8月・1
いったい何を言っているのだろう。
今回はあまりにも目に余る。
寮の談話室の一角。僕はドリンクのストローを齧りながら、ここ数日のノクトの様子を思い返していた。
『俺は能登大地。ノクトなんて名前じゃない』
あの時そう言い放ったノクトは、寮に戻ってからこちら、ずっとベッドに潜り込んだまま出て来ない。
空腹になれば出て来るかとも思ったが考えが甘かった。籠城してもう何日経つだろう。
夏季休暇中でよかったと言うべきか、授業をボイコットして罰を受けるほうがお灸を据える点としては良いだろうから休暇であることを残念に思うべきか。
そんな考えがぐるぐると回る。
ノクトの妄想癖にはずっと我慢させられてきたけれど、そろそろ限界だ。
あの日も何を言っているのだと呆れる僕に対し、ノクトは「俺の髪は黒かったんだ」「俺は今年で30になる」「俺は家で自作ゲームを作っていた」などとまくし立てた。
埒が明かないので妄想転生ものの冒頭よろしく、此処が学園都市ラ・エリツィーノであること、自分の名はマーレで彼はノクトだということを教え、何とか寮まで連れ帰った。
期待していたであろう特殊能力を授けるだの、冒険資金を渡すだの、まして勇者と崇めるだの、そんなところまでは付き合えないので端折ったが。
その対応が不満だったのか、寮で待ち構えていたヴィヴィとチャルマに対してもノクトは「お前は誰だ」「俺はノクトじゃない」を繰り返し。
そして誰も自分の話に乗って来ない察するや、引き籠ってしまったというわけだ。
「……どう見たってノクト以外の誰だって言うのさ」
背の高さも猫背なところも。
当人が違うと言い張る髪の色だって6歳の頃からその色だ。
と言うより、人類の髪の色は毛染めでもしない限り緑だろうに。
延々と閉じ籠って学生生活最後の夏季休暇を棒に振るのは勝手だが、時間が経てば経つほど現実に戻って来づらくなる。
後々困るのは自分自身だと言うことを、彼はきっとわかっていない。
ズズ、とストローが音を立てた。
考えごとをしているうちにあらかた飲み干してしまったらしい。
全く味を感じなかった。これもノクトのせいだ。
空になったカップを握り潰そうとして止める。
陽が高くなってきたから此処もそろそろ混んで来るだろう。
カーテン越しの白味がかった新緑の陽射しで満ちた室内を見渡し、僕は少しへこんでしまったカップを取り上げると、さも飲んでいますとばかりの顔でストローに口をつけた。
席は半分ほど埋まっている。
中でも此処はちょうどよく日陰で且つ外が見える良席だ。
飲み干していることが知られれば席を譲れと言われることは間違いない。
けれど、だからと言って行く当てがない。
薄荷とオレンジが混じった空気を口に含み、さてどうするか、と思案する。
部屋に戻ったところでベッドのふくらみを見れば腹が立つだけだから、図書館にでも行こうか。
フローロが言い残したことも気になる……けれどこの精神状態で、さして親しくもない司書と話すのは苦痛だし、何を言われても頭に入って来る気がしない。
日光浴がてら外をぶらつくにしても、この季節では5分ともたない。
ああそうだ。
ノクトのセルエタもストラップを新調しないと使い勝手が悪いだろう。
買い物に誘ったら付いて来るだろうか。
いや。
首を振る。
ノクトの世話など金輪際したくない。
ストラップなんて荷造りの紐で代用すればいい。
「なに? ノクトはまだ引き籠ってんの?」
そんなことをつらつらと考えていると、同じようにドリンクを持ったヴィヴィがやって来た。
いつものようにチャルマも一緒だ。
ふたりしてショップのロゴ入り紙袋を下げている。
朝から買い物にでも出かけていたらしい。
寮で同室の僕とノクトが行動を共にすることが多いように、ヴィヴィとチャルマも大抵は一緒にいる。
何処となく”親分と子分”感が拭えないのは女王様気質のヴィヴィとおとなしいチャルマだから自然とそういう立ち位置になってしまっただけで、ヴィヴィがチャルマを下に扱っているわけではない。
それどころか”チャルマに何かしようものならヴィヴィにボコボコにされる”という格言は学校中で知らない者はいないほど。
おとなしいというだけで攻撃対象にされかねない子供社会でヴィヴィはチャルマの盾を買って出ているとも言えるわけだし、当のチャルマが立ち位置を気にしていないのなら部外者がとやかく言うことでもない。
「ホント迷惑だよね」
ヴィヴィはそう言いながら勝手に空いた席に座ると、チャルマにも、もうひとつの空席に座るよう促す。
さすがに3人で座っていれば席を退けと言われることはない。
「……他に席空いてるけど?」
けれど僕は”お友達と楽しく談笑”したい気分ではない。
しかもヴィヴィとだなんて。陽属性のリーダー気質は頼もしく感じる反面、塞いでいる時は何よりも鬱陶しい。
