かう。
学園祭まで残すところあと二週間と差し迫っている。部室の扉を開けると、難しい顔をした部長の姿が目に入った。
なんだ、また行き詰まっているのか。呆れて足を進めたところで、左側から何かが近づいて来た。
「わっ!」
「ぎゃっ!」
突如かけられた大声に、思わず気色の悪いリアクションを取ってしまう。一歩身を引くと、愉快そうに笑う安久利先輩の姿が目に入った。
くそっ。一本取られた。部長の難しい顔はこの人のせいだったのか。
「良い! 良いリアクションよ片桐少年!」
「な、なにやってるんですか?」
「もちろんドッキリよ。いやぁ期待以上のリアクションだったわ。安久利リアクション大賞を贈呈しましょう!」
「要りませんよそんな不名誉な賞」
「不名誉!? ちょっとザキヨシ、後輩指導がなってないんじゃないかしらぁ?」
「へ、へあ」
情けない部長の声を皮切りに、彼女は僕を座席へと向かわせた。
部長はザキヨシと呼ばれているのか、なんて事を考えながら席についた僕の目の前に、可愛らしいシールがたくさん貼られたノートパソコンが置かれる。
「見たわよ、改稿分。率直にいうと最高だった」
「ありがとうございます」
「何ていうか、台詞運びに色気が出た気がするわ。何かあった?」
一瞬言葉に詰まった。僕の精神状態は少なからず文章に影響を与えているらしい。どうやら今回はプラスに働いているようだが。
何かあった? と問われれば、現在進行形で色々抱えていますとしか言いようがないけれど、その色々は全て話せない内容だ。
僕は何食わぬ顔で言葉を返した。
「いいえ、特に」
「怪しいなぁ。まあいっか。んじゃさっそく、ここの台詞なんだけど」
安久利先輩はパソコンに映し出された文字列をテキパキとなぞった。深く追求されることもなく、そのまま脚本についての話が進んでいく。
三十分ほど問答が続き、ある程度内容が固まってきたところで、僕は小さく手を上げた。
「あの、僕の方からも提案いいですか?」
「もちろん」
「今回の舞台に、ちょっとした仕掛けを作りたくて」
「仕掛け?」
「はい。そんな大仰なものじゃないんですけど、僕なりに安久利先輩の晴れ舞台に花を添えたいなと思ってるんです」
今回の改稿分で、僕は脚本にあるギミックを追加した。
言葉通り大仰なものではないが、上手くいけば演劇部の宣伝になるだけではなく、律さんへの作戦の足がかりにもなるはずの仕掛けだ。
その言葉を聞いた安久利先輩は、満面の笑みを僕に返した。
「良い子! 良い子がいるわ! ザキヨシ! この子演劇部にもらっていいわよね?」
彼女の指が僕の頬を摘まむ。打ち合わせ中、石ころのように存在感を消していた部長は、大きな図体を激しく揺らした。
「へ、へあ!」
「いや部長。へ、へあじゃないでしょ。ちゃんと助けてくださいよ。貴重な部員が拉致されますよ」
「は、話を振らないでくれ。俺は関係ない」
「ですって。酷い部長ね」
部長の根性なし。なぜか全くわからないが、本当に安久利先輩に弱いんだな。
悪戯っぽく笑う彼女は、こほんとわかりやすく一呼吸入れたあと僕の方を向いた。
「とまあ冗談はさておき。少年の案を聞かせてちょうだい」
「はい。ここなんですけど——」
僕は思い描いた構想を丁寧に並べていく。
僕の説明を真剣な顔で聞いていた彼女は、言葉の終わりと同時に大きく頷いた。
「なるほど。確かにそれは盛り上がりそうな案ね。うん、賛成! 大賛成! 安久利が一票を投じるわ」
「ありがとうございます」
「何言ってんのよ。感謝するのは私の方だってば」
僕の背中をバシバシと叩いた彼女は、ノートパソコンを畳み出口へと向かった。
「それじゃあその方向で動いてみるわ。少年、私は割と本気で勧誘してるからね。頼りない部長が嫌になったら、いつでも演劇部にいらっしゃい」
「は、はい」
「よろろろろーん」
彼女はユニークな言葉を発して部室を後にした。僕と部長だけが残された部室は、一気に華やかさを失う。
屍のような顔つきで、部長はようやく流暢に言葉を放ち始めた。
「随分と気に入られてるな」
「リップサービスでしょ。部長こそ何をそんなに怯えてるんですか?」
「去年のちょうど同じ時期、俺も脚本を依頼されてたんだ。お前ならよくわかると思うが、あの人は書かせておいて『ここはどういうこと?』だとかしつこくてな。可愛い人だと思ってうかうか引き受けた自分を呪ったよ。そこからどうもあの人のことが苦手なんだ。あと、俺の時はあんな和やかな打ち合わせじゃなかったぞ」
「僕は楽しんでやってますから、そこの差だと思いますけど」
彼女がいろいろ聞いてくるのは、こちらへのリスペクトの裏返しなのだ。
頼んだからこそ目を掛けてくれているんだろうし、僕からすれば智哉のような投げっぱなしのほうがよっぽど厄介だ。
部長はシャツの袖をまくり、大きく息を吐いた。
「どうだかな。お前が来るまでの間、俺は気が気じゃなかったよ」
「別に何をされるわけでもないでしょう」
細めた目を向けた僕に、部長は堂々と腕を組んで返した。
「いいか? 女子と部屋で二人っきりってのは、本来最高のイベントなんだ。なんとなく相手を意識して、そわそわするこの感情はひょっとしたら恋なのかもしれないとか、そういうことを思うもんなんだ。でも恐怖は恋心に変換されなかった。あと楽しそうに打ち合わせをするお前を見て、嫉妬で気が狂いそうだった」
「どういう心理状態なんですか」
ふうと息を吐いて、僕はノートパソコンを広げた。
女子と二人きり。よくよく考えれば最近僕もそういう機会に恵まれている。胸の高鳴りが好意から来るものかそうじゃないか、人間の感情は正確に判別することが難しい。
だからこそ僕が抱いた諸々の感情も、ひょっとすると何かが間違って変換された結果なのかもしれない。
これは次の作戦に使えるんじゃないか、と閃いたところで、部長からメールが送られて来た。
「部誌の完成原稿を送ったから、目を通してみてくれ」
「もう出来たんですか? 早いですね」
「今回はみんなが早かったからな」
部長から送られてきたメールを開封する。『茜雲vol.46』と題打たれたファイルをクリックすると、殺風景な表紙が姿を現した。
ホイールを回しページをめくっていく。ある者は小説を書き、ある者は詩を書き、ある者はイラストを描く。
一致団結なんて言葉は浮かばないほど雑多な内容の寄せ集めだが、なんだかんだ幽霊のような部員全員が何かしらの形で筆を取っているようだった。
自分が執筆したページで手が止まる。高校生活最初の学園祭。
僕からすればこれが最初の部誌になる。これが製本されるのか。恥ずかしいやら嬉しいやら、なんだか不思議な気持ちになった。
「お前は今回が初だろ? せっかくだから他の奴の作品にも目を通してみると良い」
「ありがとうございます」
「あと校正も微妙に終わってないから、見つけたら教えてくれ」
「結局手伝わせるんですか……」
画面の流動とともに部員たちの創作物が流れる。
僕は結局そのまま読書に没頭し、味気ない放課後が過ぎていった。