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6月のオラシオン  作者: なっつ
6月のオラシオン
9/55

8月・4


「……何でみんなして壁に貼りついてるのさ」


 (しばら)くしてヴィヴィが帰ってきた。

 結構な時間が()っているけれど1度も水には入っていないのか、髪も水着も崩れた様子はない。


「ああ、つっっっかれたぁ! マーレ、サンオイル塗ってよ」

「何で僕が」

「背中に手が届かないからに決まってるでしょ」


 そう言いながらもヴィヴィは僕の手からドリンクを取り上げ、勝手に口をつける。


「……それ僕の」

「知ってるー」


 そんなやりとりに、しぶとく後をついてきた数人の学生がわざとらしく舌打ちをして去って行く。


 おおかた僕とヴィヴィとの仲を誤解したのだろう。

 ヴィヴィもそれを狙ってサンオイルを塗れと言ったりドリンクを奪って飲んだりしたのだろうから、まんまと(だま)せた、と言ったところだろうか。


「まだ話がしたいみたいだったよ?」

「あ、いいのいいの。僕はしたくないから」


 ヴィヴィが女性をアピールするのは気に入られようと()びて来る(やつ)らをいいように利用したいからだけれども、その一方でああして邪険に扱う相手もいる。

 (いわ)く「ちょっと甘い顔をすると図々しく距離を詰めて来る(やつ)とは黙って離れる」のが最適な距離感の付き合いを長続きさせる秘訣なのだそうだ。

 彼らも何処(どこ)かでヴィヴィの引いた一線を踏み越えてしまったのだろう。


 ヴィヴィは特定の相手を作らない。

 性徴(せいちょう)前に相手を選ぶことの迂闊(うかつ)さを知っている側からすれば、決して本気にならないヴィヴィはいい遊び相手になる。

 でもそれは今までの話。

 遊びで付き合うのではなく確保したいと思う者は今後いくらでも増える。

 こんな衆人環視(しゅうじんかんし)のもとなら強硬手段に訴えられることはないだろうけれど、卒業を間近に控えれば何処(どこ)で何をしてくるかわかったものではない。

 しかもそういった手段に出るのはレトの組み合わせにあぶれる可能性がある学生……つまりは平均からそれ以下に属する者で。

 自己主張を知恵や弁舌(べんぜつ)ではなく腕力や暴力で表現しようとすることが多いわけで。


「……あんまり言いたくないけどさぁ、こんなことしてると、」


 何もなければ無事に卒業できるかもしれないところを、なまじ女性をアピールしていたせいで妙な(やから)に目を付けられるかもしれない。

 彼らの良識に期待するのは危険すぎる。


「大丈夫だよ。そんな度胸のあるやついないって」


 ドリンクを飲み干したヴィヴィは、ケラケラと笑いながらサンオイルを引っ張り出している。

 少し離れたところでは、先ほどの学生らがまだ僕たちの様子を(うかが)っている。


「あ、でもマーレは襲われるかもね。逆恨みで」

「待って」


 何故(なぜ)ヴィヴィのとばっちりを僕が受けなければならないのだ。

 本当に付き合っているのならまだしも、ヴィヴィの僕に対する価値は、様子を(うかが)っている彼らとそう変わりない。


 年がら年中一緒にいるチャルマにサンオイルを塗れだのと言わないのは、逆恨みがチャルマに向くのを避けるためだ。

 そんなところでもチャルマを守っているのは好感が持てるけれど、その配慮の100分の1でいいから僕にも気を配ってほしい。


「じゃ、付き合っちゃう?」


 空になったドリンクカップを返されて仏頂面になっている僕に、ヴィヴィはわざとらしく身を寄せる。遠目には甘えているように見えるだろう。


「絶対に嫌!」


 配慮してほしい!!!!




 そんな時だ。

 今まで黙ってやりとりを眺めていたノクトが、(さげす)むように鼻で(わら)ったのは。


「くだらねぇな。そんな真っ平らな胸に何でああも群がるかねぇ」


 その台詞(セリフ)に空気が凍りついた。特に僕の隣は氷点下だ。


 急に何を言い出すのやら。

 せっかく引き(こも)りをやめて出て来てやったのに僕ばかりを構う、と切れたのだろうか。


「……あったりまえでしょ性徴(せいちょう)前なんだから」


 そして売られた喧嘩を買わないヴィヴィではない。


「何だよ性徴(せいちょう)って」

「はん、性徴(せいちょう)も知らないの? もしかしてそれも忘れちゃったぁ? それとも今更純真な少年でも演出してるの? キモ」


 ゆらりと立ち上がり仁王立ちでノクトを見下ろすヴィヴィの顔に、つい今しがたまでの陽キャ属性はない。


「知ってるよね30歳なら。で、いっっっっっくら引き(こも)もってたとしても着替えたりトイレ行ったりした時に付いてるものが付いてなきゃあ気付くよねぇ。でもね、それが今のあんたなの。能登大地なんかじゃないの。マーレもチャルマも、当然僕だって前世がナントカなんて1ミリも信じちゃいない。大ボラに付き合ってあげてる、だ、け!