ノクトを引っ張り出す算段が尽きた今、彼らの知恵も借りたいのはやまやまだけれども、僕自身の感情に蓋をしてまであのノクトのためにそこまでする必要があるのか? とも思ってしまう。
「僕が何処に座ろうが僕の勝手」
矛盾した僕の心境を察してくれたわけではないだろうけれど、移動する気はないらしい。
煩わしそうに横の毛を後ろに流し、ヴィヴィは頬杖をついた。
「で? あの馬鹿はまだ引き籠ってるわけ?」
「うん」
「よく我慢していられるよね。ちょっと殴ってこようか? 痛い目に遭わなきゃ気がつかないタイプだよあれは」
「……ありがたい申し出だけどやめておく」
本音を言えばヴィヴィに頼まずとも自分が殴りたい。
他人に任せてはここ数日の鬱憤が晴れない。
でも学友に暴力を振るったことがレトに知られれば減点されるかもしれない。
子供ばかりの世界だし、初等部の頃から喧嘩や小競り合いは日常的にあった。
だからレトだって多少の諍いごときで減点などしないだろうし、実際、小競り合い程度でレトが出てくること自体が怪しい。
でも知られていない、減点されないという根拠もない。
「”俺は能登大地だ”ねぇ。異世界転生したいお年頃なんだろうね」
「僕らも同じ歳なんだけど」
「それじゃマーレできるんじゃない? 転生。実際やってみたら気持ちがわかるかもよ?」
「冗談」
ノクトの蔵書を参考にすれば、突然勇者が降臨した時は崇めて尊敬し、尋ねられもしないうちから世界の仕組みや召喚した理由を語るのが現場に居合わせた現地民の役目であるらしい。
けれど現地民からすれば、6歳の頃からの付き合いで脇の下にほくろがあることまで知っている間柄のノクトをなぜ崇めて尊敬しなければならないんだ、という気持ちのほうが勝る。
秀でた才能のひとつでも開花させているのならまだしも、見る限り彼はベッドで丸まって1週間も動かないこと以外、何も変わっていない。
「人間はそう簡単に転生も転移もしません」
この世界は勇者を呼ぶほど困っているわけでもない。
魔王が復活したわけでもない。
その前に転生なんてファンタジーな事象は起こり得ない。
ヴィヴィは宥めるように僕の肩を叩いた。
「チャルマ先生が言うにはね。転生するとこっちの世界での記憶……生まれてから今までのをすっかり忘れちゃうらしいよ」
「はあ?」
「転生者って前世の記憶はしっかり覚えてるくせに、直近までのこっちの世界での記憶は全然残ってないんだってさ。
大抵の本はみんなそう。”あの偉そうなのは誰だ”とか、”どうして女尊男卑なんだ”とか、その世界での一般常識? まぁ10数年生きていれば嫌でも知ってるだろうって知識を尋ねるシーンが絶対あるんだよ。ね?」
最後の「ね?」はチャルマに向けてのものだ。
突然の振りに小さい体を余計に縮こませてチャルマは何度も頷く。
でも、それは創作上での話だろう。
”転生した”ってところを前面に出したいから、そして世界観をさりげなく読者に教えたいから、そうやって尋ねるシーンが入るだけ。
説明するべき読者のいないこの世界で同じことをされても、聞かれた側は「何言ってんだこいつ」としか思わないか、精神異常だと通報するだけだ。
「前世の自分って言ったってその辺の引き籠りや学生でしかないのにさ。どれだけ濃いんだよ、って笑っちゃうけど」
「笑ってる場合じゃないって」
冗談ではない。
そんなネタは楽しめる関係同士でやってほしい。
「だからさ、”前世はそうだったかもしれないが、今のキミはノクトだ!” って設定でいこう!」
例えばこのヴィヴィとか。
間違っても僕に振って来るな。巻き込むな。
「設定って何」
「だから転生ネタで行こうって話。それなら見た目がノクトのままでも何とかなるし。
まぁ、転移でも次元を超えた影響で見た目が現地民ぽく変わっちゃうのもあるらしいけど、そのあたりはイレギュラーだから置いといていいと思う」
「……どれだけご都合主義なんだよ」
確かに僕がノクトの妄言を妄言としてしか認識できないのは彼の見た目が原因ではあるけれど。
「髪は黒だ」と言うけれど緑だし「30歳だ」と言うけれどどう見ても同い年。
と言うか何処からどう見てもノクトでしかない。
なのにノクトではなくて”転生者・能登大地”として扱え、と?
「妄想に付き合いたくないのはわかるって。でもとにかく今は外に引っ張り出して、転生勇者サマには現世を楽しんで頂いて。そうしてるうちにシレッと元のノクトに戻るよ」
「そう……かなぁ……」
「そう。ってことでノクトさんは前世の記憶がよみがえっちゃいました! OK?」
「全然OKじゃない」
ヴィヴィの提案には思わず溜息が出る。
あの日、嫌だと言うノクトを無理やり引っ張って連れて行かなければ、今こうしてノクトが引き籠ることも、茶番に強制参加させられることもなかったのだろうか。
そう考えると、そもそもの原因は自分になってしまう。ノクトのために良かれと思ってとった行動なのに。




