8月・3
空は相変わらずのサンドベージュ。町の外を吹き荒れる砂嵐の色。
何百年前だかの本物の”海”が存在していた頃の空は青くて、空と海の青が繋がって見えることもあったそうだ。
もし砂嵐が止むことがあれば、この空はかつての青を取り戻すのだろうか、なんてことを思う。
レトが毎年こうして”海”に僕らを呼ぶのは、かつてこの世界に普通にあったはずのふたつの青を忘れないように、という先人たちの思いを込めているのかもしれない。
”海”初日だからか、多くの学生が戯れている。
鮮やかなピンクの水着はヴィヴィだ。腰までの長い髪をツインテールにし、ヘソを露出したなりでは人目を引かないはずがない。
街灯に群がる羽虫のように数多の学生が取り囲んでいる。
そしてヴィヴィが女性性をアピールすればするほど、同行者である僕たちに刺さる敵意が痛い。
だが、ヴィヴィが取り囲む学生らの中から将来の相手を選ぶつもりでいるかは別。
いや、どちらかと言えばそんな気はさらさらないだろう。
『かわいい時にかわいい服を着る』も本音だろうけれど、中でも本心は女性の姿で得られる特権を享受するため、のように思う。
「チャルマは泳ぎにいかなくていいの?」
「いい」
常日頃ヴィヴィと行動を共にしているチャルマは僕の隣で膝を抱えて座り込んでいる。
水色タータンチェックの水着はヴィヴィの色違い。髪型も――きっとヴィヴィの手によるものだろう――側頭部でふたつに結わえられ、水着と同じ水色のゴムで結ばれている。
ミドルショートの髪ではツインテールにできなかったらしく、ちょこんと結ばれているのが何とも幼げでかわいらしくはあるのだが、本人はそうでもないらしい。
見せつけて歩けば媚びを売って来る学生もいるだろうのに、こうして小さくなっているのは見知らぬ学生に取り囲まれるのが嫌だから、だそうだ。
まぁ、あんな下心丸出しの連中に取り囲まれるなんて、ヴィヴィほど神経が鋼鉄で出来ていない限り嫌だろう。僕だって嫌だ。
「でも」
チャルマは僕の耳元で声を落とした。
「ノクトが出て来てくれてよかったね」
「え、まぁ……」
僕はチャルマの向こう、人ひとり分の間隔を空けて座り込んでいるノクトを見やる。
まさか本当に出て来るとは思わなかったけれど、きっと彼も引き籠りをやめるきっかけが欲しかったのだろう。
とは言え気まずいのか、僕たちの会話に混ざるでもなく、ぼんやりと目の前の景色を眺めている。
「ノクト、荷物は僕らで見てるから行ってきていいよ」
腹の虫はおさまらないけれど、せっかくヴィヴィとチャルマが捨て身で引っ張り出してくれたのだから無駄にはできない。
どうにか今日のうちにもとのノクトに……は無理かもしれないけれど、機嫌くらいは直させなくては。
僕はノクトに声をかける。
ノクトの我が儘は、いつもこうしてなあなあに終わる。
1ヵ月後には転生ごっこで周囲を振り回したことすら忘れているに違いない。
でも彼に振り回されるのも後1年だと思えば、多少なりとも寛大になれるものだ。
「……なあ」
一旦は腰を浮かせかけたもののノクトは思い直したように座り直した。
僕たちふたりと駆け回る他の学生らを見比べ、眉間に皺を寄せる。
「何でお前ら全員、頭、緑なんだ?」
「は?」
てっきり水着のことを言われるのかと思っていたのに。
予想外の唐突な質問に、思わず僕はチャルマと顔を見合わせてしまった。
髪がどうして緑か、なんて初等部のチビどもだって知っている。
いくら授業をサボりがちだったとしても、それは一般常識の範囲だ。
『――転生すると、こっちの世界で生まれてから今までの記憶をすっかり忘れちゃうらしいよ』
ヴィヴィの提案に沿って、僕らは今”ノクトは前世の記憶を取り戻した”設定で話を進めている。
髪が黒いのも、30歳なのも、ゲームを作っていたのも前世の記憶。