 だいたい僕らにどれだけ迷惑かけてるか自覚ないでしょ? フローロの見送りもしないで、セルエタ捨てて行方くらまして、マーレなんか外に出て行ったんじゃないかって真っ青になってたんだよ? それを前世は30歳だった、だ? それがホントだったら僕らの倍生きてるくせにやってることは幼稚園児じゃない。勝手なことして(うそ)ついて、騙せなかったからって閉じ(こも)って。

 挙句(あげく)、胸が平らだぁ? 自分の胸を見てから言えよ」

「俺に胸があるわけないだろ」

「そうさ。あるわけがない。僕もノクトもマーレもチャルマも、此処(ここ)にいる全員がね!」



 最初に前世設定を振ったのはヴィヴィなのに、信じていないと言い切ってしまってもいいのだろうか。

 せっかく外に連れ出したのに、また引き(こも)ることにならないだろうか。

 が、それと同時に自分の胸の内でずっと(くすぶ)っていたノクトへの不満を代弁してもらったようで胸がすくのも確かで。



「ノクト、忘れてるかもしれないけど、今の僕らに男女の性差はないの。だから乳房が膨らむこともないんだよ」


 そんな中、チャルマだけがある意味冷静に説明を続けている。

 ヴィヴィの怒りに当てられる距離にいながら此処(ここ)まで冷静でいられるのは、やはり耐性がついているからなのだろうか。

 どれだけ怒っていてもヴィヴィなら大丈夫と言う、10年一緒に暮らした者にしかわからない謎の信頼があるからだろうか。


「能登大地のほうが生きてた年数が長いから、能登大地として世界を見ちゃうのは仕方ないよ。でも今のきみはノクトなんだ。能登大地じゃないんだ。それは忘れないで」


 チャルマはノクト転生説を信じているのかもしれない。

 もしくは、ヴィヴィと同じで信じてはいないけれども、孤立しがちなノクトに寄り添ってくれているのかもしれない。



 突然起こった喧嘩に周囲の学生らが足を止める。

 先ほどヴィヴィを取り巻いていた学生もニヤニヤしながら成り行きを見ている。


「でも俺は、本当は」

「ノクトじゃない、って言いたいの? じゃあさ、聞くけどノクトじゃないっていうなら誰だよ能登大地!」


 「誰だ」と問いながら「能登大地」と呼びかけるのは矛盾しているけれど、言いたいことはすごくわかる。僕らにとってノクトはノクトで、能登大地なんて名前じゃない。


 ヒートアップしてきたのか、ヴィヴィの声が徐々に大きく、甲高くなっていく。

 こんな大声で叫んでいたら周囲の学生に筒抜けだ。

 ノクトは昔から中二的なホラ話ばかり口にしていたから『また(うそ)をついたのか』程度で(とど)めておいてくれるであろうことだけが救いだけれども。


「言っておくけど”能登大地30歳”なんて学生は この町 (ラ・エリツィーノ)には存在しない。存在しないってことは、」

「侵入者だ」


 僕はヴィヴィの声を(さえぎ)った。(ヴィヴィ)よりは小声で、ノクトに向き合う。


「レトに見つかったら処分されるだろうね。きみがノクトじゃないと主張する限り、受け入れられることはない。でもノクトとして生きていくなら衣食住と教育は保障されるしファータ・モンドにも行ける」


 もし能登大地の記憶がよみがえったことが真実だとしても、器はノクトだ。

 能登大地でしかなかったら、引き(こも)るどころか今頃は殺処分されていただろう。

 ”ノクト”が受けるべき恩恵だけ受けて『ノクトじゃない』と主張するのは虫が良すぎる。


「今のきみの髪は緑で、体も僕たちと同じ無性で、セルエタもきみをノクトだと認めた。ノクトじゃないって否定しているのはきみ(本人)だけなんだよ」


 何故(なぜ)ノクトは何時(いつ)までも妄想語りを続けるのだろう。

 おかげでこっちの意識まで”前世は能登大地説”に上塗りされてしまいそうだ。


「……俺は」

「あんたが何処(どこ)の誰だかは知らないけど、今はノクトなの。ノクトとして振る舞って。それができないならノクトとして死んで。僕たちに迷惑をかけないで」


 それでもなお主張しようとするノクトを、ヴィヴィの声が押さえつける。


「これでもあんたがノクトじゃないって主張するなら、それがレトの耳に入ったら。あんただけじゃなくて此処(ここ)にいる3人とも罰せられるんだよ。侵入者のあんたをノクトと(いつわ)ってかくまった、ってね」


 ノクトははっとしたようにヴィヴィを見上げ、それから僕とチャルマに視線を動かした。

 救いを求めるような色が見えたのは気のせいだろうか。

 しかし確認する間もなく、彼は顔を(そむ)けると荷物もそのままに出て行ってしまった。



 ……これはどう(とら)えればいいのやら。

 妄想を垂れ流し続けることの悪影響をやっと理解してくれたのならいいのだが、また引き(こも)り生活に戻っていたらどうしよう。

 そう思うと共に、本当にあのノクトはノクトだろうか、とも思う。

 前世の記憶に乗っ取られているだけならまだしも、もしかしたら能登大地だという主張のほうが正しくて――顔がノクトに瓜ふたつなだけの別人だったとしたら。

 本物は町の外に出てしまっていたとしたら。

 だとしたら当の本人から「ノクトではない」と言われたにもかかわらず彼をノクトだと決めつけたのは、本物を連れ戻す機会を『僕が』放棄したことになる。



 いや、そんなはずはない。

 浸食されかかった思考を、僕は慌てて打ち消す。

 転生なんてあり得ない。

 セルエタが判断を間違うこともない。

 そんな、ノクトが他にいるなんて――。



「……彼は……ノクトで間違いないよね」

「ノクトでしょ。この世界の人間だってことは髪の色が証明してる」


 ぽつりと()らした呟きに、ヴィヴィとチャルマは、ただ頷いた。

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