たまに一般常識を真顔で尋ねて来るのは、濃い前世の記憶が入り込んだせいで現世の記憶が吹っ飛んだから……と、どこまで中二病に優しい設定だと呆れて物も言えないが、今しがたの質問もそれで理由はつく。
つくけれど、なぜこんな茶番に付き合わないといけないんだと思わずにはいられない。
妄想のごっこ遊びに周りを巻き込むな。
前世の記憶自体、大嘘のくせに。
そう罵倒してやりたいと思う僕は心が狭いのだろうか。
苛立ちを隠して目を逸らし、僕はドリンクに口をつける。
「……光合成するためだよ」
そんな僕を見かねたのか、チャルマが解説を買って出た。
ノクトが演じる”能登大地”を誘い出すために水着を新調するくらいなのだから、もしかすると僕が思っている以上に前世の記憶説を信じているのかもしれない。
能登大地も前世の記憶も転生も嘘! と思っているのは僕だけで。
「生き残るために僕らは進化したんだ。でも何百年か前までは人間は光合成なんてできなかったそうだよ。だから能登大地って人はその頃の人かもしれないね」
そう。
何百年か前、人類は滅亡に瀕するほどの危機に襲われた。正体不明のウイルス性疾患が蔓延したのだ。
ワクチンもなく、症状を抑える薬も少なく、疫病に罹患したかどうかを調べる検査薬まで足りず。
ほんの数ヵ月の間に大勢が亡くなった。
実際には滅亡しかけたのは人類だけでなく、他の動物――哺乳類も鳥類も魚類も――も含まれる。
残った数少ない水生生物を増やすために存在している此処のように、何処かの町の施設にはいるだろうけれど、野生で見ることはない。
多くの者が死を受け入れるしかなかった中で、それでも人々は様々な分野から危機を乗り越えようと模索した。
その中で、突然変異のように水と太陽光があれば生きていける体質を手に入れた者が現れた。
疫病も何故か彼らにだけは伝染らず……今残っている人類は全てがその子孫と言うわけだ。
髪が緑なのはその証。
ただ、何故光合成できることが疫病に打ち勝つことになったのか、残念ながらこの町では知る術はない。
歴史や生物の授業でも習わない。
全てはファータ・モンドで知ることができる。そう言われている。
光合成が出来ずに滅んだ前文明の人々の髪は、黒だの金だの茶だのと多岐にわたっていたらしい。
「俺の髪は黒い」と言う”能登大地”もそこに含まれるのだろう。
だが、今、その色の髪を持つ者はアンドロイドに限られる。
言い換えれば、この世界は髪の色で人間かそうでないかを見分けることができる。
「光合成!?」
案の定、ノクトは素っ頓狂な声を上げた。
しかしそれも束の間、納得したように頷く。
「そうか。だから引き籠ってても全然腹が減らなかったのか。まさか生まれ変わったら植物だったとは」
「……人間だよ」
納得できるものなのだろうか。
僕らにとって光合成は物心つく前からの常識だったから不思議にも思わないけれど、例えば逆に『これからは他の動植物を食べないと生きていけない』なんてことになったら納得するまで何日も、下手をすると何年もかかるだろう。
物わかりが良すぎて胡散臭い。
やはり僕らが妥協して合わせてくるのをいいことに、”前世の記憶がよみがえった設定”を演じているだけだ。そうに違いない。
「光合成できるけど人間なんだよノクト。地上に上がった魚が肺呼吸を覚えたように、水を掻い潜る獣の指に水掻きができたように。この髪は人類が生き残るための進化なんだ」
「でも植物と動物じゃ細胞のつくりからして違うだろう?」
「植物じゃない。ただ、葉緑素を持ってるだけ。詳しいことはファータ・モンドに行ってからしか学べないから今は答えられないけど」
わざとらしい、と嫌味を奥歯で噛み砕く僕とは違って、チャルマは親切に教えている。
いつもはヴィヴィの影に隠れていてわからなかったけれど、こう見えて面倒見がいいのかもしれない。